問題と課題が定義され、問題は課題を用いた構造で表せることがわかりました。また、問題認識や問題の共有化で生じる問題とその解決方法についても少し触れました。新しい問題解決法の説明に入る前に、なぜ問題解決でフリーズするのか、その原因について考えてみます。
コンピューターのソフトウェアー技法としてオブジェクト指向とエージェント指向という2つのパラダイムがあります。科学的問題解決法として有名なUSITの問題分析法は、このオブジェクト指向のパラダイムと似ています。
オブジェクト指向プログラミング言語としてC++やC#、JAVAなどが知られています。これらはソフトウェアーに擬人化を持ち込んだ初めてのプログラミング技法と言われ、1980年代初めに登場しました。プログラムの固まりであるオブジェクトは、モノを構成するデータである属性と、モノの持つ機能であるメソッドで構成され、カプセル化(隠蔽化)されています。このオブジェクトにメッセージを与えるとプログラムの実行、すなわちアクションを起こします。
言い換えれば、データと機能を有するプログラムの「かたまり」をオブジェクトと言い、このオブジェクトにメッセージ、例えばデータを与えると、そのプログラム機能に沿ったアウトプットを吐き出す、ということです。
オブジェクト指向で作られた具体的なプログラムの例として、マイクロソフト社のWINDOWSプログラムがあり、アイコンをクリックした時に、そのアイコンのプログラムの動作する様子がオブジェクトのアクションに相当します。
クリックの仕方が悪いときには何も動作しない、というように、メッセージとメッセージが与えられた時のオブジェクトの条件が矛盾する場合には、アクションを起こさない、すなわちアイコンが指し示すプログラムが起動しないという現象が生じます。
このように、オブジェクト指向はメッセージ至上主義で、このパラダイムの特徴ゆえにオブジェクト指向を用いたプログラムでは、条件が完全に揃わない時にはプログラムが動作をしないケースが出てきます。すなわちソフトウェア―側でそのような場合の対応がされていない時には、プログラムは途中でフリーズすることになります。
オブジェクト指向によるソフトウェアーの作成プロセスは、オブジェクト指向分析に始まり、オブジェクト指向設計を行い、実装するという手順です。一般に、オブジェクト指向分析の結果が完成したソフトウェアーの品質を左右するといわれています。このソフトウェアー品質が、オブジェクト指向分析結果に依存する問題を解決するために、エージェント指向というパラダイムが同じ年代に登場しています。
オブジェクト指向のパラダイムでは、論理が「前向きの推論」でボトムアップ的に展開され、データ間の類似関係により体系化されてゆくという生物学の分類学にも似た美しさを持っています。オブジェクト指向のパラダイムとよく似たUSITなどが人気を集めているのは、その美しさからかもしれません。しかし、説明の美しさに比較し、USITを用いて問題解決した場合には分析的思考方法で苦しみ、前向きの推論における手続きの煩雑さに多くのユーザーが悩むことになります。そして苦労しても科学的な見地から当たり前の結果しか得られません。
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問題認識が大きくずれるケースとして、問題の存在について意見が分かれる場合について考えてみます。震災後に顕在化した問題以外に、平和な日々の生活でも細波のごとく多くの問題が発生します。水害の連想で安直ですが、1974年の多摩川水害から生まれた新聞小説「岸辺のアルバム」というTVドラマでは、不倫をしている主人公が偽りの笑顔で家族写真を撮るシーンがあり、それは平和な家庭において主人公以外誰も気が付いていない問題を表現する象徴的なシーンでした。
現実とあるべき姿に乖離が見えないなら、誰も問題の存在に気がつきません。ゆえに問題の存在に気がついた人は、まず現実とあるべき姿の認識を共有化するために、それぞれを見える化する作業が最初の重要な仕事になります。誰も問題に気がついていない段階で、問題だけを主張しても、他の人は現実とあるべき姿の乖離が見えないために、問題の存在そのものを理解できません。
原子力発電の安全神話はその典型的な例であり、科学的に検証したので事故は起きないという原発の専門家達による誤った現実認識と、発電コストが安価でCO2を排出せず環境に優しい未来エネルギーというあるべき姿を国民が共有化したために、問題が見えなくなり福島原発の事故を引き起こした、と反省する必要があります。
原発につきましては、一部の学者やジャーナリストから警鐘が鳴らされておりました。チェルノブイリの事故以来数多くの問題が具体的に指摘されてきましたが、あるべき姿や現実がうまく伝わらず、問題が共有化されなかったため福島原発の事故に至りました。
福島原発の事故原因解明は現在も進められておりますが、今回の事故処理も含め発電コストの試算を行いますと火力発電よりも高くなるという結果も報道されました。さらに環境汚染や食の安全の破綻の状況なども見えてきました。これらの問題を抱える発電システムとしての原発を含めた将来のエネルギーについてあるべき姿が議論されるようになって、ようやく原発の問題を共有化できる下地が整いました。
このような問題以外に、福島原発は全電源喪失から回復までに1時間以上かかったという報告があります。電源車を慌てて手配したが、コネクターの形状が合わずに電源回復が遅れた現実やY所長はじめ現地の技術者が運転設備の構造を十分に理解していなかった現実も新聞報道されています。事故後の報道で次々に明らかになる原発の現実は、「安全でクリーンなエネルギー」というあるべき姿から日に日に乖離してゆきます。
このように問題というものは、現実とあるべき姿の乖離が大きくなって初めてその存在が分かるものであり、問題を指摘してもその理解や共感が得られない時には、現実とあるべき姿の共有化から作業を進める必要があります。
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高純度SiCのパイロットプラント建設と樹脂混練プラント建設、再生樹脂の開発の3例をもとに迅速な研究開発を可能とするのは管理者がどこまでリスクを深く理解し、そのリスクを回避する努力を行い常に成功しようとする決意にある、と説明してきました。この3例は研究開発のシーンでは異常な例なので参考にならない、と受け取られたかもしれませんが、通常順調に進められている研究開発でも高いリスクがあることを管理者は理解しているだろうか。
余裕のある開発計画で進めた場合でも、失敗のリスクを0にすることはできません。例えば高純度SiCのテーマの場合、S社とJVを開始するまで6年の歳月がかかりました。S社とのJV開始時には、短期間で完成させたパイロットプラントをそのまま使用しています。仮にパイロットプラントを3年かけて建設しても事業として成功するまでの期間は同じでした。
おそらくパイロットプラントの建設まで3年かけていた場合には、パイロットプラント建設の前にテーマが中断されていた可能性があります。技術として成功することが分かっていても事業として成功するかどうかは、先端技術の場合に企画段階でだれもわかりません。ゴム会社という半導体とは全く異なる業種で高純度SiCのテーマを推進するときの最大のリスクは研究開発中断という経営判断です。1g程度のサンプルで2億4千万円の先行投資を受け、1年弱の短期間でパイロットプラント建設を行った理由は、セラミックスフィーバーが終われば、テーマ中断の経営判断が出ることが予想されたからです。高純度SiCの事業は日本化学会科学技術賞を受賞し、現在もゴム会社で事業が30年近く継続されています。
事業の成功因子と技術の成功因子は異なります。前者のリスクと後者のリスクでは、後者のリスクの方が確実に予測可能です。100%可能な場合もあります。最初にあげました3例は技術として100%成功する自信がありましたので短期間でやり抜く決心ができたのです。しかし前者のリスクを100%取り除くことはできません。本来研究開発というものは技術のリスクのみ管理するステージと事業のリスクを下げるステージの管理とわけて推進できればよいが、どこの会社も研究開発管理者に対し、初期段階から両者を要求しています。
そのため初期段階に華々しい事業計画を示し、研究開発の途中でも技術の実力よりも事業可能性ばかり説明し、経営陣をだますような管理者が出てくるのです。およそ、その会社の事業として大きく育たない可能性が見えていても10年続けた馬鹿な研究開発事例も見たことがありますが、技術と事業の関係性よりも事業の華々しさだけを強調していました。経営がこのような管理職に騙されないためには、実務担当者に直接技術の市場における位置づけを聞くとよいです。実務担当者に10年続ける意思があるかどうか問えばよいのです。実務担当者にその覚悟が無ければトップの技術は育ちません。トップの技術が育たなければ後発で市場参入する場合に勝てるわけがありません。
高純度SiCのテーマは実務担当者として推進しましたので、トップレベルの技術の成功のみ考えていました。しかし、樹脂の混練プラントや再生PETの場合には管理者として担当していました。実は、管理者として担当したこれらのテーマは事業としての成功は100%、技術としての成功も100%分かっていたテーマです。むしろ、必ず事業で必要になる、とわかるまでテーマを推進しなかった、という言い方の方が正しい。研究開発を100%成功させるには、事業としての成功が読めるところで推進すればよいのです。
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ところで問題の定義はできましたが、課題はまだ定義されていません。問題と課題の意味について、日常ではその区別が曖昧ですが、本書で使用する時には厳密に区別します。3.11の東日本大震災を話題に問題と課題の違いについて考えてみます。
東日本大震災は未曾有の規模であっただけでなく、福島原発の事故やその後の政府の対応のまずさなどが様々な問題を引き起こしました。次々と問題の連鎖が続く中、明確な課題である仮設住宅の設置や瓦礫撤去作業などが少しずつ進捗する様子をテレビは映し出しています。今テレビで放映されている仮設住宅建設や瓦礫撤去などを進めるのは、おそらく異論はないでしょう。現実の瓦礫の山を目にした誰もが、その作業の結果を具体的に予想することができ、作業完了後の姿について国民の理解が容易に得られる課題だからです。
すなわち、津波被害で発生した瓦礫の山をどうするのかという問題について、課題の一つは、生活環境を取り戻すために瓦礫撤去作業を進めることであり、この課題の迅速な実行に異論を唱える人はいません。しかし、他の課題について状況を調べてみますと、撤去して集められた瓦礫の処分やその費用を捻出することなど、解決の見通しがついていない課題もいくつかあります。ゆえに、生活環境を取り戻すことができても、瓦礫の山の問題が解決するわけではなく、他の課題もすべて解決されて初めて瓦礫の山の問題を解決できた、といえます。
ところで、「瓦礫撤去作業を進めること」という一つの課題を含む瓦礫の山の問題は、津波の被害という問題の一部の課題とみなすことができますが、それ自身は、先に述べましたようにいくつかの課題の集まりとなっています。さらに津波の被害という問題は、津波の被害対策をすること、と考えると、防災のためにしなければならないことになりますので、防災という問題の中の一つの課題ととらえることができます。このように問題から転化した課題というものは、問題を解決するためにしなければならない「こと」であり、問題を構成する「こと」という要素になりますので、問題と課題とは言葉の意味も、それぞれの位置関係も異なります。また、構成要素をすべて問題に転化し、問題が問題を含んでいるような複雑で大きな問題を考える問題のとらえ方は、問題を複雑で難しくすることになり賢明な方法ではありません。これに対して、含まれるすべての課題についてとるべきアクションとその結果が明確になっている問題は、たとえ課題が多くあっても、問題の見通しが得られている安心感があります。
ところで「問題」をあるべき姿と現実との乖離として定義しました。問題をこのように定義しますと、「課題」は、「現実」を「あるべき姿」へ一致させるためにしなければならない「こと」という定義になります。
課題が定義されますと、問題との関係が決まります。すなわち、問題というものは、問題に転化できる複数の課題で構成されるという構造を持ち、それぞれの課題の最終ゴールは、課題の目標達成に必要なアクションの実行で到達する「あるべき姿」になります。そして「問題を解決する」とは、問題の定義から「あるべき姿」と「現実」の乖離を無くすことであり、それを実現する方法とは、「現実」から課題の最終ゴールである「あるべき姿」へ、「課題」が解決されてゆく道筋を示せば良いことになります。ただし、それぞれの課題について目標達成のアクションが分からない場合には、その課題を問題としてとらえなおし、あらためて検討しなければなりません。
すなわち、本書で課題と表現したものは、「あるべき姿」へ向かう目標を達成できるアクションがわかっている前提で話を進めます。目標を達成するためのアクションがわからない課題は、すべて問題として扱うことにいたします。このような扱いで、問題の構造をアクションが明確になっている課題を用いて表現できた時に、問題解決の見通しが得られた、とみなすことができます。
ところで問題の構造の中には、一つの課題を解決すると他の課題も解決され、その結果を受けて別の課題も解決されるという、あたかもドミノ倒しのように課題が解決されていく構造もあります。絵に描いた餅に終わるかもしれませんが、このような解決の道筋が単純になる都合の良い課題を工夫して、課題のゴールとなる「あるべき姿」にむけて課題の組み替えを自由自在に変更できる仕組み、あるいは課題を問題に転化できますので、問題を構成する課題の数が少なくなるように複数の問題にわけ、一つ一つの問題の見通しを良くする工夫などを問題解決法に取り入れれば、「考える技術」として新しい試みになると思います。
また、このような問題解決法において、課題と問題の関係は、課題が問題を構成する一要素というだけでなく、課題の組み合わせが問題解決の難易度に影響を与えるという特徴を持ちます。さらに、すでにアクションまで具体化されている課題で構成された問題は、問題認識の共有化を容易にします。
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問題を正しく設定できたと思われる場合でも、「問題」と「あるべき姿」や「現実」との整合性をチェックする作業は大切です。ただし、現実とあるべき姿や、そこから導かれた問題に対して分析的手法で整合性を吟味してはいけません。分析的思考方法については、情報工学において個人の資質に影響を受けることが問題になっています。問題解決法とは、問題解決の論理的な道筋を示すことが目的であり、問題の詳細な分析が目的ではありません。
本書で提案する問題解決法では、問題に対して分析的思考プロセスを使うことなく、あたかも刑事コロンボのようにひたすら「あるべき姿」から問題解決の道筋を追求します。それゆえ、あるべき姿の具体化が、本書の問題解決法では最も重要な作業となります。次に、「何が問題か」という作業では、あるべき姿と現実との乖離を検討し「問題」を設定していますから、問題とあるべき姿や現実とを改めてつきあわせる逆向きの作業が、問題設定の検証作業として重要になります。この作業は、三者の比較により進めます。
この整合性作業の進め方の一例として、「あるべき姿」、「問題」、「現実」の3列で構成された表を用いると簡便にできます。必要に応じて、あるべき姿と問題の間に「乖離の様子」という列を加えたものを使用すると、問題認識の確認もできるようになります。問題設定に慣れてくれば、ここまでの一連の作業を、この表だけで行うことも可能です。
余談ですが「何が問題か」を問い直す作業は、すでに着手し実行されている課題に対しても有効です。十分に吟味されずに実行されている課題が、本当に実行しなければならない課題であるとは限りません。
ドラッカーは著書「現代の経営」の中で「重要なことは答(問題解決案)を得ることではない。正しい問いを探すことである。」、「問題の定義と分類なくして事実を知ることはできない。」など、問題そのものをまず正しく把握することの重要性と、問題の分析ではなく、問題の定義と分類が問題解決のカギと説いています。十分に検証されていない問題から導き出された課題ならば中断して正しい問題の追及をあらためて行った方が問題解決の近道になります。
この「正しい問いを探すことである。」、すなわち「何が問題か」という金言と同じ意味の言葉を、筆者はタイヤ会社に就職した時に聞きました。新入社員の実習で、当時の技術担当常務(CTO)から、「君のプレゼンにある軽量化タイヤとは、どういうものか」と問われた言葉がそれで、今でも座右の銘として覚えています。
当時、オイルショックの影響で石油製品を扱う企業ではその対策に追われていました。タイヤ会社では低燃費対策と資源の消費削減の観点でタイヤ軽量化技術が、顧客創造のための急務の課題でした。多変量解析と有限要素法を駆使し目標スペックを満たす超軽量タイヤの試作に短期間で成功し自信を持って発表したのですが、CTOは、新入社員に向けて、まさに「何が問題か」という問いと同様の質問をされたのです。
タイヤという商品は、数値化されたスペックを満たしているだけでは目標品質を達成したとはいえず、信頼性を確保するためにスペックにできない長期の過酷なテストまで合格して初めて目標品質を達成した商品になることをCTOは新入社員に伝えたかったのです。CTOは、「最初に取り組むべき問題は、重量が軽いタイヤを作るということではなく、軽量化タイヤの信頼性設計とその評価をどのように行ったらよいか、というソフトウェアーの問題である。」、と説明されました。この体験談では、指導社員とその上司である管理職にタイヤを作る作業を中断し軽量化設計に関する評価技術開発を優先するようCTOは指示したのです。
このように「何が問題か」という問いは、問題解決法だけでなく、商品開発とはどのようなものか、ということを部下に教える時にも使える一言かもしれません。
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迅速な研究開発を指向した場合に、昨日の事例にありますように、担当者の立場よりも管理職の立場のほうが、確実にスピードアップできます。すなわち、万能薬の一つは、管理職がどこまでリスクを負う覚悟をするかで研究開発のスピードが決まります。覚悟をするためには管理職がリスクの全てについて見えている必要があります。そしてその対策ができていることです。実は研究開発ではリスクとスピードの関係は明確ではありません。ゆっくり推進しても失敗する時には失敗します。現代は、市場参入機会が重要でむしろスピードアップしなければリスクが高まる不確実性の時代であることを管理者は悟るべきです。
高純度SiCの開発では、半年で立ち上げることも可能でしたが、最低限の基礎データが求められました。しかし、混練プラントの建設では、最低限の基礎データも無いままにプラント建設に走りました。管理職でありました私に自信があったからです。再生PET開発では、予想外の人的ミスがありました。しかし、周囲のバックアップに助けられ何とか製品化されました。
これもスピードが遅くても発生する問題ですが突発的な想定外の事態が起きた時の対症療法は万能薬になります。万能薬の2つめは組織風土の問題があります。迅速な研究開発では、スピードアップした分だけリスクが高まる因子が必ず出てきます。それをいつでもバックアップする風土が無ければ管理者は安心して迅速な開発ができません。もちろん推進している管理者の仁徳も風土同様に大切です。単なる暴走族の管理者であれば、周囲は見放します。仁徳は一朝一夕にできない悩ましい問題です。故ドラッカーが指摘したように真摯に生きる姿勢が大切です。
万能薬の3つめは、弊社で販売している問題解決プログラムです。このプログラムでは、クライアントのご希望により、上記万能薬の内容も盛り込んで販売しています。独特のコーチングも提案しております。詳しくは弊社へお尋ねください。
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バブルがはじけて以来、研究開発のスピードアップが言われ続けているが、この20年特効薬について話題に上らない。おそらく万能薬が無いため、と思います。
ゴム会社における高純度SiCの開発では、研究シーズが生まれてからパイロットプラント建設までに1年と1ケ月の極めて超スピードの展開でした。これは世の中がファインセラミックスフィーバーのさなかで、世界初の経済的な高純度セラミックス合成法という経営にもわかりやすい成果だったから、と思います。企画および推進担当者としてキツイ毎日でしたが、経営トップのバックアップがあったために業務を何の障害もなく進めることができ、短期間で成果を出すことができた。
一方定年間際の再生PETの内装材実用化では、企画から量産まで半年であったが、これは周囲の援助の賜物でした。難燃剤無添加でUL94-V2を狙った意欲作のつもりでしたが、ここでは書きにくい失敗談があります。しかし、同僚のバックアップで何とか製品にのりましたときには、改めて迅速な研究開発とは何か、どうしたら実現できるのかが見えたような気がしました。
話が前後しますが、基盤技術など何もない中で、企画申請から設備投資決定、混練プラント立ち上げまで4ケ月というウルトラC級の開発もあります。マネージャーとして推進した成果ですが、この開発では裏ワザの連続で、社内の研究開発管理規程をどのように帳尻を合わせるか企画申請前に十分な戦略を練りました。
以上迅速な体験談を3つ例示しましたが、この3例から、迅速な研究開発を実現できる万能薬がある、と思っています。それは明日。
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例えば、福島原発では、「10m以上の津波がくる確率は極めて低いので、防波堤の高さは、これでよし」と、防波堤の高さを津波の発生確率で決めてしまったために、津波対策は置き去りにされました。そして今回の津波の被害は、想定外という言葉で表現されていますが、そもそも事故発生0%が要求される原発に対して、想定外という言葉が一般に受け入れられるでしょうか。
新聞などの情報によりますと、原発の防災に関する設計基準はすべて発生確率を基にして決められている、とのことですが、どんなに確率が低くともその事象が発生した場合に致命的な問題が生じるならば、課題としてあげて対策をうつ必要があります。もし、確率の低い大津波がきた時の問題まで考え対策をうっていたならば、今回のような大惨事にならなかったと思います。
経済的理由から防波堤の高さを制限するならば、確率の低い大津波に襲われた時の対策を完璧に行うべきです。今回の事故では、大切な電源がすべて流された時に備え、周辺地域から電源車を短時間で確保できる体制を備えていたならば電源の回復を迅速にできたと思います。
しかし、電源車が1時間以上遅れて到着したけれど電源のコネクター形状が合わないために使用できなかった、という信じられない報告がされています。仮に津波の大きさが想定外だった、という言い訳が許されたとしても、電源車のコネクター形状の不一致については、許されない問題です。電源のコネクターというものは規格品であり、外部電源を原発へ取り入れるために全てをそろえていても経済的に大きな負荷がかかるわけではありません。福島原発を建設する時に、周辺住民への配慮をどこまで真剣に行っていたかという問題になります。
すなわち、津波の発生確率に関わらず、瞬時に原発へ電気を供給できる体制は、それが非科学的な対応という評価がなされたとしても、周辺住民に対する安全の担保としてしなければいけないことです。原発建設の前であれば、電源の事象はあるべき姿に入れてもよいですが、すでに稼働している原発の外部電源コネクターについては、対策が十分取られていることは当たり前です。
現実を確率で把握し、確率の低い事象を現実から切り捨てますと、問題に反映されなくなります。原発の運転に電源は欠かせませんので、どんなことがあっても電源を確保できる体制を作り上げることは技術者の良心というもので、これは非科学的側面です。ゆえに今回の福島原発の問題は、非科学的側面を切り捨てる従来の問題解決法のパラダイムで技術を構築したために発生した、と言えそうです。現実を確率や期待値を用いて把握することは、絶対に行ってはいけません。現実の把握は、ありのままを把握することこそ大切です。
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「あるべき姿」に比較して、「現実」の具体化は難しくありません。見える化が浸透している組織では、現実について見える化掲示板に貼り出されているはずです。現実が具体的に整理されていなくても、「あるべき姿」と「現実」との乖離が「問題」なので、あるべき姿とおぼろげながら見えている問題とから、あるべき姿を具体化した時に現実が見えてきたりします。あるいは、現実は目の前の事象ですから、具体化作業は見えている事実を箇条書きにするだけで完了する場合もあるかもしれません。
もし現実が複雑であるべき姿と同じくらい難しいと感じても、現実について整理するコツは、すでに具体化されたあるべき姿を参考にして現状の情報調査を行い具体的な事実としてまとめるだけです。現実の把握方法として現実の分析や解析を実施しなければならない、としている問題解決法もありますが、現実の具体化には、あくまでも正確な事実を集めることこそ重要で分析や解析は必要ではありません。集められた情報について誤った分析や解析を行った場合には、現実の認識は誤ったものになり、それを利用して導かれた問題も誤った問題になってしまいます。現実は、正確に事実を把握し具体化することこそ重要です。
ところで現実の把握プロセスにおける禁止事項は、確率や期待値で現象を見ようとする考え方です。現実の分析や解析を推奨している問題解決法では、発生頻度の低いものを除外したりします。しかし、発生頻度が低くとも現実に起こりうるものであれば、事実として具体的な整理が必要であり、確率は参考数値として扱うべきです。確率や期待値の低い事象を除外しますと、その事象について考える機会がなくなります。
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Liイオン二次電池の電解質には有機溶剤が使用されています。電解質をポリマーにした電池も存在しますが、その場合でもイオン伝導率を上げるために可塑剤として有機溶剤を使用します。すなわち電解質として水ではなく、有機溶剤を使用している電池は非水系電池と呼ばれています。
ゆえに電解質を燃えにくくするための工夫が必要になります。イオン性液体を使用するのも一つの手段です。あるいは難燃剤を添加する方法もあります。しかし、忘れてはいけないのは、エネルギーを貯めるデバイスというのは爆発の危険性があるということです。電解質が水になっても同様で、アルカリ電池でもショートさせますとポンと音をだして壊れます。
ボーイング787の事故で電池は無様な姿になっていました。ただ難燃対策は効果があったようで、安全に壊れたようです。あの壊れ方は、それなりの技術が生かされていた、とみるべきで、電池も含め蓄電システムに異常があった時のY社の回避技術は高い、と思いました。電池に回避技術が搭載されていなかったならば、怪我人が出ていた可能性もあります。最近公開された写真を見る限り、壊れ方は安全方向に設計されていたように思いました。
電池は化学反応で電気を起しています。放電は反応速度が関係しますので、加速要因が入れば、必ず発熱します。これを制御するのが、パソコンや充電器にも使用されているパワーマネジメントシステムです。今回の事故ではY社は電池だけ納入していました。電池の故障解析には時間がかかりますので、事故原因の解明は難しくなることが予想されます。化学屋の視点からは、電池が壊れるようなマネジメントシステムが悪いような気がしますが、原因を早く知りたいと思っています。
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