活動報告

新着記事

カテゴリー

キーワード検索

2014.05/30 高純度βSiC合成法の開発(10)

STAP細胞の騒動では記者会見が開かれ、管理者側と被評価側双方の意見を聞くことができた。両者の意見から浮かび上がってきたのは、理研の所長が未熟と表現したように、およそチームリーダーはおろか一人前の研究者として勤まらないような人材(すなわち研究成果を責任もって推進しそれを正しくまとめ論文投稿する一連の動作ができる人材を標準と考えている)が国の税金を使って指導者も無く実験を行っていた現実である。

 

データ管理の方法、実験ノートに記載された内容、さらには博士という学位論文の状況など公開されている資料から判断する限り学部レベルの学生以下の能力であることを示す内容である(注1)。当方は4年時の卒論でアメリカの化学会誌に投稿する論文を助手の指導でまとめているが、最後の仕上げは助手の方が全て行い、始めて論文投稿という作業の大変さを学んだ。その指導のおかげで修士の二年間では半年に1報のペースで論文を書くことができた(注2)。

 

STAP細胞の騒動では、被評価側の立場が悪いが、それは双方の資料が公開された上での評価である。これが会社の人事評価になると状況が異なる。直属の人事権を持った管理職の評価が全てである。会社の人事評価を天の声と言う人がいるが、たとえ多面評価を行ったとしても直属の上司の評価が悪ければ、それがその人の評価になってしまう。

 

天の声という意味は人事評価に振り回されるな、という意味であって公明正大な評価という意味では無いことを理解しておくことは重要である。天の声も妙なことをいうなァ、と言った首相もいたが、会社の人事評価はどのような手法を用いても直属の上司が人格的に優れた人物で無い限り、その評価は歪む(注4)。

 

ゴム会社では、新入社員は半年間という長い時間集合訓練で人事部の方達と寝食を共にする。ゆえに人事部の方達は、新入社員がどのような人物かおよそ把握している。当方は、この研修期間中に良い評価を頂いたそうなので配属後の3.5年間を人事部長に全てお話しをする機会を得た。人事部長はその話をすべて傾聴してくださった。

 

新入社員の6ケ月間の研修以外は、定時に帰宅したことはほとんど無かった。研究所には残業時間の制限があったのでほとんどがサービス残業である。最初に担当した樹脂補強ゴムのテーマでは指導社員が大変優秀な方だったので、一年のテーマをたった3ケ月でまとめることができた。初めての特許出願も体験し、後工程にゴムの配合処方が採用された。しかし配属後3ケ月で人事異動となった。

 

異動した部署の主任研究員は部下に評判の悪い人だった。この方の査定が悪く昇進試験に落ちたのだが、成果を出さなかったわけではない。軟質ポリウレタンフォームの難燃化技術がテーマとして採用されホスファゼン変性ポリウレタンフォームを数ヶ月で工場試作することに成功したが、始末書を書いている。

 

この始末書については書かなければいけない理由がよく分からなかったが、周囲からサインしておけば良い、と言われたのでサインをした(注3)。研修では入社二年間は責任を問われないから思い切り仕事をやるように人事部長から聞かされたが、責任を問われたわけである。しかし、責任を問われたことよりも企画を提案したときに設定したゴールを達成して始末書という意味がよく分からなかった。とにかく先端材料であるホスファゼンを用いたことが問題にされたらしい。

 

ならば、と始末書に落胆することなく、燃焼時にガラスを生成して高分子を難燃化するというコンセプト企画をぶち上げた。ガラスを生成して高分子を難燃化するコンセプトを実現するために処方設計したが、ガラスではアルカリ性が強くポリウレタンの反応を制御できないことが実験を開始してすぐに分かったので、燃焼時にボロンホスフェートが生成する設計に変更した。

 

これも数ヶ月で試作することができ、この時はそのまま製品展開され少し褒められたが、給与は同期のKよりも少し下がった。成果が出て給与が下がる面白い会社だ、と笑ってみせたが、昇進試験に影響が出るとは予想しなかった。そのあとフェノール樹脂天井材を担当したのだが、プロジェクトリーダーが長期病欠になる散々なテーマで、さらに思うように仕事を進めることができず、ヤミ研で開発した技術が製品に活用されたにも関わらず、明らかに考課は下がった。サービス残業代ももらえなかった。

 

人事部長の面談で以上の話をすべてしたら、君は人間リトマス試験紙と思って生きてゆきなさい、と言われた。その心は、と尋ねたら、君を悪く評価する人は悪い人である、と思って諦めなさい、とのこと。すなわち悪い上司に当たったからと言ってそれに左右される生き方をしたり、ましてや腐ったりしてはいけない、と励まされた。

 

今でもこの時の面談を思い出すが、人事部長も大変だったのだろうと思う。本来悪い考課をつけられたのだから反省しなければいけない社員が、反省をしないで職場の問題を訴えているのである。しかもその社員は職場を訴えている意識など無く、自分の成果を訴える過程で職場の問題が吹き出しているのだ。

 

若い頃は社会人として未熟でかつ純真である。しかし、それも30歳までに卒業できるように周囲は指導しなくてはならない。学校教育では教えていない本当の働く意味を指導しなくてはいけない。人事部長からはその後きめ細かなコーチングを受けた。感謝している(続く)。

 

(注1)学位論文では他人の論文のコピーアンドペーストが20ページにわたり行われていた、という。理系の学位論文では、学会誌へ投稿した論文をそのまままとめることが多い。学会誌に投稿された論文は、共同研究者の査読なりチェックが必ずはいるので学部レベルでも他人の論文も含めコピペを行えば学位論文をまとめることができる。またこのレベルの研究者でも新現象の発見はできる。むしろ発見という行為は知識が少ない、それゆえ先入観が無いほうが容易に行える。

 

(注2)当方は理研の鬼軍曹が頭に描いている標準レベルの研究者である。鬼軍曹というあだ名は、名古屋大学時代につけられたが、あだ名からは想像できない優しい熱心な指導者である。すなわち自分の受け持ちの学生でなくとも真摯な努力をする学生に対しては、きめ細かな厳しい指導をしてくださる。けっして鬼では無い、当たり前の指導者だ。ただ、コピペの論文を査読もせずに学位を与えるいい加減な先生よりも熱心なだけだ。

 

(注3)サインは当方一人だけだった。当方を一人前として扱ってくれた、と誤解した。

 

(注4)32年間のサラリーマン生活で人事評価は大きく変動した。同じ答案でも0点から100点となったように、人間は変化しなくとも評価者が変わればその評価は変動する。世の中には誠実さや真摯さを嫌う人がいる。ドラッカーは逆に経営者は誠実で真摯な人材を見いだすように努力せよ、と言っている。あえてドラッカーがその書で強調しなければいけないくらいに誠実さや真摯さは評価する管理者にとってリトマス試験紙のようになるのだろう。サラリーマンは誠実で真摯に自己実現に努力し社会に貢献する努力を怠らないことが大切である。そのように生きている人に悪い評価をする人間は、やはり悪い人なのである。

カテゴリー : 一般 連載

pagetop

2014.05/29 高純度βSiC合成法の開発(9)

さて昇進試験に不合格となった理由だが、人事部長の話では、論文が0点だったことと、受験前二年間の業務査定がBとB-だったことらしい。業務査定から不合格は事前に分かっていたが、論文の点次第では人事部で昇進させるつもりだった、といわれた。しかし論文が0点ではどうしようもない、と説明された。

 

論文の0点については事前に問題が分かっていて、その準備をして臨んだこと等不審な点をあげ、説明を求めたが、人事部長は黙して語らず、状態だった。ただ、論文の採点は、それぞれの事業部門の基幹職が行っており、来年は試験官が変わるから期待せよ、と慰められた。

 

しかし、当方から逆に来年も同じ試験官でお願いします、もの凄いことが起きますから、とお願いしたら、人事部長はびっくりされて、留学に精進するよう言われた。留学先で一生懸命頑張った結果が凄いことになりますから、と笑顔で答えたが、人事部長にはどのように写ったのか記憶に無い。この時の人事部長との面談では無性に悲しく今にも泣き出したかった記憶だけある。

 

この業務査定や試験結果は、組織としてこの人材はいらない、と意思表示している意味である。1年の予定のテーマを3ケ月で仕上げたり、高分子合成のテーマで新入社員でありながら企画を提案し、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの試作を成功させたり、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームやシリカ変性フェノール樹脂天井材(注)を毎日サービス残業を行い短期で実用化したり、周囲から見ると異常に見えたのかもしれない。

 

フェノール樹脂天井材を除き、ほとんど一人で推進したような仕事である。仕事を行っているときには、最初からとばすな、という声は聞こえたが、マネジメント上の指導は無かった。せいぜい趣味で仕事をやるな、という主任研究員の一言だけである。研究所は成果主義の評価、と聞いていたので成果を真摯に追求しただけである。

 

この時の記憶が、やがて管理職になり人事評価をする立場になったとき、成果に対して正しく評価するよう努める姿勢に向かわせた。他人が上げた成果をひいきしている部下の成果とするような評価を一切しなかった。どうしても甘い評価をしなければいけない状況になったときには、良い評価をつけてもきめ細かなコーチングやその後の指導を厳しくし、評価と業務成果が連動するよう管理者として努めた(続く)。

 

(注)当時のそれぞれの成果は、特許や論文、学会の講演記録として公開されている。さらにホスファゼン変性ポリウレタンフォームや、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームの研究成果は、無機成分による高分子前駆体プロセシングの一環として学位論文の一部になっている。入社して3年半でこれだけ成果を出せたのは、最初の指導社員が極めて優秀な人で、研究開発の極意を伝授してくださったおかげである。その方も事業に貢献する企画を数多く成功させたが主任研究員止まりであった。しかし、その方の研究開発哲学は企業における研究開発をどのように行うべきか、経営の視点における一つの答を示していると、今でも思う。当時研究所ブームの名残が残っており、どちらかと言えばアカデミックな研究が企業でも行われていた時代で、その中でオブジェクト指向の研究開発スタイルは異端であった。ちなみにその指導社員はレオロジストであり、関数電卓でダッシュポットとバネのモデルの計算をやっていたもの凄い人物である。製品ができあがるプロセシングからゴムの材料設計をとらえている技術者でこの指導社員を越える力量を持った人物に未だに出会ったことはない。1年のテーマを3ケ月で仕上げることができたのは、テーマ開始時にシミュレーションによる答が得られており、実作業で出てくるデータがそのとおりだったからである。この仕事において自分の貢献できる役割は、開発の時間短縮だけだと考えた。1日7時間労働で1年かかるなら、休日出勤して1日15時間労働すれば3ヶ月で終わる、と仕事のシミュレーションをして、それを実行したら計算通りに仕事が終わった。その指導社員が神様に見えた。

カテゴリー : 一般

pagetop

2014.05/28 高純度βSiC合成法の開発(8)

当時ゴム会社では、係長職と管理職(社内の呼称は異なる)の選抜に筆記試験が課せられていた。しかしこの試験については過去問題や予想問題が受験者に流れていたり、裏の噂もあったりした。無機材質研究所へ留学して3ケ月経過したときに受験案内が人事部から届いた。また研究所の友人からは予想問題が届いていた。不合格になるとは思えない状況だった。

 

筆記試験の問題は数題ある試験問題から一題選択し、3時間の試験時間でA4用紙3枚程度にまとめるというものだった。新規事業のシナリオや過去の業務について考察しまとめるなどの試験対策をして臨んだ。びっくりしたのは予想問題と称されていた問題がそのまま出ていたことだ。合格したと思った。

 

10月になり、人事部長から昇進試験不合格の知らせを無機材質研究所で受け取った。意外であった。入社後担当したテーマでは、必ずゴールを期限内に達成していた。また商品化テーマも3件担当していた。0件でも研究所では合格ラインであり、1件担当すれば絶対に合格とも噂されていたので何らかの意図を感じた。

 

電話の応対を見ておられた、総合研究官I先生と主任研究員T先生が心配され、当方が描いているビジョンを実現するための実験を無機材研で一週間だけ行ってよい、と言ってくださった。当方のモラールダウンを心配してのことである。すぐに当方は、ゴム会社の研究所元同僚に電話をかけ、事情を話し、ドラフトで実験できるように準備して頂いた。高純度SiC前駆体高分子を合成するためである。

 

人事部長にも無機材質研究所のご配慮をお話しし、1日だけ研究所へ出張し実験を行うとの連絡をした。フェノール樹脂の廃棄作業で反応条件についてデータを収集していた実験ノートのデータが役立った。元同僚は、丁寧にドラフトの中に試薬関係をすべて準備してくださっていた。また、フェノール樹脂についても、素性の分かっている樹脂を3種類ほど緊急で取り寄せるなど至れり尽くせりであった。

 

 

カテゴリー : 一般 連載 電気/電子材料 高分子

pagetop

2014.05/27 高純度βSiC合成法の開発(7)

無機材質研究所で最初に担当したテーマは、αSiC単結晶の異方性がどれくらいあるのか実測する研究だった。四軸回折計に単結晶を取り付け、それをYAGレーザーで直接加熱し、2000℃までの線膨張を測定する仕事だった。ところが2000℃まで耐える接着剤が世の中に無いので、結晶を高温度で固定することができず、1000℃前後までしか測定できない。また、その温度領域までならYAGレーザーも不要であった。

 

このような状況だったので最初の仕事は接着剤開発となった。この仕事では天井材開発でフェノール樹脂を扱った経験が生きた。すなわち特別に配合したフェノール樹脂で結晶をカーボンロッドに固定し、それを窒素下で炭化する。処理後石英管に封入しゴニオヘッドに取り付けて2000℃までの測定が可能となった。

 

石英管への封入は学生時代のガラス細工の経験が生きた。フェノール樹脂の処方については、残炭素率をあげ、さらに熱処理でひび割れしないように材料設計する必要があったが、いずれも高防火性フェノール樹脂天井材の開発で経験した改善項目である。入所後1週間でαSiCの線膨張率測定が2000℃まで可能となったので周囲がびっくりされた。

 

この線膨張率測定のテーマ以外にSiCのスタッキングシミュレーションのソフトウェア-開発を行った。SiCには積層の形態の違いで多数の結晶系ができ(多形)るのでこれをシミュレーションするプログラムである。当時16ビットのPCが主流だったがフロッピーを使用することができたので、50層程度まで積層で生じる多形のスタッキングデータを集めることができた。これは計算が安定してできるまでに1年近くかかった。

 

半年間はこうしてSiCの単結晶についてじっくりと研究することができた。留学し半年が経過して、昇進試験の結果を人事部長から知らされるまで幸せな毎日が過ぎていった。また、ゴム会社から義務として命じられていなかったが、I先生がT所長室での面談時の状況を心配され、月に1回報告書を持って人事部へ出張したらどうか、と言われていた。そこで定期的に本社へ出かけた。留学中の所属は人事部だったので、人事部長から研究所へ報告書が回覧されていた。しかし報告書のフィードバックは一切無かった。

 

カテゴリー : 一般 連載 電気/電子材料 高分子

pagetop

2014.05/26 高純度βSiC合成法の開発(6)

無機材質研究所から帰路の社有車の中で話題になった、バッテル研究所と無機材研T所長の見解との相違は、事業としてみているコンサル会社とアカデミアの楽観的見方との違いだろう、という結論になった。2:1であったので多数決としての結果である。

 

当方は、経営的な見方や考え方について参考になったが、30年以上経過してその社有車の中で行われた議論を振り返ってみると、技術のイノベーションに対する感度が経営判断を左右する問題が大きいと思った。これまでの技術の歴史というものを十分に理解しないで、ステレオタイプ的にアカデミアの見解を批判するのは危険である。アカデミアにも凄い先生がいらっしゃるのだ。高い金を払ったバッテル研究所のレポートを信じたい気持ちも分かるが。

 

バッテル研究所の調査レポートは、過去から現在の科学的情報を基にその延長線上の未来を予測した内容である。T所長の予測は、科学的情報を基にしているが、未来の社会における無機材料のあるべき姿を語った内容である。両者の違いは、予測不可能なイノベーションの存在を認めているかどうか、という点である。

 

社有車の中では、T所長の予測は経済性を考えていないから学者の意見だ、と簡単に切り捨てられていた。当方は、地球上のクラーク数や、単結晶育成技術の進歩などT所長の発言の中にも経済性の要素が語られていた、と思っていたが、それらは他の2名によれば教科書の上での話で実現されていない、と否定された。

 

当方の高分子前駆体による高純度化技術についてもまだ実現できていない、という理由で事業判断のまな板に載せられない、と排除された。道路が渋滞していたため、社有車の中で2時間以上企業における事業企画の考え方を教育された。

 

この社有車の中の勉強で、かつて同期のKが言っていたことを思い出した。50周年記念論文のようなイベントは、従業員に夢を語らせる施策なので実現性よりも多くの事業を生み出す可能性を感じさせるコンセプトで訴えることが重要になってくる。今実行できる研究開発企画を書いても、そのイノベーションの要素が大きければ博打にしか見えないので研究所にも判断できる人などいないが、今実行できる内容ゆえに専門外の人間には小さな夢にしか見えない、といった言葉である。

 

30年以上経って、当時のバッテル研究所の予測とT所長の予測では、SiCに限定すれば、後者が正しかったことを歴史が証明している。そしてそのT所長の言葉を信じて住友金属工業とJVを起業するまで頑張ってみて言えることは、世の中にイノベーションを引き起こす企画の立て方を書いた満足な書が無い、ということだ。

 

技術とは機能を実現するために科学の進歩を貪欲にとりいれるものだ。科学は真理を追究し、その論理を正確に積み上げていくので進歩の速度には限界がある。新しい発見が無いと科学の飛躍的な進歩を望めないのである。だから科学に基づくバッテル研究所のレポートは無難なシナリオになっていた。

 

新しい発見が科学の世界で起きると、その先の進歩は技術の進歩が圧倒的に早い。iPS細胞のヤマナカファクターの発見で大人の細胞をリセットできる技術が開発されたが、まだ科学としての進歩は遅い。iPS細胞で今進んでいるのは技術開発である。もし科学の進歩が早かったならばSTAP細胞の発見について有益な寄与ができたはずである。T所長の予測は科学と技術の違いを認識した研究開発企画の良い例だった。T所長もI先生もそのキャリアが示すように企業の研究開発の問題をよくご存じの方であった。

 

 

カテゴリー : 一般 連載 電気/電子材料 高分子

pagetop

2014.05/25 STAP細胞の騒動に潜むデータ管理の問題

科学者が身につけるデータの扱いについて学生時代に学ぶ。理系であれば、学生実験の時に数字の丸め方から実験ノートへの記載の仕方まで1年生の段階で指導されるはずだ。大学4年になれば、卒業論文をまとめ該当する学会の論文誌に投稿する手順まで指導される。当方の学生時代はそうだった。

 

その過程で科学倫理も含め指導を受ける。すなわち実験から論文執筆に至る一連の作業を通じ、実験ノートの位置づけやデータ管理や処理の方法を学ぶ。学生実験では、他人のデータをもらい、考察まで真似をしていると、芋づる式に呼び出された。厳しい先生がいる、と噂になったが、必須単位なので先生も学生を落とすわけに行かないから、愛情から呼びつけて書き直しを命じている、と捉えれば優しい指導だと気がつく。

 

厳しかった先生の指導は、後から思出せば、皆我が身のために一生懸命になってくださっていた、と感謝したくなることばかりだ。シクラメンの香りを全合成するルートの研究を4年生の時に行ったが、日常の中間体の構造確認のために測定していたIRチャートを丸めて保管していて叱られた記憶が今でも残っている。

 

まだゴミ箱に捨てていなかっただけでも偉い、と妙な褒められ方をしたからである。H先輩には、ゴミ箱に捨てるのも面倒だったのだろう、と厳しい皮肉を言われたものだ。不要なチャートでも一連の研究をまとめ上げるまで全てのデータを整理して保管するのは、科学者の常識であることを学んだ。

 

ゴム会社の研究所では報告書も含めた研究管理状況等が少しずつ崩れてゆく体験をした。アメリカの大会社を買収し、業界6位から1位を目指すために、大リストラが始まったからだ。この嵐の中、転職するまでの六年間は、企画書の作成は行っていたが、研究結果の報告書の作成をした記憶は無い。特許は研究がまとまる前の技術が見えてくると半年に1件程度の割合で書いていた。

 

転職した写真会社では専用の実験ノートを会社が配布し、異動時にはすべて回収し管理する仕組みになっていた。各部署の倉庫には実験ノートを管理する棚が備えられていた。このシステムは10歳年上の管理職が退職後、知財の問題でこの会社を訴えてきたときに役だった。

 

当方の開発した技術も含め、すべて自分がアイデアを出して指導したから報奨金を払え、という図々しい訴えである。その管理職がアイデアを出した、という時期と技術が存在していた時期との差異を実験ノートに押された日付印や前後に書かれた日時からすべて証明することができた。実験ノートに日時の記載が重要な理由である。

カテゴリー : 一般

pagetop

2014.05/24 理研の騒動関連(ファーストオーサー)

STAP 細胞の論文における写真捏造問題で新たな動きがあった。写真捏造と指摘された部分について、小保方氏側から、それは共著者の若山先生が担当された写真であ るとクレームが出されたのである。そして小保方さんは写真について責任が無い事と、一連の問題について情報をリークしているのは若山先生だと言って憤慨しているという。

 

なぜこのような科学者として無責任かつ低次元の発言になるのか不思議である。博 士でありながらファーストオーサーの役割を理解していない、と言わざるを得ない。論文著者の役割について研究分野や研究者により若干異なるかもしれないが、ファースト オーサーとは、その論文の大半の実験の推進責任者で論文全体に責任を持っている人という定義である。さらに大半の実験を自らやっていることが望ましいと言われ ている。

 

もちろん論文全体を正しく理解して、その論文の内容に責任を負うことができる能力を有していることは当然である。ゆえに学生が教授の下ですべての実験を行っても、論文を教授が書くときにファーストオーサーにはなれない。仮に実験テクニックが優れた学生でも論文の内容を理解していなければ、論文に責任を負えないからである。だから大学で論文を執筆するときにファーストオーサーにして頂けると言うことは、一人前の研究者として認めてもらえることなのだ(注)。

 

名誉あるSTAP細胞のファーストオーサーにしていただいたのに、新聞報道のような発言が出てくるのは、科学者の責任という問題を考えたときにおかしいのである。当方は高純度SiCの発明から事業化まで行ったが、残念な体験ばかりであった。

 

例えばSiCの反応速度論に関する研究では、研究の発案から実験装置の開発、そしてすべて実験データを自分で採取し論文にまとめたのに国立T大の先生にその論文を出され、自分はファーストオーサーになれなかったのである。文句の一つも言いたかったが、学位のお願いをしていた弱い立場であった。その他アカデミアとしてふさわしくないことが続いたのでそこで学位取得をあきらめ中部大学で学位を取得した。不純な大学に審査能力は無い、という科学者の誇りを持って学位論文をまとめた。(注2)

 

科学者の倫理と責任の観点で小保方さんは今回の問題を捉えて頂きたい。科学者が不純になった時、真理の体系は崩れるのである。技術者は不純な事をしてでも機能を実現しなければいけない。そして不純な事が法に触れれば訴えられるのである。法で管理しなければいけない技術の世界と異なり、科学の世界に法律を持ち込むのは間違っている。少なくとも法で裁かなければいけない時点でもう科学の世界ではなくなっているのである。科学の世界とは人の論文にちゃっかりファーストオーサーになっても共著者が訴えなければ許されてしまう世界なのである(注3)。

 

 

(注)1年間の研究で何も論文を書けない、というのは、研究室のポテンシャルか学生の能力か、あるいはその両方かもしれないが、研究能力が低いと言わざるを得ない。

 

(注2)当方は技術者であり、学位は科学者としての側面の大切なエビデンスなので、正しく審査して頂かないと困るのである。学位の品質と偏差値は異なるのである。

 

(注3)性善説を逆手にとってよからぬ事をする科学者が増えてきて、その結果氷山の一角としてSTAP細胞の騒動がおきたのではないか。

カテゴリー : 一般

pagetop

2014.05/23 高純度βSiC合成法の開発(5)

無機材質研究所へ留学するための手続きを兼ねてゴム会社の役員と直属の上司、当方と3人で終日出張した。T所長が特別に2時間面会してくださり、高純度SiCの将来性について講義してくださった。それから30年のSiCという材料の歴史を振り返ってみると、時間の尺度を除き、ほぼこの時の予想は当たっている。うれしかったのは、そのイノベーションに当方のビジョンが一役買う、と持ち上げてくださったことだ。

 

役員は、彼の論文は、あまりにも生々しいので会社ではボツになったが、わはは、と笑っていた。ここは笑うところではないだろう、と内心思ったが、直属の上司は、続けて、2年という話になっているが、3年4年と御指導して頂いて良いですから、と、当方が心配になるような冗談が飛び出した。そしたら無機材質研究所のグループ長I先生が、ここは学校ではないから長期間いても学位を取れないので、会社のサポートが重要ですよ、と真顔で答えてくださった。

 

I先生ならずとも一番びっくりしたのは当方で、まるで厄介者払いのように思われているのではないか、と心配になってきた。帰りの社有車の中で、本当に3年以上留学していて良いのか尋ねたら、海外留学には皆3年程度行っているので構わない、とあっさりとした回答だった。そしてT所長のお話と、バッテル研究所の調査レポートとの差異の議論になった。

 

バッテル研究所の調査レポートはゴム会社の企画部がまとめた市場調査レポートの種本のことであった。T所長が話された高純度SiCの将来性については、その調査レポートで軽く扱われており、高純度化のコストが負の要因として述べられていた。すなわちアチソン法で合成されたSiCをいくら低価格化できても、昇華法を数度繰り返して製造される高純度SiCは大変高価な材料になるとの予想がされていた。

 

フェノール樹脂300円、ポリエチルシリケート800円の原料を用いれば高くても1万円/kg以下で製造できる、と回答したら、直属の上司は、完全に相溶した前駆体ができているのかどうか分かっていないでしょう、と日頃言われたことのない発言をされたのでびっくりした。実験ノートをよく読んでいたのだ。

 

 

 

カテゴリー : 一般 連載 電気/電子材料

pagetop

2014.05/22 高純度βSiC合成法の開発(4)

50周年記念論文は箸にも棒にもかからなかった残念な結果、と落ち込んでいたらファインセラミックスを研究できるチャンスが飛び込んできた。また。記念論文に書いた企画について、その実現可能性を大きく左右する高分子前駆体のリアクティブブレンド技術について詳しく確認できるチャンスが、フェノール樹脂の廃棄作業という形で生まれた。

 

ところが、研究所部長からエレクトロセラミックスであるペロブスカイトをアメリカで勉強してこい、と言われた。これは50周年記念論文では、脇役のシナリオであり、また世の中で当時起きていたセラミックスフィーバーでは、エンジニアリングセラミックスが話題の中心だった。そして、具体的な材料はSiCやSi3N4などの非酸化物セラミックスで、酸化物セラミックスは1960年末にブームとなった材料である。

 

希望テーマが会社の方針と異なることや留学先の問題もあったので、大学の先生にご相談したら、無機材質研究所が世界のトップを走っており、そこで相談すべきだと指導してくださった。特にSiCについては、日本が先端をリードしており、その研究の中心機関は無機材質研究所第三グループだった。さっそくグループ長に電話をかけ面会を申し込んだら断られた。

 

学会やセミナー情報を調べていたら、そのグループ長が講演するフォーラムがあったので出張で出かけて名刺交換しつつ、会社でボツとなった50周年記念論文を読んで頂いた。

 

面白い内容だと褒めて頂き、所内の調整の上連絡する、と前向きのご返事があり、会社の上司に報告した。しかし会社の上司から海外留学と決まっているからダメだと言われた。せっかく良い返事を頂けたのにどうしようか、とKに相談したら、人事部長に国内留学を発令してもらえばよいだけだ、と教えてくれた。

 

翌日本社へ出張し、人事部長に事情を話し、国内留学の発令を出して頂いた。研究所内の調整は人事部長と上司がやってくださったので、無事無機材質研究所へ上司と訪問することができた。この時の上司の評価で昇進が遅れることになるのだが、ホスファゼン変性ポリウレタン発泡体や燃焼時にガラスを生成する難燃化システムなど新入社員であった当方に自由な研究時間を作ってくださったことに感謝している。

 

本来担当ではない仕事などをサービス残業でこなさなければならず、休日出勤など世間から見ればブラックな思い出も多々あるが、働くという意味が貢献と自己実現であり、その両者を実行できる環境が与えられていたわけなのでやりがいはあった。

 

カテゴリー : 一般 連載

pagetop

2014.05/21 高純度βSiC合成法の開発(3)

フェノール樹脂を廃棄するために硬化させる作業は大変だった。しかし、この廃棄作業のおかげで、フェノール樹脂とポリエチルシリケートのリアクティブブレンドのアイデアを具体化することができた。後日思い出してみても運が良かった、といえる。この時の実験で得られた膨大なデータが無ければ、高純度βSiC合成法は生まれていなかった。

 

廃棄作業であるにも関わらず、実験ノートをつけた。それはメモ程度の書き方であったが、日時と時間を細かく記録した。単なる廃棄作業でもA4の実験ノートには4ページ隙間が無いほど観察記録が書かれていた。それは習慣の賜物であった。具体的に現象を記録することで観察が細かくなるメリットがありさらに記録することで深く考えるきっかけになる(注1)。

 

廃棄作業の実験では完璧な前駆体高分子を創り出すことはできなかった。しかし様々な重合度のフェノール樹脂を扱ったので前駆体高分子の合成に重合度の因子があるらしいことは見えてきた。さらに世界で初めての有機高分子と無機高分子のリアクティブブレンドの反応で生じる現象について詳細なデータが得られた。

 

Aさんは当方の研究に対する姿勢をご存じだったので、廃棄作業を楽しくやっていることについて何も言われなかったが、上司の主任研究員からは、「趣味で仕事をやるな」と注意をされた。ところが実験ノートを見せたところ、無言で去って行った(注2)。実験ノートはマジメに仕事を行っている証拠となった。

 

この実験ノートに書かれたメモがその後重要なデータとなるのだが、廃棄作業を行っているときには、この詳細なメモで人生の一大チャンスをモノにできる事態になるとは夢にも思わなかった。余談だが、実験ノートには、最低限日時と実験の経過時間だけでも記録する必要がある。時間のデータは、現象がどのような速度で起きていたのか重要な証拠となるからである。

 

何も書くことが無くても時間のデータだけは書いておくと良い。現象をチェックした間隔が後日分かるからである。実験ノートは後日それを見て検証できることが重要で、単なるメモ目的で書いてはいけない。ゆえに日時情報は重要である。

 

実験ノートの形式は様々だが、最低限記入すると良い一例を示すと、時間を記録する欄と実験目的、そして実験のゴール予想欄をどこかに必ず記入する場所を定めておくと良い。また、見開き2ページ分を一つの実験に使う形式が使いやすい。もったいないかもしれないが、一実験2ページを使用し、左上には実験の目的を、右上には、その実験のゴールを予想して書く。こうすることで仮説無しの実験を防ぐことができる。

 

とかく思いつきの実験をやってしまうことがあるが、どのような実験でも仮説を立てる習慣をつけることが研究者として大切で、実験の目的とその実験から得られるであろう結果、すなわち到達するゴールを書くことにより仮説を考えることになる。フェノール樹脂の廃棄作業の実験記録には、ゴールとして透明な前駆体高分子が得られること、と書かれていた。主任研究員が納得したのはこの欄の意味を理解していたからである(注3)

 

小保方さんの公開された実験ノートで一番ダメなのは記録された日時情報がない点である。下手なネズミの絵があったが、その絵が何の目的で描かれたのか、そしてどうなっていて欲しかったのか、も記入されていない。すなわち現象を観察したときに持っていた仮説情報である。仮説は間違っていることも多い。それが実験で確認され新たな仮説が設定され、真理に迫ってゆく。それが科学における実験の意味であり、実験が単なる作業と異なる点である。

 

サンプルとして収集されたフェノール樹脂の廃棄作業を廃棄作業として行えば、貴重なサンプルは単なるゴミとなる。中には高価な輸入品もあった。しかし、不要なサンプルでも新たな現象を見いだすための実験に用いれば貴重な検体として活用したことになる。さらにそこから20年以上も続く事業のシーズが生まれたのなら、サンプルを購入した金額以上に活用したことになる。

 

実際に、この廃棄作業からゴム会社で20年以上続いている半導体用SiCの事業のシーズが生まれた。すなわち高純度SiCの事業はゴミを活用して企画された事業であって、タイヤよりも売り上げ規模が小さいためにゴミのような事業と社内で噂されていたのは間違いである。

 

(注1)デジタル時代になって、パソコンを実験ノート代わりに使用する例もある。当方も一時期ワープロを実験ノート代わりに使用していた。しかし、紙に直接書く場合とワープロで記録する場合で明確に異なるのは、表現である。ワープロで書く場合には、なぜか情報が整理されて記録される。紙のノートには、日本語になっていない情報も書かれる。写真会社では会社から実験ノートが貸与されたので必ずノートに記入する必要があったのでワープロを打ち出し添付していた時期もある。今30年以上の研究生活を思い出してみたときに紙に書いた内容をリアルに思い出すことができるのは不思議だ。ワープロで打った内容については思い出せない事柄もある。

 

(注2)実験ノートは研究者にとって、その作業が仕事であることを証明する重要な証拠である。ハートマークが書かれているような実験ノートは単なるメモである。30歳にならなくてもその程度の理解はできているはずだ。理研の騒動で弁護士が単なるメモを実験ノートとして開示したのには疑問が残る。自ら適当に税金で遊んでいたことを白状しているような行為である。

 

(注3)このように今でも想像しているが、当時その程度も理解できない人だという陰口もあった。また、部下であった2年間陰口を否定するような姿を一度も見ることは無かった。しかしゴム会社で昇進が早かった方なのである程度の力量はあったと思いたい。どのような人物がどのような昇進をするのかは、組織の健全性の指標になる。理研の騒動では、理研という組織に多くの問題が存在することを世間に曝してしまった。学位論文の状態や、学位論文の図を新たな研究のデータとして使い回すのは、捏造という悪意よりも能力が無かった、と考えたほうが理解しやすい。能力の無い研究者をグループリーダーに雇用し、論文を書かせたので騒動が起きているのである。

カテゴリー : 一般 連載

pagetop