福島原発の後処理のため国民負担額が4兆2000億円を超したという。東京電力はそれでもまだ国に補助を求めているという。いっそのこと東京電力を国営にして、解体した方が良いのかもしれない。一気に送電と発電の分離を進めることができるかもしれない。すなわち、電力自由化である。
これまでの経緯から原子力発電が最も安価な電力供給方法であるという説明がインチキだったことが明らかになった。日本におけるリスク評価をまともに行うと、おそらく最も高価な発電手段になると思われる。
また、今停止している「もんじゅ」についても科学的成果かもしれないが、金のかかるがらくたであることも明らかになった。およそ安全性など考慮されていない「科学の成果」である。
このような状況になってくると、原子力という学問そのものが怪しくなってくる。20世紀の科学の象徴の一つに位置づけられ、全国に発電所が建設されたが、技術として不完全な設備を全国にばらまいたような行為である。この再稼働も未だに目処の立っていないところが多い。
そもそも廃棄物処理場が、未だ建設されていない事実も福島原発の問題で明らかになった。廃棄物処理場だけでなく、事故処理でドタバタしている最中にスポークスマンだったN審議官の不倫問題が飛び出すなど政府関係者のふんどしも緩んでいた。
本日は防災の日であるが、いまや自然災害以外に人間の英知で創り出される科学の成果が引き起こす災害も心配しなければいけない時代である。21世紀は科学一辺倒から脱却し、新たな技術哲学というものを構築すべき世紀だと思う。
11月に開催される問題解決の講演会では、非科学的方法による問題解決成果を事例に科学に100%頼らない「技術」、あるいは新しい科学の芽を出させる「技術」について紹介する。
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科学で否定される現象から機能を取り出し、それを技術として実現にするには運も必要だが、意外と簡単である。難しいことを考えず、自然界で起きている状態をそのまま模倣すればよい。ただし科学で否定される現象に巡り合うかどうか、という運と巡り合った時に、素直にその現象と対峙できるかどうかがカギである。
STAP細胞で小保方氏は、科学で否定される現象に出会う運に恵まれたが、ノーベル賞が頭にちらつき、つかみかけた幸運を逃がしてしまった。運を味方につけるには、誠実真摯に素直に生きる必要がある。
当方は、32年間の技術者生活でそのような現象に出会ったら必ず技術として実用化できた。ノーベル賞などの評価を実用化できるまで考えず、ただひたすら素直に自然界から機能を取り出すことに集中したので成功できたと思っている。
例えば退職前の5年間担当した仕事では、フローリー・ハギンズの理論で否定される現象に遭遇した。PPSと6ナイロンが相溶するというその現象は、多くの技術者が目にしていた。しかし、その重要性に気がついたのは当方だけであった。皆、日常の中で当たり前の現象として見ていたのだ。
PPSと6ナイロンが相溶した現象に遭遇した時に、すぐに化学分析を行い、現象が起きていることを確認した。つぎにその現象が起きている状態をつぶさに観察し、形を変えて、同じ状態を作り出し、その現象が起きることを、すなわち再現性と汎用性を確認した。
現象が必ず起きることを確認しながら、条件を一つづつ外してゆき、現象が起きなくなるのも確認した。すなわち山中博士も行った非科学的な消去法である。そして現象を起こすための最低限必要な条件を探し出して完成した技術がカオス混合技術である。
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金属酸化物のゾルをミセルに用いたラッテクス合成法を1992年に開発したが、このようなゾルをミセルにする方法がコロイド系の科学雑誌に初めて登場したのは21世紀になってからである。このことを2001年に文献検索を行って初めて知った。
金属酸化物のゾルをミセルに用いてラテックスを重合する技術については、当初会社で提案した時に担当者から簡単に否定された。その時、コアシェルラテックスが正統な技術として引き合いに出されたが、これはライバル会社から多数の特許が出願されており、特許に抵触しない技術領域そのものを見つけ出すことが難しかった。
しかし、特許に抵触していても技術ができるという安心感があるというのが担当者の見解だった。すなわちできない技術にチャレンジするよりも、できる可能性のある技術で特許回避を狙ったほうが良い、という当たり前の見解である。
このような場合に担当者、特に頭の良い担当者を説得するのは難しい。ゾルをミセルに用いるという斬新なアイデアに対して、コロイド科学の視点で否定証明をするからである。アイデアが具体的であればあるほど否定しやすくなる。
このような議論では、松岡修三氏のような前向きな思考の人物を一人加えておくと良い。乱暴な表現になるが予備知識など無いまさに修三氏その人でも良いかもしれない。
ホワイトボードで図を書きながら、否定証明をさせる、そして新たな図を書き直し、また否定証明させる、その繰り返しの中で、前向きな人物ならばできそうなアイデアを閃いてくれる。科学的におかしくてもこの閃きは大切である。頭の良い担当者は、非科学的であることを理由に否定するが、前向きな担当者に、閃きを頼りに実験をやらせれば、それが成功してしまうから不思議である。
ゾルをミセルに用いたラテックス重合技術は、このようなコーチングプロセスで生まれた技術である。できると思って実験をやらなければ、できる可能性のある技術でも失敗する。これは、高純度SiCを発明した時に体得した哲学である。
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第三成分の添加剤とは、プロジェクトにいた管理職の方に教えて頂いた表現である。本質は界面活性剤であるが、界面活性剤では問題解決できないという結論が出されているので、界面活性剤という言葉では提案が採用されないと言われた(注)。
馬鹿げた話であるが、コミュニケーションの技と見なして受け入れた。科学的ということに拘っている研究所ではあったが、非科学的なコミュニケーションが重要であることを学んだ。
紆余曲折はあったが、ERFの増粘問題は界面活性剤の最適化で解決され一気に実用デバイスの開発が進んだ。当方も0.5人分というわずかなお手伝いの時間をさくだけでよくなり、住友金属工業とのJVを推進できる時間が生まれた。その後ERF用3種の粉体やERゲルなども置き土産として開発するのだが、否定証明の論文を読んでみたくなった。
その論文は英知の結集が認められる見事な内容であった。そして、ERFの増粘問題は界面活性剤で解決できない、と実験結果とともに科学的に完璧な否定証明の結論が導かれていた。
教科書を片手にこの論文を読む限りにおいては、100点の論文である。工学博士のスタッフが2名参加してまとめ上げただけのレベルを感じさせる素晴らしいの一言しかでない報告書だった。
しかし、実際には界面活性剤を用いて一晩で問題解決されたのである。否定証明を行ったメンバーのためにあえて弁解すると、これは、界面活性剤の機能はHLB値でその働きと効果を説明できる、と書いてある教科書が悪い。等しいHLB値であっても、効果の異なる界面活性剤が存在することについて触れた教科書は当時無かった。
だから、あらゆるHLB値の界面活性剤を用いて否定的な効果を実験結果で示し、界面活性剤では問題解決できないという結論を科学的に出すことができたのである。
この事例のように、科学は時として技術の可能性を否定するのに使われるので注意を要する。小保方氏が「STAP細胞ありまーす」と言っていたが、言葉ではなく一発STAP細胞を実現すればそれで生物学会もひっくり返ったのである。彼女が不幸だったのは、度胸以外の非科学的問題解決法など実務スキルを体得していなかったからだ。11月の講演会ではこの説明をいたします。
(注)ERFの増粘を防止できる最初に発見された添加剤が、親水性部分と疎水性部分で構成されたコポリマーだった。但し界面活性剤として販売されていた物質では無かった。界面活性剤として販売されているものが界面活性剤で、それ以外の添加剤を検討する技術開発、という欺瞞のテーマにさせられた。しかし、検討を進めていったら、歪んだ界面活性剤の定義中にも増粘を防ぐことが可能な物質が見つかり、科学的な否定証明の問題が露呈した。すなわち、科学的技術開発方法は、実現できる可能性のある技術を排除する問題を抱えている。カオス混合技術や高純度SiC合成技術など当方が開発した技術の多くは、非科学的方法で芽を出し、科学的方法でその結果を見直すという手法を取っている。このような手法を取ってきたのは、科学と技術の関係について真摯に考えてきたからである。
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増粘したERFへ界面活性剤を添加したサンプル瓶を注意深く観察すると静的な粘度が、それぞれ少し異なることがわかった。粘度が低いものには5点を与え、添加した界面活性剤のHLB値を基準にして分布を書いてみたら、0点が全領域で出現した。しかし、ある値のところに3から5が集中して観察された。
その値周辺で0点が現れる確率は8割だったが、増粘したERFの粘度を改善できる可能性のある界面活性剤が存在しそうな感触が、たった一晩放置する実験で得られた。ただこれは科学的な結果ではないのでこのまま報告しても、否定証明をまとめたプロジェクトメンバーに一笑に付されるだけである。
そこで、界面活性剤の特性値を多変量解析して第一主成分と第二主成分の軸で実験結果を整理したら、粘度を下げる効果のある群を独立して抽出することができた。第一主成分に最も寄与が大きいパラメーターはHLB値で80%を超えていたが、第二主成分は曇天はじめ様々な因子の寄せ集めの軸だった。ただ、それらの因子を眺めると分子構造の因子であるとこじつけることができた。
そこで、横軸にHLB値、縦軸には分子構造を数値化した軸を用いてあらためてサンプル集団の分布をまとめたところ、主成分分析で得られる分布と酷似した結果になった。このデータをプロジェクトメンバーの他の管理職に説明し界面活性剤の検討をすべきだ、と提案したところ、否定証明の報告書の存在を知らされた。
偏差値トップクラスの大学の工学博士2名も加わって一年かけた力作という説明だった。一晩で出たデータとこの報告書とどちらが信頼されるのか、と問われた。当方はHLB値だけに着目すれば否定証明となってしまう理由を説明したが、とにかくプロジェクトの仕事を指示通り手伝えとなった。
この実験から1週間後に行われたプロジェクト説明会において、プロジェクトリーダーからプロジェクトメンバーへ行われた説明は衝撃的な計画だった。抽出物が出ないゴム開発をするというゴールだった。ゴム会社だったのでゴムに詳しいメンバーがそろっていた。あたりまえだが、会議で否定的な意見が多数出された。しかしプロジェクトリーダーは界面活性剤でできないのでこの方法しかない、と説明するだけだった。
当方は参考意見として、第三成分の添加技術を提案した。界面活性剤と言えば否定されることが分かっていたので、粘度を下げる魔法の第三成分を見つけた、と説明したのだ。意外にもこれは会議に参加していた多くの人に指示された。非科学的ではあるが、増粘したERFの粘度を下げる物質が見つかっていたことが大きかった。
そこでこの会議では、ゴムの開発と第三成分の添加技術の二つを検討項目として進めることが決まり、当方は第三成分の添加を若い技術者と二人で担当することになった。開発が進み、しばらくして気がついたら全員が第三成分の技術開発に加わってきた。
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命題の証明を科学的に完璧にできるのは、否定証明だけである、とイムレラカトシュの「方法の擁護」に書かれている。この彼の説明によらなくても、日常の開発では、否定証明、すなわち「できない」という証明は、「できない」ことを示せば良いので「できる」ことの証明よりも楽である。
だから頭のいい人たちに開発を任せると「否定証明」ばかり出てきて、開発は失敗しがちである。例えば電気粘性流体(ERF)をゴムのケースに入れた実用デバイス開発における事例。ERFの主成分であるオイルにより、ゴムから抽出された成分でERFが増粘する問題において否定証明がなされた。
それによると、この増粘問題は界面活性剤を添加する手法ては科学的に解決できない、と結論された。もっともこれが書かれた論文に接することができたのは、増粘の問題や傾斜機能粉体、微粒子分散型粉体、コンデンサー分散型粉体、ホスファゼン絶縁オイル開発などERFの問題をさっさと解決し転職を決意した時である。
ところで、増粘問題が発生した一年前、界面活性剤による解決が開発方針として出され、その報告書として否定証明の論文が提出された後、当方へERF開発のお手伝いという業務指示がきた。しかし、どのような仕事をするのかプロジェクトリーダーから説明が無かったばかりか、研究報告書の類も見せてもらえなかった。ただ、言われたことをやればよい、というおよそ担当者のモラールなど考慮しない説明だった。
当方は、たった一人で高純度SiCの仕事を住友金属工業とJVとしてたちあげようとしていた時である。その仕事を止めて手伝えという。
ここに至る5年間一人で我慢して死の谷を歩いてきたので、ERFの増粘問題を早く解決して自分の仕事に専念したかった。ゆえに界面活性剤を用いた解決法を提案したらプロジェクトリーダーから頭ごなしに否定された。その方法ではできないので人手がいる、と一方的な物言いだった。
当方はそのプロジェクト所属まで一週間の余裕がある間に、界面活性剤で解決「できる」証明をしようと考え、増粘したERFをもらい、多数のサンプル瓶にそれを分けいれ、それぞれに手持ちの界面活性剤を1%程度適当に添加して一晩おいた。
翌朝たった一つだけ見るからに粘度の下がっているサンプル瓶を見つけた。ただし、そのサンプル瓶には界面活性剤として表示されていなかったコポリマーを添加したものだった。この物質は界面活性剤として販売されていなかったが、親水基と疎水基として分子構造を定義できる立派な界面活性剤の構造を持っていたので一晩の実験に採用したのだった。(続く)
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以前この欄で企画について一般の教科書に書かれていることに当方の経験も含めまとめてみた。そこでは企画に必要な要素についてまとめているが、企画をどこまで掘り下げたらよいのかは、言及していない。
ゴム会社と写真会社の二つの会社を経験してみて、研究開発部門の使命や役割、機能が異なるだけでなく、この企画に対する考え方が大きく異なることにびっくりした。
ゴム会社では、研究開発しようとしている実際のモノを示せばそれでよい、という大変わかりやすい姿勢である。しかし、研究開発を始めていないのにこのモノを示すことが難しいので、どうしても企画書に頼る。しかし、これが分厚い企画書であると審議していただけない。せいぜいA3一枚が限度であった。
写真会社では、分厚い企画書が求められた。シナリオも簡単なロードマップ程度ではだめで、長文の作文が要求された。退職直前に担当した中間転写ベルトの開発では、前任者から引き継いだ企画内容ではゴールを実現できないということで、コンパウンドの内製化に取りかかろうとしたら、長文の企画書を要求された。
困ったのはカオス混合の説明で、世の中に存在しない新技術をどのように説明したらよいか悩んだ。また、会社に基盤技術の無い状態で新技術を開発する、などと半年後に製品化を控えた開発の企画書に書いたなら馬鹿にされるのが落ちである。中古機を買って設置すればすぐにできる、お金もかからないという企画書にしなければいけなかった。
本当は、科学で説明ができないだけでなく、できるかどうか誰もわからないような高度の技術開発について、目をつぶっていてもできるという企画書に仕上げた。DRでは、外部からコンパウンドを購入して開発を進めているのに、なぜ内製化を行うのかという、業務の状況を理解していない、しかしまともな質問が出たが、ただ頭を下げるしかなかった。
ところで、できるかどうかわからない仕事をなぜ推進し、成功に導くことができたのか。それは、弊社が販売している研究開発必勝法でも指導している戦略図と戦術図のおかげである。この研究開発必勝法については、新時代の問題解決法やコーチング手法を含んでおり、問題解決法については、11月に講演が予定されている。詳細は弊社へ問い合わせていただきたい。
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バブル崩壊後、就職氷河期、リストラなど暗い話が続き、最近は貧困が話題である。NHKも定期的に取り上げている。数年前には生活保護がもらえず餓死した姉妹のニュースまで特集で報じられたほどである。
団塊の世代は、高度経済成長の恩恵を受け年金も心配のない世代だが、当方の世代から少しずつ不幸の分配は始まっていると言われている。それでも当方の世代は、誰かスキーに連れてってなどモータリゼーションを楽しみながら生きてきたが、今の若者はもはや車に関心は無く、遊びの活力も落ちているような印象を受ける。
退職金をつぎ込んで会社を起業したのは、活力の無くなった社会を少しでも元気にしようというのが目的だったが、最初に手掛けた事業がまずかった。目標を低く設定していたが、その低い目標でさえ達成できない状況で大慌てとなった。
甘かった、と言ってしまえばそれまでだが、失敗で学ぶことも多かった。また**人は金払いが悪いだけでなく人をだます、とアドバイスされたが、事業の世界では同胞でも油断ができず同様である厳しさを学んだ。とにかく赤字が膨らみ、たまらず電子出版をまず閉鎖した。次に自宅を事務所にして徹底して節約した。
ある日、創業時の経験で注意をしていたが、それでも知人の紹介だったので、ある中国人に日本で事務所を開きたいと言われ、コンサル費用の支払いを信じて新たに事務所を借りた。しかし、彼が当方の借りた事務所を見て風水の視点で儲からない事務所だ、といってその金も払わず、消えてしまった。ひどい話で、その中国人のために借りた事務所と敷金礼金と一年間の支払いだけが残った。
仕方がないのでその事務所を分室にして使ってきたが、面白い仕事が舞い込むようになった。昨日も面白い仕事が一件舞い込んだ。風水のみたてははずれ、この事務所を無理して使ってみて、事業が上向き始めたので不思議である。
貧困どころか大赤字のひどい状況だが、前向きに生き、その時の状況に流されず、日本社会に貢献しようと何とか会社を経営している。もしNHKのスタッフの目にこの記事が止まったならば、弊社を取材して欲しい。金が無くても、松岡修三氏のような明るい話をしたい。
残念ながら表題の女子高生の番組を当方は見ていないが、最近この番組に対するWEBに溢れている批判の記事を読みNHKの取り上げ方がおかしかったように感じた。社会の目を貧困の問題に向けさせるための過剰な演出が成されたように思われる。
貧困の問題解決は当然国が取り組むべき重要課題だが、マスコミが声高に騒いでみても一朝一夕に解決できる問題ではない。むしろマスコミは貧困の中を明るく生きる知恵について提供する使命があるのではないだろうか。すぐに解決できる問題ではないので焦らず努力し続けるために皆で明るくなる努力をしなければ、本当に国民の大半が貧困という時代になるのかもしれない。
ところで、お金が無くても明るく生きる工夫はあるのだ。皆が明るく前向きに生活しなければ社会はよくなっていかない。戦後の日本はそうして高度経済成長へ向かった、と亡父に教えられた。明るく、元気に、活き活きと新しい価値を創造しよう!
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オリンピックが閉幕したと思ったら、すでにその反省会のニュースが報じられている。マラソンに対する批判が多い。確かに、猫ひろしが139位なのに北島選手の94位は、ひどすぎる。猫ひろしに抜かれなかっただけでも陸連のメンツが保たれているような結果である。
左アキレス腱を痛めていた北島選手は、本来なら「完走できるかできないかという状態」だったという。猫に抜かれる可能性があったのだ!ただ、現状では補欠もおけないという。
この状態に対して「補欠がいれば、入れ替えもできたが…。(4年後の)東京は非常に暑く、故障も起こりうる。補欠がいないのは不安」と宗マラソン部長は語っている。
これは少しおかしい。北島選手の故障は、当日分かったわけではなく、オリンピックが始まる前に分かっていたことだ。補欠がいなくても、代走者を選ぶ努力が事前にできたはずである(注)。代走者として、いつでもどこでもマラソンが可能な川内選手を使えたはずだ。
さらに、川内選手が蹴って話題になったナショナルチームの制度も事前に崩壊していたという。その制度を立て直すこともできないまま、今回の大会にのぞんだことになる。
ニュースで宗マラソン部長が説明されている内容を聞くと、マネジメントができていない、と白状しているようなものだ。この人は選手として優秀だったが、マネージャーとしては不適格ではないか。ご自分のやるべき仕事を理解されていない発言が多い。
北島選手のような50位以下になるような、あらかじめ欠陥が分かっていた選手を出すぐらいなら、なぜ最強ランナー川内君を陸連は出すことができなかったのか。宗マラソン部長がいろいろ挙げていた問題よりも、硬直化した運営しかできない現状とそれをイノベートできないマネージャースタッフが一番の問題だろう。
東京オリンピックに向けて国民の税金から強化費がさらに増額される。陸連の幹部総辞職と指導体制の刷新を図るべきだろう。男子と女子マラソンの結果を見て現状の体制でよしとするなら、それでは国民の税金を使った成果に対する責任感が乏しい。昨日までのニュースを読む限り、東京オリンピックでもマラソンはリオと同じ結果になるだろう。
(注)ルール上できない、と宗部長は回答するかもしれないが、ルールには必ず抜け道があり、その抜け道をうまく使ってベストの成果を組織として出せるようにするのがマネージャー(管理職)の役割である。当方は、押出成形の開発だけを行い、コンパウンド技術は外部に依存、という企画を開発途中で受け継いだ。その企画に書かれた手順では開発が成功しないと判断するやいなや、設備予算が無い中で、中古機を買いコンパウンド工場を建てて成果をだした経験がある。社内のQMSのルール上まともに考えたら不可能な開発日程だったが、関係部署との調整を行い、裏技を駆使して、QMSのルールに準拠して開発を成功に導いている。マネージャーはいつも創意工夫が求められるのである。粛々と規則通り行うマネージャーなど今の不確実性の時代には不要である。いかにして東京オリンピックで成果を出すか。もし分からなければ弊社へご相談ください。問題解決法をご指導致します。
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昨日リオオリンピックが閉幕した。メダルは空前の41個という素晴らしい成績だった。オリンピックは参加することに意義があるが、成果であるメダルの数はどれだけ頑張ったのかと言う一つの指標として重要である。
このように書くと、メダルを取れなかった人も頑張った、という意見が出たりするが、このような意見は、最近少なくなったように思う。メダルを取った選手を称えたからと言って、取れなかった選手を軽蔑しているわけではないのだ。
例えば100位以内にも入れなかったが、それゆえマラソンを完走した猫ひろしが頑張らなかった、とは誰も思わない。悪条件下のマラソンで脱落者も多いなかで、3時間を切った彼のゴールには少し感動した。
彼は科学的な訓練を受けておらず、自前の努力で過酷なレースで完走したのである。他国の代表選手として参加したことに批判的な意見もあるが、ボーダーレスの時代である。ルールに反していなければその努力と完走という成果を評価したい。また”猫効果もあり、マラソンの視聴率が25%を超えた”というニュースも報じられている。
今回のオリンピックではロシアのドーピング問題も大きな話題だった。オリンピックは厳しいルールの中で競うゆえにその成果に大きな価値が出てくるので、インチキをしてメダルを獲得した選手や国が非難されるのは当然である。
ところで、国民が自国の選手にメダルを期待するのは、選手の強化費用に税金が使われているからだけではない。メダルを目指して競う姿から生まれる感動を共有したいためでもある。
かつてメダルを逃がした若い水泳女子選手の開き直りによるメダルキチガイという言動が問題になったことがある。その次のオリンピック選考会で彼女は選ばれず、騒動がさらに大きくなった。以来、参加選手の言動に優等生的な発言が目立つようになった。勝った選手も負けた選手も予測された回答が返ってくる。
そのなかで吉田選手のレスリング決勝で負けて泣いている姿には感動した。自分に対する悔し泣きであることは十分に伝わってきて当方も思わずもらい泣きをしてしまった。感動を伝えるにはその姿だけで十分で、インタビューなど不要だが、無能なインタビュアーの無粋な質問が飛ぶ。しかし、彼女は、正直に自分のミスを悔しそうに語っていた。そのときにも、苦しい努力をしたもの以外では理解できないであろう涙が流れていた。
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