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2016.06/14 配合設計(たとえば難燃性樹脂)(2)

機能性材料の構造と機能の相関性について技術開発経験を重ねると、多機能の高分子材料を処方設計する時、最初に製品品質を創り込める構造を設計し、それを実現できるプロセシングを選択する、という手順で行うようになる。
 
 さらに達人になれば、ソフトウェアー開発に採用されているアジャイル開発と同様に、いきなり多機能高分子材料を組み立て、市場に投入する荒技を使う。
 
 アジャイル開発とは、市場の中で製品を創り上げてゆく開発手法である。機能性高分子材料については、20世紀に多くの特許が出願されており、機能を創出する手段や方法の情報が多数公開されている。
 
 すなわち、機能性高分子について、その機能実現の手段や方法が多数の情報のおかげで分かっているので、特許に抵触しないようにシステムを設計し、材料の処方をいくつか組立て、とりあえず造った材料をユーザーに評価してもらい、ニーズに最も近い材料を選択する、という手段を採ることが可能となる。
 
 そして、選択された材料についてタグチメソッドで最適化、という手順で開発すれば、新材料を容易にかつ迅速に創出できる。このような開発手法がアジャイル開発である。
 
 中国の某ローカル企業をこの手法で指導したところ、UL94-V0に合格する新規の熱伝導性ポリマーアロイを3ケ月で実用化できた。さらに同時に開発を進めた光散乱樹脂では、半月の工数というスピードでお客様に採用されている。
 
 この二種類の新材料開発において、UL94-V0の認証取得までの期間が最も長かった。光散乱樹脂の開発では、あらかじめ熱伝導性ポリマーアロイの開発スタート時に、この材料と一緒に、ほぼ本命となる仮配合でUL申請を行い、熱伝導性ポリマーアロイの開発を終了してから、光散乱樹脂の開発を始めている。その結果、光散乱樹脂の開発が完了した時に、熱伝導性ポリマーアロイと光散乱樹脂のUL認証を同時に受けることができた。
 
 この途中段階では、光を散乱するために添加しているシリコーンビーズの大きさや量の最適化をお客様に協力していただき、開発速度を速めている。
 
 ここで重要となってくるのは評価技術で、市場投入時に大きな問題が起きないことを開発初期に実験室で確認できるレベルが要求される。
 
 アジャイル開発を行う場合でも旧来の手順で開発する場合でも、処方設計技術と同様に物性評価技術は重要である。19日から難燃性評価技術を取り上げ、その処方設計手法と評価技術について説明する。

カテゴリー : 高分子

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2016.06/13 配合設計(たとえば難燃性樹脂)(1)

 機能性材料を設計するには、セラミックスや金属であれば、その機能を持った結晶構造を選択するところから始まる。例えば、ペロブスカイトは高誘電体あるいは圧電体などの性質を持った化合物群で、各種機能材料を設計するときに利用されている。
 
 このような構造と機能との関係を備えた材料について、金属やセラミックスの教科書を見ると、強相関物質という言葉が使われている。例えば銅のような導電体では、その結晶構造を構成する原子の原子間距離が変化したとき、それに相関して導電性が変化する現象が観察されており、ここから強相関物質という概念が生まれている。
 
 この材料の構成因子と機能が相関するという概念は、機能性高分子材料を取り扱うときにも重要で、2000年前後に強相関ソフトマテリアルという言葉が生まれている。ゆえに機能性高分子材料の開発では、目標とする機能と相関する因子を材料に創り込む考え方で設計を行う。
 
 例えば、導電性材料を高分子の一次構造で実現したいならば、ポリアセチレンやポリアニリンにドーパントを組み合わせた設計になる。高次構造で実現したいならば、絶縁性の樹脂に導電性フィラーを添加するシステムを選択して材料設計を行う。
 
 前者ではロバストの高い導電性を容易に実現出来るが、後者では導電性フィラーの分散状態で引き起こされるパーコレーション転移という悩ましい問題がつきまとう。しかし、大半の高分子は絶縁体なので、後者をうまく使いこなす技術は重要である。
 
 ところで、機能性高分子材料を電子部品に適用するときには、電気的機能以外に難燃性という機能も多くの分野で必要となる。
 
 燃えやすい高分子材料を燃えにくくするためには、難燃性のフィラーもしくは難燃剤を添加しなければいけないが、材料の難燃性機能と難燃剤あるいは難燃フィラー添加量との間にも相関性が現れる。

カテゴリー : 高分子

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2016.06/12 火遊びにアカハラ

円楽師匠の不倫が騒がれている。記者会見の答弁では最近の不倫答弁とは異なり、ある意味開きなおって堂々としていた。おまけに昔は芸人として当たり前のことだと言わんばかりの言い訳も---。
 
福島原発の騒動の最中にもスポークスマンだったN審議官が怪しい報道で交代になった。その後ワイドショーでは執拗な追っかけが始まり、本人も帽子をかぶりマスクをして通勤をする姿などが映し出されていた。少しかわいそうな気がした。男女の色恋沙汰は燃えるという連想から火遊びという言葉が生まれたらしいが、マスコミの対応も異常な加熱ぶりである。
 
不倫は文化だ、と訳の分からないことを言った役者もいたが、今の社会は円楽が記者会見で述べていたように時代がかわったのである。すなわち社会があらゆる人にモラルを求めるようになったのである。
 
モラルだけではない。優しさも今社会全体で求められている。社会とはドラッカーが指摘しているようにその時代の人間が創り出してゆくもので、具体的に初めから存在するわけではないのだ。社会の無い暗い時代も歴史には存在した。また現代でも社会の存在しない地域がある。
 
パワハラはかなり昔から存在した言葉だが、最近出てきた言葉にアカハラがある。最初この言葉を聞いたときに赤ハラだと思った。火遊びのニュースの次に報じられたニュースで聞いたためだが、「火=赤」という連想で誤解した。ニュースを聞き終わってアカデミックハラスメントと知った次第である。
 
理研所長は大学教授時代に鬼軍曹という異名を取られるぐらいの教育熱心で厳しい先生だった。今ならアカハラと糾弾されてもしかたがない先生は鬼軍曹以外にも多数在職していた。40年前の大学は、大学紛争がおさまり研究に教育に先生方が燃えていた頃で、一方でそのような先生方を民主化の名の下に批判する人たちが少しずつ大学に増えてきた時代でもある。
 
当方は4年生に進学するときにじゃんけんで負けて厳しいという評判のため人気の無い講座へ進級したが、今の人生からこの時代を思い返すと生き方の原点となる選択だった。有機金属化合物の合成研究がテーマだった。また、極めてアカデミックな講座で科学の王道を教育された。
 
教師にでもなるつもりで第二外国語の単位を取らずに4年に進級したが奨学金を準備するから大学院へ進級しなさい、と言われただけでなく、教授によるドイツ語のマンツーマンの授業が毎朝8時から始まった。雑誌会にはドイツ語の論文と、ドイツ語を理解していない生徒に対してほとんどイジメである。おかげでドイツ語は満点に近いなど想定外の成績で大学院に合格したが、ただこの時のアカハラが無ければ今の技術者人生も無かったのだろうと思う。

カテゴリー : 一般

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2016.06/11 桝添都知事の飛び火

東京都知事の公私混同ぶりが飛び火し、各企業内の公私混同がネットで話題になっている。写真会社に転職してびっくりしたのは、他社から転職された年配の方が目に余る公私混同ぶりを発揮していたことだ。
 
例えば、出張で羽田空港を使うに当たり自宅からタクシーで向い、当方は電車で行ったところを飛行機で出張されていた。飛行機を使った理由は話されなかったが、寄り道をされていたことは、会社への出張旅費請求内容から読み取れた。
 
これは序の口で、会社のノートPCを自宅へ持ち帰り、地方で下宿している息子へそのPCを使用させていた。当時はMS-DOSの時代であり、FDベースでPCを使うことが多く、ノートPCで機密が漏れることはなかったが、棚卸しの時にその実体がわかり問い合わせたら、紛失で処理できないか、と呆れる回答をしてきた。
 
おそらく転職前の会社でも相当の公私混同の常習者だったろうと思われたが、およそゴム会社では想像のできない感覚だった。これはしつけのたぐいだと思う。企業内で文化として公私混同を許さない風土であればこのようなことは起きない。
 
転職した写真会社もゴム会社同様に公私混同に対して厳しい会社だったが、少しゆるいところもあった。それもあり、この年配の方がしつけられず野放し状態だった。
 
公私混同の厳しい会社でしつけられたおかげで、一番良いと今でも感じているのは、専門書を自腹で購入する習慣だった。昔自腹で購入した専門書が資本として今の仕事に活かされている。高価なCMCや某セミナー会社の書籍も多数ある。ちょっとした財産だ。
 
学生時代に某会社から大学教授として赴任された方がおられ、その方の部屋を見てびっくりしたのは本が少なかったことだ。前任者の教授の使っていた書棚は空っぽであり、この先生大丈夫かと真剣に心配した。
 
その先生曰く、専門書は会社の費用で買っていたので全部会社においてきました、と言うことだった。その公私混同をしていない立派な回答に感心するとともに、がらんどうの教授室を寂しく感じた。学生だった小生の方が、その先生よりもたくさんの本を所有しており、それも当時少し話題になった。
 

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2016.06/10 科学の方法(3)

KKDという言葉は、いつの時代から誰によりどのような意図で考え出されたのか知らないが、「形式知と経験知でDo」と教えてくれたのは、新入社員時代の指導社員である。大学の教養部の哲学の時代に、形式知と実践知(経験知)、暗黙知の3つが知の形態と習っていたので、暗黙知が入っていない点を質問したら、新入社員だから暗黙知が無いだろう、という回答があり納得した。
 
しかし、KKDは、一般に「勘と経験と度胸」の略として使われている。ゴム会社に入社したときに現場の職長さんからKKDを教えていただいたときにもこの意味だった。ゴム会社では開発部門でもKKDという言葉がよく聞かれた。
 
おそらく指導社員の意図は、彼の経験知を伝承するから、科学の知識と一緒に用いて仕事をやれ、と言いたかったのだと思った。なぜなら、技術を科学の知識だけで開発するには無理がある、というのが彼の口癖だった。
 
ゴム会社の社内風土にもこの考え方は生きていて、新入社員の半年間の実習の間に営業実習や開発実習も含め、約5ヶ月間の現場実習が行われている。そして、技術職に対して生産現場である工場の実習が2ケ月間義務づけられている。
 
アカデミアの世界からいきなりこのような長期の現場実習で会社がいやになる人もいる。当方もその一人だったが、同期でこの期間に退職したのはたったの3人である。一人は6ケ月間の実習を終え、配属が決まる直前に退職している。
 
その彼は、「この会社には技術という物が無い」といって去って行った。当方の印象と真逆である。当方は工場実習で科学と技術の違いを感じ、開発部門の実習成果を発表するプレゼンテーションにおいてS専務から技術という物を明確に指導された。ゴム会社には科学で説明がつかない技術が現場にいっぱい転がっていた。また、研究所以外の製品開発部門では科学よりも技術の方法が重視されていた。
 

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2016.06/09 科学の方法(2)

KKDをバカにしてはいけない。KD(勘と度胸)だけの場合は当方も疑問を持っているが、経験知(実践知)を重視し、科学の情報を活用し、うまく勘を働かせて技術開発を行うならば、KKDは企業で許される方法だと思っている。
 
すなわち、KKDのKの意味が科学の情報(K)と経験知(K)であり、DがDOの時には、効率的な技術開発ができる。ここに暗黙知(A)が加わり、KKAD(形式知、経験知、暗黙知でDO)となれば、理想的な技術開発方法だ。
 
科学と疑似科学の境界問題について解が得られているかどうか知らないが、20世紀末のビジネス界において歓迎されたロジカルシンキングは、むしろその境界を著しく不明確にしたように思う。ロジックでごまかす輩も現れた。
 
例えば燃費不正問題はその典型であり、いくら科学的に正しく測定されたとしても規格の手順通りでなければアウトとなる愚直な考え方がないがしろにされた。おそらく、規格通りでなくても規格値同様の結果が得られる、と説明がロジックにより正当化されていた、と思われる。
 
現代のビジネスの現場では、大局的にみればおかしな結論になっても、ロジック(屁理屈)をつなげてあたかも正しいような議論を展開し説得するようなシーンが時々見られる。研究開発の現場も同様で、ロジックさえ正しければすべてが正しいような誤解がある。
 
技術開発では、まず機能が正しく動作することが重要であり、そのロバストを高めることが重要課題となる。機能が仮に科学で裏付けられてなくてもロバストが高いならば、それはりっぱな技術のはずであるが、高純度SiCの技術は、当初研究所で受け入れられなかったばかりでなく、日本化学会で最初の発表をしたときに、不完全な研究と非難された。
 
本来学会の場は議論をする場であって、成果を否定する場ではないはずである。しかし、新しい現象の提示とそれから導かれた無機反応の均一性が議論されることなくKKDで見出された前駆体技術を全否定されたのは悔しい思い出である。学会賞を受賞するまで10年以上かかった。そして、その時には審査員になっていた。

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2016.06/08 科学の方法(1)

イムレ・ラカトシュ「方法の擁護」ほど当方を力づけた本はない。この書は科学の方法論について論じた歴史的名著となる一冊に違いないと思う。また、同時にこれから蒸し暑く眠れない夜のお伴としてついて行くのに良い本である。数ページで深い眠りにつける。
 
日本では、1970年代に研究所ブームだった、と言われている。1970年末に就職したゴム会社には、その名残があった。ゴム会社の研究所には、ゴム合成会社を設立するような成功体験があり、科学的方法が、業務を進める上で強く求められた。
 
そのような環境で、レオロジストの指導社員に出会ったのは救いであった。科学的方法論に対して斜に構えていただけでなく、ご自分の専門領域に関しても自虐的に10年後にはゴム材料分野で使われなくなる、とつぶやくのが習慣だった。
 
写真会社に転職後、ビックリしたのは、仮説を立てて業務を遂行するように、と科学的に業務を進めることが強く求められていた。ゴム会社では研究所がそのような環境だったが、研究所以外の部署ではKKDが否定されることなく許されていた。しかし、写真会社は全社一色科学色に染まっていた。
 
郷に入ったら郷に従え、とばかりに、科学色をギンギラリンに塗り、学会発表も並行して行いながら業務を行った。若手部下が日本化学会から講演賞を受賞したり自らも二つほど賞を頂いた。しかし、左遷され、豊川へ単身赴任してからは、思い通りに仕事を進めた6年間だった。
 
そこでは、科学のパロディーの仕事と、KKDの仕事を並行で進め、KKDで成果を出している。ただし、周囲へのプレゼンテーションは科学で行うというサービスは忘れなかった。この6年間で確認できたのは、科学的方法の非効率性である。
 
科学は確かに現代技術の発展を加速させた。しかし、科学の情報があふれている現代においては、KKDは異常なスピードを提供してくれる。ちなみに、それは、基盤技術0の環境において提案から稼働まで半年でコンパウンド工場を建てられたほどのスピードである。この工場は退職まで不良率0で稼働している。
 
21世紀になり科学に問題を提起している事件が相次いでいる。STAP細胞の騒動はその代表であり、そのほか、15歳の少年がマヤ遺跡の発見をした事例も考古学者の科学的姿勢の問題を浮き彫りにした。あまり騒がれなかったが、iPS細胞のヤマナカファクター発見の手法は、優れた非科学的方法だった。
 
 
    

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2016.06/07 テクノ失業

AIの普及により労働者が職を奪われる現象をテクノ失業と呼ぶらしい。技術革新が進み、その結果労働市場が激変する体験を人類はこれまで何度も経験している。
 
当方はテクノ失業の問題を暗い側面としてとらえるのではなく、人間の特性を本当に活かすべき時代になってきた、と捉えている。
 
例えばいくら人間型ロボットが普及したとしても、レジ係のすべてがロボットに変わるとは思えない。人間でなければ勤まらないレジ係も存在する、と思っている。
 
近所の大手スーパーでは、かなり以前から無人レジと有人レジの両者で運用しているところがある。その様子を見ていて、すべてが無人レジに変わることはないと確信した。
 
レジ係だけではない。一見ロボットに任せても良さそうな仕事でも「任せてはいけない」仕事や、ロボットでは「効率が落ちる」仕事が存在する。このような仕事は、AIが普及しても残ってゆく。
 
面白いのは、多くのテクノ失業を扱った記事ではこのような見方をせず、十把一絡げに単純労働や論理プロセスの仕事がAIに置き換わるとしている。
 
歴史的に技術革新により労働は機械に置き換わっていったが、機械でもできそうなのにあえて人間が行っている仕事が今でも残っている。そしてそれらの仕事で生み出される製品はそれが付加価値として差別化されている。
 
このことからAIが普及することにより職を失う人が出てくるが、職を失わないための努力というものも存在するはずだ。AIが普及する前にその努力をすれば、一時期に大量失業というブルーな時代を回避できると思う。
 
また、その昔手塚治虫の漫画の一コマにロボットではとんでもないことになる状況が描かれていた。すなわちアンドロイドでも良さそうなシーンが展開され、その分野も高度な知能を持ったロボットに置き換わるような錯覚を読者に持たせ、最後に電池が切れとんでもないことが起きる、というオチである。どうして急に電池が切れたのか。手塚漫画特有のギャグで、面白いのは、それがありうることだからだ。どのようなシーンかはここに書けない。

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2016.06/06 就活塾

悪徳の就活塾が話題になっている。また、就活塾にのめり込み、留年した学生がいるという。驚くような話がネットニュースで話題になっている。
 
実は3年ほど前電子ブックサイトを運営していたときに、就活生を対象としたセミナーを1000円で公開していた。悪徳の就活塾が30万円や40万円、高いところになると100万円という入塾料を取っていることを考えると格安セミナーである。
 
しかし、売れたのは2冊。さっぱりだった。販売促進のために都内の大学の教務課の門戸をたたいたが、就活セミナーには学生が集まらないという。大学側が外部講師を呼んで無料セミナーを開催しても、学生が集まらず、講師に悪いから3年生や2年生に声をかけて集まってもらっているような状態だと言われた。
 
ところが、今、うん十万も費用を払って、学業も放り出して参加するような時代になったとでもいうのか?びっくりしている。もしこの欄を若い学生が読んでいたなら、弊社に相談して欲しい。3年前のセミナーを10,000円で販売します。
 
3年前1000円だったのをなぜ10000円に?という疑問がわいた方のために一言。世の中値段が安いために価値が低いと判断される方が多いからである。また、3年前はクラウド上で運営していたので1000円だったが、今回はダウンロード版でコピー可能である。
 
また、無料で個別相談にも応じるサービスも考えている。これはメールになるが、受験したい企業の相談や学生の強みを聞いて本人にとってためになるアドバイスをしたいと思っている。とにかく訳の分からない高額な就活塾に入塾するぐらいなら、弊社のインフォメーションセンターに問い合わせていただきたい。就活のご指導を致します。このサービスは、弊社の社会貢献の一環としての出血サービスです。
 

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2016.06/05 科学の知識(7)

粘弾性論は、科学の知識がどのようなものか、その姿を学ぶのに良い事例だと指導社員は語る。すなわち、ゴム物性を理解するために粘弾性論を適用して多くの現象を説明できるが、説明のできない現象も存在する。おそらく10年後には粘弾性論で高分子を議論する人はいなくなるかもしれない、と予言されていた。
 
90年代にも粘弾性論で学会発表をされる先生もおられたので、この予言ははずれたが、高分子と粘弾性論という学問との関係を理解するのに指導社員の説明は役だった。
 
しかし、大学で学んだ高分子の知識は合成が中心で、レオロジーに関しては、言葉が一行出てきた程度だった当方にとって、指導社員の朝の座学は新鮮で貴重な体験だった。また、実際に樹脂補強ゴムの開発を進めながら、そこに粘弾性論が展開され、一方で指導社員特有の科学の知識に対する自嘲気味のコメントが、知的欲求を刺激した。
 
おそらくこの時のご指導が無ければ、リアクティブブレンドで高純度SiCの前駆体を合成しようというチャレンジもしなかった可能性が高い。科学の知識から否定されるようなチャレンジは、科学の知識が重視された当時の研究所で、とてもできる雰囲気ではなかった。
 
新事業について、起業1年後の生存率が40%。5年後は15%。10年後は6%。20年後になるとわずか0.3%に過ぎないと言われているが、起業する前に科学の知識による洗礼が研究所には存在した。
 
指導社員が、科学の知識は、それが大系としてまとまると、新しい発見を排除するようになる、と語っていたが、高純度SiCの事業は、そのスタート時に研究所で排除されたにもかかわらず、30年以上続いている希有な事業である。
   

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