昇進試験に落ちた連絡を受けた日の無機材研の話に戻る。昇進試験のショックに落ち込んでいたのは数分だった。I先生やT先生の激励でリベンジを決意した。無機材研でアイデアを検証することについて会社とも十分な調整をした。特許が無機材研から出願されることになる、というのに会社では誰も反対しなかった。検証結果に期待していなかったのである。
ゴム会社で、朝9時から高純度SiC合成のために用いる前駆体高分子の合成実験を始めたが、結局終了した夜9時まで食事抜きとなるハードワークとなった。それでも完全に透明になる条件が見つかり、その条件で炭素含有率が異なる10水準のサンプルを合成することができた。
この10水準のサンプルを用いて、炭化とSiC化の反応を行うのだが、許された時間は5日である。ゆえに4水準ピックアップして、SiC化の反応では、同時にこの4水準を処理することにした。その時電気炉の暴走が発生し最適条件となった話はすでにこの活動報告で書いた。運も味方したのである。
与えられた1週間の時間の中で1日残し、超高純度のSiCを安価に合成できるプロセスが完成したのだが、技術特許をどこが出願するのか改めて問題になった。I先生から基本的には無機材質研究所から出願して頂きたいが、会社とも再度調整するように、とも言われた。
当方は実験開始前に会社と調整が済んでいたのでどちらでも良かったが、ゴム会社に電話して驚いた。実験結果が出た後も、研究所のどなたも反対されなかったのである。結局この技術の基本特許はすんなりと無機材質研究所で出願することになった。
その後この特許を基に国のプロジェクトの準備が進められるのだが、ささやかな新聞発表もあったのでゴム会社が大慌てになった。結局ゴム会社が無機材質研究所と調整し、国のプロジェクトではなく、ゴム会社で国から斡旋を受けて開発を進める企画になった。試験に落ちてからたった一週間の成果で状況が改善されたことにびっくりした。
数ヶ月前のSTAP細胞発表の騒動と当時の無機材研のマネジメントを比較すると面白い。セラミックスフィーバーが吹き荒れていた時に当方の発明はSTAP細胞同様の扱いになってもおかしくない成果であった。30年経過した現在でも某セメント会社からこの技術を利用した類似の特許が出願されているような基本技術である。またゴム会社では現在でもこの技術で事業が展開されている。このような大きな影響力の予想された技術であったため、極めて慎重に研究テーマはマネジメントされた。
また、当方が企画から検証まですべて行ったにも関わらず、特許等の書類では末尾に名前が書かれるとか、あるいは全く当方の名前が無い書類もあった。単なるビジター研究員だったので当然であるが、全てについてI先生は当方への配慮として説明してくださった。
I先生の人柄を信じていたので、実質の発明者として扱われていない状況に不満を述べないだけで無く、すべてお任せした。その結果、何も騒動は起きず、その後ゴム会社で当方が研究開発できる体制ができ、少なくともある問題が起きるまでは、無難に研究開発を進める体制ができていった。
32年経過して思い返してみると、もしこの時STAP細胞発表のような騒動を起こしていたなら学位を取ることもできなかったろう、と胸をなで下ろしている。よい問題にしろ悪い問題にしろ、組織の中で発生した問題について中心人物は静かにしているのが一番である。その結果良くない方向に動いたならば、後日それなりの対応をとっても遅くは無い。これは組織人としての知恵でSTAP細胞の騒動で弁護士まで表に登場したのでは、無難に収集するのが難しくなる。
研究開発者にとって一番大切なことは、穏やかに研究開発できる環境である。そのために技術マネジメントが重要である。割烹着が登場した時点で少し胡散臭さを感じたがW大学の学位審査のずさんさまで明るみに出るパンドラの箱をあけたような騒動になっている。
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人事部長との面接は2時間以上の長丁場だった。人事部長も当方のガス抜きは大変だろうと時間を取ってくださっていたのだ。この時の人事部長はその後子会社の社長として栄転されるのだが、企業人としてお手本になる人だった。難解な技術の話でも熱心に傾聴してくださり、的確な仕事の進め方や対応のアドバイスをしてくださった。
32年間のサラリーマン生活で何があっても腐らず貢献と自己実現を実践できたのはこの時の面談が大きく影響している。サラリーマンとしての一大事に親身になって状況へ真摯に向き合いアドバイスしてくださったのだ。悔しさや腹立たしさが、自分の未熟さの反省に変わる気づきを与えてくれた。
翌年の昇進試験では、会社の先行投資も決まった後であり合格することはわかっていた。試験官はリクエストどおり前年度と同じ方だと伝えられた。同じ内容の答案に今度は100点という最高点がついていたという。その試験官とは直属の部下になって仕事をしたことは無かったが、その心意気が気に入った。会社では昇進試験だけの接点であったが、良い印象を持っている。
この時の会社の風土は、CIを導入していた時期であり、前向きで建設的な動きが感じられた。ゆえに昇進試験の問題のような解決方法がなされたのだろう。しかし、7年後研究の妨害のためが起きたときは、全く異なる風土になっていた。世界5位の会社が3位の会社を買収し、世界1位を目指そうと血みどろの戦いをしているときであった。
バブルがはじける前に激しいリストラの嵐が吹き荒れていた。どの部門の管理職も血眼になって仕事をしている様子が担当者にも伝わっていた。そのような風土に変化していてもマイペースで他社とジョイントベンチャーにより半導体冶工具の事業を立ち上げた姿が周囲から反感をかってもおかしくない状況であった。この劣悪な風土は、新聞や週刊紙で大きく報じられたあの騒動まで続いたそうだ。
何か社内で問題が起きたときに、会社に裁判所は無いのである。その会社の組織風土がその問題を裁くことになる。会社には規則や規程はあるがその運用は経営者にゆだねられている。ゆえに会社内で問題に遭遇した場合には、決して自分で動いてはいけない。第三者も巻き込み、信頼できる管理者に動いてもらい問題を解決するのが良い。誰も動かなかったのなら、何もしない解決というのがサラリーマンの知恵である。問題解決に動けば動くほど誠実で真摯に対応したいのであれば、問題を明確にして会社を辞める以外に道は無い状態になっていった。
しかし、昇進の問題では当方が無鉄砲な動きをしても会社に留まれるような環境が次々と作られていった。社長の前でプレゼンテーションしてその場で2億4千万円の先行投資が決まったり、社長との飲食や、ファインセラミックスのための特別な研究棟が建設されたり、と会社の動きは速かった。その結果、3年でも留学していいよ、と言われた状態から今すぐ研究所に戻ってこいという状態まで当方の周囲の環境整備が進められた(続く)。
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STAP細胞の騒動以降、博士の学位が必要な3つの理由などツイッターで学位の話題を目にするようになった。企業で研究開発を行い、その成果をもとに学位を取得した経験から博士の学位について述べてみたい。
ちなみに当方は中部大学で学位を取得し、その中心となっている研究は日本化学会化学技術賞の受賞対象となった技術で現在もその技術はゴム会社で事業として継続されている。ただし、化学技術賞の中心をなす研究を行ったにも関わらずそこに名前は載っていないが、学位と受賞理由を参照して頂ければこの賞における学位論文に書かれた研究の重要性をご理解頂けると思う。
まず企業活動を行う上で学位が必要かどうかという点について。少なくとも国内でサラリーマンとして活動する限りにおいて学位は不要である。理由は簡単で、今回のSTAP細胞の騒動でも表沙汰になったが、博士の学位のいい加減さである。STAP細胞では学位審査した大学と、学位を授与された側双方のいい加減さが表に出た。
この騒動では、論文をまともに書けない、日々の実験管理もまともにできない、実験ノートは落書き帳というとんでもない博士にたいして、他人の論文の20ページ近くもコピペしていても許し学位を授与すると言ったお粗末さが明るみに出た。
日本の企業人は皆日本の学位審査の実態だけでなく、そこから生み出された博士の品質のばらつきの大きいこと、そしてばらつきが大きいだけでなく、平均値が学部以下、すなわち会社で業務を遂行するときの能力が低いことも経験的に学んでいるのである。ちなみにSTAP細胞の中心人物は表に出た証拠を頼りに能力を評価すると企業では使い物にならない人材となる。
だから博士の採用を企業は渋るのである。博士を扱いにくい、という理由は、能力が低いからである。ここでいう能力とは潜在能力ではなく、表にでてくる実践的能力のことである。STAP細胞の騒動の中心人物は潜在能力はあるのかもしれないが、新聞情報では潜んだままで少なくとも表に出てきた能力の証拠の数々は学士レベル以下である(注)。
ところが海外との仕事になってくると少し事情が異なってくる。名刺交換したときに学位の有無で外人は対応が異なるのである。当方が学位を取得しようと考えた動機はそこにある。仕事のできない博士のほうが偉く扱われたからである。
たとえば技術開発を担当していなかったにも関わらず、パーティーなどで話題の技術について意見を求められるのは名刺に博士の学位が書かれている人物に対してである。学位の無い名刺を出した方は、いくら実力があっても軽く扱われる。同じ役職の場合に、学位で大きく扱いが異なってくる点が日本人同士の場合と異なる。
今技術者は国際化の流れの中で研究開発を行わなければならない。ゆえに実力のある技術者は学位を取得した方が良い、と経験上言える。一方大学に残ってまで学位を取る必要があるのかというと、学位はお花などのお稽古事と異なるので、不要である、と言える。
大学に残ってまで学位を取りたい場合には、自分にそれに値する能力があるかどうか、具体的には学位取得後も企業に就職できる自信があるかどうか、で判断すれば良い。学位取得後、就職先が無い、といって嘆く人は進路を間違えたのである。能力が無いのに学位を取ろうとした結果である、と考えるべきだ。本当に能力がある学生が、学位を取得している状況になれば、企業も積極的に学位取得者を採用するようになる。これは当たり前のことだ。
ただし、学生生活では企業の実践的な研究開発の事情が分からないので能力を発揮できていないだけだ、という言い訳が出てくるが、そのような方には弊社の研究開発必勝法を学習することをお勧めする。また、その入り口として未来技術研究部( www.miragiken.com )を立ち上げているのでそちらをごらんください。未来技術研究部では、未来技術を語りつつ技術開発について学べるようなマンガを目指している。
(注)ここでいう学士レベルは、理系であれば、4年終了時に論文を1報仕上げているレベルである。理研の所長もその程度を描いておられると思う。当方は学士卒業時にそこまで求められた。
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STAP細胞の騒動では記者会見が開かれ、管理者側と被評価側双方の意見を聞くことができた。両者の意見から浮かび上がってきたのは、理研の所長が未熟と表現したように、およそチームリーダーはおろか一人前の研究者として勤まらないような人材(すなわち研究成果を責任もって推進しそれを正しくまとめ論文投稿する一連の動作ができる人材を標準と考えている)が国の税金を使って指導者も無く実験を行っていた現実である。
データ管理の方法、実験ノートに記載された内容、さらには博士という学位論文の状況など公開されている資料から判断する限り学部レベルの学生以下の能力であることを示す内容である(注1)。当方は4年時の卒論でアメリカの化学会誌に投稿する論文を助手の指導でまとめているが、最後の仕上げは助手の方が全て行い、始めて論文投稿という作業の大変さを学んだ。その指導のおかげで修士の二年間では半年に1報のペースで論文を書くことができた(注2)。
STAP細胞の騒動では、被評価側の立場が悪いが、それは双方の資料が公開された上での評価である。これが会社の人事評価になると状況が異なる。直属の人事権を持った管理職の評価が全てである。会社の人事評価を天の声と言う人がいるが、たとえ多面評価を行ったとしても直属の上司の評価が悪ければ、それがその人の評価になってしまう。
天の声という意味は人事評価に振り回されるな、という意味であって公明正大な評価という意味では無いことを理解しておくことは重要である。天の声も妙なことをいうなァ、と言った首相もいたが、会社の人事評価はどのような手法を用いても直属の上司が人格的に優れた人物で無い限り、その評価は歪む(注4)。
ゴム会社では、新入社員は半年間という長い時間集合訓練で人事部の方達と寝食を共にする。ゆえに人事部の方達は、新入社員がどのような人物かおよそ把握している。当方は、この研修期間中に良い評価を頂いたそうなので配属後の3.5年間を人事部長に全てお話しをする機会を得た。人事部長はその話をすべて傾聴してくださった。
新入社員の6ケ月間の研修以外は、定時に帰宅したことはほとんど無かった。研究所には残業時間の制限があったのでほとんどがサービス残業である。最初に担当した樹脂補強ゴムのテーマでは指導社員が大変優秀な方だったので、一年のテーマをたった3ケ月でまとめることができた。初めての特許出願も体験し、後工程にゴムの配合処方が採用された。しかし配属後3ケ月で人事異動となった。
異動した部署の主任研究員は部下に評判の悪い人だった。この方の査定が悪く昇進試験に落ちたのだが、成果を出さなかったわけではない。軟質ポリウレタンフォームの難燃化技術がテーマとして採用されホスファゼン変性ポリウレタンフォームを数ヶ月で工場試作することに成功したが、始末書を書いている。
この始末書については書かなければいけない理由がよく分からなかったが、周囲からサインしておけば良い、と言われたのでサインをした(注3)。研修では入社二年間は責任を問われないから思い切り仕事をやるように人事部長から聞かされたが、責任を問われたわけである。しかし、責任を問われたことよりも企画を提案したときに設定したゴールを達成して始末書という意味がよく分からなかった。とにかく先端材料であるホスファゼンを用いたことが問題にされたらしい。
ならば、と始末書に落胆することなく、燃焼時にガラスを生成して高分子を難燃化するというコンセプト企画をぶち上げた。ガラスを生成して高分子を難燃化するコンセプトを実現するために処方設計したが、ガラスではアルカリ性が強くポリウレタンの反応を制御できないことが実験を開始してすぐに分かったので、燃焼時にボロンホスフェートが生成する設計に変更した。
これも数ヶ月で試作することができ、この時はそのまま製品展開され少し褒められたが、給与は同期のKよりも少し下がった。成果が出て給与が下がる面白い会社だ、と笑ってみせたが、昇進試験に影響が出るとは予想しなかった。そのあとフェノール樹脂天井材を担当したのだが、プロジェクトリーダーが長期病欠になる散々なテーマで、さらに思うように仕事を進めることができず、ヤミ研で開発した技術が製品に活用されたにも関わらず、明らかに考課は下がった。サービス残業代ももらえなかった。
人事部長の面談で以上の話をすべてしたら、君は人間リトマス試験紙と思って生きてゆきなさい、と言われた。その心は、と尋ねたら、君を悪く評価する人は悪い人である、と思って諦めなさい、とのこと。すなわち悪い上司に当たったからと言ってそれに左右される生き方をしたり、ましてや腐ったりしてはいけない、と励まされた。
今でもこの時の面談を思い出すが、人事部長も大変だったのだろうと思う。本来悪い考課をつけられたのだから反省しなければいけない社員が、反省をしないで職場の問題を訴えているのである。しかもその社員は職場を訴えている意識など無く、自分の成果を訴える過程で職場の問題が吹き出しているのだ。
若い頃は社会人として未熟でかつ純真である。しかし、それも30歳までに卒業できるように周囲は指導しなくてはならない。学校教育では教えていない本当の働く意味を指導しなくてはいけない。人事部長からはその後きめ細かなコーチングを受けた。感謝している(続く)。
(注1)学位論文では他人の論文のコピーアンドペーストが20ページにわたり行われていた、という。理系の学位論文では、学会誌へ投稿した論文をそのまままとめることが多い。学会誌に投稿された論文は、共同研究者の査読なりチェックが必ずはいるので学部レベルでも他人の論文も含めコピペを行えば学位論文をまとめることができる。またこのレベルの研究者でも新現象の発見はできる。むしろ発見という行為は知識が少ない、それゆえ先入観が無いほうが容易に行える。
(注2)当方は理研の鬼軍曹が頭に描いている標準レベルの研究者である。鬼軍曹というあだ名は、名古屋大学時代につけられたが、あだ名からは想像できない優しい熱心な指導者である。すなわち自分の受け持ちの学生でなくとも真摯な努力をする学生に対しては、きめ細かな厳しい指導をしてくださる。けっして鬼では無い、当たり前の指導者だ。ただ、コピペの論文を査読もせずに学位を与えるいい加減な先生よりも熱心なだけだ。
(注3)サインは当方一人だけだった。当方を一人前として扱ってくれた、と誤解した。
(注4)32年間のサラリーマン生活で人事評価は大きく変動した。同じ答案でも0点から100点となったように、人間は変化しなくとも評価者が変わればその評価は変動する。世の中には誠実さや真摯さを嫌う人がいる。ドラッカーは逆に経営者は誠実で真摯な人材を見いだすように努力せよ、と言っている。あえてドラッカーがその書で強調しなければいけないくらいに誠実さや真摯さは評価する管理者にとってリトマス試験紙のようになるのだろう。サラリーマンは誠実で真摯に自己実現に努力し社会に貢献する努力を怠らないことが大切である。そのように生きている人に悪い評価をする人間は、やはり悪い人なのである。
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さて昇進試験に不合格となった理由だが、人事部長の話では、論文が0点だったことと、受験前二年間の業務査定がBとB-だったことらしい。業務査定から不合格は事前に分かっていたが、論文の点次第では人事部で昇進させるつもりだった、といわれた。しかし論文が0点ではどうしようもない、と説明された。
論文の0点については事前に問題が分かっていて、その準備をして臨んだこと等不審な点をあげ、説明を求めたが、人事部長は黙して語らず、状態だった。ただ、論文の採点は、それぞれの事業部門の基幹職が行っており、来年は試験官が変わるから期待せよ、と慰められた。
しかし、当方から逆に来年も同じ試験官でお願いします、もの凄いことが起きますから、とお願いしたら、人事部長はびっくりされて、留学に精進するよう言われた。留学先で一生懸命頑張った結果が凄いことになりますから、と笑顔で答えたが、人事部長にはどのように写ったのか記憶に無い。この時の人事部長との面談では無性に悲しく今にも泣き出したかった記憶だけある。
この業務査定や試験結果は、組織としてこの人材はいらない、と意思表示している意味である。1年の予定のテーマを3ケ月で仕上げたり、高分子合成のテーマで新入社員でありながら企画を提案し、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの試作を成功させたり、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームやシリカ変性フェノール樹脂天井材(注)を毎日サービス残業を行い短期で実用化したり、周囲から見ると異常に見えたのかもしれない。
フェノール樹脂天井材を除き、ほとんど一人で推進したような仕事である。仕事を行っているときには、最初からとばすな、という声は聞こえたが、マネジメント上の指導は無かった。せいぜい趣味で仕事をやるな、という主任研究員の一言だけである。研究所は成果主義の評価、と聞いていたので成果を真摯に追求しただけである。
この時の記憶が、やがて管理職になり人事評価をする立場になったとき、成果に対して正しく評価するよう努める姿勢に向かわせた。他人が上げた成果をひいきしている部下の成果とするような評価を一切しなかった。どうしても甘い評価をしなければいけない状況になったときには、良い評価をつけてもきめ細かなコーチングやその後の指導を厳しくし、評価と業務成果が連動するよう管理者として努めた(続く)。
(注)当時のそれぞれの成果は、特許や論文、学会の講演記録として公開されている。さらにホスファゼン変性ポリウレタンフォームや、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームの研究成果は、無機成分による高分子前駆体プロセシングの一環として学位論文の一部になっている。入社して3年半でこれだけ成果を出せたのは、最初の指導社員が極めて優秀な人で、研究開発の極意を伝授してくださったおかげである。その方も事業に貢献する企画を数多く成功させたが主任研究員止まりであった。しかし、その方の研究開発哲学は企業における研究開発をどのように行うべきか、経営の視点における一つの答を示していると、今でも思う。当時研究所ブームの名残が残っており、どちらかと言えばアカデミックな研究が企業でも行われていた時代で、その中でオブジェクト指向の研究開発スタイルは異端であった。ちなみにその指導社員はレオロジストであり、関数電卓でダッシュポットとバネのモデルの計算をやっていたもの凄い人物である。製品ができあがるプロセシングからゴムの材料設計をとらえている技術者でこの指導社員を越える力量を持った人物に未だに出会ったことはない。1年のテーマを3ケ月で仕上げることができたのは、テーマ開始時にシミュレーションによる答が得られており、実作業で出てくるデータがそのとおりだったからである。この仕事において自分の貢献できる役割は、開発の時間短縮だけだと考えた。1日7時間労働で1年かかるなら、休日出勤して1日15時間労働すれば3ヶ月で終わる、と仕事のシミュレーションをして、それを実行したら計算通りに仕事が終わった。その指導社員が神様に見えた。
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当時ゴム会社では、係長職と管理職(社内の呼称は異なる)の選抜に筆記試験が課せられていた。しかしこの試験については過去問題や予想問題が受験者に流れていたり、裏の噂もあったりした。無機材質研究所へ留学して3ケ月経過したときに受験案内が人事部から届いた。また研究所の友人からは予想問題が届いていた。不合格になるとは思えない状況だった。
筆記試験の問題は数題ある試験問題から一題選択し、3時間の試験時間でA4用紙3枚程度にまとめるというものだった。新規事業のシナリオや過去の業務について考察しまとめるなどの試験対策をして臨んだ。びっくりしたのは予想問題と称されていた問題がそのまま出ていたことだ。合格したと思った。
10月になり、人事部長から昇進試験不合格の知らせを無機材質研究所で受け取った。意外であった。入社後担当したテーマでは、必ずゴールを期限内に達成していた。また商品化テーマも3件担当していた。0件でも研究所では合格ラインであり、1件担当すれば絶対に合格とも噂されていたので何らかの意図を感じた。
電話の応対を見ておられた、総合研究官I先生と主任研究員T先生が心配され、当方が描いているビジョンを実現するための実験を無機材研で一週間だけ行ってよい、と言ってくださった。当方のモラールダウンを心配してのことである。すぐに当方は、ゴム会社の研究所元同僚に電話をかけ、事情を話し、ドラフトで実験できるように準備して頂いた。高純度SiC前駆体高分子を合成するためである。
人事部長にも無機材質研究所のご配慮をお話しし、1日だけ研究所へ出張し実験を行うとの連絡をした。フェノール樹脂の廃棄作業で反応条件についてデータを収集していた実験ノートのデータが役立った。元同僚は、丁寧にドラフトの中に試薬関係をすべて準備してくださっていた。また、フェノール樹脂についても、素性の分かっている樹脂を3種類ほど緊急で取り寄せるなど至れり尽くせりであった。
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無機材質研究所で最初に担当したテーマは、αSiC単結晶の異方性がどれくらいあるのか実測する研究だった。四軸回折計に単結晶を取り付け、それをYAGレーザーで直接加熱し、2000℃までの線膨張を測定する仕事だった。ところが2000℃まで耐える接着剤が世の中に無いので、結晶を高温度で固定することができず、1000℃前後までしか測定できない。また、その温度領域までならYAGレーザーも不要であった。
このような状況だったので最初の仕事は接着剤開発となった。この仕事では天井材開発でフェノール樹脂を扱った経験が生きた。すなわち特別に配合したフェノール樹脂で結晶をカーボンロッドに固定し、それを窒素下で炭化する。処理後石英管に封入しゴニオヘッドに取り付けて2000℃までの測定が可能となった。
石英管への封入は学生時代のガラス細工の経験が生きた。フェノール樹脂の処方については、残炭素率をあげ、さらに熱処理でひび割れしないように材料設計する必要があったが、いずれも高防火性フェノール樹脂天井材の開発で経験した改善項目である。入所後1週間でαSiCの線膨張率測定が2000℃まで可能となったので周囲がびっくりされた。
この線膨張率測定のテーマ以外にSiCのスタッキングシミュレーションのソフトウェア-開発を行った。SiCには積層の形態の違いで多数の結晶系ができ(多形)るのでこれをシミュレーションするプログラムである。当時16ビットのPCが主流だったがフロッピーを使用することができたので、50層程度まで積層で生じる多形のスタッキングデータを集めることができた。これは計算が安定してできるまでに1年近くかかった。
半年間はこうしてSiCの単結晶についてじっくりと研究することができた。留学し半年が経過して、昇進試験の結果を人事部長から知らされるまで幸せな毎日が過ぎていった。また、ゴム会社から義務として命じられていなかったが、I先生がT所長室での面談時の状況を心配され、月に1回報告書を持って人事部へ出張したらどうか、と言われていた。そこで定期的に本社へ出かけた。留学中の所属は人事部だったので、人事部長から研究所へ報告書が回覧されていた。しかし報告書のフィードバックは一切無かった。
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無機材質研究所から帰路の社有車の中で話題になった、バッテル研究所と無機材研T所長の見解との相違は、事業としてみているコンサル会社とアカデミアの楽観的見方との違いだろう、という結論になった。2:1であったので多数決としての結果である。
当方は、経営的な見方や考え方について参考になったが、30年以上経過してその社有車の中で行われた議論を振り返ってみると、技術のイノベーションに対する感度が経営判断を左右する問題が大きいと思った。これまでの技術の歴史というものを十分に理解しないで、ステレオタイプ的にアカデミアの見解を批判するのは危険である。アカデミアにも凄い先生がいらっしゃるのだ。高い金を払ったバッテル研究所のレポートを信じたい気持ちも分かるが。
バッテル研究所の調査レポートは、過去から現在の科学的情報を基にその延長線上の未来を予測した内容である。T所長の予測は、科学的情報を基にしているが、未来の社会における無機材料のあるべき姿を語った内容である。両者の違いは、予測不可能なイノベーションの存在を認めているかどうか、という点である。
社有車の中では、T所長の予測は経済性を考えていないから学者の意見だ、と簡単に切り捨てられていた。当方は、地球上のクラーク数や、単結晶育成技術の進歩などT所長の発言の中にも経済性の要素が語られていた、と思っていたが、それらは他の2名によれば教科書の上での話で実現されていない、と否定された。
当方の高分子前駆体による高純度化技術についてもまだ実現できていない、という理由で事業判断のまな板に載せられない、と排除された。道路が渋滞していたため、社有車の中で2時間以上企業における事業企画の考え方を教育された。
この社有車の中の勉強で、かつて同期のKが言っていたことを思い出した。50周年記念論文のようなイベントは、従業員に夢を語らせる施策なので実現性よりも多くの事業を生み出す可能性を感じさせるコンセプトで訴えることが重要になってくる。今実行できる研究開発企画を書いても、そのイノベーションの要素が大きければ博打にしか見えないので研究所にも判断できる人などいないが、今実行できる内容ゆえに専門外の人間には小さな夢にしか見えない、といった言葉である。
30年以上経って、当時のバッテル研究所の予測とT所長の予測では、SiCに限定すれば、後者が正しかったことを歴史が証明している。そしてそのT所長の言葉を信じて住友金属工業とJVを起業するまで頑張ってみて言えることは、世の中にイノベーションを引き起こす企画の立て方を書いた満足な書が無い、ということだ。
技術とは機能を実現するために科学の進歩を貪欲にとりいれるものだ。科学は真理を追究し、その論理を正確に積み上げていくので進歩の速度には限界がある。新しい発見が無いと科学の飛躍的な進歩を望めないのである。だから科学に基づくバッテル研究所のレポートは無難なシナリオになっていた。
新しい発見が科学の世界で起きると、その先の進歩は技術の進歩が圧倒的に早い。iPS細胞のヤマナカファクターの発見で大人の細胞をリセットできる技術が開発されたが、まだ科学としての進歩は遅い。iPS細胞で今進んでいるのは技術開発である。もし科学の進歩が早かったならばSTAP細胞の発見について有益な寄与ができたはずである。T所長の予測は科学と技術の違いを認識した研究開発企画の良い例だった。T所長もI先生もそのキャリアが示すように企業の研究開発の問題をよくご存じの方であった。
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科学者が身につけるデータの扱いについて学生時代に学ぶ。理系であれば、学生実験の時に数字の丸め方から実験ノートへの記載の仕方まで1年生の段階で指導されるはずだ。大学4年になれば、卒業論文をまとめ該当する学会の論文誌に投稿する手順まで指導される。当方の学生時代はそうだった。
その過程で科学倫理も含め指導を受ける。すなわち実験から論文執筆に至る一連の作業を通じ、実験ノートの位置づけやデータ管理や処理の方法を学ぶ。学生実験では、他人のデータをもらい、考察まで真似をしていると、芋づる式に呼び出された。厳しい先生がいる、と噂になったが、必須単位なので先生も学生を落とすわけに行かないから、愛情から呼びつけて書き直しを命じている、と捉えれば優しい指導だと気がつく。
厳しかった先生の指導は、後から思出せば、皆我が身のために一生懸命になってくださっていた、と感謝したくなることばかりだ。シクラメンの香りを全合成するルートの研究を4年生の時に行ったが、日常の中間体の構造確認のために測定していたIRチャートを丸めて保管していて叱られた記憶が今でも残っている。
まだゴミ箱に捨てていなかっただけでも偉い、と妙な褒められ方をしたからである。H先輩には、ゴミ箱に捨てるのも面倒だったのだろう、と厳しい皮肉を言われたものだ。不要なチャートでも一連の研究をまとめ上げるまで全てのデータを整理して保管するのは、科学者の常識であることを学んだ。
ゴム会社の研究所では報告書も含めた研究管理状況等が少しずつ崩れてゆく体験をした。アメリカの大会社を買収し、業界6位から1位を目指すために、大リストラが始まったからだ。この嵐の中、転職するまでの六年間は、企画書の作成は行っていたが、研究結果の報告書の作成をした記憶は無い。特許は研究がまとまる前の技術が見えてくると半年に1件程度の割合で書いていた。
転職した写真会社では専用の実験ノートを会社が配布し、異動時にはすべて回収し管理する仕組みになっていた。各部署の倉庫には実験ノートを管理する棚が備えられていた。このシステムは10歳年上の管理職が退職後、知財の問題でこの会社を訴えてきたときに役だった。
当方の開発した技術も含め、すべて自分がアイデアを出して指導したから報奨金を払え、という図々しい訴えである。その管理職がアイデアを出した、という時期と技術が存在していた時期との差異を実験ノートに押された日付印や前後に書かれた日時からすべて証明することができた。実験ノートに日時の記載が重要な理由である。
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STAP 細胞の論文における写真捏造問題で新たな動きがあった。写真捏造と指摘された部分について、小保方氏側から、それは共著者の若山先生が担当された写真であ るとクレームが出されたのである。そして小保方さんは写真について責任が無い事と、一連の問題について情報をリークしているのは若山先生だと言って憤慨しているという。
なぜこのような科学者として無責任かつ低次元の発言になるのか不思議である。博 士でありながらファーストオーサーの役割を理解していない、と言わざるを得ない。論文著者の役割について研究分野や研究者により若干異なるかもしれないが、ファースト オーサーとは、その論文の大半の実験の推進責任者で論文全体に責任を持っている人という定義である。さらに大半の実験を自らやっていることが望ましいと言われ ている。
もちろん論文全体を正しく理解して、その論文の内容に責任を負うことができる能力を有していることは当然である。ゆえに学生が教授の下ですべての実験を行っても、論文を教授が書くときにファーストオーサーにはなれない。仮に実験テクニックが優れた学生でも論文の内容を理解していなければ、論文に責任を負えないからである。だから大学で論文を執筆するときにファーストオーサーにして頂けると言うことは、一人前の研究者として認めてもらえることなのだ(注)。
名誉あるSTAP細胞のファーストオーサーにしていただいたのに、新聞報道のような発言が出てくるのは、科学者の責任という問題を考えたときにおかしいのである。当方は高純度SiCの発明から事業化まで行ったが、残念な体験ばかりであった。
例えばSiCの反応速度論に関する研究では、研究の発案から実験装置の開発、そしてすべて実験データを自分で採取し論文にまとめたのに国立T大の先生にその論文を出され、自分はファーストオーサーになれなかったのである。文句の一つも言いたかったが、学位のお願いをしていた弱い立場であった。その他アカデミアとしてふさわしくないことが続いたのでそこで学位取得をあきらめ中部大学で学位を取得した。不純な大学に審査能力は無い、という科学者の誇りを持って学位論文をまとめた。(注2)
科学者の倫理と責任の観点で小保方さんは今回の問題を捉えて頂きたい。科学者が不純になった時、真理の体系は崩れるのである。技術者は不純な事をしてでも機能を実現しなければいけない。そして不純な事が法に触れれば訴えられるのである。法で管理しなければいけない技術の世界と異なり、科学の世界に法律を持ち込むのは間違っている。少なくとも法で裁かなければいけない時点でもう科学の世界ではなくなっているのである。科学の世界とは人の論文にちゃっかりファーストオーサーになっても共著者が訴えなければ許されてしまう世界なのである(注3)。
(注)1年間の研究で何も論文を書けない、というのは、研究室のポテンシャルか学生の能力か、あるいはその両方かもしれないが、研究能力が低いと言わざるを得ない。
(注2)当方は技術者であり、学位は科学者としての側面の大切なエビデンスなので、正しく審査して頂かないと困るのである。学位の品質と偏差値は異なるのである。
(注3)性善説を逆手にとってよからぬ事をする科学者が増えてきて、その結果氷山の一角としてSTAP細胞の騒動がおきたのではないか。
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