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2014.09/21 高分子の難燃化技術(5)

   

燃焼時にガラスを生成するコンセプトは、ホスファゼンと他のリン酸エステル系難燃剤との比較から欲求不満の解消結果として生まれた。すなわち、ポリウレタンが燃焼後、その残渣にホスファゼンは大量にリン成分を残すが、他のリン酸エステル系難燃剤はほとんどリン成分を残さない。

 

この残渣と極限酸素指数LOIとの関係を考察するとリン系難燃剤の難燃化機構に3タイプあることがわかる。まず、炭化物残渣(チャー)を大量に生成する機構と炭化物を生成しない機構の二種と、前者についてはリン成分を系内に残存しないタイプと系内にリン成分を残すタイプの二種に分かれ合計3種類の機構が推定される。

 

ホスファゼンは高温度で熱分解するが、その構造によっては重合したり三次元化する。酸素が存在すると三次元化し、雰囲気を変えて熱重量分析を行うとその状況を重量減少の変化として捉えることが可能である。

 

側鎖基の構造で、最初に生じる重量減少速度が速くなる温度が異なるが、600℃における残渣の量は、PN構造の割合と概略相関するのでPの単位が高温度まで残っていると推定される。

 

リン酸エステル系難燃剤で同様の熱重量分析を行うと300℃から400℃までの温度領域で重量減少速度が速くなり、600℃ではほとんど残渣を残さない。最近のイントメッセント系とあえて唱っている難燃剤を実験していないのですべてのリン酸エステル系難燃剤がそうであるか不明だが、少なくとも1980年前後に市販されていた主要なリン酸エステル系難燃剤はすべて600℃で数%以下の残渣しか残らなかった。

 

これは、リン酸エステル系難燃剤の場合に250℃前後の温度領域で沸点を持つオルソリン酸を生成し、これが揮発するためである。当時の教科書には、オルソリン酸の構造でチャーを生成する反応機構が書かれていたが、すべてのリン酸エステル系で正しい難燃化機構ではない、と思った。

 

例えばTCPPでは、その存在の有無で600℃における残渣量がほとんど変化しないので、燃焼時には気相で空気を遮断し高分子を難燃化しているのだろう。しかし、同じくリン酸エステル系の難燃剤Fyrol6では、その添加量に相関して600℃の残渣が増加するので教科書に書かれているような機能を発揮していると思われる。しかし、この場合でも600℃における残渣中にほんのわずかしかリン成分は残っていない。

 

 

カテゴリー : 一般 高分子

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2014.09/20 高分子の難燃化技術(4)

 

燃焼時にガラスを生成するコンセプトは、当時のセラミックスフィーバーの影響でセラミックス前駆体のアイデアを生み出した。タイミングよくゴム会社の創業50周年を祝う企画で論文募集があったので高純度SiC半導体事業の話を書いて応募した。この応募に関する顛末は過去に書いたので、ここでは技術者が新しい技術を生み出すために必要なコンセプト思考について書いてみたい。

 

技術は科学とは異なり人類の本能的活動の一部として発展してきた。「マッハ力学」にもそのあたりの考察が書かれているが、科学万能の時代にあまり意識されていない。科学の無い時代に技術をどのように開発してきたのか知るためには、過去の遺品を基に想像する以外にないが、「こういうものが欲しい」という欲求生まれ、その欲求を実現するための努力で技術が磨かれたり、新しい技術が生まれた可能性がある。

 

「必要は発明の母」という言葉もあるが、同じことを表現していると思う。今ほど便利ではなく自然の驚異に裸同然であった時代には、自然に欲求が湧きだし、その結果無意識に技術開発が行われた可能性がある。人間の基本欲求として生理的な三欲求があげられるが、科学の無い時代には食欲と同じように技術開発欲のようなものがあったに違いない。

 

今は科学万能の時代で技術開発は理系の人間の仕事のようになっているが、昔は文系の人間も欲求を満たすために技術開発を行っていた可能性がある。レオナルドダビンチが芸術家であり科学者でもあった、という表現を読んだことがあるがこれは間違っている。ダビンチは欲求不満の解消のため芸術活動と同じ次元で技術開発をしていたと思われる。

 

このような視点でダビンチの肖像画を眺めると欲求不満の肉食系に見えてくる。コンセプト思考は欲求不満解消のために行う行為と類似しており、こうあって欲しいとか、このようにしたい、と頭に思い浮かべることであり、現代のゴール指向の思考方法と同じことになる。

 

 

カテゴリー : 一般 高分子

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2014.09/19 高分子の難燃化技術(3)

 

燃焼時にガラスを生成する難燃化技術は、当時の高分子難燃化技術分野の常識を超えた技術であった。当時まだ三酸化アンチモンとハロゲンの組合わせ難燃剤が注目されていた時代で、この難燃剤システムの問題解決のため各種リン酸エステル系難燃剤の開発競争が行われていた。

 

大八化学はその先端を走っていた会社で、ポリウレタンの事業も行っていたゴム会社には新製品が多数持ち込まれていた。この新製品の評価を幸運にも担当することができ、リン酸エステル系難燃剤の問題点を理解することができた。

 

今でもリン酸エステル系化合物を用いたイントメッセント系の難燃剤開発が行われているが時代遅れのような気がしている。リン系難燃剤の特徴的な難燃化機構は3パターンあり、新しいイントメッセント系難燃剤をリン酸エステル系難燃剤で開発するぐらいならホスファゼンを素直に活用したほうが良い。

 

ホスファゼンは始末書を書くことになった化合物だが、当時先端材料として日本曹達や大塚化学はじめ中堅化学メーカーが積極的に取り組んでいた。ゴム会社で開発されたリチウムイオン電池用難燃剤は日本化学で生産されているが、もしこれらの会社がもう少し早くホスファゼンを事業化していたなら始末書を書くことにはならなかった。

 

ホスファゼンについては大学院修了後、ゴム会社へ就職するまでの半月近く暇だったので趣味的に研究する機会ができた。大学院2年間ご指導してくださった先生のご厚意である。ただ社会人になってからもこの時の成果を論文にするように尻をたたかれたのには困った思い出がある。指導熱心な先生や諸先輩に恵まれたゴム会社の12年間だった。

 

 

 

カテゴリー : 一般 高分子

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2014.09/18 高分子の難燃化技術(2)

 

ホスファゼン変性軟質ポリウレタンフォームは実用化されなかったのですぐに論文として発表することができた。上司が「高分子の崩壊と安定化研究会」の委員だったので、研究会のネタとして採用されたからだ。

 

論文は英文で投稿したが、今はやりのコピペを用いていない。当時ワープロなど無かったので、直接タイプライターで書かねばならなかった。学生時代に修士論文を書くために買ったタイプライターが役に立った。

 

タイプライターは、片手打ちである。片手に辞書を持ち英文を打ち込んでゆく。五月雨の音よりも遅く、独身寮の廊下に何の音かわからないぐらいの音色で響いていたそうである。

 

ホウ酸エステルとリン酸エステル併用システムは実用化されたので、その外部発表はすぐにできなかった。ただ、5人目の上司が学位取得を勧めてくれて、そこに掲載するために社内調整してくださった。

 

開発してから4年後にようやく論文になったが、こちらは日本語である。日本語ワープロ一太郎を用いて書いた。この研究は日本化学会の年会でも発表したが評判がよく、講演依頼が来るようになった。

 

 

カテゴリー : 一般 高分子

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2014.09/17 高分子の難燃化技術(1)

 

過去に何度も書いているが、高分子の難燃化技術もゴム会社で学んだスキルである。入社1年後にホスファゼン変性ポリウレタンフォームを半年で試作まで行い、新入社社員でありながら始末書を書くことになった仕事で、始末書を書くにあたり恥ずかしくない内容にしたいと思いこの分野の技術の実情を猛勉強した。

 

市販されていない難燃剤を用いて開発を進めたのが、その始末書を書くことになった原因である。しかし、この始末書のおかげで、燃焼時のエネルギーでガラスを生成し、難燃化する技術を開発することができた。

 

この始末書に反省の証として低コストの難燃化技術を開発する、と書いたのだ。余分なことを書くな、と上司に叱られたが、そもそも新入社員である当方に始末書を書かせる管理職もすごい、という陰の声があったので、ひるまずに始末書をそのまま提出した。

 

この始末書がどのような扱いになったのか知らないが、罰として納期が決められ半年で新しい難燃化システムを開発するようにというありがたい指示が上司から出た。期待に応えて、半年後に試作を成功させ商品化できた。

 

この時完成した新規の難燃化システムはホウ酸エステルとリン酸エステルを組み合わせる難燃化技術である。ホウ酸エステルは市販されていなかったが、ホウ酸とジエタノールアミンとを撹拌するだけで合成できたので、工場の隅に簡単な反応釜を設置するだけで実用化できた。コストは300円/kg以下だったように記憶している。

 

 

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2014.09/16 技術者教育(2)

ゴム会社では上司から学位取得を勧められたり、海外留学の推薦をされたり、と技術者として育成されている実感を味わいながら仕事ができた。受講費について会社の補助が出る通信教育にも、技術者向けのメニューが多数用意され、人事からモニター推薦を受けたりしていた。

 

創業者の伝記を読むと人材育成を重視した事業家であると書かれているので、技術者教育に力を入れていたのは創業時からの伝統だろう。12年間勤務して、仕事をした実感よりも技術者として育成されていた思い出が多い。

 

ゆえにFDをいたずらされて転職した時も、そして今でもゴム会社には申し訳なかった、という気持ちがある。高純度SiCの事業化で6年間死の谷を一人で歩き住友金属工業とのJVとして起業し、それが現在でも続いているが、特許報償を請求したこともない。ブルーレイの裁判で高額な特許報償が支払われてもそれを批判的に眺めていた。

 

ゴム会社では諸先輩から十分なご指導を受け、そのおかげで専門外だった転職先の仕事でありながら技術者として成果を出すことができた。写真会社で開発を行っていたときのスタイルは、ゴム会社と変わらなかった。ただ立場が管理職だったのでゴム会社の管理職がそうであったように、部下の育成に力を入れた。

 

メーカーの技術者教育はどうあるべきか、と尋ねられたなら、迷わずゴム会社の風土を紹介したい。一時期その風土もおかしくなったが、現在は昔同様の風土に戻っているという。

 

中国出張で某大学を訪問し、偶然そのゴム会社の留学中の社員と名刺交換した時には、企業買収が成功し新たな成長へチャレンジし始めたゴム会社の鼓動を感じた。五年前の話である。

 

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2014.09/15 技術者教育(1)

転職して最初に出した成果は、透明金属酸化物を用いたフィルム用帯電防止層である。この技術はその写真会社の基盤技術であったが、社内の誰もその技術を知らないだけでなく、その分野においてライバル企業に1000報以上も特許出願されていた。

 

その膨大な量の特許を整理していて昭和35年に公告となっていた特公昭35-6616という特許を見つけた。透明金属酸化物を帯電防止層に用いた世界初の特許で、その特許が出願された後、ライバル企業2社から同様の特許が大量に出願されていた。特公昭35-6616という優れた特許が自社の特許であるということやその存在が社内で忘れ去られるような状況は、技術の伝承がうまく行われていないということだ。

 

当方の最初の成果は、この特許を軸に技術を再構築し、特許に抵触しない帯電防止層を金属酸化物を用いて設計した仕事である。しかし、この技術を開発しているさなかにリストラされ、転職したときの開発部門は無くなった。過去にもこのようなことがあり、その結果大切な技術が消えていったのだろう。

 

開発部門は無くなったが、一担当者としぶとく開発を続けこの技術を印刷感材の新製品に実用化することができた。優れた帯電防止層のおかげ(注)で、その商品は印刷学会から賞を頂けたが、帯電防止層をいっしょに担当した部下や当方はその賞に名前を連ねることができなかった。

 

社内で評価されなかったので、日本化学工業協会へ推薦書を提出し部下とともに技術特別賞を受賞した。デジタル化の波が押し寄せてきたときで、この技術は熱現像医用感材にも必要な帯電防止層として用途が広がっていったが、当方は二回目のリストラを受け、それまで倉庫として使われていた部屋へ、いわゆる世間で言われている「座敷牢」へ入れられた。

 

理由は分からなかった。ただ心当たりは、帯電防止層を担当した部下の育成のために学位取得を勧めたり、その会社では行われていなかったスタイルの技術マネジメントなどが批判されたのではないかと反省している。帯電防止層以外にも多数成果を出していたが、リストラされる時代である。技術者教育など不要という経営者もいるかもしれないが、厳しい時代だからこそメーカーは技術者を育てる努力を惜しんではいけない、と訴えたい。

 

(注)印刷の校正刷り用感材で、重ね合わせて使用するために現像処理後も帯電防止性能が残っている永久帯電防止層が不可欠である。すなわち透明金属酸化物の帯電防止層はこの商品の重要な機能の一つであった。

 

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2014.09/14 技術者の専門(4)

短期間でコンパウンド生産工場の立ち上げに成功したことは自信になった。一方でトップメーカーの技術者が実現できなかった技術なので日本のコンパウンドメーカーの技術力に不安を感じた。

 

またコンパウンドメーカーに提案しても実施してもらえなかった技術も短期間で幾つか実現した。たとえば無担ベルトの押出成形においてコンパウンド段階でベルト性能を予測できる評価技術やフローリー・ハギンズ理論に反する高分子の相溶化技術などである。短期間にできたこれらの技術をできない、といっていた技術者はスキルが低いと思われる。

 

但し一連の技術は、ゴム会社の指導社員から30年前伝承された知識を用いた成果である。このことがきっかけで、実務の担当期間よりもその伝承者のスキルに技術者の成長は左右されると考えるよりどころとなっている。混練技術以外の専門は、いずれも実務経験が2年以上あるが、混練技術はたった3ケ月樹脂補強ゴムのテーマを担当しただけだった。その程度のスキルが現在でも通用したのである。

 

この体験から、技術の伝承というものがマネジメントの重要なテーマの一つだと思っている。このテーマに企業全体として取り組んでいるメーカーとそうでないメーカーとの差は歴然で、それは教育システムだけでなく風土にも現れている。あるいは企業風土が技術の伝承を促進していると表現した方が正しいかもしれない。

 

技術者のスキルは、技術者本人の自己実現意欲が高ければ企業の施策とは無関係に高まってゆくと思われるが、その成長スピードは経営者の取り組み次第で変化する。ゴム会社では「二年経ったら専門家」あるいはその実務を「二年経験したら専門家」とよく言われた。

 

しかし、写真会社ではそのような言葉を聞いたことがない。赴任したその日に今日からあなたはこの専門です、といわれて驚いた思い出がある。技術者の専門とは一朝一夕にそのスキルが高まるわけではない。専門を身につけるにも一定期間その実務体験が必要となる。

 

写真会社に転職した時に自ら年下の技術者の下につき、フィルム技術のスキルを磨いた。当時年上の技術者にスキルが高い人がいなかったからだ。仕事を手伝いながらなぜこのような状況になっているのか観察した。しかしすぐにその答えが出た。リストラでその部門が無くなったのだ。フィルム会社でフィルム技術を開発するセンターを簡単にリストラする勇気にびっくりした。

 

 

 

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2014.09/13 技術者の専門(3)

昨日技術者としての専門について書いてみたが、まだ書き足りない。しかし、昨日だけでも怪しい専門家と疑われるのでは、と心配している。多芸は無芸という言葉もあるので、昨日書き上げた内容では専門と呼べないのでは、と言われかねない。

 

3ケ月しか実務担当経験の無かった混練技術は、今最も得意とする技術であるが、そのきっかけとなったのは、カラー電子写真機に用いる中間転写ベルトの開発をマネージャーとして担当したことだ。

 

前任者からテーマを引き継いだときに、悲惨な状態であった。カーボンを分散して半導体化した樹脂を押し出し無担ベルトを製造するのだが、表面比抵抗が100倍以上もばらついている状態で歩留まりなどここにかけない状態だった。

 

コンパウンドメーカーを呼んで開発方針の見直しを求めたら、素人は黙っとれ、と言われた。お客さんを素人呼ばわりするのはまだしも、黙れとは何事ぞ、と、半沢直樹ばりに倍返し動機もあって、二名の部下をコンパウンド内製化技術開発に充てた。そして部下を指導して半年後にはプラントを立ち上げることができた。

 

コンパウンドメーカーは、日本を代表する研究機関から生み出された企業で日本のトップレベルの技術を持っていると前任者から聞いていた。しかし、そこに頼っていては半年後にテーマの完成は無いと判断し、内製化を決断した。写真会社なので混練の基盤技術など皆無である。頼りにしたのはゴム会社における3ケ月の実務経験だった。

 

20年近く前の技術だったが錆び付いてはいなかった。日本のトップメーカーができなかったコンパウンドの生産工場を半年後に立ち上げることができたのだ。3ケ月の実務経験に自信を持った瞬間である。

 

 

 

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2014.09/12 技術者の専門(2)

大学では合成化学を専門として学んだ。卒業論文は「ジケテンを不飽和カルボン酸のシントンとして活用するC5単位の合成」だった。簡単に言うと、当時小椋佳作詞作曲により布施明が歌ってヒットした「シクラメンの香り」を合成する研究である。米国の学会誌にその成果は紹介されている。

 

大学院ではホスホリルトリアミドの縮重合を研究した。このテーマで困ったのは、過去にかなり研究された実績があり、総説まで出ていたことである。ゆえに基礎研究ではなく応用研究に重点をおいた。4報ほど二年間に論文を書くことができた。

 

学校では合成化学を専門として学んだが、ゴム会社で最初に担当したテーマは、樹脂補強ゴムを用いた防振ゴム開発である。たった3ケ月の担当であったが、指導社員が極めて優秀な技術者であったため、濃度の濃い教育期間であった。

 

コンサルティング業務の一つとして混練技術を掲げているが、この3ケ月間に伝承された技術がベースにある。大学3年間に学んで蓄積した専門知識よりも混練技術の専門知識のほうが高いレベル、と感じている。すなわち合成化学者として勝負して勝てる見込みはないが、混練技術者ならば世間の技術者に勝てるような自信がある。

 

ならば混練技術が専門かといえば、そうではない。学位論文の半分を占めているのは、半導体用高純度SiCの合成法の研究である。セラミックスの専門家として看板を掲げたい気持ちが今でもある。講演依頼が最も多いのは高分子の難燃化技術で、こちらは出版社から論文執筆依頼を今でも受けるぐらい世間で認知されている。

 

従事した仕事で期間が最も長かったのは、フィルムの成膜技術と表面処理技術である。こちらも高分子の難燃化技術同様に1年に1度は講演依頼が来る。つい最近は電気粘性流体の相談を受け、忘れていた専門を思い出した。

 

電気粘性流体の耐久性をあげる界面活性剤の開発や電気粘性流体の高性能化を実現する3種類(傾斜組成粒子、微粒子分散粒子、コンデンサー分散粒子)の微粒子開発など確かに先駆的技術開発の実績が多いのでこれも専門である。開発の相談を受ければ素材の合成からデバイス設計まで一応指導可能である

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