企業の研究開発において問題を日々チェックできない管理職は失格である。科学では真理を追究するのが唯一の目的なのでおいそれとゴールは変化しない。しかし、企業の研究開発は技術を完成させて商品に搭載するまでがミッションである。例えば、研究開発を推進している途中で商品開発そのものが見送りになれば、それも終了するのが常である。そして途中まで投入した開発資源をどう処理するかを考えるのは、研究開発管理者の重要な仕事となる。
中間転写ベルトの開発では、当方の処遇は退職まで数年の身であったので、コンパウンドメーカーから協力が得られなくなった時点で責任をとり、開発失敗として処理した方がサラリーマンという立場では手軽な問題解決法であった。ここで開発に成功しても役員になれるわけではないので給料のみならず退職金も変わらないのである。人事部に早期退職者優遇制度を使った場合のシミュレーションをお願いしたところ、2年我慢して勤務すれば満期で退職したときと変わらない退職金になるとの情報を頂いていた。
さらに外部のコンパウンダーも一流だったので、PPSという材料は高級機種の中間転写ベルトに使えない、という結論を出しても皆が納得しただろう。しかし、前任者により設備投資がなされ充実した豊川のパイロットプラントや現場で働く人数を見て、必ず成功させなくてはいけないテーマであることを理解できた。給料も退職金も増えるわけではないが、ドラッカーの「働く」意味を思いだし、自己実現の目標を新たに設定しなおした。すなわち問題を会社の問題としてとらえただけでなく、責任ある技術者として生きる自分の問題に設定しなおして、必ず成功させるための意思決定をしたのである。
これは公私混同では無い。退職前でサラリーマンとして報われないことを承知しての無欲の企業への貢献である。負けには必然性があるが、勝ちはせいぜい予測できるだけというのは兵法に書かれた名言だが、このテーマが成功しても「不思議な勝ち」となるだけである。「不思議な勝ち」とは野村克也氏のマネだが、そもそも意思決定は、100%の保証が無い勝ちを予測し行うものである。その勝ちを予測することで目標が明確になり、戦略立案が可能となる。
意思決定されると見えてくる問題があるという話は先日書いた。それは、目標が明確になるからである。企業の研究開発では、限られた資源の中で成果を出さなければならない。すなわち企業の研究開発では、真理の追究をする前に、研究開発における制約を明確にしなければならない。それは経営者の仕事ではなく現場にいる技術者の責任である。研究開発の制約は技術者の意志決定により取り除かれる(注)。そしてその意志決定により真の問題が見えてくる。問題が明確になれば、あとはそれを解決するだけである。
(注)技術者にマネージメント能力を期待していない企業もあるが、少なくとも管理職群に処遇された技術者は、マネージメント能力を発揮しなければいけない。日本の企業において技術者の処遇はライン管理者よりも低く位置づけられたりするがこれは間違っている。給与をライン管理者よりも多く与えることでマネジメント能力は発揮される。管理職群以上では給与の意味は理解されているはずである。給与を上げずにフェローなどの特別な名称の処遇で対応している企業もあるが、スキルの高い技術者について、若手社員に技術を大切にしていることを経営方針として示すために本来は給与を高くするべきだろう。逆に担当部長とか担当課長というありきたりで中途半端な肩書きは技術者のモチベーションにマイナスとなる。権限も何も無い、と誤解してやる気がなくなる技術者もいるかもしれない。しかし、担当部長や担当課長でも現場における戦術展開の権限は「与えられなくても」存在するのである。ここで意志決定が重要になってくる。
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PPS中間転写ベルトの開発を担当したのは、2005年8月だった。八王子から豊川へ単身赴任する途中で撮影した家族写真では、単身赴任という状況にかかわらず幸せいっぱいの笑顔で写っていた。すぐに問題解決できる自信があったからだが、単身赴任してみると本当の問題は、コンパウンドの混練技術をどうするか、であった。
当初外部のコンパウンドメーカーが一流で、当方が指導すれば簡単に問題解決できる、と考えていた。しかし赴任そうそうコンパウンドメーカーからは、素人は黙っとれ、と言われてしまった。おそらく中部圏の出身者だろうと思われるが、せっかくすばらしいアイデアを話そうと思ったが、簡単に発言そのものを封じられてしまった。そして押出成形のほうを真剣に考えろ、とまで言われた。ここまで言われては、お客の立場丸つぶれである。
外部のコンパウンドメーカーは確かに一流メーカーであったけれど、ヒューマンプロセスによる考え方ができない人たちで、教科書通りの開発を進めている。教科書通りだから間違いではないのだけれど、長い間開発を進めてきても問題解決できていなければ、少しはやり方を変えようという人が出てきてもいいと思うが、科学的に技術開発を進めている、という自負がそうさせないのだろう。さすが○○○という昨年新聞を賑わせた研究所から生まれた会社である。「科学」命の会社かもしれない。
単身赴任前に考えていた問題は、一気に意味が無くなった。「コンパウンドの混練技術をどうするか」が最大の問題になった。外部のコンパウンドメーカーはお客に協力しようとしないばかりか、お客の技術力を疑っているのである。年内にベルトの内製化をどうするのか提案しなければいけない立場として、年末を待たず意思決定する必要が生じた。
年末にPPSのベルトが完成している状態を思い描けば、コンパウンドの混練技術を1ケ月以内に完成しなければいけない。コンパウンドの内製化を早期に意思決定しなければ問題解決できないことは明らかだった。この意思決定以外であれば、開発失敗を前提に社内調整を始める、という道である。
まだ半年ある、という楽観的考えから、コンパウンドの内製化を決意し、外部のコンパウンダーの対応はマネージャーに任せ、コンパウンド技術の開発を始め、1ケ月後にカオス混合技術を用いて「できる」という感触を得た。正しい問題を見いだすためには、意思決定ができているかが重要である。迅速な意思決定は自ら行動することにより可能となる。
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ブリヂストン館美術館がビル建て直しのため5月18日より閉館になるので、現在開催中の「BEST of the BEST」を見に行ってきた。やはり本物はすごい迫力である。写真や印刷物ではわかりにくい陰影や、絵の具の輝きがよくわかる。
パステルの絵ではそのタッチが200年過ぎても残っている。作者の気持ちが伝わってくるようだ。本物の絵画を見ていると、明らかに写真との違いが見えてくる。写真では写しきれない世界がそこには描かれているからだ。写実性が高いと言っても科学的に光の位置を探してみると、レンブラント以外は光源が複数存在したりする。そしてそれが絵画の一つの表現だったりもしている。
写真が芸術として劣っているのか、というとそうではない。絵画は古くから存在したが、写真は銀塩を乾板にぬり、画像を残す技術が開発されてからの芸術である。まだ芸術としての歴史は科学同様に浅い。
写真は真実を写すとか写さないとか言う議論があったりするが、その原理は三次元の世界を二次元平面へレンズを通過した光で表現するので、この議論の答えは自明である。すなわちオブジェクトはレンズにより必ず歪むことになるので真実をそのまま写す、という説明は間違っている。わかりやすく言えば、美しくなくても美しくとることが可能なのだ。そして、それが写真家の腕でもある。
ただ写真は事件の証拠として、筆記された絵よりも重視される。あたかも科学と技術の関係のような世界がそこには存在する。どんなに写実性の優れた絵画でも正確さでは写真に及ばない。逆に写真では描ききれない作者の心が絵画では容易に表現できる。同じオブジェクトを前にしても、写真と絵画では描いているものが異なるのだ。
これは、新しい自然現象を前にしたときに、科学では素直にその真実を追究するのだが、技術では、そこに潜む機能を人類に役立てようと心眼で眺め、無地のキャンパスに機能を実現した装置を書き上げる。あたかも写真は科学のようで、絵画は技術と同様に人間の自然な営みの中で生まれてきた作業の結果のようだ。
このように見ると、写真表現は今日の科学のような厳しい議論に、まださらされていないのでその技法に開発の余地が残っており、デジタル技術が新たな写真表現を生み出すかもしれない。すでにそのような取り組みをしている写真家もいるが、残念ながら今ひとつ盛り上がりを見せていない。
真実を写すのが写真だから、それを加工したらもはや写真ではない、という意見がある。しかしこのような無限の可能性に制限を加えるような批判は、どのような分野でもその進歩を阻害する。弊社では、写真の可能性についても研究しているので機会があったら展示会を行いたいと考えている。ご期待ください。
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ドラッカーは、「何が問題か」をまず問うことの重要性を指摘しましたが、問題解決をどのように行えば良いか、とか問題の構造とか、そもそも問題とは何かについて明確な答えを残してくれませんでした。著書を読めば、ドラッカーが意味する「問題とは何か」の答えが見えなくもないですが、彼の著書を数冊読んだだけでは理解できません。
高校生の時に父親から勧められてドラッカーを読み始めたが、難解な本でした。眠れないときに読むにはもってこいの本でした。彼は、目の前の問題が、すぐに解くべき問題とは限らない、と述べています。すなわち、問題には、目の前に見えている問題と、目の前に見えていない問題があり、目の前の問題を解いてみたところで問題解決したことにならない、さらには間違った問題を正しく解いても得られる答えは正しくない、とまで言っています。
目の前に見える問題は理解できますが、目の前に見えていない問題を見つけるにはどうしたらよいのか。これが問題になる。彼は、問題とは、あるべき姿と現状との差異と定義づけています。すなわち現状分析と意思決定により導かれたあるべき姿との乖離から、目の前に見えていない問題が見えてくる、と言っている。
これをプロセス的に表現すれば、1.現状分析を行う、2.どうあるべきかを問う。3.1と2の差分を考える、4.そしてその差分を解決する、となります。少し表現をかっこよくすれば、戦略を考え、戦略に基づく戦術を遂行するとなるが、これはあまりにも抽象的でわかりにくい。あるいは、意思決定を行い、その結果見えてくる問題を解決するのがビジネスプロセス、という表現もできるが、これも少し抽象的だ。
一般に言われている科学的問題解決プロセスの一番大きな問題は、すでに問題が与えられていることが前提になっている。しかし、問題解決のプロセスの前段では、ドラッカーが指摘したように、まず何が問題かを考えなくてはいけない。これは科学の問題を考えるときでも同じである。この作業は仮説設定とは異なる作業であり、ヒューマンプロセスの特徴にもなってくる。
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企業の研究開発は事業の一シーンでもあることを考慮すると科学的プロセス以外の問題解決プロセスの重要性が見えてくる。仮説を立ててそれに基づく実験を行え、という指示だけでは、仕事は進まない。また、研究成果は企業の重要な将来への投資と考え、大学と同様の研究を行ってみても、事業への貢献はさほど大きくない。
さらに、人類に役立つまったく新しい機能の発見は、頻繁に起きているわけではない。例えば、高純度SiCの合成に用いた高分子前駆体の技術は、当時普及し始めていたポリウレタンのリアクティブブレンド技術と同様である。電気粘性流体の増粘防止技術も科学的に書かれた報告書では界面活性剤では不可能と結論が出されていたが、技術ができれば従来の界面活性剤の知識の範囲で説明できる内容であった。報告書はあまりにも科学的に仕事が進められた結果の産物である。
ゾルをミセルに用いたラテックス重合技術は、コンセプトが新しかっただけで、技術の根幹にある超微粒子への高分子吸着の研究は、同じ頃に行われていた。PPSと6ナイロンの相容や、ポリオレフィンへポリスチレンを相容させた実験の二つが、現代の科学では説明できない現象を含んでいた。
32年間の研究開発を思い返してみても科学的にまったく発想が難しいと思われる事例は2点だけである。高純度SiCの開発で体験した不思議な現象を見つけて以来ヒューマンプロセスによる研究開発を心がけてきたが、科学的に説明できない技術はたった二つで、後の事例は技術ができあがってから科学的研究を行ってみると、科学でうまく説明できた。
科学で発想できない技術を心がけてきてもそれを実現できたのは32年間に二つ、ということは、科学的プロセスで問題解決していても日常困らない、という常識を支持していることになる。しかし、ヒューマンプロセスには、科学的プロセスには無い問題解決のスピードがある。もし科学的プロセスにこだわるならば、ヒューマンプロセスで問題解決してから、それを科学的プロセスでトレースしてみれば良い。それでも最初からすべてのプロセスを科学的に進めるよりはスピードのある問題解決が可能となる。
当方の事例ではうさんくさいかもしれないが、ヤマナカファクター発見プロセスがその事例、と言えばヒューマンプロセスの重要性をご理解いただけるのではないか。そしてあの研究成果はTRIZやUSITを使用していたなら、山中先生が生きている間に成果が出なかった可能性が高い。TRIZやUSITを用いてiPS細胞の発見ができたかもしれないが、そのためには山中先生が申されているように天文学的な膨大な時間が必要だった。
注)ヒューマンプロセスについては、www.miragiken.com
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企業のリーダーでTRIZやUSITを普及しようと考えている人がいるなら,今の時代はやめた方が良いとアドバイスしたい。以前にも書いたが、この手法は、旧ソビエト時代に科学的にすべての問題を解く手法として研究された方法である。コンピューターが登場したときに、ロジックで問題解決できるならコンピューターであらゆる問題を解決することが可能、と短絡的に発想して企画された。
冷静に考えていただきたい。現代の科学で自然現象がどこまで解明されているのか、ということを。科学ですべてが解明されているならば、TRIZやUSITで、身の回りのすべての問題を解くことが可能になるだろうが、いまだ科学で解明されていない領域が多いので、多くの科学者が失業しないで済んでいる。
科学で多くの自然現象が整理され、小さい頃からそれらを学んできた。その目的の一つは、科学的に未解明の現象へチャレンジできる次の世代を育てるためである。すなわち、人類の大半が未解明の科学現象が多く存在することを前提に現代の科学教育を受けている。
そのうえ、その未解明な科学現象が、単なる科学的知識だけでは解明できない、と考え、情操教育も含めた芸術分野の教育も義務教育で行っている。さらに知識の習得を確認するテストでは、ヤナマナカファクター発見の原動力になったあみだくじの引き方まで学べる形式が採用されたりしている。
自然現象を解明するのに、科学は一つの良い方法であるが、それだけでは不十分らしいことに一部の人は気がつき始めた。そしてイムレラカトシュのように科学の欠陥を指摘する人まで現れている。科学的ロジックの一つの問題として、科学的に説明できない現象が起きた場合に、それがロジックで否定されるという困ったことになる。そこに、新たな科学現象が現れていたとしても、その現象に至る科学的知識が欠落していた場合には、否定証明で否定する人が現れる。
現代の科学で解明されている知識だけを使い、導き出される答えとは何か。そこから生まれるのは、科学的で当たり前の結果だけである。そうでない場合には、現代の科学にどこか欠陥があることになる。だからTRIZやUSITで導かれるのは当たり前の結果であり、そのため、この方法を重視しているリーダーは、科学をよく理解した若手から軽蔑される(その逆に、理解していない若手からはうっとうしがられる)。
現場でこの方法を強制されてやらされている光景を見てきたが、若い人がかわいそうであった。その手法を使っている途中で答えが見えてきても、最後までまとめろと強制される(パワハラだ!)。科学のプロセスを身につける訓練ならばそれでよいかもしれない。しかし、そのような訓練は小学校時代から十分に受けてきた。若い人が目の前の問題を解くときに、科学的方法以外で行おうとしていたならば、まず、その理由を尋ねるべきである。
なぜなら、当人たちは目の前のテーマで解決策が無くて困っている状態だからだ。TRIZやUSITで見つかる答えならば、すでに検討済みの可能性が高い。このような理由で、TRIZやUSITを普及しようという動きがあっても、中間転写ベルトの開発では、それらを使わなかった。使っても解決策は科学的に当たり前の答えしか出ないことが見えていたのと、担当者のモラールダウンを恐れたからだ。
さらに前任者のこれまでの努力の結果では、科学的な方策がやり尽くされていた。換言すればにっちもさっちもゆかない状態だった。皮肉になるが、科学の良いところは、方策が無くなると袋小路に入ることだ。そしてその袋小路には、科学で未解明な現象がいっぱい隠されている。
イムレラカトシュは、科学で完璧にできる証明法は、否定証明だけだ、と述べている。すなわち「できない」という結論を出すには、科学は大変便利な道具である。科学的なロジックで誰もが納得できる結論を導き出すことができる。袋小路に入ったら科学的方法は重宝する。
電気粘性流体の増粘の問題では、界面活性剤で問題解決できないという完璧な報告書ができていた。中間転写ベルト開発において前任者に優れたところがあるとしたならば、自分でこれはできない、と言わなかったことだ。周囲のだれもが科学的にできないと見ていても、きっと誰かができるという希望を持っていたことだ。
中間転写ベルトのテーマを引き継いだときの状況はこうだった。だから躊躇無くヒューマンプロセスで取り組むことにした。そして、ヒューマンプロセスの成果で得られた周方向の抵抗が安定したベルトが完成したときに、それを作る方法ではなく、できあがった製品について科学的証明を行った。作る方法である「あやしい」プロセスについては、科学的品質管理方法で説明した。
短期間に「あやしい」新技術(これは決して怪しくない。昨年6月に高分子学会から招待講演者として呼ばれて講演している)を開発したが、これらの科学的説明で周囲は納得し、コンパウンドの内製化のため8000万円を予算外で投資した。ここに科学の重要性がある。ヒューマンプロセスについてはwww.miragiken.com をご覧ください。
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故ウトラッキーが20世紀末にEFM(The extensional flow mixer)を発明したが、あまり普及していないようだ。この装置は、細く鋭利なスリットで伸張流動を発生させ、高分子のナノオーダーレベルのブレンドを可能にする。欠点は流動抵抗が大きく生産性が悪い点である。
彼は伸張流動に着目したが、カオス混合のような急速に長く引き延ばす特殊な伸張流動までには思いが至らなかったようだ。科学者と技術者の違いかもしれない。この装置の面白い点は二軸混練機の先に取り付けて使用するパッシブな装置であることだ。
EFMでは無数のスリットのため吐出量を増やそうとすると大型設計しなければいけない。しかし、二軸混練機の先に取り付けるアイデアは秀逸で、このアイデアのマネをした装置を作ってみることにした。
但し、スリットを平行平面にして急速な引き延ばしの流動が発生するようにした。もしカオス混合というものが指導社員の言われたように効率の良いものであれば、三段程度でも混練は進行するはずである。
科学的に設計されたEFMを参考に30年前の妄想技術を作ってみたら驚くような結果が出た。PPSと6ナイロンを二軸混練し、この装置に流してみたら透明になって吐出されたのだ。それもPPS単独よりも透明度が高いので驚いた。
フローリーハギンズの理論では相容しないはずのPPSと6ナイロンが相容したのである。科学を技術が追い越した瞬間である。この技術には科学で証明されていない新しい現象が起きているはずで、それがなんであるのか科学的に説明しようと、今、努力している。
科学の良いところは、科学の成果を集めてきて、それらと比較しながら検証できる点である。科学論文の捏造が厳しく弾劾されるのは、成果の再利用が不可能になるからである。
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急速に引き延ばされた流れが瞬時に折りたたまれて、カオス混合は進行する。ロール混練ではこれが起きている、と指導社員は教えてくれた。当時この指導社員の話を妄想という人が多かったが、当方は30年間信じていた。
この指導社員は、ダッシュポットとバネのレオロジーモデルを電卓で計算している人だった。ばりばりの理論肌の人で、時々妄想のような話をする面白い人だった。ただその妄想は技術の話で、科学の話ではなかった。しかし妄想よりもすごかったのは、ダッシュポットとバネのモデルは無くなるだろうという予測であった。
そしてこの予測は21世紀の現在当たっているが、少なくとも当時科学と思われていたその手法が廃れることを指導社員以外から聞いたことはなかった。ゴム会社の顧問を務めていた狸に似た京都大学の大教授は、ゴムの架橋モデルをその手法で説明し悦に入っていたし、学会でもその手法開発がレオロジーという学問の重要な研究対象であった。
指導社員をよく知らない人ならば彼を変な人ぐらいにしか見えなかったかもしれないが、身近で見ていた弟子の立場では、妄想は未来予測に聞こえた。だからカオス混合の技術アイデアも30年後に実用化することができた。
技術に問題があるとするならば、科学のようにうまく伝承できないことだろう。科学でまとめられた事柄ならば、たとえ次の時代にそれが真実でなかったことがわかっても、その時代にうまく伝承される。
そして伝承された後、もし真実でないことがわかったならば、但し書きがつけられて次の世代に伝承される。科学では常にその真実が検証されながら進歩している点が重要である。そして技術について、いつの時代でも科学で説明するように努力しなければいけない。
技術の説明者はその技術を開発した人でなくてもよいから科学で記述し、次の世代へ伝承しなければいけない。科学で記述されなかった技術は、伝承されないだけでなく、緻密な特許戦略を立案することが難しいので、他社に権利を侵害されるかもしれない。写真会社でその現実を目の当たりにした。科学の重要性が力説されなければいけないのは、この点であり、問題解決のプロセスでは、科学にとらわれず自由にヒューマンプロセスを実践するのが良いのではないか。
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PPSとナイロンの相容については、東工大の扇澤教授が面白い研究をされていた。この先生のご研究は多岐にわたっているが実務に直結したテーマをうまく選ばれており、助手の時代からその研究内容に注目してきた。
特許にはうまく再現できない事例が多いが、科学の世界の論文は真理を追究しているので再現性を期待できる。この理由で、彼の科学論文に書かれた実験も信頼でき、その中の一つの実験、4,6ナイロンとPPSの相溶現象をその場観察する実験から得られる考察は正しいはずである。
さっそく先生にこのご研究の話を伺いに行ったら、χが小さいんでこの実験を行った、と言われた。そして4,6ナイロンではうまくいくが、χの大きい6ナイロンではうまくいかない、とも言われた。
すなわちPPSと6ナイロンは科学の世界では相溶しないことになっていることを確信し、これを相溶させる技術を退職前に実現しようと決心した。もしこれが成功すれば、技術が科学を追い越した事例になる。
ゴム会社の新入社員時代に指導社員が教えてくれた究極のカオス混合技術を開発することにした。また、これは指導社員が当方に出してくれた宿題でもある。指導社員の話が正しければ、そもそも究極の混練は高分子の分子レベルまで作用し進行するので、χが大きくても相溶現象は生じるはずである。
中間転写ベルトの開発を始めた頃、指導社員の母校である京大からカオス混合のシミュレーション結果が発表された。偏芯二重円筒でモデル的に生成するカオス混合をシミュレーションしたものだが、それが大きなヒントになった。
科学の成果は真理であり、その真理を基に思い描いて生まれた技術は、例え科学的な証明が難しくても実現できるはずだ。また、そこに科学の重要性があるとともに新しい技術の科学的ではない生み出し方がある。(www.miragiken.com をご覧ください。)
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広島ー阪神戦で一触即発の大乱闘になるところだったらしい。ゲームを見ていないので状況は不明だが、黒田投手の対応に賛否両論がある。11-3で広島が勝ったこのゲームで何があったのかは、新聞記事を読んでいただきたい。
大切な点は、ベテランがその現場で19歳の若者を叱っている点である。掛布氏は、これを大人げない、と表現し、他の評論家は指導と評価しているところだ。プロ野球のようなショーで大人げない怒りは、面白さでもある。但しそれも頻繁になれば面白くなくなるが、ニュースを読む限り、黒田投手の行動には冷静さが残っていたようなので、掛布氏の評論は、阪神びいきに思われる。
ところで、ベテランが現場で若者を真剣に指導していた時に危険作業に遭遇したらどうするか。やはり黒田投手のように真剣に叱るのが正しい、と思ってきたが、今はパワーハラスメントとして捉えられる時代である。
優しく穏やかに指導しなくてはいけない。しかし、危険という二文字を指導する時に、そのような指導でうまく伝わるのだろうか。30年以上前の新入社員時代に、ロール作業はじめいくつかの危険作業が業務で必要だった。いわゆる3K職場で働いていたのだが、厳しい諸先輩のおかげでけがひとつ無く実験ができた。
職場の安全は保たれるべきである。しかし、プロ野球に限らず人間の生活する空間には、暗黙の了解による安全対策をとらなければならない環境は多い。パワハラという言葉にひるむことなく、先輩が厳しく注意するのが正しいのではないか。黒田投手は、ピッチャーが、打者となったピッチャーに危険球を投げることが禁じられている暗黙のルールを指導したかった、と思われる。
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