自分の高校生になった息子の入学式に出席するために、高校一年生の担任となった教師が自分の担任の高校を欠席したという珍事がニュースで報じられた。しかし、これは珍事ではなく過去の事例もあったというから驚きである。
勤務先に休暇届を出して息子の入学式に出席する、という行為は悪いことではない。むしろ難しい年頃の子供の教育を思えば奨励されるべき事である。しかし、職業によってはそれが許されない場合がある。今回のニュースはその一例である。その他の事例を考える前に、ここでは一般論では問題とならないが、各論では問題になるケースの存在をわきまえる必要がある点について述べてみたい。
一般論では問題にならない、と書いたが実は、一般論では問題が見えない、と表現すべきかもしれない。問題とは、「あるべき姿」と「現実」との乖離であって、現実だけを見て語られている場合には問題は見えない。逆に理想だけ述べられている場合にも問題は、その理想論の中に隠れてしまう。
職業については、その職業の選択の自由が保障されているが、その職業を選択する責任は個人にある。しかし、職業の「あるべき姿」を決めることができる立場は限られる。民間であれば企業の社長と経営に携わるボードメンバーであるが、公務員の場合にはその職種により職務について「あるべき姿」を決める人物が異なる。例えば公立高校の教師の場合には主権者である国民となる。
私立の場合には民間企業と同様にその学校の創設者になるであろう。しかし、私立でも公共性が高い点に着目すれば国民であるべきだ、という意見があるかもしれない。私立の学校の場合にその役割の人物を特定するためには少し議論が必要かもしれない。但し、公立の場合には、そのサービスを受ける国民であるべきだ。
職業に就く、とはこの職種ごとに決まっている「あるべき姿」をよく理解したうえで職業を選択し、その仕事に従事していることである。すなわち、職種のごとの「あるべき姿」実現のために個人の自由が制約を受けることを理解した上で仕事に従事していなければならない。その前提に立てば、息子の入学式を仕事よりも優先する行為が許される場合と許されない場合があることを教師は理解できるはずである。
職業について理解していない教師の話題ではないが、STAP細胞の中心人物、未熟な研究者の問題は、公的機関の研究者という仕事を理解しないままその職務に就いた不幸な事件という見方もできる。
学生時代に指導担当の教授は、未熟な研究者が研究者に適しているかどうか判断できたはずである。少なくとも会見の内容を聞いている限り、4年生の段階で職業を選択する前にアドバイスされるべき事柄が多数あった。もし会見内容から推定される考え方や価値感であれば未熟な研究者とは優しい表現であり、本来ならば研究職に就いてはいけない人物のように思われる。科学の分野における研究職とは真摯に「真実」と向き合う職業である。それは自分の行為についても同様で厳しい倫理観が要求される。会見内容からはそのような意識の欠如が伝わった。
生徒を教育する役割に就いている方は、生徒の職業の進路を指導するときに、その職業の「あるべき姿」について生徒に教えなければいけない。当方は学生時代に多くの優れた研究者や教師に恵まれ、そのアドバイスに従い選んだ「職業」については満足しているし、またその職業で会社を通じ社会にささやかながら貢献できたと思っている。職業選択において学生時代の教師の役割は重要である。
(注)
昨日の息子の入学式に出席するために担任のクラスの入学式を欠席した教師の件についてニュースの反響は大きく、WEB上にはニュースの見解について賛否両論飛び交っていた。
本件の難しいところは、視点を変えると悪くない、という結論を導ける点。だから、息子のために学校を休んだ教師は何ら処分されていない。処分されていないから許されるのか、というと、そもそもその職業を選んだ覚悟はどうだったのか、という視点で許されない。
これは究極的には個人の価値観の問題に至り、多数決でも結論を出せないが、社会で誰もが気持ちよく生きてゆくという観点に立ったときに「わがまま」はよくない、という意見を認めると、ニュースで報じられた教師は「わがまま」となる。そして「わがまま」がよいか悪いか、となれば大人の我が儘は「悪い」のである。
しかし子供の我が儘については、我が儘は悪い、といっても社会はそれを許している。が、親は我が儘は良くないことだと子供を躾ける。我が儘のままでは社会に迷惑をかける存在になるからである。職業で個人に制約が発生することを認めるのはおかしいことではなく、例えば警察官という職業では、究極の選択において市民の安全が個人の命よりも優先される、と常々元警察官であった父から聞かされていた(だからといって個人の命を軽視してよいと言っているのではない)。
職業に就くには、どのような職業でも覚悟がいる。教師には、社会の「掟」を教育する使命がある。この使命において、「親」としての立場を生徒に見せるのが良いのか、「先生」という職業に真摯に向き合う姿を生徒に見せるのが良いのか、といえば多くの「親」は後者を期待する。
社会の混乱は、当たり前と思っていたことが乱れるところから起きる。それを防ぐために、おかしなことがあると警告を発して「良い」と「悪い」を示すのである。例えばSTAP細胞の騒動は、そのレベルの「良い」と「悪い」が教育過程で躾けされなかった(学位論文をコピペしても悪くない、という価値観を認める教育の)研究者が、世界的発見をしたために起きているのである。
その結果、理研という組織が予算の面で不利になる弊害その他諸々の弊害がその社会で起きて混乱しているのである。理研や学会員以外には影響がないような問題に思えても社会を巻き込んだ騒動になっているのは、科学的発見の大きさだけで無く、社会の常識の根幹を揺るがすような出来事だからである。
博士という学位の価値や国民の税金で研究を行っている研究者が、出張名目で高級ホテルに宿泊したり公的建造物の色を自分好みに塗り替えたり遊び感覚でいい加減に研究を行っている実態、その他ニュースで報じられている内容は、個人の自由でかたづけられる問題ではなく、少しおかしい。
教師が自分の息子の入学式のために担任のクラスの入学式を休むという行為を少しおかしいとみるのか、これを価値観の違いとして認めるのか、少なくとも社会に与える影響を考えたときに、教師があからさまにプライベートを公務より優先する行為は「悪い」と結論ずけたほうが良いように思う。
(注、続き)
その後の教育長の談話で、本件は「良い、悪いではなく、難しい問題」と極めて曖昧な答弁が載せられていた。また、時代が変わった、という意見も多い。本件は、「あるべき姿」を定義づけしない限り、問題は明確にならない。教師という職業をどのように位置づけるかで問題が明確になり、判断を下せる。例えば教師は授業を教えるだけでよい存在と位置づければ、本件はどうでもよい話である。何も悪いことをしていない。しかし、国民は教師に職業観の指導などを期待していないのでしょうか?若い人たちは働く意味をどこで学ぶのでしょうか?
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STAP細胞の騒動を見ていると貢献と自己責任の観点が軽く扱われているように思われる。公的研究機関で科学の研究に携わる人は人類への貢献を第一に考えて頂かなければならない。
このような姿勢は、例えば企業の技術開発現場において、お客様に貢献するために開発を行えと教育される。技術開発の成果がお客様に受け入れられた結果、商品が売れ企業の利益があがり技術者が評価される、と教えられる。また、貢献する過程において自己責任の原則が成熟した大人の常識とも指導される。
今回の騒動は、人類に大きく貢献するかもしれない研究論文に掲載された2点の図について科学の研究における初歩的原則を破ったため起きている。この点は理研の調査結果で単純ミスで到底説明できないと明確にされた、誰もがその調査結果を認める言い訳のできない事実である。野依理事長が未熟な研究者と表現したのは、その表現以外に研究者の罪を許す言葉が見つからなかった優しさからである。野依理事長とは、そのような優しい方である。(注)
もし、貢献と自己責任を意識していたならば、それに値する判断と行動で2点の図を扱わねばならず、研究者の記者会見ではこのあたりについて趣味の手芸を美しく仕上げる程度の説明しかされなかったのは残念である。
その結果、騒動が起きたのだから研究者はまず自己責任の原則に則って反省をしなければいけないが、会見では責任感よりも、200回作成しました、と成果を訴えることに終始していた。それは騒動に対する反省の姿勢というよりも実験結果の正しさを訴え自分の正当性を主張する姿勢に見えて、「誠実さ」を表現しようとしたお詫びの言葉もそのため軽く聞こえた。
パワーポイントから図を取り出したので間違えた、とミスの過程を説明していたが、国民の税金で研究された成果を軽く扱い、データの整理を日常やっていない、と白状している説明となった。貴重な科学データを扱う研究者には納得のいかない説明であり、そこには国民の税金を使い研究を進めている責任感を感じることができなかった。
企業では5Sや見える化が浸透し、開発過程のデータは共有ファイルサーバーで管理されプロジェクトに関わる人間が誰でもアクセスできるようになっているところが多い。リーダーの立場であれば、研究データの管理に細心の注意を払うべきで、それは組織への貢献につながる仕事のはずである。
貢献と自己責任そして自己実現は働く意味において重要な概念だが、企業では新入社員訓練が教育の機会になっている。公的研究機関ではどのように社会人一年生を指導しているのであろう。しかし、これらは学生時代からドラッカーなどの著作を読めば学ぶことができる概念であり、知識人であれば身につけていなければならない常識である。弊社ではかつて入社前のセミナーとしてその知識を公開した。
(注)その後山中博士は30前後の研究者は未熟である、とどこかの席で話されたが、それでは困るのである。今の大学教育のお粗末さを認めているようなものである。かつて鬼軍曹が闊歩し厳しく学生を指導していた時代があり、その時代は毎週行われる研究室の報告会でも厳しいデータの吟味が行われていた。それによりデータの扱いを学んでゆくのである。今は大学までもゆとり教育になったのか?
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フィルムの表面に薄膜を形成して機能性フィルムを製造する技術は、写真フィルムが発明された時代から技術開発が続けられ、未だに先端技術分野で扱われている。今ではフィルムにトランジスタをロールtoロールで形成する技術が実用化されつつある。
有機トランジスタ薄膜を形成する最先端技術から単なるフィルムの帯電防止薄膜塗布のような先端技術まで薄膜塗布技術を眺めてみると、科学的というよりも泥臭い経験の積み重ね技術の占める割合が大きいことに気がつく。すなわちノウハウの比重が大きい。
技術内容については特許や学術論文で公開され、科学的に理解できる部分は公知であるが、それだけで実現できる世界ではないのが薄膜塗布技術である。簡単に思われる帯電防止薄膜についても経済的にも優れた技術になってくると科学の世界だけでは実現できない。タグチメソッドは一つの手段だが、システムが決まらなければそのメソッドも使用できない。
薄膜の世界では、kgあたりのコストではなく平米あたりのコストで論じられることが多い。付き量が性能を左右する事が多いので結局は重量当たりのコストも大切なのだが、単位面積当たりのコストで比較した方が便利なためである。また重量当たりのコストが高くても薄膜の機能を少ない付き量で実現するという技術開発テーマもあるので、付き量よりも機能を実現できる単位面積当たりのコスト比較が重要になってくる。
薄膜塗布技術で面倒なのは塗布設備が大規模になる場合が多いことだ。スプレー塗布の場合にはそれほどの規模にはならないが、塗布液の組成の自由度が小さいという問題がある。換言すれば、塗布液の工夫を行えば塗布設備を簡略化できる、ということだ。このあたりのカンどころは経験が無いと大失敗につながる。
いろいろな薄膜塗布の開発を経験すると、実現したい機能性薄膜から容易に処方液と塗布方式が見えてくるようになる。写真フィルムの会社に勤務して勉強になったのは、プロセス担当がイメージするシステムと処方設計の担当者がイメージするシステムが異なる場合が存在したことだ。すなわち薄膜塗布技術では処方設計から塗布プロセスまで全てに熟知している必要がある。そして両者がわかるとレオロジーという学問のありがたさが見えてくる。
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仕事のため彼女の記者会見を全て見ることができなかったが、会見が始まって彼女の謝罪の言葉を聞いていると、こちらまで辛くせつなくなった。せっかくの大発見を前に、科学者としての実力を磨かないまま学位を取得し運良く現在の立場になったため、とんでもない不幸な状況に彼女は置かれているのだ。(注)
恐らく彼女の頭の中から今でも「STAP細胞の発見」という偉業が離れないのだろう。当方も30年以上前の高純度SiCを発明したときの興奮を今でも覚えている。しかしFDを壊される事件が起きたときには、事業の成功を夢見て問題を大きくすることを避け、開発担当の役目から身を引く道を選んだ。
しかし、昨日の彼女の会見は、科学的に疑いを晴らすと言うよりも理研と裁判で争う方向に見えた。この選択では、おそらくここまで社会的な大騒ぎになると裁判で白黒を明確にする方向ではなく、どこかで和解することになるのだろうが、しこりは残る。そのため、このような場合に個人の判断としてその後のことを考え、穏便に解決しようとするのが一般的だ。
ただ、穏便に解決した結果は明らかで、栄誉は得られない。栄誉は得られないが彼女が望む平穏な研究生活は戻る。究極の選択を迫られ、彼女は栄誉を選んだのだと思う。その後の彼女の人生を心配しなければいけない立場ではないが、学位論文も満足に書けず、またせっかくの大発見も台無しにしてしまう力量で栄誉だけを選ぶ、という選択には、会見の内容と合わせて考えると、どこか不純さを感じる。
おそらく今回の会見については賛否両論まっ二つにわかれるだろう。今回の場合ではマスコミが指摘しているように理研にも問題があり、彼女の科学に対する姿勢にも誠実さや真摯さが感じられない問題がある。もし彼女にそれなりの力量があったなら、今回とは異なる道を選んだと思う。少なくとも法廷闘争で決着をつけるような問題ではない。科学に真摯に向き合おうとするならば理研との関係修復を早く行い、立派な研究を行うことである。
(注)今回の事件は、科学に精通していなくとも、あるいは科学の力量が低くても科学の大発見ができるという大切な例になると思う。STAP細胞は科学をよく理解できていなかったから発見できた、とも言える。技術のブレークスルーを行うのに科学が絶対に必要というわけではない。科学は「あれば便利」という役目に過ぎないのだ。また科学的に前向きの推論を進めた結果、時間がかかるということも起きる。科学の時代に科学的方法論は重要だが、それが全てではない、ということを今回の事件は示している。また凡人にも犬も歩けば棒に当たる的大発見の機会は存在し、その時に備え、科学以外の方法論も学んでおく必要がある。カラスでもクルミを割る方法を発明する時代である。弊社は科学も包括した技術開発の方法を指南します。
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材料の熱膨張と熱収縮を測定するとヒステリシスが必ず現れるのか、というとそうではない。例えばSiC。6HSiCは結晶系が異方性なのでa軸とc軸の線膨張率が異なる。この単結晶の線膨張率を2000℃まで計測してもそれぞれの軸にヒステリシスは観察されない。
それは、6HSiCの膨張と収縮が化学結合の膨張と収縮の結果であり、その構造からシミュレーションした値と実測値がうまく適合する。また、6HSiCから製造した焼結体の線膨張率については、結晶で計測された値の平均値として観察される。
ただし、これは、助剤としてBを0.2%、Cを2%用いたときの実験結果である。助剤がかわり粒界にガラス相が形成されると線膨張率にその影響が観察される。セラミックスでは熱膨張や熱収縮は大変分かりやすい現象である。
しかし高分子の熱膨張や熱収縮では、自由体積の影響、結晶化度の影響、アモルファス相が均一になっていない影響など複雑である。ゆえに樹脂の熱膨張や熱収縮ではわずかなヒステリシスが観察されたりする。高分子複合材料系になればもっと複雑な変化となる。
TMAはこれら複雑な変化を検出する実験装置であり、最近は熱膨張や熱収縮を実験できるだけでなく粘弾性の実験もできるように工夫した装置も発売されている。高分子材料の開発を行う場合には是非1台揃えておきたい装置である。
樹脂の熱膨張や熱収縮によるヒステリシスに時間のファクターが含まれていることは昇温速度を変えた実験を行いある程度理解することができる。この影響は熱衝撃による疲労に現れる。長時間熱衝撃の存在する環境で樹脂を使用していると変形やひび割れなどが成形体に現れる。微粒子分散系では靱性が下がるので破壊という結果になる。TMAを使い、これらの予測技術を開発することもできる。
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樹脂の微粒子分散系における熱膨張あるいは熱収縮では、微粒子の形成するクラスターの安定性がヒステリシスに影響を与える。樹脂中で微粒子が安定に分散していないときには、Tg以下でも微粒子のクラスターは変化する。ゆえにこの場合のヒステリシスには再現性が乏しい場合がある。
すなわちヒステリシスが射出成型条件などによりばらつくだけでなく、成形品の熱履歴によってもヒステリシスが変化する。そしてその変化が非可逆だったりする。このような場合にアニールを行うとヒステリシスは小さくなり安定化する。アニールには、Tg以下で処理する場合とTg以上で処理する場合がある。
通常の教科書にはTg以下の処理が書かれているが、Tg以上でもアニール処理は可能である。但しTg以上のアニールでは成形品の変形が生じない条件を選択する必要がある。すなわち高温短時間処理となる。Tgが90℃前後までの樹脂の場合には、95℃程度のお湯に短時間つけるだけでTg以下長時間アニールと同等の効果が得られる。
お湯を使用する理由は成形体へ均一に温度をかけるためである。成形体に温度が不均一にかかるとすぐに変形する。温度は強度因子であることを忘れてはいけない。
このアニール処理では高分子が緩和するために歪みがとれるわけであるが、高分子の種類によっては、Tg以下のアニールとTg以上のアニールでマトリックスの高次構造が異なる場合がある。すなわち高次構造を検出可能であれば、どのような温度でアニールを行ったのかおおよその検出が可能である。
アニール以外に微粒子の分散を安定化させるには、コンパウンド段階で微粒子の分散安定化を試みることは重要で、L/Dの可能な限り長い二軸混練機で20分以上混練する必要がある。高分子により30分以上必要になるかもしれない。実際には、このような長い時間二軸混練機の中に樹脂を滞留させることは不可能なので弊社で開発されたカオス混合装置を用いるとよい。500kg/h前後まで対応可能な装置を開発中である。
このカオス混合装置は二軸混練機の先に取り付けるだけでよく、ウトラッキーの開発した伸張流動装置に似ているが、ウトラッキーの装置のように吐出量を多くすると実用性のない大きさになる欠点を解決した。また5年前開発された装置ともデザインが異なる新作である。
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樹脂の熱膨張あるいは熱収縮は、熱機械分析装置(TMA)で求める。Tgまでの熱膨張と熱収縮であればヒステリシス(注)は、現れないはずであるが、大きなヒステリシスが観察されることがある。昨日例示したポリオレフィン樹脂ではその大きさが射出成型条件に依存する。
樹脂に微粒子を分散した場合にも大きなヒステリシスが観察されることがある。この場合に、樹脂単体のヒステリシスと微粒子を分散した場合のヒステリシスを比較すると、微粒子の添加量によってもその大きさが変化する様子を観察することが可能である。
この樹脂のヒステリシスの大きさが問題になるのは、物性の異なる材料とマクロ複合化して製品を組み立てる場合である。この時昇温時の線膨張率を基に設計すると失敗する。ヒステリシスを考慮していないために熱収縮歪みが大きくなったときに材料は破壊する。
ヒートサイクルが繰り返される用途にこのような材料を用いるときにTMAデータは不可欠である。ある装置メーカーにTMAの売り上げが落ちていることを聞いた。TGAやDSCに比較してTMAはその重要性が分からないと導入されないらしい。
しかし材料開発を行うときに線膨張率は重要な因子の一つで、その測定は欠かせないはずである。また、Tgについては、DSC測定でうまく現れないときにTMAでは必ず観察されるのでDSCとTMAの両者のTg評価は必要になる。また両者のTgの違いを考察することも重要である。
高分子のTgについては、まだ解明されていない部分が残っている。熱膨張と熱収縮の測定目的だけで無く、DSCで計測されたTgと比較する目的でもTMAは重要である。
(注)ある状態が現在加えられている力だけでなく、過去に加えられた力に依存して変化する事。履歴効果。
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昨日Tg以上の温度領域でTMAの曲線がグニャグニャ曲がる樹脂について書いた。この樹脂は単一組成にもかかわらず射出成形条件が異なると様々な高次構造を形成した成形体が得られる。すなわち、Tg以上でTMA曲線がグニャグニャ曲がるのは、収縮する構造がその中に存在するためである。この仮説はTg以上で収縮するだけの成形体も稀にできることからも支持された。
収縮する構造と膨張する構造が存在すると両者の差分がTMA曲線に現れる。グニャグニャ曲がる曲線になるのは、膨張した構造の一部が収縮する構造に変わったり、収縮していた構造が膨張する構造に変わるためと推定される。そして後者の可能性は少ないことも他の実験で分かってきた。
TMAの奇妙な挙動を解析するために、様々な熱分析を試みた。主に粘弾性装置を用いて実験をしたのだが、何と非晶性樹脂とカタログに書かれていたのに結晶化することも発見した。この非晶性樹脂の結晶化については、3通りの実験で確認した。2つは熱分析だが他の一つは溶媒に溶解し1ケ月以上ドラフトの中に放置して乾燥した樹脂を用いてX線回折実験を行い、結晶相の生成を確認した。
樹脂メーカーに情報を流しても材料の改良はして頂けなかった。すでに開発テーマではなく事業テーマだから、というのがその理由である。要するに現在の樹脂に不満のあるお客は買わなくても良い、という姿勢だ。
光学用樹脂の市場ではポリオレフィン樹脂が主流だが、お客にとって必ずしも満足な設計が成されているわけではない。代替え可能な他の樹脂が無いために使用されているのだ。ポリオレフィン樹脂の特徴は吸湿性が低い点で、湿度に対して光学性能が安定している。
ポリアクリロニトリルには吸湿性が、ポリカーボネートには結晶性の問題や複屈折の欠点があり、ポリオレフィン樹脂より劣っている位置づけにされている。ミドリムシプラスチックは、セルロース系に近い物性が期待でき、射出成形も可能なので新しい光学樹脂としての期待がある。
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単一組成のポリオレフィン樹脂で経験した事例。その物性ゆえに品質問題が関係するのでメーカー名を記載しないが、いやな思い出のある材料である。すなわち物性に問題有りとしてメーカーに苦情を言っても改善されなかったためである。
その樹脂はTgを高めるためにバルキーな側鎖基を有しており、光学用樹脂として販売されている。単一組成であるにもかかわらず射出成型条件により様々な高次構造が現れる。このことから単一組成というスペックが怪しくなるが、カタログに書かれていたので、とりあえず単一組成として信じてみた。
このTMAを測定すると、Tg近辺までは通常の樹脂と同じ曲線を描くが、Tgを越えた温度領域でグニャグニャ変化した複雑な曲線を描く。そしてその曲線の形状が射出成型条件で大きく変化するのだ。極端に変化した場合には見かけのTgが上がった、あるいは下がったような曲線になる。カタログに記載されたTgは、温度が高い領域のTgが記載されている。
曲線の形状はともかくも、このTgが射出成型条件により変動する点が気持ち悪い樹脂である。13*℃という温度が記載されているが、低い場合もある。これは材料の耐熱性の品質に影響する。すなわち130℃近辺まで大丈夫な材料として設計すると、射出成型条件が変化したときに低いTgの材料ができ、耐熱性が低下する問題を引き起こす。
実際の開発体験では、ある波長の光をあてて耐久性を計測していたときに問題が起きた。まったく耐久性がないのである。光であたかも樹脂が緩和しているような現象が観察された。しかし、メーカーはその問題を認めない。認めないからその樹脂を用いた開発を失敗することになったのだが、別の部署に異動したときに、またその樹脂に出会った。
ここでは書きにくい品質問題が起きていたのだが、技術の観点で原因は同じであった。しかし、単一組成であるにもかかわらず、射出成型条件で様々な高次構造が現れる問題は現代の高分子科学の世界ではうまく説明することができない。しかし技術としてこの現象を捉えることができる。
すなわちこの樹脂を用いた製品で発生する品質問題である。品質問題を解決するためにピンポイントの条件で、TMA測定時にTg経過後グニャグニャ変化した曲線にならない成形体を作成し、耐久性なり、耐熱性を評価すると少し良好な結果になる。ただ、これは実用的には困難な作業で、現場では品質問題となる。そしてその問題の現象は多成分多組成の材料と考えなければ解決できない問題である。
異動後に他の用途で同じ樹脂に出会ったが、触らぬ神にたたり無し、という考え方でテーマとして扱うことをやめた。問題に遭遇し、解決できない問題と分かっているときには、何もしない、という判断も時には重要である。ただ樹脂供給メーカーにはその問題を解決する責任があり、それができないのは誠実さに欠ける、と言われても仕方がない。外から見る限りは立派な会社だが---・。
やや抽象的な話となったが、これは退職して3年で、まだ具体的に書けない部分が多いためである。
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材料の熱膨張あるいは熱収縮は、熱機械分析装置(TMA)で試験を行う。セラミックスやガラス、金属については昔から低熱膨張材料というのは重要な研究テーマであった。理由はこれらの材料が800℃以上の高温度で加工され、室温の環境条件で使用するケースがあり熱歪みが力学物性に大きく影響を与えるためである。
また無機材料ではガラスを除き結晶が分散した構造となり、結晶が異方性の場合にはその界面に大きな熱歪みを抱え靱性が低下する。原料の微細化やその管理技術が進んでもお茶碗などの陶器が割れやすいのはそのためである。
さて、高分子材料の場合には加工温度と使用環境との温度差はせいぜい300℃未満であるのでこのような熱歪みの影響は小さくなるが、概して線膨張率が大きいのでその影響は存在する。さらに微粒子分散系であればクラスター形成がその影響を大きくする。
一般に熱歪みを除去するためにアニールが行われる。50年前瀬戸物は割れやすいから一度100℃のお湯で一日処理して使用すると良い(注)、と母から教えられたが、これもアニール処理である。高分子ではTgから5-10℃低い温度でアニールを行うと効果的である、と言われている。
高温度短時間処理、という裏技もあるが、この裏技とTg以下のアニールでは、アニール後の高分子の高次構造に違いが出る。以下はすべてTg以下のアニールを前提に話を進める。
樹脂のアニールで成形時の熱歪みは緩和されるが、微粒子分散系では十分にアニール効果が現れないことが多い。理由はクラスターの形成状態による歪みまで除去できないからだ。このクラスターの形成状態は、コンパウンドの製造方法と成型加工プロセスの影響を受ける。
樹脂のコンパウンディングでは二軸混練機が使用される場合が多く、微粒子分散系は不完全な分散状態でコンパウンドとして提供されている。どの程度不完全かは、3時間以上混練したコンパウンドと比較すれば理解できる。(続く)
(注)昔は各家庭に火鉢や練炭のコンロがあり、そこで終日加熱する作業ができた。今ではエネルギーコストがお茶碗の値段よりも高いのであまり行われなくなったが。
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