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2015.02/16 イノベーション(7)

酸化第二スズゾルを用いた帯電防止層の開発は、温故知新の精神で進められたが、過去の類似技術の開発の歴史を特許から学んでみると、パーコレーション転移という現象が不易流行のごとく見え隠れした。

 

温故知新はイノベーションを起こすためによい方針だが、不易流行という技術の流れに対する視点はイノベーションのヒントを得るよい手段になると思われる。

 

技術開発競争が激しい分野では、日々新しい技術が生まれ、それに打ち勝つため新たな技術を開発しなければならない技術者にとって、不易流行を味わっている余裕などないかもしれないが、隘路にはまった時などは、思い切って今の仕事を辞めてしまうのもよい選択である。

 

そして頭の中をリセットし、過去の開発の歴史を眺めてみるのである。新技術を生み出していたつもりが、実は見落としていた理想の機能を無意識に追及していたかもしれない。

 

異業種に移るという円満退社の転職で強制的なリセットが働いた。そのおかげで、帯電防止層の開発の歴史を真っ白な気持ちで眺めることができた。そしてパーコレーション転移という数学の本で読んだ現象を思い出した。

 

さらに温故知新を心掛けていたのでライバル会社の特許に書かれていた自社の古い特許を見つけることができた。見つけた時には、その内容よりも、先輩社員のすぐれた業績であるにもかかわらず周囲のだれもが知らない特許だったことにビックリした。

 

技術の伝承の問題を放置しておくとこのような問題が発生する。研究報告書や特許を一生懸命管理していても、肝心の技術そのものを軽視する風土ではこのような問題が発生する。事務の標準化が進み、業務は合理化されたが、今後は次世代に伝えるべき技術を整理することが重要と思われる。

 

この点についてコア技術という視点がすぐに言われるが、技術を生み出しているのが人間である以上、コア人材という視点が重要である。その技術を本当に生み出した人材までさかのぼると不易流行のヒントも得られる。

 

特公昭35-6616を発見した時、その発明に関係した人を捜し求めたが、実際に発明した人までたどり着けなかった。しかし、その過程で帯電防止層について、科学的ではない、独自の考え方に接することができた。帯電という現象は、一部の金属について科学的な証明がなされているだけで、実際は複雑である。

 

複雑な現象を科学的に解明しようとする努力は大切であるが、一方で経験論から技術的に解決する工夫も重要である。交流を用いた評価技術のヒントは経験論から生まれ、福井大学客員教授時代に青木先生のご指導で数値計算による科学的な証明にも成功した。

 

帯電の評価法が直流の視点で組み立てられていた時代に、インピーダンス法はささやかなイノベーションである。そしてインピーダンス法はパーコレーション転移の閾値検出の感度が高く、パーコレーション転移の制御技術開発に重要な役割をした。温故知新で巡り合った帯電現象の評価技術と不易流行のパーコレーションという現象とが結びついた。

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2015.02/15 イノベーション(6)

特公昭35-6616特許に書かれた実施例の内容は、透明導電性微粒子と高分子バインダーを組み合わせて透明導電性薄膜を製造した、当時では世界初の技術である。今となっては昔の話になるが、かつて写真業界では現像処理後も安定である透明導電性薄膜の技術が、帯電防止技術の目標となっていた。

 

その目標はATO(アンチモンドープの酸化第二錫)を用いて、ライバル会社から最初に商品化されたが、やや青みがかっている問題があった。この技術が発表される20年以上前に、完璧に透明な帯電防止層ができていたにもかかわらず、その技術を再現することができなかったので、問題を抱えたまま商品化されたのだ。

 

もっともライバル会社の特許にはやや青みがかった問題など書かれていない。また多少青みがかっていてもその色味を消すこともできたので問題は無いともいえるが、昭和35年の技術を再現し、その透明度に接すると、ライバル会社の技術とはいえため息が出た。

 

ATOを用いた帯電防止層の特許は100件以上出願されていた。関係特許も含めると1000件近くに上る。しかし昭和35年の特許のおかげで、ライバルのATOを用いた技術に抵触しない優れた技術で透明帯電防止層を実用化することができたので、これもイノベーションの一つである。

 

ライバル会社の多数の特許を読みながら、パーコレーション転移という現象が理解されていなかっただけで技術開発に膨大な時間がかかっていた現実と不易流行という言葉の妙を味わっていた。

 

昭和35年の技術では非晶質導電体が帯電防止層に使われていた。しかし、パーコレーション転移の制御方法が書かれていなかったために未完成の技術と決めつけられ、ライバル会社では結晶質の導電体を用いてその実用化の努力が20年以上行われた。

 

ライバル会社の膨大な特許は、さすがにトップ企業なので優秀な技術陣によりうまく書かれており、それらを読むとその長い開発の努力の中でパーコレーション転移を制御する技術の開発を意識せず長く不変に続けられてきた様子がよくわかる。まさに不易流行の世界である。

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2015.02/14 イノベーション(5)

昭和35年の特許を基に開発したフィルムの帯電防止層は、温故知新の言葉通りのイノベーションだった。金属の塩化物を加水分解して水溶液のゾルを合成する。そこへ高分子バインダーをまぜて帯電防止層の塗布液とする。ここまでは古い特許に記載された通りである。

 

しかし塗布の条件をうまく制御しないとパーコレーション転移が起きず、導電性の無い薄膜となる。まず、現象をシミュレーションするプログラムを開発し、パーコレーション転移が起きた時にどれだけの導電性の薄膜になるのか予想した。

 

次にパーコレーション転移の検出感度が高い評価技術を開発し、パーコレーション転移がどのような製造条件で起きるのか探った。見方を変えれば、このような手順は昭和35年の特許に書かれた実施例をリバースエンジニアリングしているようなものだ。

 

写真会社に転職した時、日本化学会や高分子学会ではパーコレーション転移という言葉は、一般的ではなく、このような現象を考察するときには抵抗の並列接続と直列接続をモデルに考える混合則が一般的であった。ただ、数学や物理の世界では知られており、スタウファーの著書なども販売されていた。

 

昭和35年の特許が公告となった時は、ITO薄膜が発明された頃であり、パーコレーション転移のような概念は知られていなかった。だから杜撰な発明になっていても仕方がないことである。パーコレーション転移は数学的には確率で引き起こされる現象なので、論理的ではなく偶然発明が完成するということも起きる。おそらく当時の発明者は、本当に驚いて「驚くべきことに」と特許に記載したのだろう。

 

科学ではこのような場合になぜ起きたかが重要になってくるが、技術では繰り返し安定におきるかどうかが重要になってくる。偶然見出された機能がなぜできたのかわからなくても、同じ動作を繰り返し、安定に機能を再現できれば、技術として完成したことになる。余談だが、これをだれでも設計段階でロバストを高く出来るようにしたのがタグチメソッドだ。

 

酸化スズゾルの技術では、パーコレーション転移の制御方法が意図的に隠されたのか、あるいは発明者が気がついていなかったのか不明だが、この発明の扱われ方から、後者であった可能性が高い。

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2015.02/13 イノベーション(4)

ゴム会社で行ったイノベーションはまさに技術革新であるが、写真会社では、管理職という立場もあり、部下にどのようにイノベーションを説明したらよいのか悩んだ。悩み続けた20年でもある。

 

その中で、温故知新というフレーズはよく使った。イノベーションとは、破壊的な変革ばかりでなく、穏やかな革新もあるはずだ。新しい価値を生み出すだけでもイノベーションである。温故知新とは、過去の技術成果を見直し、そこへ新たな考え方を結合してイノベーションを引き起こす、あるいは過去の技術を真似つつもそこへ新機軸を盛り込み変革を行う意味で用いていた。

 

転職した最初の成果である酸化第二スズゾルを用いた帯電防止層の技術は、昭和35年の特許、特公昭35-6616にパーコレーション転移の概念を結び付け、誰でもその実施例を再現できるようにしたもので、日本化学工業協会から技術特別賞を受賞している。

 

この昭和35年の特許については、実施例がうまく再現されず、ライバル会社からダメな技術という烙印を押されていた。しかし、特許に記載された酸化第二スズの導電性が推定10の3乗Ω程度であり、これを高分子バインダーに分散しパーコレーション転移を起こせば、安定に10の9乗Ωの透明薄膜を製造することが可能となる。

 

ただし、特許に記載された材料は超微粒子なのでパーコレーション転移を簡単に起こせないのだ。しかし昭和35年の特許ではそれが起きたことになっている。実施例に隠れたある条件を加えると容易に起きるようにできるのだが、その条件が実施されない場合には、帯電防止層として機能しない薄膜となる。シミュレーションでこのようなことを再現した。さらにインピーダンスを用いた評価技術を開発し、この評価技術で製造プロセスを探りながらその条件を見つけ出しイノベーションに成功した。

 

完成した帯電防止層は昭和35年当時の技術であり、何も新しいところは無い。しかし30年近くライバル企業だけでなく特許を出願していた企業でも実現できなかった技術である。技術の伝承の問題が含まれているが、特許が出願された当時はパーコレーション転移の研究が進んでいなかった時代であり、シミュレーション技術や評価技術も当時の科学水準では実施できなかった。

 

日本化学工業協会ではこの点を評価されたが、写真会社では何も評価されなかったイノベーションである。まさに穏やかな変革で、この技術を開発した後、イオン導電性高分子を用いた保護コロイドを開発し、新たな帯電防止層技術を開発している。穏やかではあったが、新たな技術を生み出すことができたので、一つの技術革新ととらえている。

 

 

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2015.02/12 イノベーション(3)

イノベーションは、経営の努力があって組織が動き、そして個人の能力が引き出され、その結果起きるのが理想である。中小企業では、スーパーマンの担当者により引き起こされることもあるかもしれないが、大企業では、いくらトップマネジメントが旗を振っても、ミドルマネジメントにつぶされるということが起きるから大変である。

 

このことに経営者は気がついているだろうか。高純度SiCの事業化を推進していた時に、上司は短期間にころころと変わった。その中には露骨にセラミックスの研究所をたたむように言ってきた上司もいる。その時はSiCヒーターの企画を提案し切り抜けたが、テーマに対して後ろ向きの上司のほうが多かった。

 

ゴム会社で最後にご指導いただいた上司は、左遷されたとうわさされていた。当方の上司になることが左遷の意味とは少し悲しかったが、この上司とは転職までの3年弱うまく仕事がはかどり、住友金属工業とのJVを立ち上げるまで業務が進んだだけでなく、副業として設定していただいた電気粘性流体のテーマで傾斜組成粉体や、ホスファゼン難燃オイル(注)、ERFの耐久性をあげる添加剤など多くの成果を出すことができた。

 

この上司のマネジメントは、それまでの上司と異なり、担当者として仕事がやりやすかった。しかし、ある騒動が起きたときに、うまく収拾していただけなかった。隠蔽の方向に事態が流れたのである。

 

当方がそれを我慢すればよかったのだが、まだ若かった。犯人捜しをしたのである。繰り返し行われたために犯人を見つけるにいたった。この状況で、上司がどのようにマネジメントを行ってきたのかも分かり、そのご苦労に涙が出てきた。

 

(注)ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの開発を入社して一年後に行った。このテーマではささやかなイノベーションを引き起こしたにもかかわらず、自分で合成したホスファゼンを難燃剤として用いたために始末書を書かされた。なぜ始末書を、という疑問もあったが、しばらく技術を温めていた。やがてこの技術は、難燃性オイルやリチウム二次電池電解質の添加剤として花開く。後者は日本化学工業から今でも販売されている。

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2015.02/11 イノベーション(2)

新入社員に対する講和は、わかりやすく心に響く内容であると忘れない。半年間の研修で多くの講師の方がイノベーションあるいは技術革新というキーワードを講和の中で述べられていた。

 

CIが導入されたときにも技術革新の方向として電池、メカトロニクス、ファインセラミックスの3つのベクトルが示された。有機高分子と無機高分子のハイブリッド前駆体を用いた高純度SiCの技術は、ゴム会社だけでなくセラミックス分野のイノベーションとも呼べる技術と思っている。

 

しかし、32年の技術開発経験から、このような技術革新の方法以外にイノベーションを効率よく引き起こす方法があると思うようになった。また、写真会社に転職してからは、意識的に高純度SiCのような技術革新を避け、新たなイノベーションの方法を模索した。

 

高純度SiCのようなイノベーションは破壊的な威力があり、革新という言葉にあっているが、6年間という長期間事業化で苦しんだだけでなく個人として失うものもあった。あまりにも効率が悪いだけでなく、企業で一人の従業員に期待するには残酷でもある。

 

高純度SiCの開発を行ってゴム会社から報われたのは学位だけであるが、学位も転職時のごたごたで、某大学の先生から寄付金を要求される事態になり、一度はあきらめかけた。つくづく一担当者がイノベーションを引き起こす難しさを痛感している。

 

企業でイノベーションを常に起こせる環境を作り出すには経営の努力が重要で、高純度SiCの開発では、かろうじてそれがあったので細々と続けることができたが、事業が立ち上がるまで、中間管理職のマネジメントが弱かった。ある騒動が起きてはじめて中間管理職も含め真剣に取り組んでもらえるような状況だったので、経営陣の理解があると言っても組織としてテーマが運営されていたわけではなく個人への負担が大きかった。

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2015.02/10 イノベーション(1)

新入社員の研修の講和では、イノベーションがキーワードの一つだった。そして化工品部門の売上げを伸ばすことが強調された。変化に対して工夫で対応するのがこの部門のミッションという名称の由来までイノベーションの期待が込められていた。

 

タイヤ会社であり、国内トップであったが世界ランキングは6位だった。タイヤ業界は寡占化が進み、売り上げを伸ばすには化工品部門の成長しかない、と言い切った役員もいた。その3年後のCI導入では、社名からタイヤが無くなり、創立50周年記念における社長の講和は、電池とメカトロニクス、ファインセラミックスを3本の柱とする成長戦略で進む、と化工品部門に軸足を移す内容だった。

 

ホスファゼン技術で電池やメカトロニクスに貢献した。その他、電気粘性流体の性能を向上する3種の粉体や耐久性を向上する第三成分の開発などの成果を出したが、いずれも現在その事業は無くなっている。自ら企画し6年間開発の死の谷を歩いたファインセラミックス分野の高純度SiCの技術は30年経った現在でも事業は継続され、日本化学会化学技術賞も受賞している。

 

当時の服部社長が提示した3本の柱で唯一ファインセラミックスだけが残った。これは、ゴム会社における大きなイノベーションだったと思っている。既存事業領域と全く異なった畑に事業の種をまき、それを育てる、これは大変なことなのだ。

 

3本の柱が提示された時、研究部門でファインセラミックスの企画を提案したのはたった一人だった。2憶4千万円の先行投資を受け、必死で事業開発を続けたが、トップの理解はあっても、周囲の理解は無かったようだ。

 

当時の住友金属工業とのJVを立ち上げた時、ある騒動が起きて、転職することになった。学会賞の推薦書では、当方の転職後から開発が始まったことになっていた。事業の成功を願い、自ら身を引いたのだが、必ずしも理想通りには物事は進まないようだ。ドラッカーが誠実と真摯さを強調した理由がよく理解できる。

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2015.02/09 花冠大学リニューアル

STAP細胞の騒動は理研の幕引きだけでは終わらず、小保方氏がES細胞の窃盗容疑で訴えられ、司法の場で、ES細胞を用いたマウスの謎の解明が行われる可能性が出てきた。但しその前に警察が告発状を受理するかどうか疑問ではあるが。

 

弊社はSTAP細胞の存在を前提に花冠大学のシナリオを作成していたので、今回の事件は弊社にとって大きな痛手となった。 シナリオを大幅に書き直さなければならなくなったからだ。植物の細胞では観察されるSTAP現象がなぜ動物の細胞で起きないのか、という長年の疑問をまた考えなければいけなくなった。

 

昔、地下鉄の電車をどこから地下に入れたのか考えていると夜も眠れない、という漫才師がいた。30年近く前に、ゴム会社でカルスの研究を見て、動物の細胞でSTAP現象が起きないのはなぜか、という疑問が生じた。但し、ぐっすり眠れたが、長年動物の細胞でもSTAP現象が起きるのではないかと思い続けてきた。

 

ややオカルト的で恐怖だが掻き毟って傷がついた皮膚に指が生えてくる夢を見たことがある。そんなことになっては大変だから動物では植物のようなSTAP現象がおきないんだ、と納得したが、科学的な説明ではなく恐怖からの逃避でしかない。植物と異なり細胞膜がないから刺激の伝達モードが異なるだけではないか、と想像したりしていた。

 

そんなこともあり小保方氏の発表には拍手喝采で、一気に花冠大学を立ち上げた。しかし流れがおかしくなり、シナリオを練り直すためにしばらく大学活動報告を休載してきた。今回新たに書き直したシナリオができたので、ホームページも一新した。ご興味のある方はwww.miragiken.com をご覧ください。

 

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2015.02/08 コーチング

松坂大輔投手に対するソフトバンク佐藤投手コーチの指導方法が話題になっている。スポーツニュースで見たが、松坂投手はよく我慢している、あるいは謙虚なのかと感心していた。しかし、スポーツ誌の評価は全く異なる見方をしていた。

 

スポーツ誌では一流選手に対するコーチの指導方法に着眼していた。さらに、そもそもコーチングとはなんぞや、という問題提起をしている記事もあり面白い。

 

ある記事には松坂投手の談話が載せられており、周囲の佐藤コーチへの批判に比べて、松坂投手本人は特に気にしていない様子である。おそらく松坂投手ぐらいの一流になるとコーチと選手の関係に対する配慮も自然にできるのだろう。

 

新入社員の頃を思い出すが、最初の3ケ月は優れた指導社員が、それこそ佐藤コーチのように手取り足取り指導してくださった。またレオロジー解析についても座学の時間をわざわざ業務中に設定しみっちり指導してくださった。

 

その後2年間は艶やかな女性の指導社員の下で仕事をしたが、その時は全くの放任主義でやや戸惑った。周囲は美人の指導社員の下でぼけたのではないか、と噂していたようだが。

 

ぼけていたわけではなく、放任主義のおかげで、ホスファゼン変性ウレタンフォームの研究やホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームの開発、さらに高純度SiCの企画を黙々と自由に練ることができた。

 

この約3年の経験から言えば、佐藤コーチと松坂投手の人間関係でコーチングスタイルの評価は変わるのではないかと思う。一流選手だからそのように指導せよ、という意見は、おそらく本当の一流選手にとっては迷惑な話だろう。

 

多くのスポーツ誌が指摘していた、松坂をさらし者にした、という同情も理解できるが、開幕までまだ時間があるこの時期は、一流選手ならば、死に物狂いで自分の欠点を改善して、さらに高度な技術を身に着けたいと思うのではないか。

 

美人の指導社員も楽しい思い出だが、3ケ月間の佐藤コーチ以上に密着指導してくださった指導社員に、少なくとも、もう半年間は指導していただきたかった、と思っている。

 

20年ほど前コーチング手法が話題になったが、昨今はあまりその手の話題を聞かない。技術の世界では、手法も大切だが、そもそも技術を伝承しようという意気込みと弟子に対する愛情が無ければ弟子は育たない。

 

松坂投手をもっと活躍できる投手にしようという意気込みからあのようなコーチングスタイルになったのなら、それは正しい指導法ではないか?この結果は開幕後の楽しみである。

 

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2015.02/07 独学の勧め

混練プロセスは新入社員時代にたった3ケ月担当しただけの技術である。しかしその3ケ月は濃縮された期間であり、混練について独学でスキルを磨くコツを習得するに十分だった。高純度SiCの事業化を行っていた6年間は、積極的に社内の講演会や技術発表会、品質管理の大会などに参加していた。ゴム会社だったのでそれらの発表は大半が高分子関係である。大変勉強になった。

 

学会にも参加していたが、担当していた職務からセラミックス関係が多かった。当時研究者の数は、セラミックスブームもありセラミックス関係と高分子材料関係との比率は、1:4と言われていた。ゆえにセラミックスブームといっても高分子材料関係の学会の方が面白かった。時折、年休をとり高分子学会の発表も聞きに行ったりしていた。

 

今から思い出すと、高純度SiCの事業開発を担当していた30代は、死の谷ではなく天国だったのかもしれない。この時に結婚する時間も取ることができ、新婚時代は定時退社も実現した。独身時代は歩いて数分のところに独身寮があったので終日仕事をしているような気分だったが、結婚してみて仕事よりも勉強時間が長かったことに気がついた。学位論文のまとめも結婚により急速にはかどるようになった。独身という身分は何かと忙しいが、結婚をすると無駄な活動が無くなるものである。

 

この頃の勉強は、先端技術分野ということで教科書が無く、もっぱら学術文献や特許から知識を吸収していた。会社の端末で文献調査が可能だったので資料の入手には困らなかった。また、調査費用は研究管理部が持っていたので予算にも不自由しなかった。

 

定時退社をしていたが、家ではやはり学術文献を読むのが習慣になっていた。子供が生まれ、困ったのは読みかけの論文をいたずらされることだった。それを避けるために、机の周りを檻で囲み、自分がその中に入って論文を読んでいた。檻の外から父親を眺める息子が少しかわいそうだったが、学位を取るまでの辛抱と我慢した。

 

初めての分野については、簡単な教科書で勉強するのが手っ取り早いが、技術者として仕事を続けるためには自分の担当する分野の業務について学術文献や特許を取り寄せて読むべきである。現代は便利な時代で、特許については自宅でデータベースを簡単に利用できるようになった。また一部の文献についてもWEBで閲覧可能である。

 

勉強をしない技術者はスキルを磨いて職人を目指すべきである。職人にもなれない技術者はどうすればよいか、答は無限にある。技術者として道に迷ったら、まず勉強をする。そうすれば必ず道が見えてくる。道が見えないのは勉強不足である。食事は食べ過ぎると病気になるが、勉強はやり過ぎても死ぬことは無い。目標を定めやりきることである。

 

何を読んだらよいかわからない時は、学術書なども置いてある大きな本屋で1日過ごしてみると良い。自分の気に入った本を数冊購入し、読み切ってみると読みたい本が自然と見えてくる。当方は隘路に迷い込んだ時、キャッシュカードを持って本屋に行くことにしている。また、それなりの経験者に尋ねてみるのも一つの解決方法である。昨年わけあって本社の近くに事務所を借りたので、現在書斎も含め引っ越し中である。分室は広いので易者のようなよろず相談も面白いのではないか、という冗談も家族から出ている。

カテゴリー : 一般 高分子

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