会社の方針で技術開発に日本科学技術連盟(日科技連)の手法を導入していた時代の話。
高分子の難燃化技術開発を担当していたとき、実験の大半を実験計画法で行っていた。まじめに検定を行い信頼値の区間について統計計算まで行っていた。統計計算を行うために自腹でMZ80Kを購入した(注1)。当時給与の手取りが10万円前後の時代に2ケ月分の給与が吹っ飛んだ。日科技連のベーシックコースは50万円である。学生時代よりも教育費に金がかかった。サラリーマンとなりお酒にお金が消える心配よりも自己啓発にお金が消える心配をしなくてはいけない時代(注2)であった。
上司から、「君のグラフでは、いつも平均値がきれいに真ん中にきているが、なぜだ」と質問された。あたかもデータを捏造している、と言いたげな質問の仕方で口調も意地悪であった。検定で信頼値を求めるとこうなる、と説明したら驚いていた。その後、グラフの書き方はは実験で得られた最大値と最小値を用いて区間を示し、平均値をそこに書くように指導をされた。あたかもグラフの書き方を知らない小学生を指導するような口調である。
これはおかしな指導であった。間違っているかどうかの議論の前に、日科技連の方法を業務に取り入れるという会社の方針に従えば、必ず平均値は真ん中に来るのである。しかしゴムのような力学物性に大きなばらつきを持っている材料では、最大値と最小値で偏差の区間を示した場合に、平均値は真ん中に来ない場合が多い。
上司のあまりにも軽蔑的な指導方法のおかげで自分が大きな間違いをしているような気持ちになり、世間で偏差の区間をグラフでどのように表現しているのか調べてみた。技術論文を調べて気がついたが、当時は値の偏差の区間を最大値と最小値を使って示している場合と、検定で得られた信頼区間を用いている場合、検定を行わずただの標準偏差を示している場合の3通りあった。
タグチメソッドのSN比は日本ではまだ知られていなかった。日科技連の努力が続けられていても正しく日科技連の方法が世間に浸透していないことに気がついた。さらに「統計でウソをつく」などという著書まで登場した。
社会では1980年代は統計的手法に疑問が持たれた時代であるが、少なくともデミング賞を受賞している会社の中では日科技連の手法が標準となっているべきであるが、上司の指導が異なっているだけでなく、統計学の検定の意味すらご存じなかったことには驚かされた。全社方針がなかなか担当者まで浸透しないときには、中間管理職の教育を行った方がよい、という典型的な状態であった。
実験計画法にこだわる実験スタイルを周囲の人が笑うのも納得できた。全社品質発表会の時だけ統計を使うのが最も効率の良い、大人の仕事のやり方なのである。すでにこの状態が、当時の日科技連の科学的統計を用いた手法が技術開発に適合していないことを示していた。
それでは日科技連の手法が間違っているのか、というと技術開発には適合しないが、科学の研究には都合の良い便利な方法である。すなわち、自然現象は偏りのない統計分布を持つ、という仮定が無ければ科学の研究を進めることはできないので、日科技連の手法を使うべきなのだろう。ワイブル統計のような手法は隠れたモードを解析するのに大変便利なデータ整理の方法である。科学的手法として信頼でき、また発見を効率的に行う実験を組むことができる。科学的研究に用いる手法として日科技連の手法は間違ってはいない。
すなわち日科技連の手法を当時「技術開発の思想として導入」したことが間違っていたのである。その象徴が福島原発の事故なのである。技術開発を科学的統計の思想で行ってはいけないのである。但し繰り返しになるが科学的統計手法が間違っているのではない。技術開発のある場面では、科学的統計を使った方が良い場合だってある。最弱リングモデルに基づくワイブル統計は、故障モードの解析に大変有効である。即ち科学的解析手段として科学的統計を用いるのは良いが、それを技術開発の思想にするのは良くない。
<明日に続く>
(注1)当時上司に実験計画法でコンピューターが必要だ、と申し出たら、誰も実験計画法など使っていない、と一蹴された。人事部が研修でベーシックコースを技術者の必須コースとしていたので上司も受けていたはずである。MOTや企業統治がまだ話題になっていなかった時代である。
(注2)学会も年休をとり自腹で参加していた。たまに会社の出張で参加したときには、日当がついたので天国であった。若いときの苦労は金で買ってもせよ、とは父親の口癖だったが、若いときに自己啓発でお金が消えて苦労するのは仕方がないのであろう。
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科学的統計の犯した最大の罪は福島原発の事故である。新聞報道によれば原発の安全に関する設計は科学的統計に従って行われている。タグチメソッドを用いていない。そもそも防波堤の高さを科学的な確率で決めておいて、それで安全としていた技術者の感覚を疑う。一部センサーの電源がはずされていたところがある、という報道から日々の管理の姿勢まで見えてくる。女川原発で大きな事故とならなかったことと合わせて考えると原発システムの安全設計における思想に問題があるのだろう。
福島原発の事故の経緯を見ると、防波堤を越える津波がきたときの対策がとられていなかったことは明らかで、外部電源コネクターが電源車のそれと合わなかったなどミスを含め事故が人災であったことを示している。対策をとってはいたが、それが機能しなかった、というのは詭弁である。ロバストネスを高める設計の考え方が無かっただけである。タグチメソッドがこれだけ日本に普及していてその設計思想を知らなかったではすまされない。
タグチメソッドと科学的統計との違いは、誤差に対する考え方にある。すなわち防波堤の高さを津波発生確率から決めていたが、発生確率の低い大津波がきたときにどうするか、という誤差の事象に対する考え方にある。福島原発では、それが確率が低いために発生しない(誤差が極めて小さいために0と見なす)、として処理されたという。その結果防波堤が破れたときのロバストネスが極めて低くなっていた。
タグチメソッドでは防波堤も含めた安全システムのロバストネスを高めるように設計する(誤差が小さいと0と見るのではなく、誤差の存在を認めそれを小さく制御できる因子を探して対策を取る)。
今日本の技術開発の世界には誤差に関して二つの思想が入り乱れている。一つは旧来の科学的統計学の誤差の考え方で、もう一つはタグチメソッドのSN比の考え方である。科学的統計学の誤差の考え方、偶然誤差として捉える考え方が如何に危険な思想であったかは福島原発の事故で証明された。今技術者は全員SN比で誤差をとらえる、すなわち誤差を必然誤差として捉える重要性に気がつくべきである。偶然誤差では確率が極めて低いときに0とする方法が認められているが、タグチメソッドでは誤差の存在を認め、それを限りなく小さくする技術開発が求められている。
技術開発の自然な流れを見てみると、理想の値を目標に技術開発を行っていることに気がつく。すなわち「あるべき姿」を目標にそれを行っている、ということもできる。測定値の平均値を目標に技術開発を行っていないのである。
ゆえに、その技術開発で現れる誤差というものは、この理想の値との差を意味している。技術開発とは、この理想の値との差を最小にする活動なのである。技術開発では工程管理と異なり統計学で問題となる誤差の分布を仮定する必要はまったく無いのである。
誤差の分布を考えなくとも、理想の値との差を最小にすることは可能である。すなわちタグチメソッドでは、このことをSN比を上げる、あるいは改善すると言っている。そしてSN比を改善するために行う多数の実験を効率的に行うために直交表を使う。これがタグチメソッドの基本的な手順である。だから田口先生は、タグチメソッドは統計ではない、とよく力説されていた。
<明日に続く>
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田口玄一先生がお亡くなりになって1年になる。酸化スズゾルを用いた写真用フィルムの帯電防止層開発のテーマでは、70歳を過ぎた田口先生から直接御指導を受ける幸運な機会が2年ほどあった。酸化スズゾル技術を含め4テーマ御指導頂いたのだが、結構準備が大変であった。
コンサルティング時の苦労話をしても仕方がないのだが、毎回こちらのテーマを正しく理解して頂いているのか、という不安があった。しかし、タグチメソッドでは基本機能さえ正しく把握できれば細かい科学の話などどうでもよいのである。毎回の不安が、タグチメソッドの本質を理解するのに大変役立った。
タグチメソッドは「田口メソッド」と書いてはいけない。なぜなら米国からの輸入品だからである、という田口先生のジョークは面白かった。田口先生がアメリカでご活躍されていた頃、日本では日本科学技術連盟(日科技連)の推進する品質管理工学がもてはやされていた。
1979年にゴム会社に入社したとき、新入社員は全員日科技連の品質管理ベーシックコースを受講させられた。受講料一人50万円のコースである。おかげで統計学を基礎から理解することができた(お金の力はスゴイ。但し費用は無事終了したときに会社が支払ってくれる)。
日科技連の品質管理におけるばらつきの概念は、科学統計学のそれと同じである。すなわちばらつきは「偶然誤差」として扱う(注1)。技術開発において日科技連の統計手法を活用するとまずこの矛盾に遭遇する。しかし統計学では、それを矛盾とするのではなく、誤差が均等になるように実験計画を組め、としている。例えばさいころを振って実験順序を決めたり、あみだくじで実験順序を決めたりする説明がまじめに教科書に書かれている。
このあたりの胡散臭さは、実験計画法を使い込むと気がつく。実験計画法でうまく実験を行っても、最良の条件が外れる場合が出てくるのである。だから確認実験を行うようにテキストには書かれているが、なぜ外れるのかについては説明されていない。社内の講師に質問しようものなら、それは実験計画が悪い、と一言で片付けられてしまう。
コンセプトを決めて技術開発を行うスタイル(注2)だったので、実験計画を工夫してもうまく行かない場合が多かった。高分子発泡体の難燃化技術開発を担当していたときに積極的に実験計画法を使っていたのだが、よく外れて、その度に周囲から笑われた。他の人はどうしているのか、と覗くと、実験計画法など誰も使っていない。実験計画法が外れる事を知っているので皆一因子実験である。せっかく新入社員の研修で50万円も払って身につけたのだからと意地になって使っていたら、面白いアイデアが浮かんだ。
実験計画法の因子を割り付けるときに、外側にも因子を割り付け、外側に割り付けた因子で相関係数を求め、相関係数で実験計画法を行うのである。面白いほど最適値(いつも物性の最大値を最適値にしていた)を決める実験がうまく行くようになった。タグチメソッドなど知らなかったが、偶然タグチメソッドでいうところの感度を最大にする条件を求める実験方法を思いついたのだ。
このような体験があったので、タグチメソッドの解説を面白いほど素直に理解できた。そもそも技術開発の実験の世界で現れる誤差は、偶然誤差ではなく必然誤差と呼べる性質の誤差である。田口先生のご講演でSN比の説明を聞いたとき目から鱗状態で、感度の説明がされたときには仰天した。「私は田口先生と同じことを考えていたのかもしれない!」
<明日に続く>
(注1)福島原発は海岸沿いにあるにも関わらず、防波堤の高さを科学的な確率で決めたという。女川原発では、津波の経験から少しでも高台に、と考えて建設されたという。両者は同じように津波に襲われたが、福島の状況を見ると科学的確率で決める問題が浮き彫りになる。タグチメソッドではSN比で経済計算まで行う。もし原子力技術をSN比を用いてリスク計算あるいは事故が起きたときの損失を計算したならばものすごい数値になるであろう。地震国日本で原発を運転するときの覚悟とはお金を準備することと、日本に住めなくなる場合を理解することである。
(注2)弊社の問題解決法でもコンセプトに基づく実験を取り入れています。実験はタグチメソッドで行うことが基本です。
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結晶については、分析データを用いてどのような結晶であるかを議論できる。各種分析結果から同定された結晶についてその物性を議論すれば、誰でもどこでもその議論を検証できる。
伊藤・犬塚共著「結晶の評価」(1982)には、固体であって結晶性でない物質を非結晶または無定形と呼ぶ、と書かれている。前者にはnon-crystalline、後者にはamorphousと英語読みがふられており、さらに結晶の細かい分類について英語で記述し、日本語の記述を避けている。結晶という言葉に対するこの本のこだわりから結晶ではないものを定義する難しさが伝わってくる。
さらにこの本では、アモルファスに対して非晶質ではなく無定形という言葉だけをあて、本の中に非晶質と言う言葉はどこにも出てこない。アモルファス金属などが世の中に登場し、すでに実用化が始まっていた時代の教科書である。もちろんガラスは昔から知られていた。だから、意図的に非晶質という言葉を外しているのかもしれない。この本では、タイトルどおり結晶という物質をどのように評価し定義づけるのか、という点を厳密かつ明確に記述している。
一方で結晶ではない物質については、未だに科学としての研究は続いている。アモルファスについては曖昧のままだ。例えば電子顕微鏡で探しても結晶など見つからない状態の物質でもX線の散乱ではブロードの信号が現れたりする。潜晶質とも呼ばれているがこの言葉は金属以外の分野であまり聞かない。ちなみに潜晶質と呼ばれる物質は、先の教科書によれば結晶に分類されない。また無機化学の専門家10人にヒアリングした結果でも、9人までが無定形あるいは非晶質と解答している。
ただ、潜晶質のデータを結晶と答える先生がいらっしゃることも事実である。「あの先生はご自分で実験をやったことの無い先生だから」という批判やここでは書けない辛辣な言葉もあったが、いろいろ調べてみると古くから鉱物学をやってこられた先生は粉末x線の回折にブロードのピークが現れていてもその位置が期待された位置だった場合に結晶と見なすらしい。
これは結晶という言葉の起源を探るヒントになる。ある先生がここだけの話、とひそひそ話として教えてくださったのだが、結晶とか非晶とか結構いい加減に扱っている研究者が多いとのこと。
(注:確かに高分子の結晶と無機の結晶では少し異なるところがある。高分子の非晶質状態に至っては、無機のガラスと異なる挙動をとる場合もあるのに無機ガラスと同様の考察が進められている。科学ではそれで良いのかもしれない。しかし、技術では無機のガラスと高分子のガラスが異なるという認識を持つことはアイデアを出すために重要な時がある。)
その先生曰く、結晶とは鉱物学から生まれた言葉で、もともとは目で見て規則正しい形をしている物質に対して与えられた言葉とのこと。大きな結晶は、砕いて小さくしても規則正しい形を保っている、それが結晶の言葉の起源、と言うのである。昔はX線ぐらいしか分析手段がなかったから、目で見て結晶かどうか分からない物質はX線で分析していた。
鉱物学の分野ではあらかじめ目視段階で構造の予想をつけているから、ブロードなピークだろうがなんだろうが、期待された位置に回折ピークが現れれば、それで分析データとして充分だった、と言うのである。結晶という言葉の成り立ちから考えると、潜晶質を結晶ととらえる学者が鉱物学の流れを学ばれた先生にいらっしゃる理由を理解できる。
特公昭35-6616に記載された酸化スズゾルのx線回折データは、ブロードだがそれでも比較的シャープに回折ピークが現れる。しかし、酸化スズであれば現れなくてはいけない位置のいくつかにまったく回折ピークが出ていない。すなわちX線の反射面が存在しないのだ。電子顕微鏡観察では、ところどころ数層であるが積層状態を見つけることが可能である。しかし、それを結晶というのには無理がある。だから特許には非晶質と書かれていた。
特許の出願された時代の科学的成果を論文から考察すると、わざわざ非晶質と書かなくても結晶質の酸化スズまで含めた特許として成立した時代である。驚くべき成果として特許は出願されていたが、その結果、この特許の5年後にアンチモンドープの結晶性酸化スズによる帯電防止層の特許が出願され成立している。昭和35年の発明でわざわざ非晶質とこだわり特許が書かれていたことに改めて驚いている。
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タグチメソッドで最適化された酸化スズゾル水溶液に含まれる非晶質酸化スズの体積固有抵抗は10000Ωcm前後で安定して合成できた。また、この程度の導電性であれば、帯電防止層を設計する時に最適な値である。
帯電防止層は、酸化スズゾルをラテックスに分散した溶液をPETフィルムに塗布して製造する。帯電防止層の表面比抵抗は10の10乗Ω程度あればよいので、導電性粒子の体積固有抵抗は10000Ωcmもあれば充分である。パーコレーション転移の安定化の観点からは、タグチメソッドによる実験で最適な透明導電性材料が得られたのである。
過去の技術を見直し、すなわち温故知新ですばらしい技術ができた。公知技術を用いて完成しているので1000件以上あるライバル会社の特許も気にする必要が無い。この非晶質酸化スズゾルを用いた帯電防止層は、アナログからデジタルに移りつつあった感材の新製品に使用されるすべての支持体に採用され、化学工業協会から技術特別賞を頂いた。
この技術開発を行いながら、科学の視点でも非晶質酸化スズを見直した。その過程で驚くべき事実に遭遇した。無機化学の世界では偉い先生なのでお名前を伏せるが、10人中9人の学者が非晶質と答えた分析データを結晶との区別ができなかったのだ。この事実から改めて結晶という言葉の科学的意味を調べてみたら、無定義用語に近い言葉であることがわかった(1995年の出来事)。
ガラスには定義が存在したが、結晶については明確な定義が無く、非晶質との境界が不明確なナノ結晶などという言葉も存在する。例えば完全非晶質なカーボンを合成しても、粉末X線で測定すると低角側にブロードな反射がわずかに現れる。TEMでカーボンの結晶を探しても存在しないが、わずかに積層しているような構造が観察される。しかし、TEMで層間距離を測ってみても一般のカーボンよりも広い。
この材料を2000℃程度で処理を行うと徐々にカーボンの結晶らしきものがTEMで見えるようになるが、粉末X線の反射像はブロードのままだ。すなわち結晶と非晶の区別に明確な境界線を引くことができない可能性がある。そこで複数の分析データが必要になり、それらを組み合わせて非晶と判断することになる。非晶質体を科学的に研究しようとするとこのあたりの難しい問題が存在する。
<明日に続く>
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特公昭35-6616に記載された実施例には酸化スズゾルの詳細な製造条件が書かれていない。四塩化スズを加水分解して得られた沈殿をデカンテーションの繰り返しで精製し高純度酸化スズゾルを得る。これをアンモニア水に分散すると、安定な高純度酸化スズのコロイド水溶液ができるのだが、四塩化スズの細かい加水分解条件やデカンテーションの回数等が実施例に記載されていない。
デカンテーションの回数については副成する塩素が残らない条件なので10回以上であることが計算から容易に推定がつく。しかし、加水分解温度について詳しく記載されていないのは不思議に思った。四塩化スズと水の混合物が得られてから煮沸するので、100℃までであれば、四塩化スズの添加温度など気にする必要がないようにも思われる。また四塩化スズを液体の状態で添加するのか、あるいは水和物の固体で添加すのかについてはどちらでも良いような中途半端な書き方である。
ところが実験をやってみて分かったことだが、発明者はこの加水分解温度の重要性に気がついており、わざと丁寧に記載しなかった可能性があると推定した。
タグチメソッドで実験を行うと、この添加温度の因子が感度とSN比に大きく影響する。困ったことに感度を高める条件ではSN比が低下し、SN比の最大をとると、感度は中程度となるのである。
最適条件の選択では、田口玄一先生と喧々諤々の議論を行った。田口先生はあくまでSN比を優先すべきだ、というお立場で、当方はSN比中間で感度もそこそこの良さそうなところを、という立場である。何のために動特性で実験を行ったのか、という雷が落ちる。当方は実験を行った感触から、SN比最大で無くとも生産安定化ができる、と予想した。
ちなみに非晶質酸化スズの体積固有抵抗は、この時の実験結果で500Ωcmから100000Ωcmまで約200倍以上変動している。タグチメソッドの動特性の実験として典型的な結果が得られる実験系である。SN比と感度の議論では、田口先生が正しい判断をされていることは理解できていても、ものすごい結果を目の当たりにした生徒の立場では未練が残る。ただ、田口先生の一言「科学の研究をやっているのではない、技術開発をやっているのだ。」に、すなおに「はい、分かりました」と納得して答えた。偉い先生である。
<明日に続く>
カテゴリー : 一般 電気/電子材料 高分子
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昨日名大名誉教授高木克彦先生の「有機系太陽電池の機能評価と規格標準化」というご講演を拝聴した。色素増感太陽電池の技術に関わる内容だが、この技術が実用化されるのか、単なる科学的な興味の対象で終わるのか不明確であった。
講演で示されたデータは、実用化されてもおかしくない技術データである。チャンピオンデータでないことは、学会発表のデータを見てきたから理解できる。色素増感太陽電池をエネルギーシステム商品として見たときに魅力的な企画ができる。発電効率のポテンシャルは現在主流のアモルファスシリコン太陽電池よりも2%低いそうだが、この普及が始まった太陽電池とは異なるカテゴリーの商品企画ができるのである。
今朝特許を調べてみたが、この10年出願された特許の中にはそのコンセプトに関する発明は存在しない。ボーイング787の事故があったのでコンセプトに気がついた人がいるかもしれないが、新しいコンセプトを思いつくことがそれほど困難な行為とは思っていなかった。しかし、この10年間の特許に存在しないということは発明を思いつくのが容易ではないのだろう。
科学で考えている限り思いつかないコンセプトである。技術で考えれば、当たり前のコンセプトである。おそらくこのあたりが関係しているのかもしれない。弊社の問題解決法プログラムは、このあたりに着眼して開発したプログラムである。
以前この蘭でも書いたのだが、科学は真理を追究する思考方法をとるが、技術は機能を追究するのである。科学の思考方法で思いつかないコンセプトでも技術の思考方法で容易に出てくることは32年間何度も経験した。おそらく色素増感太陽電池に関わっている人たちは、科学的思考の研究者ばかりなのだろう。
さて色素増感太陽電池は実用化できるのだろうか。量産されたときのコストはアモルファスシリコン太陽電池よりも安くなる、といわれている。その構造からロールtoロールによる生産が可能なので、日本で生産してもコストはアモルファスシリコン太陽電池よりも安くなる可能性がある。
発電効率が2%低いというが、明るさとともに発電効率が低下するアモルファスシリコン太陽電池に比較すると、明るさに影響されずほぼ一定の発電効率を示す色素増感太陽電池は、魅力的である。例えば部屋の中で使用するときには、アモルファスシリコン太陽電池よりも色素増感太陽電池のほうが発電量が多い。
技術的な観点からは魅力的な商品を思いつく。
<明日に続く>
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昨日ウィメンズプラザで開催された熊谷徹氏の講演会を拝聴した。氏は早稲田大学出身元NHKドイツ特派員などを勤められてベルリンの壁崩壊時にドイツに帰化、現在はフリーで活躍されているジャーナリストである。ドイツに関する著作が13冊ほど。久しぶりにジャーナリストらしい講演を伺った。
恐らく日本人ならば現在ドイツに関しては彼に聞け、と言っても過言ではない。日本人の視点であるにもかかわらず、偏らず世界の実情とのバランスもとれた感覚の持ち主である。話題が当方の関心事で情報をそれなりに持ち合わせていたので余計にジャーナリストという職業をまざまざと見せつけられたような状態であった。なぜなら当方が収集していたのは新聞情報がメインで二次情報だったからである。新聞情報の大元の素材を見せつけられた講演会であった。
ご存じのようにジャーナリストの情報はそのまま本人の名前とともに公開される場合とジャーナリストの記事を新聞社が加工して新聞社の情報として出てくる場合がある。2年前のドイツの脱原発の話題であったが、なぜか鮮度が落ちていなくて新たな情報に接した感動すらあった。
さてその中身であるが、大枠はすでに新聞情報でご存じのように2011年3月11日(小生のコニカミノルタ最終出勤日。)に福島原発事故が発生して直後の3月15日には、ドイツ連邦政府が「原子力モラトリアム」を発令、80年以前に運転を開始した7基の原子炉を停止、7月8日には原子力法の改正案など7つの法案を可決し、急速に脱原子力政策へ転換した背景と今後のエネルギー戦略の話題である。
新聞報道にもあったように原子力推進派のメルケル首相が市民の視点で原子力政策を見直した結果であるが、そこにはなぜ迅速に動けたのか、という疑問が残っていた。新聞やニュースでは詳しく報道されていなかったパラダイムシフトがドイツで起きていたのである。講演者の表現では、次のようであった。
「原発で大事故が起きても、被害の規模を特定し限定できるという考え方は、福島事故以降説得力を失った。」
「福島事故は、この発電所が作られた時に想定されていなかった規模の自然災害によって発生した。この事実は、技術的なリスク評価に限界があることを白日の下に曝した。現実は、地震や津波についての想定をやすやすと越えてしまうことがあることもわかった。」
日本で発生した事故であったが、日本よりも政治家はじめすべての国民(アンケート調査結果)がこのようなパラダイムシフトと呼んでいい考え方になったのである。日本人はどうであろうか。ちなみにドイツでは日本のような津波の心配どころか地震の心配の無い国である。その国が、である。
講演の詳細レポートを機会があれば公開したいが、この講演の感想を一言で述べれば、日本人は未だに科学の世界で原子力をとらえているが、ドイツ人は技術の世界で原子力をとらえていた、と考えさせられた。地震や津波の発生確率を元にした対策で充分と未だに考えている科学的思想に固まった原子力技術者がいるかぎり、原発事故は日本でまた起きる可能性は高い。
原発を科学的判断でとらえるのは間違っており、技術の視点で考えなければならない。技術の視点においてリスク評価に限界があることを本当の技術者はよく知っている。だからフェールセーフという設計の考え方がある。それでも100%の安全は保証されず常に誤差がリスクを発生する、というのが技術者の確率に対する考え方である。これは田口玄一先生の品質工学の根幹にある教えでもあり、SN比を重視した技術開発の重要性でもある。
<明日へ続く>
カテゴリー : 一般 学会講習会情報
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特公昭35-6616は世界で初めて非晶質酸化スズが導電体であることを示した技術論文である。昭和50年前後の特許では、この特許が公知事例として引用されていたが、50年末から引用されなくなっていった。
おもしろいのはこの特許が引用されていたときのライバル特許には結晶性酸化スズ透明導電体を帯電防止材料として利用することが権利範囲として明示されていたのだが、この特許が引用されなくなったあたりから、その存在すら無いような特許の書き方に変わっていった。
すなわち結晶質だろうが非晶質だろうがすべてが自分たちの権利範囲だ、という書き方に特許が変わっていったのである。審査請求時の証拠としてあげられている資料を調べると、驚くべきことに昭和35年の特許を誰も証拠書類として出していないのである。
科学の歴史から見れば昭和35年に非晶質透明導電体の技術が存在した、という事実は大変なことなのである。その約20年後に高純度酸化第二スズ単結晶が絶縁体であると、科学的に証明されたのだから、技術が科学よりも20年近く先行していたことになる。しかもその特許には透明導電体の湿度依存性までデータが示されており、電子伝導性であることまで記載されていたのである。
一般には科学が技術を牽引している、と誰もが信じている。信じているから科学を発展させれば技術が発展し経済が成長する、と考えている。ところが科学の論理的な流れの中の発展とは関係なく、技術では突然変異のような展開をしている場合があるのだ。
導電性非晶質酸化スズについて1992年に科学技術大学の協力を得て見直しを行ったところ、暗電流の測定から結晶性酸化スズでは観察されない、導電性に関与するエネルギー準位を見つけることができた。ところがこのエネルギー準位の再現性は怪しく論文発表を見送っている。しかし、その後技術としてこのばらつきの意味が分かってきた。
科学では怪しい現象だが、技術では品質管理技術で安定な導電性を得られるようにできる。当時タグチメソッドが日本で流行しはじめた時であり、田口玄一先生の御指導を直接受けながら電流と電圧を測定し動特性でSN比の高い非晶質酸化スズゾルの製造条件をL18で容易に見つけることができた。
<明日に続く>
カテゴリー : 一般 電気/電子材料
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1970年代に酸化第二スズは、絶縁体であるかどうかが科学の分野で重要問題であった。そして完全に近い酸化第二スズ単結晶の合成研究が無機材研で進み、合成された酸化第二スズ単結晶の電気特性を評価したところ絶縁体であった、と言うのが結論である。
しかし、技術的には透明導電体としての物性に興味が持たれ、どこまでその導電性が上がるのか、また酸化第二スズ以外に透明導電体が存在するのか、という研究が今でも進められている。
すなわち、酸化第二スズに関する研究は科学と技術の向かう方向がまったく逆となった材料である。このような材料の科学的研究の評価は社会から得られにくく、科学的研究を続けることが難しい場合も出てくる。
科学的真理の追究に無駄な活動は無い、という考え方が社会に定着しているのが理想と思うが、技術開発の目標に二番ではダメなのか、という認識の大臣経験者がいる国ではこの理想から遠くなる。科学に関して日本は研究者の善意に頼らざるをえない研究環境だろう(但し劣悪な環境というわけでは無い)。
緊急度の低い、あるいは重要度の低い科学的真理は存在する。しかし、経済効果が0に近いからといって科学的真理の価値が下がるわけでは無い。技術開発は科学という思想で行われるために、科学的真理すべてに価値がある。ただしその価値の高さには高低があるが、それは歴史が決めることである。
高純度酸化第二スズ単結晶が絶縁体である、という科学的真理は、酸化第二スズがなぜ導電体になるのか、という問題を明確にする。「高純度単結晶は絶縁体である」という命題に対して、「絶縁体でないならば高純度単結晶ではない」、という対偶が成立する(注)。
すなわち半導体から導電体まで電気特性が変化する材料であるなら高純度単結晶ではない、という仮説を立てることができる。この仮説について、高純度結晶で酸素欠陥が存在する場合、あるいは結晶で不純物が存在する場合についてその導電性を科学的に証明され、アンチモンドープあるいはインジウムドープされた材料の技術的使いこなしや品質管理技術が発展した。
しかし、単結晶ではない非晶質の場合にどうなるかの科学的解答はまだ出ていない。
<明日に続く>
(注)対偶どおしは真であるので、もとの命題を考えにくいとき、あるいは新たなアイデアを考えるために視点を変えたいときには対偶を考えると良い。科学的論理学では、等価と言われている。
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