ニュートンにつきましては、リンゴが落ちるのを見て万有引力を発見した人物として有名ですが、リンゴではなく「月が地球に落ちてこないのはなぜか」という問いを「マッハ力学史」では考えたことになっています。すなわち、「身の回りの物は地球の重力により落下するが、月はなぜ落ちてこないのか」、という問いを考え続けたそうです。
マッハは、ニュートンの思考過程を彼の業績と彼以前の学者の業績を示しながら説明し、非科学的な思考ではあるが科学的な成果を出した優れた方法と評価しています。ここでは、マッハ力学史を参考にして、伝説に従い身の回りの物をリンゴに置き代えてニュートンの思考過程を想像してみます。
(1)満月の夜、リンゴの木を見つけたニュートン。
(2)そよ風が吹いて、リンゴが木から落ちた。
(3)リンゴが落ちたのは、リンゴを木につなぎ止めていた力が弱かったからだ。
(4)しかし、満月は、なぜ地球に落ちてこないのか。
(5)ニュートンは、リンゴを拾い上げ、ヒモをリンゴにとりつけ振り回している姿を想像する。
(6)振り回す速度を速めていったら、恐らく遠心力でヒモからリンゴがはずれ、リンゴは月明かりの中に飛んで行くだろう。
(7)月が地球の周りを回っているのは、遠心力と釣り合う力が働いているためだ。
(8)この遠心力と釣り合う力を地球の重力と考えよう。
(9)ところで地球に重力があるならば月にも重力があるはずだ。
(10)お互いが引き合って、遠心力とバランスを取っているのだろうか。
以上は筆者の推測ですが、満月に向かって真っ赤なリンゴが黒い影となり飛んで行った時に万有引力が発見された、という絵画的なシーンを思い浮かべながら思考実験の様子を描いてみました。
上記の手順で本当にニュートンが考えたかどうかは不明ですが、マッハは、彼のこのような思考過程を非科学的と批判しつつも、現象を考察する時に用いた思考実験を称賛しています。そして、このニュートンの思考実験の方法をアインシュタインに紹介し、相対性理論の発見へ彼を導いています。
光の速度で運動している物体をあたかもその場で見ながら考えるという実現不可能なことを考えたい時に、思考実験は使えますので、「考える技術」として大変便利な方法です。すなわち、たとえ非科学的ではあっても、思考実験を使えば現実に実験できない現象までも頭の中でシミュレーションすることができ、架空の観測結果から予想外のアイデアを生み出せる可能性が出てきます。
ところで、ガリレイやニュートンの思考方法に共通しているのは、経験や観察結果を活用する非科学的な思考方法であるにも関わらず科学的成果を導いている点です。そして、その成果を生み出す動力となりましたのは、whyからhowへの発想の転換や思考実験など現代にも利用できそうな方法です。彼らの思考方法をこのように評価しますと、17世紀頃にアイデアを生み出す動力となる「考える技術」が誕生し現代まで伝承されてきた、と言って良いかもしれません。
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マッハは著書の中で、動力学の基礎の議論を近代的な科学の萌芽と位置付けていますが、それが登場したのは17世紀前後と思われます。17世紀初めにガリレイは、「なにゆえに(why)」の問いをすて「いかに(how)」を問い、落下運動の問題を解いています。ガリレイ以前にもガリレイの認識に近い議論がなされていたそうですが、一様に加速される落下運動の定義に成功し、その成果が記録として残っているのはガリレイが初めて、とマッハ力学史に書かれています。
マッハの解説によれば、落下運動の問題は1世紀以上議論されてきたようで、ガリレイは現象に対する問いかけをwhyからhowと変えることにより科学の時代の扉を開けた、と言えます。このガリレイが行った発想の転換による問題解決法は、例えば連関図や系統図の作成などに利用できますから現代でも使える「考える技術」といえます。
マッハは、ガリレイの業績に対して、現在よく知られている知識や概念、さらに正確な時計すら無かった時代に科学的成果を出した点について評価しています。しかし、ガリレイの思考過程は科学的ではなく過去の時代と同様の本能的経験によるものである、と厳しく批判しています。
このマッハの批判は、科学的成果を得るための思考過程について、科学的であるという制約を設ける必要が無く、観察を主体にした本能的経験的な思考過程でもよいことを示しています。極論すれば、「風が吹けば桶屋がもうかる」式でも観察結果がそうであれば、問題を解き科学的成果を上げることができます。この観察結果を中心にした議論を大胆に展開した人物がニュートンで、17世紀にニュートン力学を完成しましたが、やはりその思考過程についてはガリレイ同様に非科学的である、とマッハに批判されています。
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科学誕生以前の「考える技術」の歴史について調べる時に、宗教や哲学的な内容は本書の目的から少しはずれますので、少なくとも「現代に影響を与えた、科学的な成果を導いた考える技術」というフィルターをかけて歴史を見る必要があります。この目的に近い書として、先に紹介しました「マッハ力学史」が力学の発展史に限定されますが参考になります。
「マッハ力学史」には、「本能的知識が、科学的あるいは任意的認識、つまり現象の研究に先行していた」、と記述されていますので、科学成立以前のはるか昔には現代のような考える技術というものが無かった、と思われます。「考える技術」だけでなく、今日の意味における力学の理論なども存在せず、それらが考えられる以前には実物の道具や機械に関する経験や知を伝承しながら進化を進めてきたようです。
それでは、いつ、どこで、どのような仕方で、科学の発展が始まったのでしょうか。科学の成立前後には、理論を整理するための技術、考える技術が生まれたはずです。マッハは、「科学成立以前の歴史の中にその史実を調べることは困難」、と述べています。マッハの考察によれば、科学の無い時代には、経験の本能的蓄積が問題の解決を可能にしていた、とのことです。
彼は、「欲求の満足をめざす人間は、無反省に本能的に行った経験を無思索的に・無意識に用いる」、と表現しています。この表現から問題を前にして経験を無思索的に・無意識に働かせて考えている時に、それまでの経験に基づく当たり前のアイデアを出すという行動は、人間が昔からとってきたことであり、問題を前にした時の人間の本能と思われます。
換言すれば、当たり前のアイデアを出しながら十分に経験が蓄積されたところで無意識に能力が向上し、それまでの経験を超えるアイデアを発案し進化してきたのが人間の歴史ではないかと思います。科学が誕生する時には、恐らく人類の進化のスピードがそれまでの時間の流れに比較し加速度的に早くなっていたと思われ、当たり前のアイデアしか出せない経験不足を補うために考える技術を生み出したのかもしれません。
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山中博士の見出した四個の遺伝子は「ヤマナカファクター」と呼ばれているそうです。このヤマナカファクターは科学的大成果ですが、その見出だされたプロセスは非科学的です。しかし、「考える技術」として演繹的推論は必ず使われています。ただしその使い方は、科学的な厳密性に拘っていません。逆向きの推論の結果を検証せずに用いています。
ビジネスの問題解決において、ロジカルシンキングは重視されていますが、アイデアを出す作業に限ればロジックの厳密性まで必要はなく推論の性質を利用する程度あるいは問題を意識する程度でよいことを述べました。これは人類の問題解決の歴史を見ても納得のゆく事実です。
例えば論理学の歴史から思想史まで幅広く扱っている伊藤勝彦編「知性の歴史」(新曜社)を読みますと「ある事態に直面したとき、言葉を媒介として冷静に分析したり総合したり、また自分のできることとできないことを弁別して、可能な限りの自分の目的にかなった方向に課題を解決していくこと、それが知性の営みにほかならないとすれば、その真摯、熱意において、人事や自然に対処する人間の基本的構造に歴史や発展があるわけではない。「知性」そのものに歴史はない。せいぜいその所産たる「思想」に変遷があるだけだ。原始人が蒙昧で文明人が理知的と思いこむのは後者の偏見にすぎない。」とあります。早い話が、ロジカルシンキングを知らない原始人でも火が必要になれば問題意識からアイデアを出して火を起こし生活をしていたのです。
問題解決法を科学的あるいは厳格なロジックのルールで拘束する必要はなく、問題解決は人間の営みの一部として捉え自由度の高い方法で行ってもよいように思います。
一方、エルンスト・マッハ著「マッハ力学史」には、ニュートンの思考実験の様子が紹介されています。この方法を用いてアインシュタインの相対性理論が生まれた、という伝説もそこに書かれており、人間は考える営みの中で肉体労働を軽減する道具の発明と同じように思考に便利な「考える技術」も発明し、それを伝承していた様子が伺われます。
ニュートンの思考実験を人類最初の問題解決の技術とみなすと、現在も一部の研究者に使用されていますので、その技術の伝承は約300年続いていることになります。しかし人類は生活を改善するために、科学誕生以前から様々な道具を発明してきましたので、「考える技術」の歴史は300年より古い可能性もあります。
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① についてかなりの自信があったならいきなり消去法の実験を行うことができた、と思いますが、実際には②と③の実験を行い、③の実験から①の答を確信した、とテレビ放送の中で語っています。このことから①の答が正しいという自信はあまりなかったのだろうと、想像できます。当たるも八卦、当たらぬも八卦ぐらいの楽観的な気持ちだったかも知れません。三万個の遺伝子の中からiPS細胞を作る遺伝子を見つける、という壮大な目標に対して強い意志で臨むためにはそのくらいの楽観主義でなければ、やり遂げることができないと思います。もし、ここで説明したような考え方で、いきなり消去法の実験を行い、答を見出していたとしたら、楽観主義者ではなく自信過剰の人物に見えてきます。
余談になりますが、②の実験がどうして必要であったのか説明します。もし四個の遺伝子を同時に組み込むことが必須であるなら、四個の遺伝子が見つかってから、四個の遺伝子の組み合わせ以外では細胞の初期化ができないことを示せば最も実験数が少なくなります。実際に山中博士は四個の遺伝子の組を発見後、再度繰り返しその実験を行った、と著書に書かれておりました。
② 実験が必要であったのは、ある仮説のもとで二十四個の遺伝子を選び出していますので、選び出した遺伝子一つ一つの細胞への機能を確認したかったのだと思います。そして選び出された遺伝子一つ一つでは細胞の初期化ができない、という研究論文を書きたかったのだろうと思います。これは、科学的に完璧な手順で論文を書くことができます。
しかし、絞り込まれた二十四個の遺伝子の中に当たりが入っていたので、科学的プロセスにこだわらず、非科学的プロセスで長期的ビジョンのゴールをなりふり構わず目指したのだろうと想像しました。もし山中博士が長期的ビジョンを持たず、すなわち困難ではあるが達成しなければならない「あるべき姿」を目指していなければ、そこからの逆向きの推論で得られる二十四個の遺伝子を細胞に組み込むという思いつきの実験を行わなかっただろうと推定されます。
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前回説明しました問題解決法を用いまして、山中博士の実験例を考察してみます。
課題ではなくアクションの形式で示しますが、NHKの番組で説明されたiPS細胞発明までの手順は以下でした。
① データベースを活用し二十四個の遺伝子に絞る。
(この組にiPS細胞を作る遺伝子がある。)
② 一つ一つの遺伝子を細胞に組み込む実験。
③ 二十四個の遺伝子をすべて組み込む実験。
④ 一つの遺伝子を抜いた二十三個の遺伝子を細胞に組み込む消去法的実験。
⑤ 細胞を初期化するX個(X=4)の遺伝子の組を細胞に組み込む実験。
但し、テレビ番組では②と③を同時に行った、と説明されていましたが、著書には別々に行った、とも書かれていますので、ここでは著書の説明を採用し段階を追って行った実験としました。また、②から⑤は、答(あるべき姿)を①のプロセスで決めて導かれた問題において、課題をもとにとられたアクションとみなすことができます。
これらのアクションで答①に直接つながるのは③と⑤です。③は①の答の正しさを確認する実験になります。⑤につながるアクションは、②あるいは④です。逆向きの推論で整理してみますと、③は答えの正しさを確認するだけの役割です。③を行う代わりに④を行えばよかったのです。また、④のアクションと②のアクションを比較しますと、④のアクションは②のアクションの結果を含みますので②のアクションも不要になります。
再度、逆向きの推論で整理してみますと、答①→⑤→④となります。山中博士に申し訳ないのですが、彼の細胞を初期化する遺伝子発見までのプロセスは非科学的でありましたが、細胞を初期化する遺伝子発見という目的だけに絞りますと、④→⑤→答①のステップで実験を進める方法が最短であったと思います。
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山中博士は、この幸運を逃がさないために、続けて同様な非科学的プロセスで実験を進めてゆきます。二十四個の遺伝子から1個を取り除いた二十三個の組を細胞に入れ、iPS細胞ができなかったならば取り除いた1個が必須の遺伝子である、という消去法的方法で実験を進めているわけですが、この方法では、取り除いた1個の遺伝子の機能があらかじめ科学的に証明されている必要があります。
しかし、その証明がなされていない段階では、遺伝子間の交互作用について確認の実験を行って、論理を緻密に展開しながら四個の組を選び出すのが、いわゆる科学的な進め方です。この実験では、二十四本のくじの中から当たりくじはどれかと、一本一本引きながら、結局全部引いたような実験になっています。くじの引き方としてみても節操がないように思われます。
実は二十四個の遺伝子の任意の組み合わせから四個の組み合わせを選ぶ、という単純な実験を科学的に行なった場合には、順列組合せの公式を用いて計算すると10,626通りの実験が必要となります。10,626通りの組み合わせ実験で一つ一つ細胞を初期状態にリセットできるかどうかを確認して初めて科学的に検証された、と言えるのです。
以上説明しましたように、科学的に進めたならば膨大な実験が必要なプロセスであったはずですが、山中博士は、答えと決めた二十四個の遺伝子の中から最低限必要な遺伝子をただ探すだけ、という単純化された非科学的プロセスを採用して作業効率をあげ成功に至っております。
生化学分野は専門外なので邪推になりますが、テレビ番組の説明を聞く限りでは、もし科学的に探索していったならば、iPS細胞を作り出す遺伝子の組み合わせは、まだ他にもみつかるのではないかと感じました。ただ、それには膨大な実験が必要であり、何年後に見つかるのか予測がつきません。大人の細胞で行う再生医療は、夢の技術であり、その実現は人類の幸福につながります。iPS細胞発見に向けて科学的プロセスを捨て、ヒューマンプロセスで果敢にゴールへ挑戦し、短期間で目標を達成した山中博士に、ノーベル賞は早すぎた受賞ではありません。
そしてこの山中博士のノーベル賞受賞で私たちが学ばなければならないのは、科学的大成果を出すために科学的なプロセスが必要ではなかった、という事実です。科学的大成果であっても、そこに至る道筋について科学的であることに拘る必要は無い、ということです。これは一般の問題解決プロセスにおいても科学的手法にこだわる必要は無く、非科学的方法で構わないことを示しています。
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このような独特な問題解決プロセスでiPS細胞を発明できたわけですが、データベースを基に約三万個の遺伝子から二十四個に絞り込む過程において、絞り込む条件の妥当性を実験で確認せず、経験知だけを用いています。また、遺伝子間で働く作用などが不明の段階で、二十四個の遺伝子をすべて細胞に組み込む実験を行ったり、科学的に解明されていない実験結果を活用し、消去法的手順で四個の遺伝子を見出したり、など科学者の研究手順として見た時に、いくつか疑問点が出てきます。このあたりを少し考えてみます。
まず、約三万個の中からデータベースを基に研究対象を絞り込むプロセスでは、例えばiPS細胞はこうすればできるという仮説を設定し、その仮説の正しさを証明する実験、もしくは過去の研究結果を揃え検証し、絞り込む条件や手順の科学的妥当性を示して研究を進めるのが一般的な科学的手順です。
しかし、当時まだiPS細胞を作った人がいませんから、iPS細胞を生成する遺伝子を絞り込む科学的作業とは、約三万個の遺伝子について実験を行い、その機能や遺伝子間で働く作用を調べる実験をしなければいけません。ところが山中博士は、約三万個の遺伝子を対象にこのような実験を行っていません。ゆえにデータベースから遺伝子を絞り込む作業は、科学的プロセスとして不完全です。科学的プロセスではなく、自らの意志で「答えを決めた」プロセスと本書で説明している理由でもあります。
次に、データベースから絞り込まれた二十四個の遺伝子について、一つ一つ細胞に組み込みiPS細胞ができないことを確認したプロセスでは、遺伝子一つ一つの実験結果で何も変化が起きていないことが示されていますので、この実験結果から導き出される「単独で細胞に組み込んだ時に、二十四個の遺伝子の中にiPS細胞を作る遺伝子は存在しない」という結論は、科学的に完璧です。
しかし、同時に行った二十四個の遺伝子すべてを細胞に組み込みiPS細胞生成に成功した実験では、二十四個の遺伝子の細胞内における働きについて科学的に確認していません。そのため、それぞれの遺伝子の作用が不明であり何が起きるのか仮説を立てられないだけでなく、実験結果を科学的に説明できないので、科学的に正しいプロセスと言えません。
ただ、この実験に成功した時に得られる、「大人の細胞でiPS細胞ができた。」、という実験結果は科学的に価値があります。すなわち、iPS細胞を発見するまでのプロセスは科学的とは言えませんが、世の中に存在しなかった大人の細胞の初期化手段が、それを発見した方法で繰り返し再現することができますので、科学的に大きな価値があります。山中博士もテレビ番組の中で説明されていたように、答の正しさを確信したプロセスです。
iPS細胞発見に至るプロセスが科学的ではなく、運が作用したといわれる点についてもう少し考えてみます。仮に経験知で絞り込み、答と決めた二十四個の遺伝子の組み合わせの中に、iPS細胞を作る機能を持った四個の遺伝子の組と、何らかの作用を起こし負の効果を示す遺伝子が不運にも含まれていたならば、その遺伝子により四個の遺伝子が持つ機能が阻害され、大胆な実験も失敗に終わっていた可能性があります。ちなみに遺伝子間の組み合わせで働くこのような作用は交互作用と呼ばれています。
他の因子の作用により本来の因子の機能が隠れたり抑えられたりするのが交互作用あるいは交互効果と呼ばれている現象ですが、ある機能を制御するために使用する因子と交互作用をする因子が同時に存在すると両者のバランスを制御することが難しくなります。自然界にはこのような交互作用で生じる現象が多数存在しています。
このようなことを考慮しますと、注意深く科学的に行った実験からは成果が得られず、二十四個の遺伝子すべてを細胞に入れた大胆な実験でiPS細胞の兆候が現れたのは、幸運以外の何物でもないことがわかります。
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山中博士以外にも多くの研究者が万能細胞の研究に携わっていましたが、なぜ山中博士が最初にiPS細胞を発見することができたのでしょうか。テレビ放送で説明された研究プロセスから成功の要因を推定してみますと、以下に示すアクションが重要なポイントと思われます。
(1)経験知だけで三万個から大胆に二十四個に絞り込む。答を最初に決める方法。
(2)選ばれた二十四個の遺伝子すべてをまとめて細胞に入れる、大胆な思いつき実験。
(3)二十三個の遺伝子の組を用いる巧みな実験。
(3)につきまして、山中博士の実験のどこが巧みかもう少し詳しく説明しますと、二十四個の遺伝子をすべて細胞に組み込んだ大胆な実験でiPS細胞ができていますから、この二十四個の遺伝子に含まれる特定の遺伝子の組み合わせで、細胞が初期状態にリセットされたと判断できます。この判断の下で以下に説明する消去法的発想に基づく、新たな二十三個の遺伝子を細胞に組み込んだ二十四組の実験を行い、iPS細胞を作るために必要な四個の遺伝子の組を簡単に見つけだします。
すなわち、(2)でiPS細胞ができていますから、この遺伝子の組を答と決めたことが正しいとわかりました。あとは二十四個すべて必要なのか、あるいは特定の組み合わせでiPS細胞ができるのかを決めればよいのです。今iPS細胞を作る為に必要な特定の遺伝子の四個の組を「遺伝子A、遺伝子B,遺伝子C,遺伝子D」としますと、二十四個すべてからなる遺伝子の組は、「遺伝子A,遺伝子B,遺伝子C、遺伝子D,その他の機能しない二十個の遺伝子」と表現できます。
そこで遺伝子を1つずつ減らした二十三個の遺伝子からなる組を作ります。例えばiPS細胞を作る為に必要な遺伝子Aを取り除いた組は、「遺伝子B,遺伝子C,遺伝子D,その他の機能しない二十個の遺伝子」、同様に遺伝子Bや遺伝子C、遺伝子Dを取り除いた組も、必要な遺伝子が一つ不足した三個の組と,その他の機能しない二十個の遺伝子として表現でき、この表現の組は四組できます。「遺伝子A、遺伝子B,遺伝子C,遺伝子D」が揃っている組は、「遺伝子A,遺伝子B,遺伝子C,遺伝子D,その他の機能しない十九個の遺伝子」の二十組作ることができます。
この新たに作成した二十三個の遺伝子の組み合わせ二十四組をそれぞれの細胞に入れた実験を行いますと、「遺伝子A,遺伝子B,遺伝子C,遺伝子D,その他の機能しない19個の遺伝子」の二十組では細胞が初期化されますが、iPS細胞を作るために必要な四個の遺伝子の組から一つ取り除かれた四種の実験では、細胞が初期状態にリセットされずiPS細胞ができません。その結果、取り除いた遺伝子Aあるいは遺伝子B,遺伝子C,遺伝子Dが、細胞を初期状態にリセットするために必要な遺伝子であった、と明らかになります。
実験手順は、実際に見つかった遺伝子の個数を用いて説明いたしましたが、仮に四個以外の複数の組であった場合でも、iPS細胞ができなかった実験だけに着目すれば良く、大変巧みな実験方法であります。ただしこの方法は選択肢の中に正しい答えがあるとする、すなわちすでに答えを決めてしまっている非科学的な消去法の考え方です。
山中博士がなぜこのような非科学的実験プロセスを選ぶことができたのでしょうか。その理由をテレビ放送の中で(2)の大胆な実験で得られた結果で「成功を確信したから」と説明していました。すなわち(1)でおおよその答を決めて、(2)でその答え正しさを確信し、(3)で答を具体化した、と成功のプロセスを説明していたわけです。
ノーベル賞受賞研究の実験プロセスの説明が本書の問題解決方法と似ており、最初に答を決めることが問題解決のコツと確信したことがこの本を書くきっかけとなっております。答が分かっているならば、それは問題にはならないだろう、という疑問を持たれるかもしれません。すでに説明しましたが、この本で意味する最初に決める答とは、こういう状態であってほしいという願望とか「あるべき姿」のような概念的な答です。この概念的な答が決まると、それを具体化するためのアクションやアクションの組み合わせ、すなわちアクションプランを考えなければなりません。それは問題を解くという行為になります。
最初に答を決めて、何が問題かを明確にし、その次にアクションプランを考える手順が本書で提案した問題解決プロセスの特徴であり、従来行われていたような、先に問題設定がありその問題を分析してアクションプランを求めるやり方とは順序が逆になっているだけでなく、答を設定して問題を考えるというイメージの、常識でとらえると不思議に見える方法です。しかし、この不思議な方法を山中博士は実行し、ノーベル賞を受賞しています。ノーベル賞の効果は大きく、多くの方は不思議と捉えず、頭の良い方法と感じたのではないでしょうか。
もし、山中博士が従来の科学的な問題解決法を用いたならば、iPS細胞を作る技術を問題としてとらえ分析的に問題解決をして、約三万個の遺伝子の中から機能を発揮する遺伝子を探すために一つ一つ調べるというような膨大な実験、それこそ一生かかっても終わらない実験を行うことになります。おそらくこの分野の多くの研究者はこのようなやり方で研究を続け論文を書いていると思います。
しかし、iPS細胞を作る技術という問題には、遺伝子を複数組み合わせて細胞に組み込んだ時の問題とか、そもそも多量の遺伝子を一度に細胞に組み込むことができるのか、とかいろいろ細かい多くの問題があるそうで、これらの問題を分析的に解いていった場合には、問題の中に問題の山が詰まっている状態をさまようことになります。
そこで山中博士は、理化学研究所の遺伝子データベースを使用して、最初に答を決めてから実験を行っていったのです。
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2012年10月21日の夜、たまたまテレビのスイッチをいれましたところ、地上波のNHKで、今年ノーベル賞を受賞した山中博士のiPS細胞を発明した研究プロセスについて、実験結果のファイルを見せながら解説をしていました。その資料は特許出願をしていた内容とも関係するという理由で、これまで未公開だったとの説明がありました。他の番組を見るつもりでしたが、チャンネルを回すのを忘れ、わくわくしながら話を聞きました。
iPS細胞というのはinduced Pluripotent Stem cellの略で、日本語にすると「人工多能性幹細胞」と訳され、通称「万能細胞」とよばれており、体中のあらゆる細胞に変化できる能力を持った細胞のことです。同様の細胞として、ES細胞と呼ばれる万能細胞が先に発明されていました。しかし、こちらは受精卵を用いる必要があり、研究を進める上で倫理上の問題がありました。iPS細胞の技術では、大人の細胞から万能細胞を作ることができますので、倫理上の問題を克服できます。さらに、自分の細胞を用いて体外で人工臓器を作ることが可能になるので免疫拒絶問題も解決されます。このような理由からiPS細胞は、再生医療の分野で画期的技術と言われております。
山中博士が研究に着手しました時に、遺伝子がどのように機能してあらゆる細胞に変化できる細胞を作るのか、すなわち受精卵のような初期状態に細胞をどのようにリセットするのかまったく解明されていない状態でした。ゆえに山中博士が最初に行わなければならない研究は、一つ一つ遺伝子を細胞に組み込み、細胞を初期状態にリセットできるのかを調べる作業が中心になります。そしてどのような遺伝子を細胞に組み込めば、うまく機能してiPS細胞となるのかを明らかにすることが、研究のゴールとなります。
ところで、マウスやヒトの遺伝子の数は全部で約3万個あると言われており、研究の内容を単純に表現すれば「iPS細胞を生成する機能を持つ遺伝子は3万個の遺伝子のどれか」という問題になりますので、まともに科学的に取り組むならば天文学的な仕事量になります。
しかし、山中博士は、理化学研究所が2001年から無料提供を始めたマウスの遺伝子データベースと、それまでの博士の研究経験を基にした知見とを活用し、iPS細胞を生成する機能を持つと予想される遺伝子を二十四個まで絞り込み、遺伝子探索実験を短期間にできる範囲の仕事量にしました。すなわち、答となるiPS細胞を作る遺伝子をとりあえず二十四個と決めたのです。
経験知だけで3万個から大胆に二十四個に絞り込む過程や、その後iPS細胞を作る遺伝子の探索作業に移る過程も詳しい説明を聞きたいと思いましたが、それらと同じくらいテレビ解説の中で興味深かったのは、遺伝子を細胞に組み込み、iPS細胞になるかどうかを確認する実験の進め方です。
この選ばれた二十四個の遺伝子について、まず1つ1つそれぞれの機能を確認する実験を行うと同時に、選ばれた二十四個の遺伝子すべてをまとめて細胞に入れる大胆な思いつき実験を行っています。そして、1つ1つの遺伝子について科学的プロセスで確認した結果では、期待された現象が観察されなかったのですが、驚くべきことに大胆な思いつきで行った実験で、細胞が初期状態にリセットされたのです。この実験結果から、今度は23個の遺伝子の組を用いる巧みな実験を進め、たった1ケ月でiPS細胞発見にたどりつきました。
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