小学生の夏休み自由研究は、それほど難しいことをする必要もない。身近な現象から題材を拾い出せばよいだけである。身近な題材には科学で結論など出せないものも存在するので無限である。
簡単に一日で済ませたいなら、コロナ感染者データを整理すると面白いかもしれない。2年分のデータのどこに着目するかにより、整理の仕方が異なる。
すでに発表されている考察に縛られる必要もない。なぜならそれらの考察だってあてにならないから今医療機関は大変なことになっているのだ。小学生がどのような考察をしたって許される。
現象を整理してその結果に対して考察する、という作業の過程が自由研究では重要であり、考察が正しいのか、間違っているのか、そこはあまり重要ではない。そこを重視しすぎると夏休み自由研究の長所が失われる可能性すらある。
あの日本を代表する理研ですらSTAP細胞の騒動ではいい加減なまとめをしているのだ。小学生が夏休み自由研究で多少おかしな考察をしても許容すべきだろう。それよりもその考察をまとめたことを褒めるべきである。
このような視点に立つと、夏休み自由研究のテーマは何でもあり、という気楽な宿題になるはずだ。夏休み自由研究は、昔から気楽な宿題だった。
以前空き缶のテーマを扱った話を書いたが、空き缶以外に家庭のトイレの汚れについて100件アンケートをとってまとめたこともある。このまとめは当時セロハン工場が近所にあって、その汚染水が下水に流れている証拠となった。
このアンケートは、便器に黒墨があるかどうかという簡単な質問だけで配布と回収に1日かけて、そのまとめに1日と、たった二日の手間だったが何か賞を頂いた記憶がある。宿題の内容よりもその効率の良さで記憶として残っている。夏休みの自由研究を廃止するという発想は子供の科学の芽を摘むようなものだ。
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データマイニングとは大量のデータを統計学や人工知能を駆使して新たな知を取り出すことで、まさに情報化時代の知の獲得方法だが、新しい方法でもなく、多変量解析が登場した40年以上前から行われてきた手法である。
ただ、科学の方法が過信されていた時代でもあり、IBMの大型コンピューターにサービスパッケージとして多変量解析プログラムが存在しても理系の利用者は少なく、人文科学系の研究者が多く使っていたようだ。
電気粘性流体の耐久性問題をデータマイニングで解決し、さらに画期的な傾斜組成の粉体を同様の方法で開発したとたんにデータFDをいたずらされる事件が起き始めた。
犯人は科学的ではないという理由で実験の妨害をしてきたのである(注1)。ドストエフスキーの世界ではあるまいが、アンチ科学と見なされて迫害されたような状態となった。
データマイニングによる問題解決手法は、科学こそ命と考えている人には許されない思考方法かもしれない。また思考方法が科学と異なる魅力があるゆえにマテリアルインフォマティクスでは、その手法(注2)に注目が集まり、本来の新しい技術を生み出す目標実現の事例発表が少ない。
当方は、新しいアイデアを練る手法の一つとしてデータサイエンスに注目してきた。シミュレーションもデータを大量に得たい時には重要な技法となり、これでいくつかの材料開発を成功させている。
データサイエンスだけが当方のアイデア創出法ではないが、来月サービスプログラムとして、当方の実践してきたデータサイエンスの手法を公開したい。手始めに日曜プログラマーとして腕を磨いてきたプログラミングに関するセミナーを準備し始めた。今週中にセミナー募集を行います。
(注1)犯人に謝罪をもとめたが、謝罪どころか開発手法を非難された。また本部長は事件を隠蔽化すると言われたので転職以外に道は無くなった。社内ベンチャーとして起業した高純度SiC半導体治工具事業について住友金属工業との共同出願も完了していたので一区切りついた時期でもあった。研究開発本部のリーダーも含めてデータマイニグによる問題解決手法を非科学として嫌っていた時代があった。
(注2)手法の研究は科学的に進めることが可能である。ただし、その手法で問題解決した場合には厳密な意味で科学ではない。しかし、科学と非科学の境界は時代により変化すると言われている。30年前はその手法による開発を妨害するような人が支持された時代だが今は実体の成果が出なくても手法研究がもてはやされる時代になった。
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終戦後27年間グアム島に潜伏していた元日本兵横井庄一氏の肉声テープが公開された。戦後も投降せず20年以上終戦を信じなかった元日本兵は横井氏以外に小野田氏がおられるが、潜伏時の情報量は横井氏の話が多い。
小野田氏の戦中の立場がそのようにさせていると思われるが、横井氏の体験談から人間の極限における行動も人それぞれである。そこから生きる希望を誠実真摯に見つめることの重要性を知ることができる。
彼自身の体験を語る時と戦友を語る時では、語り口が変わる。最初3人で行動していたが、些細なことでたもとをわかったという。久しぶりに二人が暮らす穴を訪れてみると並んで白骨化していたそうだ。
そこにどのような事件が起きていたのか不明だが、極限において横井氏は一人になる行動を選んでいる。二人との間にどのような見解の相違があったのか。彼が語らない限り二人の死亡の事実は永遠に不明となった点に着目すると、彼の無念な気持ちが伝わってくる。
彼は小さな誤解と表現しているらしいが、彼らのおかれていたのは極限状態である。そして、彼はいつまでも生きる選択をし二人と別れている。
現代の組織社会でもリーダーのマネジメントに問題があれば、このような極限状態が作り出され、その結果の自殺報道をニュースとして知る。電通の女子社員の自殺や財務省の忖度自殺など記憶に残る事件は多い。
多くの人が認める戦争の極限状態と異なるのは、多くの人が黙認しようとする人間関係でそれが引き起こされている点である。戦争と現代の組織、それぞれで生じる極限状態の比較は難しいが、助け合って逃げていた3人の人間関係から抜け出し、生きる道を選んだ横井氏の勇気を称えたい。
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夏休みもあと1週間ほどだが、残り少ない夏休みに適した自由研究として野良猫の観察がある。猫に関する書籍がたくさん販売されているのでどれか一冊購入し、野良猫と接してみるとよい。
たいていは、本に書いてあるようにうまくゆかない。岩合氏の番組がいかに大変な努力により撮影されたのかを知ることができる。
そのうまくゆかない体験記でも立派な自由研究である。まず野良猫を見つけても、すぐに逃げられて観察どころではないかもしれない。面白いのは野良猫の中には、注意深く接すればすぐに友達になってくれる猫もいる。
一匹野良猫と友達になれると、不思議にも昨日まで逃げていた野良猫がすぐに逃げなくなっているのに気がつく。この変化だけでも一週間あれば観察可能である。
恐らく岩合氏の撮影もこのような努力で猫と友人関係をまず構築してから行われている可能性が高い。もし、まだ自由研究の題材で困っているならば、夕方野良猫を探してみるとこのほかの面白いテーマを発見できる。
シートン動物記を目指したわけではないが、コロナ禍となり、中国の仕事が無くなり時間ができたので、この2年間野良猫の観察をしてみた。丑三つ時に開催される猫の会議を偶然見ることができた。
野良猫も都市の中で助け合いながら必死で生きているのだ。衣食住に不自由しない小学生にとって野良猫の研究は、人生を考えるきっかけになるかもしれない。
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夏休みの自由研究不要論がネットに出ていた。不要論の背景等は恐らく想像がつくと思われるので必要論と自由研究のヒントを述べてみたい。
必要論は自由研究により「知を学ぶ」意味を理解できるからである。そもそもそのような運営が自由研究の宿題でなされていないので、不要論が出てきたりするのではないかと当方は想像している。
小学生でも自由研究を通して知を学ぶ意味を考えることができる。自由研究だから何でもよいのだ。例えば、自宅の1km圏内にあるラーメン屋の数とその位置でも構わない。
ラーメン屋の数を数えるついでにラーメンの系列を調べたりすればいろいろ疑問が出てくると思う。換気扇からの匂いが臭いラーメン屋もあるかもしれない。この匂いの違いにも疑問が出てくると思う。
何か調べれば、その結果新しい疑問が出てくる。このようなことは日常の学校教育で本来体験させるべきことだが、当方が小学生の時にも夏休みの自由研究以外その機会は無かった。
恐らく今日の授業のカリキュラムでもそのようなゆとりはないだろう。ゆとり教育の時代にもこのような機会は無かった。知を学びたいという意欲は、まず自発的な疑問から始まる。
そして、疑問が解決されて知が身につく。この一連の活動が知を学ぶ意味を教えてくれる。その活動の機会の一つが夏休みの自由研究である。
夏休みの宿題でことさら難しいテーマを取り上げる必要はない。身近なテーマでよいのだ。当方の小学生の時の自由研究の思い出に「空き缶問題」がある。子供時代に道路に捨てられている空き缶に疑問をもった。
この研究の結論は、缶の材質が鉄からアルミに転換されれば空き缶ゴミは無くなる、というものだった。この自由研究がきっかけとなり材料技術者というものにあこがれたのだが、毎年の自由研究のたびに将来の夢が変化していた。
今材料技術者として活動しているので空き缶問題を自由研究として取り上げたことを思い出したが、自由研究は身の回りのつまらないテーマで構わない。自分で見つけ、問題形成し、それを解く、この一連の活動が重要である。親は、その活動をサポートするだけでよい。
今時のつまらないが面白いことがわかる問題として、「野良猫は、どこで寝ているのか」、「野良猫はどこで食事をしているのか」、「道路に落ちている糞は犬の糞か猫の糞か」、「野良犬がいないのに、なぜ、犬の糞が道路に落ちているのか」、「カラスはどこで寝ているのか」、「カラスは、なぜ集積場のゴミをあさるのか」、「たばこの吸い殻が少なくなったのは何故か」、「ポリエチレンの袋が道路から消えたのはなぜか」、「なぜツートーンカラーの車が増えたのか」、「何故、黒い外観の電化製品が増えたのか」、「自動販売機の缶製品は何故高いのか」、「自動販売機の売り切れが少ないのは何故か」、「外車が増えたのは何故か」、夏休みの自由研究になりそうな身の回りの問題は多い。
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50年近く前、ゴムの新素材開発が積極的に行われていた。例えばSBRについても乳化重合技術の進歩で様々なSBRが開発された。同一分子式でも合成された材料の物性が異なり、物性を基にした特許も出始めていた。
ゴム会社はゴム合成部門を切り離し、子会社ではなく別会社として経営していた。新素材開発競争が激しくなったので素材開発から行うのではなく、配合技術の高度化でゴム開発を行う戦略だった。
新入社員テーマは当時の新素材TPEを配合技術で開発する研究だった。開発目標は樹脂補強ゴムと呼ばれ、少量の樹脂の海にゴムの島相が分散する構造を創り出す技術を開発しなければいけなかった。
すでに高分子の高次構造を制御し物性をコントロールしようという技術開発が行われていた時代であり、高分子の合成技術よりも配合技術やプロセシングに注目するのが先端技術者の姿勢とされた。
そして、例えばSBRについてプロセシングまで含めた素材パラメーターを設定し、商品品質を目的変数とした多変量解析が実施され、理想とされるSBRの姿がコンピュータを用いて示された。
AIは使われていないが、多変量解析と人間の頭脳を用いたデータマイニングの手法が開発されていた。商品開発部門の手法は社内の定期プレゼンテーションで学ぶことができ、樹脂補強ゴムを担当した時に偶然最適SBRの分子設計という当方にとって記憶に残る技術のプレゼンテーションを聞くことができた。
このプレゼンテーションのおかげで樹脂補強ゴムを効率よく開発するには、手当たり次第に配合を混錬しデータを出すことが重要と理解し、残業代がでないことが分かっていても夜勤を行い、指導社員が一年の研究予定で準備していた樹脂を一カ月で混練処理し、データサイエンスの手法で最適条件を求め3か月で実用配合を見出している。
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ゴム会社に就職すると特許の実務研修があった。しかし、それはその後転職した写真会社のそれよりも実践的ではなかった。特許の読み方と書き方程度の内容だった。
研究所に配属されても特許マインドの高い研究者は皆無でアカデミアのように学術論文を読まれている方が多かった。そしてケミカルアブストラクトの廃棄が話題となっていた。
研究所以外の他の技術部門はすでに民間のデータベースを利用するようになっていて、ケミカルアブストラクトをたまに利用しているのは、成果を出していない研究所だけだという噂があった。
その研究所ではケミカルアブストラクトを廃棄するような感覚では良い研究などできない、と論じる研究者が多かった。新入社員の配属の日にゴム会社に技術は無い、技術のない会社に興味は無いと言って転職した同期がいた。
その同期はアカデミアよりもアカデミックな意識の社員がいた研究所の存在をおそらく知らないと思うが、当方は技術開発を希望して創業者にあこがれ入社した会社の配属先で体験した一種異様な光景に戸惑っていた。
ただ、研究所以外の風土はKKDによる技術開発が標準であり、転職した同期がイメージしていた科学技術を開発していた職場など研究所以外に無かった。また、それが理由で嫌気がさして当方に声をかけてくれた先輩社員は研究所への異動がかなわず転職している。
恐らく、当時のゴム会社は、研究所と他の技術部門を合わせ、それでバランスの取れていた企業だったのかもしれない。
ただ、研究所以外のメンバーと酒を飲めば「ミシュラン神社に手を合わせてアイデアを練る」という冗談がとびかっており、KKDといってもリバースエンジニアリングを主体にした技術開発スタイルという説明ができるぐらいに市場の商品解析には力を入れていた。
そしてその商品解析に多変量解析を用いるなどデータの扱いについては、先端だったように思い出される。ただしこれはタイヤ開発の技術部門の話である。
当方の配属された研究所では多変量解析を行いたくてマイコンの導入希望を出しても自分で購入しろと言われるような情報工学の視点では未開人に近い職場だった。もっとも情報工学に関する学部の設立が議論され始めた時代の話である。
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情報化時代において形式知の入手が容易になった。例えば化学系の情報について50年ほど前ならばケミカルアブストラクトという定期刊行物が発行されるたびにチェックする作業が求められた。
高額な料金を支払えば、希望するキーワードについてデータベースの利用が可能になり始めていたが、学生時代にケミカルアブストラクトを読む習慣を躾けられた。
ところがこのような習慣の躾は講座ごとにまちまちで、4年時に在籍した講座では研究者ならば常識とされた。当方は研究者になるつもりは無かったのでさぼっていたら、卒論提出締め切り日の前日に指導教官から300報以上の論文別刷を机につまれ、これらが明日までに1年間読んでいたはずの資料である、と説明された。
早い話が、目の前に積まれた論文の内容が反映されていない卒論は受け取れない、という意思表示である。早速それらを家に持ち帰り徹夜でまとめて卒論を書き直し、締め切り日の夕方には卒論を受け取っていただけた。
そしてアメリカ化学会誌投稿用の下書きをまとめるように言われた。その後教授の退官ゆえに講座が閉鎖されること、大学院はどこの講座でもすきなところへ進学してよいことを告げられた。π型人間の講話を聴いていたので無機材料の講座を選んでいる。
大学院に進学後、毎月図書室でケミカルアブストラクトを読む時間を半日設けた。そのときケミカルアブストラクトの当方が読むべき個所に鉛筆で印がつけられていることに気がついた。
新しい指導教官がつけてくれていたのだが、それを消す作業が当方の日課となった。理由は図書室の受付の女性から、大学の図書に書き込みをしてはいけないと注意を受けたからである。
古いケミカルアブストラクトにも皆鉛筆で印がついていたので、当方のためでないことを理解できたが、いつの間にかこの落書きを消すことが当方の習慣になった。ケミカルアブストラクトだけでなく学術雑誌にもチェックが入っていたのである。おかげで大学院の2年間はよく勉強ができた。
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マテリアルインフォマティクスを従来の科学の研究と同様に捉えるのは、言葉が悪いが詐欺に引っかかるようなものである。改めて言うまでもないが、科学とは真理を追究することが使命である。ゆえに従来の科学研究とは異なる情報化時代のカテゴリー不明のテーマである。
科学の意味は時代とともに変化するかもしれないが、その使命を変えたなら科学の意味が無くなる。ユークリッド幾何学が学校教育で積極的に指導されなくなった理由は科学時代に似つかわしくない学問と捉えられたから、と高校で習った。
ユークリッド幾何学の今日の扱いを考慮すれば、マテリアルインフォマティクスは科学というよりも技術のカテゴリーで論じられるべきテーマである。
分かりやすく言えば、マテリアルインフォマティクスは技術のカテゴリーにおける問題解決の方法である。マテリアルインフォマティクスで得られるのは経験知であって、形式知ではない。形式知とするためには、従来からの科学の方法による手続きが必要である。
人工知能を使わない情報科学を用いた材料開発の方法について、多変量解析が生まれた時代から研究が始まっている。ただし当時は、科学の方法ではない、という理由ゆえに馬鹿にされた。
技術の方法という自覚で手法を展開しても科学技術こそ正しい技術開発と信じている人間からFDを壊されたりする妨害を受けた。成果(注)を出しても多変量解析の手法が迫害された時代があった。
8月末にデータサイエンスのセミナーを企画している。情報をどのように扱い技術の問題を解いてきたのか、実例をもとに講演を行う。9月以降にはAIで注目されるようになったPythonについてパーコレーション転移を題材にプログラミングの基礎セミナーを予定している。
このPythonの基礎セミナーについては、無料セミナーを8月に行うかどうか迷っている。資料ができ次第無料セミナーについては告知します。お問い合わせください。内容の評価を調査する目的で事前のお問い合わせの人を対象にしたクローズドセミナーとする可能性も考えています。
(注)絶縁体オイルに特殊な微粒子を分散させると電気粘性流体(ERF)ができる。ERFは流体であるが、電場をかけると固体に近い状態になる。この性質があるので、電場でレオロジーを制御できる機能性流体として注目され、開発競争が行われた時代がある。ゴム会社でERFが研究されていた時にその方法は科学で行われ、「ERFの耐久性問題はケースにゴムを用いる限り、界面活性剤で解決できない」という否定証明を完成させた研究者集団がいる。そしてその研究の完成をよりどころとして、「加硫剤もオイルも何も添加されていない加硫ゴムの開発」という技術的にはおよそ信じられない科学テーマが企画され、高純度SiCの事業を立ち上げたばかりの当方に依頼された。理由は当時のゴム会社の研究所でゴムについて一番詳しい研究者は、新入社員時代に樹脂補強ゴムを3か月で作り上げた当方だと評価されていたからである。当方はこのテーマをやりたくなかったので、一晩徹夜して界面活性剤について自分の頭とMZ80Kを用いてデータマイニングを行い、ゴムのケースを用いてもERFの耐久性を改善できる界面活性剤を見出した。そうしたら会議前になると実験データを取り込んだFDを壊される妨害を受けるようになった。それでもひるまず、ERFの機能性を実用化レベルまであげる実用性のある傾斜構造の粉体まで開発した。しかし、FD事件を隠蔽化するという上司の行動で転職をしなければいけなくなった。科学の否定証明が完璧になされても技術は現象から機能を取り出せる、という実例であるとともにERFの実用技術開発で起きた出来事は科学の世界における事件でもある。
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40年前と現代と比較して大きく異なるのは、情報を簡単に得られる時代になったことである。高純度SiCの事業化を検討していて苦労したのは、情報を得るためには金と足が必要だったことだ。
それなりの機関にお金を支払っても月並みの情報しか得られず、新しい情報を得るためにはそれを持っている人に面会する必要があった時代である。そして情報の価値が支払った対価、時間と金額で判断された。
今は無料で自分の興味ある分野について最大1年半の誤差で最新情報を誰でも得ることができる。昔その調査に万単位の費用がかかった特許調査さえもタダである。
インターネットの普及で身の回りに情報が溢れてきたのだが、正しい知が分かりにくくなってきた。コロナ禍における専門家の頼りなさを見れば明らかである。
時代が変わっても専門家にがっかりさせられる。学生時代に企業の技術系役員による特別講義があった。そこで、π型人間が求められている時代だと強調されていた。すなわち一つの分野の専門家ではだめでもう一つ専門を持たなければ技術者は役に立たない、とまで言われた。
有機材料と無機材料の両方の専門家になることか、と質問したら、その通りという回答だった。学術の世界では学際思考が話題になっていた。例えば有機材料と無機材料の境界領域となる無機高分子材料の研究会が高分子学会で設立されたのもこの時である。
しかし、情報化時代の今日ではπ型人間でも成果をあげにくい時代になってきた。学問でさえそのような様相を呈してきた。マテリアルインフォマティクスも怪しい学問の一つであり、これは学問ではなく今の時代技術者が身に着けておくべき常識である。
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