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2018.05/25 プログラミング(18)

オブジェクト指向の言語で初めて学ぶのに何がよいのか、という問題に関して、C#を勧める、としてこの連載を書いてきた。

 

記憶が正しければ、型の話まで説明してきた。プログラミング言語の文法書は分厚いものが多い。C#の文法書もそれなりの分厚さで、まずその厚みに圧倒される。

 

しかし、ポイントを把握しておれば、本の厚みを恐れることは無い。前回まで続けて書いてきて、その後ほかの話題を書いていたためにしばらく忘れてしまっていた。

 

実は、C#について、オブジェクト指向の概念を理解したら、型のところまでを十分に勉強すると後が楽になる。構文についてはそれほど難しくない。

 

とにかく型というものがどのような種類があり、どのように定義されているのかをよく記憶しておくことだ。構文については自然と頭に入るが型についてはすぐに忘れたりする。

 

特にC#の言語以外を使っていた人は、C#特有の型を丁寧に記憶することだ。年をとるとこの記憶という作業が大変になる。仕事ではC#のこの説明のように対策をとっているが、少し甘えが気持ちにあると大変だ。

 

朝家を出るときに妻に言われた買い物をお昼に戻るときに忘れていることがたまにある。頼んだほうも忘れているから、昼食の準備を始めるまで思い出さない。

 

準備を始めてマヨネーズが無かった、ソースが無かった、となる。年をとってよかったと思うのは、このようなときに二人とも思い出さないから、あとで買ってこようとなって、夫婦円満に過ごすことになる。

 

このように忘れるリスクを常に考えているので、常用するパソコンのデスクトップは大変である。備忘録が、そこかしこに転がっている。アサイチの仕事の習慣は、この備忘録をごみ箱に捨てることから始まる。

 

さて、C#の型だが、プログラミングをしているときにエディターに便利な機能があるので忘れても大丈夫である。ただ、慣れるために一度はすべて記憶してみることをお勧めする。このすべてを体系立てて一度記憶する作業の効果は年を重ねるにつれ現れてくる。

 

知をどのように身に着けたらよいのか、知をどのように伝承したらよいのかという話になるが、このあたりもコンサルティング可能である。実際に当方の指導を受けたらアイデアが出るようになった、という感謝のメールをいただいている。

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2018.05/24 見落としていた記事

木曜日まで急な中国出張で日本のニュースを見ていなかったが、17日の少し気になるニュースを見つけた。

 

「安倍首相は17日の未来投資会議(議長・首相)で、プログラミングなどに関する「情報科目」を国語や英語と並ぶ基礎的科目として大学入試に追加する方針を表明した。」という読売新聞電子版の記事である。

 

この記事ではさらに、「人材不足が指摘される情報技術(IT)分野で優れた人材を育てるのが狙い。政府は大学入試センター試験に代わり2021年に始まる「大学入学共通テスト」で、25年1月から情報科目を導入することを想定している。」と続き、大学入試で全員にプログラミング能力を求めるような事態になっている。

 

その理由として、「首相は会議で、AI(人工知能)や情報処理に関して、「これからの時代の『読み・書き・そろばん』(にあたる基礎的な技能)だ。文系、理系を問わず理数の学習を促していく」と述べ、林文部科学相に改革案の検討を指示したという。

 

情報処理能力が現代の必須能力であり、基礎的技能としてプログラミングが必要というのは同感である。当方も上京し秋葉原を散策する習慣がついたころからそれに目覚め、独学でCやC++をマスターしている。

 

しかし、大学入試にこれを求めるのは、少しおかしいような気がしている。昔そろばんが基礎的な技能として求められたが、大学入試まで全員にその試験が行われた話など聞いたことが無い。

 

プログラミング技能をそろばんのように身に着けていたほうが良いことは常識であるが、その能力を大学入試で確認する、というのは大学入試の目的から少し外れているようで違和感を覚える。

 

あたかも義務教育における性教育の成果を大学入試で確認するような感覚といえばご理解いただけるかもしれない。大学入試の問題がどのような内容となり、またその内容で受験者の「本当の能力」をテストできるのか。

 

情報処理能力というものは、必要と感じなければ、すなわちそれをしたいと目覚めなければ、発揮されないものだと思っている。プログラミングの手を決めてそれを知っているのかどうかなどテストしても意味が無い。

 

当方は小学校入学前に「読み、書き、そろばん」を学ぶために書道塾とそろばん塾に通わされたが、プログラミングもこのような学び方をする科目のように思う。もし希望される親御さんがおれば、小学生向けワンコインプログラミング塾でも開いてみようか?

 

ちなみに、高校生になった時には電卓が普及し、そろばんなど不要になった。また毛筆など使う機会も無くなり、せっかくの身に着けた技能が無駄になった。ただ、いまだに暗算ができるのはそろばん技能のおかげかもしれないので両親に感謝している。

 

 

 

 

 

 

カテゴリー : 一般

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2018.05/22 何が問題か

「頭のいい人ほど成果を出せない。間違った問題を正しく解いて満足しているからだ」というのは故ドラッカーの言葉で、彼は目の前に遭遇した問題を前にして、いきなりその問題を解き始める頭のいい人の行為を批判している。そしてもし何か問題を前にしたならば、その問題にとらわれることなく落ち着いて「何が問題か」をよく考えろ、と言っているのだ。

 

女子レスリングで起きたパワハラ問題や、財務省事務次官のセクハラ問題では、責任を問われていた人が、その責任を正しく理解するまでに時間がかかっただけでなく、その周囲の人たちも正しく問題を捉えることができずに誤ったコメントを出していた。

 

そして今回は日大のアメフト問題である。この問題では、事件の詳細がTVで何度も報道され、また日大の監督やコーチのインサイドのビデオ情報まで飛び出し、社会問題化しただけでなく、それを見た国民の多くが何が問題かを正しく見極めたため、珍しく日大監督を擁護する意見が彼の周辺以外からは出てきていない。

 

女子レスリングの問題でも財務省事務次官の問題においても、第三者の一部で問題を正しくとらえることが出来なくて当事者を擁護する意見が見られたが、今回のアメフト問題では、情報が早期にすべて出されたので、さすがに日大アメフト監督を擁護する発言を第三者がしにくい状況である。

 

それでもまだ日大側では正しい問題が見えていないためなのか、正しいアクションがとられていない。とうとう反則を行った選手本人から真相が語られるに至った。そして、その真相がビデオで明らかにされていた通りなので、この選手への批判よりも真相を語った勇気をたたえる意見が多い。

 

しかしここで多くの人に、「なぜ、反則をした選手が真相を語っても日大側や監督がその真相を認めたうえでの行動をとらないのか」という疑問が出てくる。当方はこの疑問についておおよその推定がついている。おそらく日大の監督やコーチは、被害にあった選手がけがをしたくらいでどうしてこのような大きな騒ぎになったのか、という新たな誤った問題を設定しているのかもしれない。

 

実は組織で発生する問題について、このような誤った問題を解き続け、なかなか正しい問題を設定できない状況というのは起こりやすい。その結果事態を収拾できなくなるケースがある。故ドラッカーは、その解決策を提言しており、参考になる。もし、組織の問題でお困りの方はご相談ください。

 

 

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2018.05/19 面白い記事

面白い記事を見つけた。2018年5月16日プレジデントオンラインである。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180516-00025103-president-soci

 

「小保方晴子氏を信じる困った人たちの共通点」とタイトルされた記事である。この記事では、アマゾンの「カスタマーレビュー」という書評を通じてタイトルの解析を行っている。著者はアカデミアの方で解析内容に思わずうなずくとともに「本」の力の大きさを改めて知った。

 

今全国の書店は経営が苦しく、廃業者が増えているそうだ。インターネットで書物を購入する習慣が普及してきた影響であるが、当方は未だに本をインターネットで購入する気になれない。本は「本屋」で買う派だ。

 

本は立ち読みして読みたい本を買う習慣をしてきたのでとてもインターネットで購入する気になれない。インターネットでも立ち読み機能あるいはそれに準じた機能が存在する。「カスタマーレビュー」はこの機能を見かけ上便利にしたネット時代の産物である。

 

この便利な機能があったとしても当方は必ず書店に足を運ぶ。自分の頭で確かめたいからだ。すなわち時代を逆行している。今は本屋で立ち読みしてインターネットで少しでも価格の安い本を買う時代だそうだ。だから本の売り上げの落ち込みよりも書店の廃業の伸びの方が大きくなる。

 

他人の書評は参考になり、それが便利だからインターネットが利用されている、というのであれば健全であるが、少しでも価格が安いことが活用の同期になっているのは残念である。これでは本屋はたまったものではない。

 

そんな消費行動が影響したのか、立ち読みを禁止している書店も登場している。しかし、これは自分の首を絞めているようなものだ。本は本屋で立ち読みしてから購入する、と信じている当方のような消費者の足も遠のいてしまう。

 

そもそも本というものは、単なる情報媒体ではない。カタログ本であったとしても著者なり編集者の「知」に触れる場である。だから、他人の書評だけを頼りに本を購入する動機にはならない。一度その場の見どころへ行ってみて購入するかどうかを自分の頭で考え決定したい。

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2018.05/17 ハラスメント

セクハラ、パワハラ、**ハラと毎日ハラスメントの文字を見ない日が無い。相手がどのように受け取るのかを配慮しながら行動をしなければいけない時代である。

 

仕事に一生懸命になると、どうしても力が入り、自然と言葉が強くなる当方はパワハラを犯すのではないかとびくびくしている。ただサラリーマン時代と異なるのは、相手がお客になるので、こちらが弱い立場でありパワハラにはなりにくい。

 

逆にお客が逃げる心配をしなければいけないが、当方の仕事のスタイルは、お客のために一生懸命全身全霊で貢献するのでまともなお客ならばご理解いただけると思っている。

 

何日か前に、あるお客が事務所に訪ねてきた。お客だから図々しい要求を平気でしてくる。大会社の担当者はこの時パワハラに注意しなければいけない。弊社は中小企業なので、弱者として扱われる。

 

明らかにパワハラを受けているのだが、本人はパワハラを意識していない。当方は優しく、まだご契約をしているわけではないのでお帰りください、と申し上げたら態度が急変した。

 

その後の打ち合わせは、どちらがお客かわからない状態になったのだが、話しながらハラスメントなるものの特異な問題に気がついた。ハラスメントを無くす努力は大切である。

 

しかし、ハラスメントではないような状態でも弱者側がハラスメントを指摘したならアウトとなる現在の社会の認識では、本音を出せなくなる社会になってゆくのではないか。

 

たてまえで行動するのが日本社会と言われているが、まったく本音を言えない社会ではない。本音がどこからか聞こえてきたりして、その本音に忖度するような仕事の進め方が、まだ社会で許されている。

 

多少の言い過ぎやおふざけを許容できる世の中が人間らしいと思うが、過去の感覚で生きていると無意識にハラスメントを行う危険がある。人との交流に必要なスキルのレベルを数段高くしなければ無味乾燥な世間になる。この年でも自己変革が求められる厳しい時代だ。

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2018.05/15 篠山紀信

篠山紀信氏撮影による小保方晴子氏の写真が話題になっている。篠山紀信氏がヌード写真を撮ると他の写真家とは一風変わった画像表現をするので勉強になる。

 

また、彼の料理の写真は極めてリアルであり、被写体とその表現に対して繊細な感覚の持ち主であることがわかる。その他の作品も鑑賞すると、ヌードよりも静物写真を得意とする写真家のようでもある。

 

もし彼が料理写真のテイストでヌード撮影をしたならばいやらしい写真になると思われるが、ヌードに対しては料理写真とは異なるまるで写実的な絵画のように仕上げる表現技法をクールに使っている。

 

これは被写体を徹底的に「見る」人の興味を想像しながら撮影する加納典明氏とは対極にある写真の撮り方だ。紀信氏は「観る」人に被写体を「感じさせる」写真表現をする。このことから、写真技術も写真家として極めて芸術性が高いと思っている。

 

例えば30年ほど前の写真集「サンタフェ」はそのラファエロの絵画のような分かりやすい美しさで驚異的なベストセラーとなった。被写体がヌードであることをその必然と感じさせ、被写体のすべてが映っていてもそれが自然であると感じさせた。

 

さらになんの加工も施されていなかった写真は、写実を極めた美しさゆえに男性だけでなく女性も鑑賞した。その後、社会現象のように玉石混交状態で同種の写真集が書店に氾濫した。

 

また、最初週刊誌で紹介されたが、リンゴを正面で抱えた少女の写真は、ヌードではあるがヌードを感じさない不思議な表現で少女の内面を想像させた。その後販売されたポスターもベストセラーになり、40年以上前の写真でありながら今でも稀に街で見かける。

 

さて、話題になっている小保方氏の写真がどのようなものかは、まだ週刊誌を読んでいないので知らないが、ネットにおける評判は「美しい」女性写真だそうだ。

 

ただ、残念ながらその写真表現よりも彼女のメンタル面の強さが話題になっている。この写真に関する話題を読む限り被写体の「変貌ぶり」が中心なので「サンタフェ」のような写真ではないようだ。

 

どのような写真なのか写真を見たくなるような情報はなく、とにかく話題になっている。これではせっかく撮影した篠山紀信氏がかわいそうだ。写真そのものも公開してほしい。

 

確かにあれだけの事件の渦中の人物となり、おそらくiPS細胞が話題になっている間は、語り継がれるかもしれない状態で、マスコミに登場できるメンタルの強さは不倫してもそれを跳ね返す女性政治家と同じだろう。

 

ただ、自叙伝を読んで理解できたのは、彼女は彼女が意識的に悪事を働いたのではなく科学というものに対する無知と未熟さゆえの悪事となったことだ。これは学位論文の重要な部分を他の研究者の論文をそのままコピペした、科学者として失格の彼女をあたかもその分野のエリートに仕立て上げたアカデミアも彼女以上に責任を負わなければいけない。このことについては長くなるので後日再度取り上げる。

 

 

 

 

 

 

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2018.05/13 バブル崩壊から今日まで

バブル崩壊直前の1991年に写真会社へ転職したが、その職場はバブル状態だった。ゴム会社ではアメリカの会社を買収したため、日本全国バブル状態の時代にリストラ続きだった。

 

1991年前後で1万人ほど従業員が減少しており、そのすさまじさは言葉にできない。その間にFD事件や割腹自殺が起きている。状況から見ると当方はゴム会社の研究所から追い出されたような気持ちになる。

 

高純度SiCの仕事は、住友金属工業とのJVを立ち上げていたので、当方が転職しても事業がつぶれることなく継承され現在も続いている。FD事件の原因となった電気粘性流体の開発は、転職後泡がはじけるがごとく無くなっている。

 

転職前にお手伝いをさせられたときに事業まで立ち上げてやればよかったが、もともと筋の良くない仕事だったので、その気になれなかった。

 

高純度SiCの仕事よりも電気粘性流体の仕事はゴム会社の事業に貢献するとさんざん言われたが、仕事を手伝っていてそのように叫んでいた人たちに事業を立ち上げる気概を感じられなかった。

 

それだけでなく仕事の妨害をする輩もいた。しかしその問題を解決するどころかそれを隠蔽化したり、事業が立ち上がり始めたSiCの仕事を補強するような動きを研究所内ではしていただけなかったのは残念である。価値観が大きく組織とずれたので組織を去る以外に打開策は無かった。

 

バブル崩壊で、転職した会社では社長が事業危機を宣言された。リストラが進められカンパニー制へ移行してゆくのだが、ゴム会社の高純度SiCの事業にとっては、このバブル崩壊は幸運に働いた。住友金属工業が新日鉄住金となり、高純度SiCの事業をゴム会社へすべて移管したからだ。世の中は塞翁が馬である。

 

さて、バブル崩壊後失われた10年とか失われた20年とか言われている間にかつて川上から川下までの分業体制が大きく変わった。経産省の音頭取りもあり、素材産業が部材産業へと変化したからだ。

 

すなわち、川上企業の川下への遡及が起きていたのだ。バブル崩壊だけでなくグローバル化の波がそれを大きく加速し、素材産業は40年前と大きく変わった。

 

この素材産業の変貌に気がついていない川下企業の担当者は困っているはずだ。昔のように黙って待っておれば材料技術が川下に流れてきたのだがそうではなくなってきた。

 

また素材産業の中にはこの変化に完全に乗り遅れた企業もいたりする。もしお困りの方は弊社にご相談ください。

 

バブル前後の厳しい環境の中で新事業(ゴム会社で高純度SiCの事業を起業)を立ち上げたり、写真会社で半導体PPSコンパウンド工場をたった8000万円で立ち上げたりした実績をもとに解決策をご提示します。

 

特に川下企業で川上から技術が流れてこなかったため、川上企業の技術をしのぐ開発成果をだした体験は参考になるのではないでしょうか。

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2018.05/12 知識労働者の仕事のやり方

組織は個人の能力を引き出す機関、とはドラッカーの言葉である。一人では大した仕事が出来なくても組織で大きな仕事ができるようになり、その結果一人で仕事を行うよりも効率が上がるわけだが、組織が仕事の効率を悪くする場合がある。

 

俗に大企業病とは、組織がうまく機能せず効率が下がっている状態である。組織内部ではその状態がよく見えていなくても外から見るとよくわかる。外からしかわからないのかというとそうではなく、組織内部のメンバーにインタビューを行えば、組織内部にいても大企業病を発見することができる。

 

大企業病にかかっているメンバーで構成された組織でインタビューを行うと、各個人の業務のゴールではなく、中間のプロセスを一生懸命説明しようとする傾向がある。業務プロセスを説明した挙句、だからこの会社ではうまくゆかない、というパターンで自分の仕事を説明するのだ。

 

組織において個人の業務は一人で完結しない。個人のゴールは誰かのインプットになっているはずだ。ゆえに自分の業務の説明では、自分の仕事のゴールが誰のインプットになるのかが重要で、業務プロセスは説明の必要が無い場合も出てくる。

 

この業務のゴールについてよく考えていない人が多い。そのような人に限って一生懸命プロセスを説明しようと努力し、そのプロセスにおける組織の障害事項を問題にする。実は組織に大きな問題があるなら、その組織の問題を解決することも仕事であり、それが組織として許されないならば組織を去る以外に道は無いのだ。

 

仮に組織に大きな問題があったとしても自分のゴールを達成することができるならば、そこに精力を注ぐことだ。すると組織の大きな問題も大した問題ではないことに気がつくことがある。問題の無い組織は無い、というくらいに理想的な組織を作ったとしても問題は発生する。問題が発生したとしても組織と価値観が共有できるならば、問題の回避方法は容易に見えてくる、とはドラッカーの言葉である。

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2018.05/11 産業構造の変化と働き方

産業構造が変化しているが、それに対応できないもしくは対応に遅れている企業では、スタッフである知識労働者の働き方を変えない限り、その変化についていけない。大企業もしくは中堅企業では特に組織がしっかりしているので、これが足かせとなり意識改革を難しくする。

 

ゴム会社の研究所で勤務していた時に、1年もしくは長くて2年で組織構造そのものが目まぐるしく変わった。セラミックスを担当していた時には、メンバーを減らされ、最終的に一人となったので、組織が無くなったようなものだが、一応開発ユニットだったので、大変だった。自然と働き方を変えなくては成果を出せなかった。

 

一人で開発と営業を担当していた上に、電気粘性流体の仕事まで飛び込んできたときには、一瞬途方に暮れたが、住友金属工業に一部仕事を移管する決心で問題解決できた。

 

結局この移管した仕事はやがて住友金属工業が事業を辞めることになったので全部ゴム会社に回ってくるのだが、それは当方が転職した後だった。

 

およそ一人で処理ができないほどの仕事を詰め込まれたときにどうするか。自殺するような問題ではなく、実は簡単な問題である。

 

優先順位の高い仕事だけに絞ればよいだけだ。優先順位を下げた仕事についてやらない代わりに、もし自分がやらないときの影響を考えるのだ。産業構造の変化が起きているときにはほとんどの場合に、その「仕事をやらない」影響は小さくなる。

 

しかし、仕事をやらない影響が本当に0となることは無いので、もし気になるならば、その仕事のゴールだけかたずけるという方法がある。これは難しいことではない。他の人にお願いするだけでよいのだ。

 

それぞれの役割からお願いできる人がいない、というケースは無いはずだ。もし、お願いできないような仕事ならば、実はそれは不要な仕事なのである。

 

ここで、上司に相談することもそのお願いの一つだ。この時の相談内容を仕事の中身で考えてはいけない。あくまでその仕事のゴールについて相談するのである。判断能力の優れた上司ならば必ず解決してくれるはずだ。

 

ここで、ブーメランのように仕事が回ってくるならば、その会社は終わっているのだ。その仕事をやらないことで叱責を受けても気にすることはない。上司のほうが職場異動するはずだ。

 

乱暴な解決法に見えるかもしれないが、産業構造の変化が起きている分野では、一時的に見かけの仕事が増える。それは不要な仕事が続いている中で新しい仕事が増えているからだが、この時古い不要な仕事を捨て去ることができるかどうかが構造変化への対応で重要になってくる。

 

ゴム会社の研究所で頻繁にリストラが行われたのはマネジメント能力の欠如ではなく、組織改編により継続すべき業務と捨て去る業務とを担当者に考えさせるためだった。当方が担当していた業務で捨て去ってもゴム会社の売り上げが減るようなことは無かった。

 

そのとき、当方が企画し6年間苦労して選択し継続した業務が30年以上たった今でもゴム会社で続いている。FD事件の原因となった電気粘性流体の研究は十分な事業にもならず、当方の転職後消滅している。

 

ちなみに消滅する運命にあったこの研究の最も解決が難しかった耐久性の問題は、当方がお手伝いを依頼された時に当方が高純度SiCの業務の傍らで解決している。また性能アップのためのオイルや粒子の問題も同様である。

 

これは公開されている特許に足跡として残っているが、高純度SiCの事業を住友金属工業とのJVとして一人で進めていた時の「片手間の」仕事である。

 

実際のところはFDを壊されたりしてデータ回復など余分な仕事が増え、死んでしまいたいぐらい忙しかったが、高純度SiCの仕事の一部を住友金属工業に肩代わりしていただき続けたのである。つらい思い出であるが、その結果仕事とはどのように行えばよいか、極限状態で理解することができた。

 

 

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2018.05/10 駅弁

昨日出張のため新幹線車中で昼食をとらなければいけなかった。東京駅で少し小さく手ごろな駅弁があったので購入したのだが、1000円札で不足だという。その大きさから1000円程度だと思って一枚出したのだが、そっけなく足らないと言われたので一万円札を出した。

 

値段を聞いてびっくりした。1600円だという。これにさらに消費税がつく。この大きさで1600円ならものすごく旨いのではないかとお昼が楽しみになったのだが、弁当の表書きには炭火焼米沢牛特上カルビ弁当と書いてある。表書きを見てさらに期待が膨らんだ。

 

期待で胸が膨らんでいてもお昼近くになれば腹は減る。この年になっても腹時計は正確で誤差は15分程度。さっそく食べようと思いお弁当の蓋をとったらご飯の上に60g前後のカルビ肉が乗り、シューマイが二個入っているだけの値段の割に貧相な弁当だった。

 

ところでその肉の味はと期待しながら一口食べてがっかりした。まずくはないのだが、期待ほどの旨味は無い。上海のローカル焼き肉店で食べる得体のしれない熱い牛肉の方がはるかに旨い。やはり焼き肉は熱くないとだめだ。

 

ローストビーフは冷たくても旨いのだが、焼き肉と名がついた冷たい牛肉でうまいと感じた経験はこれまで無かった。そのうえ、1600円で購入した焼き肉弁当でもこの程度の味である。まずくは無かったのだが、冷たい焼肉は旨くない、という経験知の精度を高めることになった。

 

10年ほど前に、松阪へ出張したときに薄汚い定食屋へ入った。一時を過ぎていたので客は当方と同伴してくれた課長だけだった。1000円札でおつりが来た焼肉定食を食べてびっくりした。ものすごく旨いのだ。さらにこの値段で牛肉である。店主に代金を払うときに旨かった、と一言礼を告げたら、当たり前だ、松阪牛だ、と答えが返ってきたのだが、なぜか昨日この時の感動を思い出した。

 

 

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