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2016.02/10 21世紀の開発プロセス(20)

科学的に問題解決不可能という問題をどのように解いたら良いのか。ゴム会社では、二律背反の問題が好んで技術テーマとして取り上げられていた。日本では、すりあわせの技術などがTVでもてはやされたこともある。ただ、その共通点は、科学で考えると解けない問題をどのように技術で解くのか、と言うことである。
 
科学と技術は同等という考え方で支配されていた、20年以上前のゴム会社の研究所では、研究所以外の開発部隊が二律背反の問題を解決する、というプレゼンを軽蔑していた。これは、科学で解けない問題ならば、あきらめるのが最善という考え方である。
 
あきらめる、という回答が許されないとしたならば、考えられる一つの方法は、妥協である。しかし、技術が科学と異なり、現象から機能を取り出す行為であることに気がつくと、科学の知識で考えて問題が解けない、という状態は、深刻ではないのである。技術的にどうしようもない状態より、どうにかなる。技術的にどうしようもない状態は、適当な完成レベルで妥協する以外に道は無い。
 
iPS細胞のヤマナカファクターを例に、このあたりを説明すると、機能を調べるために、実験を担当した学生は、24個の遺伝子を一度に細胞へ組み込むという無茶な実験を行っている。その実験で細胞に初期化が起こり、科学的な理由は不明だが、iPS細胞という機能が見つかった。そしてこの機能を洗練されたモノにするために、さらに科学的ではない消去法で、4個のヤマナカファクターの組を見いだしている。
 
技術開発とは、まさにこの例のように実行することである。科学的な意味が無くとも目的とする機能を取り出す実験を行うことが大切である。論理的プロスではなく、ヒューリスティック(heuristic注)プロセスによる実験が重要である。技術では、仮説が真であることよりも、機能実現が重要なので、理由は不明でも機能が発現すればそれで良い。科学こそ命という人がこのようなことを聞くと鼻血を出して怒りそうだが、新しい技術の多くはそのように生まれている。
 
但し、再現性が乏しい機能は、経済的な技術に創り上げることは難しい。すなわち技術開発とはロバストを改善することだ、というのは田口先生の名言だが、機能の再現性を上げるために開発するのが技術開発で、企業では科学の研究よりもこれを優先しなければ21世紀は生き残れない。
 
(注)いつも正しい答えが得られるわけではないが、すなわち論理性は保証されていないが、ある程度のレベルで正解が得られる、と言う意味

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2016.02/09 21世紀の開発プロセス(19)

写真会社とカメラ会社が統合した会社では、55歳以上に対して早期退職制度があり、中間転写ベルトの開発に失敗したら、責任をとりやすい状況だった。仮に開発に成功しても給与は増えないが、失敗しても早期退職制度を活用して会社を辞めれば、退職金は増えた。
 
当方に仕事を頼んできた来た人物は、よく当方の状況を調べてから来てくれたのだ。その人物は、この仕事が成功した後、センター長へ昇進している。失敗しても、当方に責任を負わせれば良いとでも考えたのかもしれないが、定年近い当方にとって、そのようなことはどうでも良かった。権限とか昇進に焦点を合わせると貢献すべき焦点がぼける。当方は、どのような手段を用いても開発を成功させる決意をし、豊川へ単身赴任した。また、弊社で販売している研究開発必勝法を使用し、その切れ味を試すにはちょうど良いテーマだった。
 
職場の風土は、皆が成功を信じている士気の高い雰囲気だった。ゴム会社の研究所以外の職場風土とよく似ていた。部下にマネージャーが2名いて、一名は材料技術に詳しいマネージャーAでPPSと6ナイロン、カーボンの処方を企画した人物である。最初にこのマネージャーとは徹底的に議論した。そしてこれまでにないアイデアをコンパウンド技術に投入しない限り、問題解決不可能という結論に至った。
 
赴任して一週間で科学的見地から開発は失敗する、という見通しが得られた。この結論は、センター長まで伝えたが、何とかならんか、と求められたので、当方が何とかします、と回答した。その時、二人の部下のマネージャーは、びっくりしていた。方針変更の打ち合わせがひっくり返ったためである。
 
上司であるセンター長は、8000万円までの予算であれば何とかできるので、それでコンパウンド工場が建たないか、と尋ねてきたら、マネージャーBは不可能です、と慌てて否定した。さらにマネージャーBは、予算よりも時間が無いことを理由にコンパウンド内製化に猛反対した。
 
当方は、コンパウンド工場は二軸混練機を設置すればよいだけであるが、品質管理規定に基づくデザインレビューの各ステップを通過することが難しい点を指摘したところ、どこか子会社は無いかという話になった。すなわち、子会社に投資してコンパウンド工場を建てれば、現在社外からコンパウンドを購入しているのと同じで、コンパウンドの試験だけで済む、とセンター長が知恵を出してくださった。
 
結局、PPSと6ナイロン、カーボン系の処方は、科学的に開発が困難でどうしましょう、という会議が、子会社にコンパウンド工場を建てましょうという結論に至り、当方のサラリーマン最後の仕事の舞台環境は整った。あとは、役者を揃えることである。
 
この会議の一番の収穫は、センター長が是非成功させたい、そのためにはできることは何でもする、と言ってくださったことだ。トップの固い決意があれば、それだけで成功確率は50%を超える。そして、マネージャー以外の担当者も成功することだけを考えているので、あとはどのように演じるかである。成功を確信した。

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2016.02/08 21世紀の開発プロセス(18)

新事業開発や研究開発のプロセスで必ず成果が出る方法があれば、誰でも知りたいだろう。特に企業でその任にある人は、具体的なメソッドをお金を出してでも、と考えておられるかもしれない。弊社の販売している研究開発必勝法は、一応その候補になり得ると考えているが、それでも70%以上の成功確率を約束できない。
 
理由は、企業風土や職場の風土、組織の問題、ヒトの問題などメソッド以外の要因が開発プロセスの成否の50%以上を占める(注1)と考えている。この問題の一般化は、研究開発必勝法に盛り込んだ一部の状況を除き、すべてを普遍のメソッドに落とし込むことは困難だと思っている。逆にこの問題についてパーフェクトの解が得られたら(会社あるいは組織の特性を熟知しなければ開発の成功確率は100%にならない)、失敗の可能性が99%以上ある仕事でも成功することがある。すなわち成功確率1%に賭ける常識外れな人物が社内から現れれば、そのようなことが起きる。
 
PPSと6ナイロン、カーボンからなる半導体無端ベルトの押出成形技術は、まさに失敗確率100%に近い仕事だった。外部のコンパウンドを購入して進められていたそのテーマ(すなわち、外部のコンパウンダーに問題解決能力が無ければ100%失敗するテーマである)は、科学的に技術開発を進める優秀なコンパウンドメーカー(注2)のバックアップもあり、簡単に成功するかに見えた。
 
しかし、無端ベルトの抵抗偏差が5%未満という高精度の押出成形技術を押出プロセスの改良だけで進めるには無理があった。さらに、科学的に推定される無端ベルトの高次構造において、6ナイロンがPPSに相容しない限り、実現できない力学物性との強相関性という問題があった。ところが、6ナイロンがPPSに相容する現象は、科学的にフローリー・ハギンズ理論から否定される。
 
まさに、科学者からみれば100%失敗する仕事でありながら、実務担当者から見れば何とかなりそうという矛盾に満ちたテーマであった。
 
この実例では、写真会社とカメラ会社という異なる企業風土の会社の合併直後であり、押出成形技術を担当していた現場の技術者がおよそ科学的な仕事を敬遠するカメラ会社のメンバーで構成されていたことが幸いしている。彼らは、必ず成功すると信じて仕事を進めていた。また、センター長はカメラ会社の出身者であり、金型の専門家でいわゆる徳のある人物だった。
 
周囲の管理職も材料に詳しい人材がいないことも成功の一因だった。唯一注意が必要だったのは、同じ写真会社出身だった部下のマネージャーで、彼は科学的に手堅く仕事を進めたいという人物だった。
 
(注1)例えば、モノができても投資タイミングが種々の理由で遅れ、事業機会を失う、ということが起きる。投資タイミングを決めるのは経営者である。経営者にはいろいろな方がおられる。
(注2)会社名は明かせないが、有名な企業の一つである。科学的に業務を進める、とは科学的に進められないプロセスの可能性について検討しない、という意味である。すなわち、科学的に仕事を進める問題の一つに、条件の検討漏れが発生する場合があるが、それに気がつかない人がほとんどである。現象が、すべて科学的に解明されておればそのようなことは生じないが、科学的に未解明な現象を取り込んでいるのに、科学的に不明な条件を安易に理解しているような条件と誤解する場合である。フローリー・ハギンズの理論をよく読んでいただければわかるが、中途半端な考え方程度の理論である。現象の説明に使っても良いが、現象から機能を取り出すときに、この理論を信用すると痛い目に遭う場合も出てくる。例えば、科学を信じていたコンパウンドメーカーは当方が工場を建てたために市場を失ったのである。技術者にとって科学は利用すべき道具であって、盲目的に信用すべき対象ではない。また、道具であるので、技術者自身も常に使えるようにメンテナンスに努めなければいけない。

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2016.02/07 21世紀の開発プロセス(17)

年末から年始にかけて、研究開発に関わる2つのショッキングな出来事があった。「あの日」の出版と、SMAPの解散騒動である。ベッキーの問題は、文化でも何でもない痴話話であり、この欄で取り上げるのは恥ずかしい限りだが、前者は研究開発部門で起こりうるごたごたのケースを、後者は新しい市場での価値共創が引き起こす問題の事例として参考になる。そして、両者共通しているのは、現場の中心人物の行動が大きく関わっている点であり、その人物の行動次第では、その後の展開にも大きな影響が出てくる。
 
まず、後者については、中心人物であるSMAPのマネージャーが芸能界を引退することで一応の終息となった。この知恵は、問題が発生した時の解決策として大切である。当方も、高純度SiCの仕事とは関係ない高分子の仕事を選び、古巣への貢献を行っている。当人が被害者であったとしても、問題解決に当たり貢献を軸にして何を守らなければいけないのか、を冷静に考えるべきである。SMAPの騒動もSMAPは解散せずとりあえず活動しているし、ゴム会社で異色の高純度SiCの事業も30年近く続いている。
 
前者については、論文捏造問題が発生した時に辞職し問題の終息を計るべきだった、と思われる。おそらく一切の責任をかぶることになっただろうと容易に想像でき、その時組織の人間の汚い行動で、辞職した人の名誉など踏みにじられたかもしれない。しかし、それにより優秀な研究者の自殺やその後の理研におけるSTAP細胞研究の方向が大きく変わったと思われ、歴史から見たときに十分な貢献を軸とした判断になっただったろう。
 
すなわち、早めに著者が辞職しておれば、STAP細胞について、自殺した研究者をリーダーにして細々と科学的な研究が進められた、と想像される。ゆえに自殺された研究者は著者に研究の将来を託す遺書を書かれたのだ。また、公開されたSTAP細胞の研究費に書かれていた報酬からすれば、十分にその責任を果たすべき報酬が税金から支払われていた。当方は著者の報酬よりも低い報酬で、創業者でありながら高純度SiCの仕事を失った。
 
この二例が示すように、研究開発や新事業開発においてどんな優れたマネジメントが行われようと、どんな優れたメソッドによるプロセスが開発されようとも、キーマンが正しい「働く意味」を理解していなければ、成果は意図しない方向に変わる。成果がすべて無くなる場合もでてくる。すなわち、いつの時代になっても、ヒトの問題は重要で、とりわけキーマンの教育指導は重要である。
 
「あの日」という本は、著者の性格が色濃く出ており、読み手により誤解を招くかもしれないが、事実だけを拾い集めると、真理を追究することが使命となる職場ならどこでも起こりうる流れが浮かび上がる。例えば、著者だけにネズミの扱いを指導してくれない、ノウハウを教えてくれない、ということは、特別な技能を有した研究者が陥りがちな独占欲の現れで、ゴム会社の研究所でも同様の状況は存在した。
 
電気粘性流体のプロジェクトに加わったときなど、具体的な作業以外何も伝えられなかったひどい状態だった。研究者の中にはどうしても成果を独占したいとか、機会あれば他人の成果も自分のモノに、というよからぬ考えを持ってしまう人物が出てくる。第三者が見ればよからぬ考えだが、その研究者は、真理以外何も見えていないので、悪事を働いている意識など毛頭無いのが困った点である。例えば、当方の成果を勝手に論文にまとめた国立x大の先生も急いで発表した方が良いからと、平然としていた。確かに見つかった真理を迅速に公開することは科学者の使命ではあるが。
 

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2016.02/06 科学者は知識労働者である(3)

科学者も技術者も知識労働者であるが、技術者に比較して科学者には知識労働者という自覚が無い人を見かける。技術者は、その姿勢において、お金が儲かりそうなモノを創り出そうとするが、科学者の中にはお金に無頓着な人もいる。
 
これは、技術者は自然界から人類に有用な機能を取り出すことが仕事だが、科学者は真理を追究することが仕事という働く時に扱う仕事の特性が影響しているように思う。科学者にとって真理は重要だが、その真理が直接人類に役立つかどうかはどうでも良いことなのである。
 
真理がそれほど解明されていない科学の黎明期の時ならばそれも許されたかもしれない。エジソンのような技術者が、次から次へと生みだされる真理からどんどん技術を開発していったので、科学者は特に働く意味が分かっていなくても社会へ貢献できた。
 
しかし、現代はTV番組の「トリビアの泉」のような無駄知識があふれているような時代である。新たに生まれる真理が何に役立つのか分からない時代になった。少なくとも科学者自身がその真理について社会への貢献の視点でマネジメントしない限り、その分野の周辺で仕事をしている技術者でさえ意味不明の真理があふれている。
 
科学と技術の関係において、車の両輪ということはよく言われるが、今やその車輪は独立懸架の時代で、科学者が、自分の生み出した、あるいは生み出そうとする真理を技術者へ理解できるように説明しない限り、技術者は、新たな真理を活用できなくなっている。
 
かつては、車軸でつながっていた科学者と技術者の分業体制で技術の発展ができたが、今や科学者が技術者と同じことを取り入れて実行しなければ、科学の生み出した成果で社会に貢献できなくなってきた。ヤマナカファクターはその象徴であり、その発見方法はまさに技術者の手法で行われ、現在iPSの研究と開発は科学者により進められている。
 
このような時代になると大きな問題になってくるのが、科学者が正しく知識労働者であることを自覚しているのかどうか、と言う点である。正しく自覚されておれば、その成果は人類に役立つものになり、科学者は貢献できるだろうし、少なくとも多額の給与を得ながら「あの日」のような本をかくような事態にはならない。講談社は科学の書籍を出版し貢献している会社、という自覚を持つべきだった。
 
 

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2016.02/05 清原逮捕

清原元野球選手が、覚醒剤所持で現行犯逮捕されたという。本欄で取り上げた理由は、昨晩のTV番組で、1年前の彼の心境が語られ、その内容が人生の目標喪失という問題だったからである。
 
彼にとって、野球という職業は何だったのだろう、と考えた。また、いい年をして、という印象をうけた。人生の目標やビジョンは、社会人になったら皆持つべきである。知識労働者であれば当たり前のことが、野球選手には常識ではなかったようだ。スーパーマンや特別な人でない限り、目標やビジョン、夢は必ず持つべきであり、また、これは、お金や才覚が無くても誰でも持つことが可能(注0)である。
 
昔は宗教が精神の支えとなり、人生を生きることができたが、現在は無神教の時代で日本人の精神的支えが無くなってしまった。檀家制度も崩れつつあり、坊さんの失業もあるそうだ。まだ坊さんの覚醒剤犯罪が起きていないので救われるが、昔のヒーロー、歌手飛鳥の事件がまだ記憶に新しい。
 
覚醒剤がどれだけ気持ちの良いものか知らないが、覚醒剤より、というよりも本当に気持ちの良い体験を一度でも味わえば、二度三度その体験をしたくなるのは、人間の習性かもしれない。ならば健全な、そのような体験を早い時期に若者にさせるのは、良いことかもしれない。
 
若者に限らず、誰でも気持ちの良い体験は喜ばれるかもしれない。当方は、高純度SiCの発明をしたときに、天にも昇る感動をした。黄色いその粉を見て、そしてなめてみて、言いしれぬ快感を憶えた。それからゴム会社の先行投資を受けたときに、同様の感動を、さらに6年間我慢し(いわゆる開発の死の谷を歩いた期間)、住友金属工業とJVの契約を締結できた瞬間は、卒倒しそうであった。
 
いずれの快感もどのように伝えたら良いのか、表現の方法が無い。覚醒剤による快感がどれだけのものか不明であるが、生理活性の無い黄色い粉が大変な快感をもたらしたことは確かである。この度重なる快感は、いずれも明確な目標を定めてそれを実現できたときに、しかもほとんど自分でも難しいと思っていたときに得られた快感である。
 
だから、目標やビジョンは、高ければ高いほど、それが達成されたときの感動は、ものすごいことになる。これは味わったものでなければ分からないかもしれない。そして一度味わうとやみつきになることも確かであるが、写真会社へ転職してしばらく忘れていた。
 
ゴム会社における高純度SiCの仕事が無くなった喪失感も影響したが、会社の目標管理で、自己の目標も達成可能な低い目標になっていったからだ。これは会社の風土も影響する。ゴム会社には高い目標や夢をもつような創業者の理念や風土があったが、写真会社にはそのようなものがなく、代わりに極めて気楽に過ごすことができた。これはこれで良い風土であり、平々凡々幸福な日々が過ぎた。
 
再度ゴム会社同様に高い目標を設定したきっかけは、豊川へ単身赴任することになりがっくりきたときに頂いた、元無機材質研究所副所長の手紙だった(注1)。いつかこの手紙の内容は公開したいが、手紙を読みながら自然と涙が出てくる感動的な内容だった。その忘れた頃に届いた手紙のおかげで、再度高い目標を設定(注2)し、それを実現できて心臓発作でも起こしそうな快感を味わった。年をとってからの度を超した快感は命を縮める危険があるが、高い目標やビジョンを設定して生活することは、宗教を喪失した人間にとって大切なことである。
 
(注0)弊社ではそのための研修コースも用意しているので問い合わせていただきたい。目標やビジョンと言っても難しいものではない。一年先の目標を毎年立てるような生き方でも良いのである。一日先でもかまわない。当方も長期的目標と短期的目標を整理している。そして、夢は100歳まで元気に生きることである。若い人には分からないだろうが、50歳を過ぎた当たりから、健康の問題が幸福の重要課題となる。そのための準備を怠っていた当方は、早期退職をして最初に心がけたのは、体力を取り戻すことだった。「若さ」はかけがえのない宝であることをつくづく思い知った。
(注1)副所長には、社交辞令程度の年賀状しか出していなかった。当然当方の状況などご存じなく、東京の自宅に手紙が届いた。聖人とはこの副所長のことを言うのだろうと思われる手紙だった。そしてその手紙は「あの日」の真実を書いた手紙だった。やはり、「あの日」というタイトルは読み手にその回想が感動を与える著作物に付けて欲しい。
(注2)会社の方針目標とは別に、フローリー・ハギンズ理論にそぐわないPPSと6ナイロンの相溶や、カオス混合の発明を目標に設定した。いずれも博打に近く、実現がほとんど難しい目標に思えたが、生活に柱ができ、仕事も誠実に真摯に貢献だけを考え推進できた。不思議なのは、担当していた仕事が目標へ向かって動いている感覚あるいは幻覚があったことだ。覚醒剤に近いと思われるこの感覚に支えられて、カオス混合を実現した工場まで袋井に作ることができた。気がついたときには成果が出て、普通に仕事を進めていたら失敗していたテーマを成功させて、会社に十分な貢献ができた。

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2016.02/04 科学者は知識労働者である(2)

エジソンは19世紀の技術者で、天才であるとともに奇人としても知られている。しかしエジソンの弟子アチソンについては奇人と言う話は伝わっていない。SiCがエジソンの発明であることは偉人伝にも書かれているので、エジソンとアチソンの師弟関係は良好だったのだろう。αSiCの製造方法がエジソン法ではなくてアチソン法となっていることからそれが伺われる。
 
おそらくエジソンは自分の指示で実験をやらせていたアチソンの成果として認めたのだろう。当時の発明でエジソンによるものとされる品々は多いがアチソンによるものについて当方はSiCしか知らない。SiCの発明の逸話は有名で、ダイヤモンドを人工合成したかったエジソンは、ダイヤモンドは炭素でできており、高温度でダイヤモンドができる、という科学の知識を得ていた。そして、るつぼで炭素を加熱していたら偶然ダイヤモンドのような硬い物質ができたので、コランダムをもじってカーボランダムと名付けた。
 
コランダムに似た名前を付けたのは、カーボランダムが大変固い物質だったからだ。恐らく実験をやっていた時のアチソンの頭には反応式ではなく$マークが浮かんでいたと思われる。カーボランダムは後にSiCであることが明らかにされたが、使っていたるつぼがシリカ製であったことが幸いした。アルミナだったならSiCよりも柔らかい物質となっていた。
 
エジソンがダイヤモンドを作ろうとして偶然SiCを発明した話は有名で、当方は小学校の時からカーボランダムを知っていた。ただ、それが弟子のアチソンによる発明であることを知ったのは、大学でアチソン法を習ってからである。カーボランダムの発明物語を読む限り、エジソンもアチソンも科学者ではなく技術者である。
 
高温に加熱すると硬い機能を持った物質ができる(注)、という古典的知識と、ダイヤモンドがカーボンでできているという知識を組み合わせて人類に有用な新しい研磨剤を創りだしたのである。また、新しい知識を獲得しその利用の仕方も知っていたので知識労働者でもあった。科学の時代の技術者や職人は多かれ少なかれ科学の知識に触れそれを活用するので、皆知識労働者である。(続く)
 
 

(注)セラミックスの語源であるケラモスは高温度で焼き固めたモノという意味である。

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2016.02/03 科学者は知識労働者である(1)

科学という哲学を追究する研究者は、知識労働者である。自然現象について、その真理を明らかにするために研究を進める作業ほど面白い仕事は無い。新たに見出された真理からさらに新しい真理が生まれる。その見つけ方のコツがわかると、次から次へと真理を見つけ出すことができるようになる。そして、夢中で未知の自然現象のリベールを行うようになる。
 
ただし、自然界は無限のマトリョーシカであり、この作業は恐らく永遠に続けなくてはならない。物理学の素粒子論を見ればわかる。物質が何からできているのか、を追求していくこの学問で、かつて物質は原子と電子でできているとされた。その成果を利用して成立したのが有機電子論で、それまで錬金術師の流れをくむ職人の世界であった有機合成反応の仕事を科学者の仕事に引き上げた。
 
その結果石油化学の分野は著しい発展をして、その科学の成果を活用し数多くの技術が短期間に生まれた(科学は技術の発展を加速させた。)。また、その新たな技術を利用し、石油化学に携わる科学者は、自然界に存在しない化合物まで生み出すようになった。有機化学だけでなく無機化学の分野も同様に科学の成果を活用し急速な進歩を遂げた。
 
このような電子論に基づく化学が著しい進歩をしている間に物理学者は、原子の中を覗くようになり、原子を構成する素粒子を見つけた。そして見出された素粒子の中をどんどん細かく調べる作業を続け、その作業は現在も続けられている。その過程で日本でも新しい原子を見つけるという成果も生まれているが、この原子が人類にどのように役立つのかは誰もわかっていないらしい(科学は、必ずしも人類に貢献しないかもしれない)。
 
ところで化学は科学の進歩により、錬金術から脱却して科学の一分野となったが、その後科学者だけの努力により発展が続けられたわけではない。技術者も科学の成果を横目で見ながら科学の発展に貢献している。例えば発明王エジソンである。彼は、技術者であるとともに優秀な経営者でもあった。数々の発明で得られた資金でGEを創業している。
 
エジソンの成果はこれだけではない。弟子のアチソンを指導育成し、自然界には存在しなかったSiCという化合物を発明している。このSiCは、科学の時代に科学的に生み出された化合物ではない。あくまでも技術的に創られた化合物で、後年、科学的に解析されてSiCであることが分かり、工業生産されるようになった。そしてその方法はアチソン法として知られ、現在でもSiC生産の一つの方法となっている。(続く)
 
<補足>エジソンは、数々の発明で直接の成果を出しただけでなく、アメリカを代表するGEを設立し、価値への取り組みを行っている。さらにアチソンなどの人材を育成するなどドラッカーの提唱する組織に必要な3つの領域における貢献を行っている。単なる発明王という肩書だけでなく優れた経営者でもあったと思われる。

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2016.02/02 「働く意味」について

「あの日」を読んで最も気になったのは、理研の研究者も知識労働者であることを著者は理解していたのだろうか、という点である。しかも国民の税金から給与が支払われているエリート労働者であることを。
 
文章から自己実現意欲は理解できたが、「働くこと」のもう一つの意味である貢献については、読者である当方にはあまり伝わってこなかった。また、自己実現にしてもそのための努力を正しく行っているかどうか、不安になった。
 
貢献と自己実現が知識労働者の働く意味であると言ったのはドラッカーだが、今や常識になっている。企業の就職面接では、この視点からの質問が必ず出される。しかし、ドクターコースまで学んだ著者の本からそれらが正しく伝わってこないのは、大学までの教育で学んでこなかったのかもしれない。
 
もっとも、当方が「働く意味」を知ったのはドラッカーの著書からであり、誰かに教えてもらったわけでもない。また、サラリーマンを卒業して日々この言葉を意識し働くことも無くなった。常識として、自然に貢献と自己実現に努力している。
 
この「働く意味」は、組織人として悩んだ時に問題解決で便利なことが多い。特に貢献については、そのベクトルを正しく位置づけることにより、悩みの解決が可能になる。また、かつて実施した部下のコーチングではヒントを考える時に、この言葉が重宝した。
 
もし「あの日」が働く意味をよく理解して書かれた本だったならば、もう少し面白い本になったかもしれない。また、著者しか知らない真相で書かなければならないことも明確にされたと思われる。研究者になりたい意欲は十分に伝わったが、その為に行った努力や、研究者としての貢献の方向が著書を読んで伝わってこなかった。
 
エリート研究者であった著者が「働く意味」を理解していないのなら、多くの大学生もその可能性が高い。大学教育で科学者の倫理も指導していると言われているが、「働く意味」についても正しく理解できるように指導する必要があるのではないか。
 
<補足>日々仕事が決まっている人でも「貢献」と「自己実現」の観点で仕事を見直す習慣をつけておくと良い。また役職者でも、「貢献」を軸に仕事を考える習慣を実践すべきである。とかく権限に目が奪われるが、権限から仕事を定義すると成果が小さくなる。技術職の管理者は、部下のスキル不足を補うことも大切な仕事であるが、指導育成と称して叱咤激励ばかりしている人がいる。時には「やって見せる」ことも重要な仕事である。以前中間転写ベルトの開発で、「素人はだまっとれ」とコンパウンドメーカーの営業担当から言われ、テーマの失敗を確信した時、自らコンパウンド工場を建設することを決意した。この時どのような貢献の仕方が最良であるか考える余地は無かった。業務を正しく理解している人、あるいは問題を正しく捉えている人は、当方しかいなかった。また組織内外の調整時間も無かった。短期間に業務を成功に導くためには、自らが動き、現場で肉体作業までやらねばならなかった。貢献を考える時に、地位や権限を中心にするとこのような決断ができない。また、最もわかりやすい貢献は直接の成果を上げることである。直接の成果を上げられない組織は、やがて整理される。価値を高める方法や人材育成も組織の欠かせない貢献方法であるが、直接の成果は特に重要である。
 

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2016.02/01 「あの日」を読んで(3)

この本を購入して真っ先に読んだのは、「第12章、仕組まれたES細胞混入ストーリー」である。この一章を読むだけでこの本の価値が決まる、と考えたからだ。しかし、一番大切なことが何も書かれていないのである。
 
STAP細胞で作られたとするネズミが、実はES細胞で作られたインチキだった、というのが公知情報であるが、その真相は書かれず、誰がどうの、彼がこうの、という話に終始し、結局ES細胞混入の真偽は不明と結論されているのだ(補足)。彼女が真偽は不明と書いたなら、誰も真相はわからない。ES細胞盗難事件を受理した警察ではどのように扱うのだろう。
 
少なくとも、「私がインチキをしました」とは書かないだろうと想像しながら、混入させた犯人は、とドキドキしながら読み進んだら、真偽は不明となっており、がっくりきたのである。STAP細胞騒動に関心のあった人ならば、誰もが興味を持っていた事件なので、この部分で真相を明らかにしなければならないはずだ。このことから、発売されるや否やこの本を購入したことを後悔した。
 
さらに、あたかも彼女を罠にかけたように書かれているが、彼女を罠にかけようとしたかは不要で、重要なのは先に書いたようにネズミがSTAP細胞由来ではないインチキだったかどうかの一点である。この大事な疑問に対して、せめて真偽の結論だけでも推定でよいから書いてほしかった(誰かの管理の問題では答になっていない)。
 
この本の出版について、講談社は、彼女の手記に手を加えず原文のまま出版したという。果たしてそれは正解だったろうか?全体はまさに暴露本というよりも、書きたい放題の悪書である。この本に実名で書かれた人たちは迷惑しているに違いない。少なくとも大手出版社ならば、著者にアドバイスをしても良かったのでは、と思われる部分が多い。
 
もし著者の知名度や事件の大きさから、手をかけなくても売れるだろうと出版社が安直に考えてそのまま出版したとしたら大きな問題である。講談社ならば書籍の果たすべき社会的役割を考えて出版して欲しかった。いったいこの書籍から読者は何を読み取ればよいのだろうか。
 
当方も自由にこの活動報告を書いているが、少なくとも若い読者へ、若い技術者に実践知と暗黙知を伝えたい一心で書いている。人生には美しい部分(注)もあれば、醜い部分もある。醜い部分については、自分の恥とも思われる体験も書いている。若い人に少しでも失敗を避けていただきたいからである。
 
(補足)探偵小説でも映画でも最後のシーンを話すことは御法度である。若いときに職場で見てきた映画の話をして、よくひんしゅくを買ったが、「あの日」という本では、最後の結末がよく分からない本なので何を書いても大丈夫だろうと思っている。よく分からないのは当方の頭が悪いせいかもしれないが、読後感として「よくわからんなー」というのが感想である。田崎つくるの巡礼の旅は、最後のシーンでそのストーリーがよく分かったが---。
http://wamoga.blog.fc2.com/blog-entry-109.html
には、読後感として一つの仮説が述べられている。当方の頭が少しすっきりしたので紹介しました。著者もこのブログのように書いてくれるとありがたかった。このブログによると、当方は第三者による偽装にまんまと騙されていたことになる。このブログの仮説が真ならば、この「STAP細胞」事件は、まだまだ続くと思われる。しかし、一般の人にこのブログのように理解せよ、と言うには少し無理がある。STAP細胞の存在を信じている当方でさえ、第三者の偽装を真と信じていたのである。ゆえに書かれている内容と自分の理解に矛盾があり、頭の中に雲状態だった。ただし、本当に偽装だったなら、この第三者は科学者として失格である。また、現在訴えられているES細胞盗難事件の裁判は、前代未聞の科学裁判になる可能性があり、科学とはなんぞやというカラマーゾフの兄弟のような小説が生まれそうな気がする。
(注)高純度SiCの発明にまつわるとっておきの美しい話がいくつかあるが、まだそれは公開していない。あまりにも美しすぎる話だからである。聖人と呼びたくなる人物が関わっており、人生のどん底状態で、突然風の便りをくださったりして精神的に助けていただいている。人生に一人でもこのような方がおられると、思い切ったチャレンジが可能となる。

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