高分子に微粒子を分散する実験では、パーコレーション転移という現象に関する知識の有無がその後のアクションを左右する。
面白いのは1980年ごろの化学系の教科書には、このパーコレーションの記述は無く、混合則を用いて現象を説明していた。
また、学会でも混合則が消えてパーコレーションがその議論の中心になっていったのは、2000年を過ぎてからだった。
ところがパーコレーションについては、1950年代にすでに数学者の間で議論されていた現象を理解する概念だった。1970年代にはその体系が完成し、1980年代になるとスタウファーによる教科書が発売されている。
当方がこのシミュレーションプログラムをC言語で完成させたのは、ゴム会社から写真会社へ転職し、数か月間閑職にあった時だ。論文にまとめようとしたときに学会誌「炭素」に他の研究者から類似の方法によるシミュレーションプログラムが公開された。
おそらく材料系の研究者が混合則ではなくパーコレーションで現象の理解を試みるようになったのはこのころだろうと思う。しかし、当方は1979年に指導社員からパーコレーションについて習っていた。
この神様のような指導社員は、今ならば物理系専門職と呼べるキャリアの方で、そのため、材料系の教科書に書かれた混合則についてそれが話題になる時にはなぜパーコレーションで議論しないのかぼやいていた。
このボヤキは、科学の問題を指摘していたようなものだった。すなわち、科学が発展するときに蛸壺化がどうしても起きがちである。
当時π型人間の重要性が叫ばれ異なる専門領域を2つ以上極めることの重要性が指摘されたりしていたが、専門領域がどうのこうのというよりも、現象と接するときに既存の形式知にとらわれないように心がけることが最も大切だと思う。
子供のころテトロドトキシンで有名な故平田先生にあこがれ、有機化学を目指したが、大学院進学時に突然在籍した講座が閉鎖されるという事態になり無機材料の講座へ進学することになった。
人生を振り返ってみると、無料で勉強できたこの時の2年間の複雑な気持ちが、専門にこだわらない考え方を身に着けるきっかけになったようだ。人生塞翁が馬である。
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目の前の現象を概念(コンセプト)として捉えることは重要である。それは目の前の現象の機能を具体的に理解できたときに新たな技術を生み出す。その手順は、現象を概念として捉え、その中の体系をたどり、そこで観察される機能を具体化してゆくのだが、人間は訓練によりそれを一度にできるようになる。
おそらくAIでもプログラミングしたり、教育したりすればそれができるようになるのだろうが、AIと人間の決定的な違い、というよりもおそらくそこにAIがたどり着くまでまだ開発されなければいけない未知の概念が必要になるだろう。
この理由は機能を具体化してゆく過程で,科学的に説明ができない、よくわからない場合があるからだ。それが個人の経験知に依存しているらしいことは、ブレーンストーミングを行ってきたときの観察からぼんやりと見えているが、時折発言した本人もよく理解できていない「ひらめき」というものがあり、それがどこから発想されたのか不明なことがある。
ところで目の前の現象を具体的に記述する方法は小学校から習っている。しかし、それを概念化する作業あるいは方法は、美術の時間以外学習してこなかった。例えば美術では、中学になると抽象画を習う。
はじめて抽象画を描いた時間に面白かったのは、クラスメートが様々に物事をとらえていることを発見した時だ。中には抽象化できない人もいたが、およそ目の前の物体を想像させない絵を描いていた人もいた。先生に落書きの時間ではないと言われても、本人は、そのように見えたからだと言っていた。
どのような体系の中で彼が目の前のオブジェクトと似ても似つかぬ絵を描いたのか不明だが、また仮にふざけて本当に落書きを書いたとしても「そのデザインめいた」落書きをあえて書いた背景が不思議だった。すべてが論理的に結合された現在のAIでは、彼のような絵を描けない。
非論理的におそらく過去の経験や夢の中で出会ったことなどが結びつき概念を導き出す作業は、人間だけに与えられた能力であり特権に思われる。この作業は学校教育では美術の時間以外否定されているが、新たな技術を考え出す時には重要な作業となる。
技術では、現象の中に観察された機能について具体化する必要があるが、それができると目の前の現象について概念化できて人工物による機能の再現が可能となる。自然界から新たな機能を見つける方法の一つとして実践してきたが、独自の問題解決法であることに気がついた。
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高分子の概念について未だに高分子の科学的に定説となった分類方法が無い、という理由で研究途上と言える。当方が学生時代に重合様式から行われた分類方法を学んだが、それは有機合成高分子だけに適用できる狭義の分類方法だと気がついたのは大学院で無機材料の講座に進学したときだ。
4年生の卒論では、布施明のヒット曲でもある「シクラメンの香り」の主成分の全合成をまとめ、アメリカ化学会誌のショートコミュニケーションにそれが掲載された。しかし、教授が定年退官ということでその研究室が閉鎖され、学部学生は他の研究室へ変わることを余儀なくされた。
そこで同じ研究室にいた友人と相談し、大学院の入学試験では希望先に入れていなかった無機材料の講座へ進学することにした。大学側は後ろめたい気持ちがあったのか、すんなりとそれを認めてくれたが、その結果として、本来その講座で進学予定だった学生が他の講座へはじき出される事態も起きている。大学院では成績順に学生をとる決まりになっていたからだ。
今から思えばはじき出された学生にかわいそうなことをしたという思い出として思い出されるが、当時は進学予定にしていた講座をつぶされた思いの方が強かった。教授の権力闘争の結果といううわさもあったので、アカデミアというものにうんざりするとともに大学に対して学びの場という敬愛の思い出も吹っ飛んだ。
おまけに進学した講座の教授が有機合成に関し優秀な学生が来てくれた、と過大な期待をされて、とんでもないテーマを出してくれたので大変だった。指導してくださった先生は、さっさと投げ出して他のテーマをやらないと修論がまとまらない、と本音で親身に指導してくださったので、これまた議論の毎日だった。周囲からは喧嘩をしているように見えたらしい。
この先生、テーマを辞めろと言いながら、一方で当方の主張を聞いていてくださったようで、図書室にケミアブの最新版が届くと、いつも調べに行っていたことをある日気がつき、その教育者としての「愛」に気がついた。本当はやってはいけないことだが、ケミアブの記事の横に鉛筆で当方が読むべき記事に〇をつけてくださっていた。
最初誰がそれをやっているのか分からなかったので「公文書に鉛筆で書き込みをしている人がいるようだ」とその先生に話したら、図書室の美人に報告したほうがよい、と言われたのでその美人に報告した。彼女は、犯人はわかっているけど、というだけだった。
当方はこの質問をしたことを反省したのだが、この落書きのおかげでとんでもない研究テーマについて2年間に3報研究報告として論文発表出来て、修士論文をまとめることができた。
その修士論文では、Holliday博士の著書アイオニックポリマーに掲載された高分子の論文を紹介し、無機高分子という概念をホスホリルトリアミドの縮重合やホルマリンとの共重合を事例に展開している。新素材であるホルマリンとの共重合体についてはPVAの難燃化研究としてその機能確認を研究している。
合成反応を元に有機高分子の分類を授業で説明された高分子担当の教授は学会で少々有名な先生だったが、未来を見据えた研究者としての視点を持っていなかったという理由で落第点をつけたいと、大学院を修了するときに思った。また大学院でご指導してくださった年配の助手の方は高分子学会で無機高分子研究会をその年に設立されている。
高分子の分類については未だに定説が無いと思っている。Holliday博士のゆるい分類法は未来の材料開発を指向したときに役立つ分類法である。最近では西先生による高分子の作り出す構造サイズに着目した二次元の分類法が発表され階層構造の研究の方向性を導き出している。概念が研究の方向を導いた事例だ。
優れた研究者というものは新たなコンセプトで研究の方向性を指導できる研究者だと思うが、学生時代に授業を受けた先生のように研究者の肩書とその能力が必ずしも一致していない場合が時折あるのがいつの時代でも問題かもしれない。社会的に偉いと格付けされた先生による学生時代の授業を信じたまま卒業していたなら、ポリエチルシリケートとフェノール樹脂のポリマーアロイの開発など考えなかっただろう。
学内で無名の助手が教授よりも優れたコンセプトを持っているなどとは社会からは見えない。最近は整形美人が当たり前となり、男女もわかりにくくなった時代だから肩書などファッションと同じにとらえている人も多くなったのでそれほどの影響は無くなってきたのかもしれないが、昔は男と女が明確に線引きされていたように肩書は品質保証書のようなものだった。
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おひとりさまでも、と始めた弊社のセミナーが好評のため、公募することになりました。基本的な取り決めは以下。
1.時間:13時30分から開始
2.参加者上限 6名
3.料金と講義時間:参加者1名の場合に2万円1時間のセミナー。参加者が一名増えるごとに1時間増加、最大4時間とします。質問時間は、人数に関わらず30分。
4.セミナー内容:参加者のご希望にお答えします。基本ルールとして1ケ月以上前に申し込み。内容や参加者は機密事項。
例:高分子の難燃化技術、高分子の混練技術、ブリードアウト、高分子のツボ(専門外の人に便利な内容です)、信頼性工学etc
5.場所:弊社事務所
詳細は弊社へお問い合わせください。なお、本件は弊社のサービスプログラムです。
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昨日駅伝の話を書きながら、10年以上前に単身赴任して担当した仕事のことを思い出した。この仕事は、外部からコンパウンドを購入し、複写機の部品を開発するプロジェクトだった。但し半年後に製品化判断を控え、担当部署以外の多くの人が失敗するだろうと噂していた。
このプロジェクトをあえて引き受けて、土日も返上し、コンパウンド工場建設という計画外の仕事を推進し、半年後に成功に導いた。
今から思えば、異常な仕事なやり方だった。当時その業務姿勢に周囲から批判の声も少なからずあった。
しかし、成功させるためにはそのやり方しかなかったのである。直属の上司は、コンパウンド工場建設に必要な8000万円の決済を準備し、了解していた。
しかし、その他の実働を自分で抱え込む以外に道は無かった。ただし、早めに失敗という経営判断に持ち込む仕事のやり方もあったが、それは単身赴任前に放棄し、1名中途入社の社員を雇用していた。
もし早めに失敗の判断をしておれば、中途入社の社員や手伝ってやると志願してきた退職まじかの技能員が皆幸福に無理なく仕事ができたかもしれない。
無茶な仕事のやり方ではあったが、成功すると確信していたので推進できた。そして成功したのだが、案の定報われることは無かった。
周囲に見解の異なる人が多い場合には、例えそれが血のにじむような努力で成功したとしてもハッピーエンドにならないのが現実である。
「自分を誉めてやりたい」という女性ランナー(注)の名言があるが、自画自賛と言われても、組織や社会に評価されない成果をその後の人生のエネルギーに変えるためには、自分だけでも成功したことすべてを肯定する必要がある。
但し、今という時代は、全員の合意が得られない仕事をやりにくい時代である。また、火中の栗を拾うような貢献は、ねたむ人が多い場合に栗を拾い上げることができても炎上するような時代でもある。このような社会でイノベーションをどのように起こしてゆくのかが現代の問題である。
また、這ってタスキを渡したドラマを美談にするな、という多くの声は、そこまでの個人の努力や苦労をあてにするなとも聞こえる。
あるいは、それを止めなかった審判を批判して「もはやスポーツではない」という意見も出されていたが、スポーツ観戦をする醍醐味には、筋書には無い想定外のドラマへの期待も含まれる。
本来安全な運営を義務づけた公共スポーツで、懸命に努力する選手に圧倒されおろおろする審判の姿は、想定外のドラマであった。必死に努力する人間の迫力がどのようなものであるかを描いていた。
(注)彼女を代表に選んだ陸連の眼力はすごいと思うが、それに応えた彼女はもっとすごいはずだ。しかし、その選考過程で批判があった現実を考えると、「自分を誉めてやりたい」の一言に込められた思いには、金メダルを取れなかった悔しさすら感じられる。この一言は自画自賛ではない。
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「21日に福岡県で行われた全日本実業団対抗女子駅伝の予選会で、2区に起用された岩谷産業の飯田怜選手(19)が途中で倒れて走れなくなり、膝から血を流しながら中継所までの約200メートルをはって、たすきをつないだ。レース後、同選手は右すねの骨折で全治3~4カ月と診断された。」
これは日経新聞10月23日版の記事だ。未だにネットではこの時の運営側に対する批判が出ている。また、この光景を美談にするな、という意見も多い。
明らかに30年前と社会が変わったと思う。30年前なら、美談で話が完結していた。しかし、今という時代は違う。
まず、監督はすぐに棄権するように指示を出したという。そして運営側にもそれを依頼したという。まず監督としての、今の時代の責任を果たしたという言葉がニュースで報じられている。
一方運営側について、一度選手に棄権を促したが、選手が聞き入れなかった、という意見が書かれ、かわいそうなのは、写真にも写っているその場に居合わせた審判員である。
的外れな意見として、この審判を責める内容があるが、審判をほめる見解が無いのがまさに今という時代である。
もし審判をほめる様な意見を書いたなら炎上するかもしれない。ただ、当方がその時審判だったなら、本人の健康状態に異常が無ければ、やはり止めなかっただろう。
止めることが安全運営の目標を達成すべき審判の責務を全うすることだ、とわかっていても、もしその場に居合わせたなら止められなかったと思う。これは良い、悪いの問題ではない、と考えてしまう。
しかし、今の時代は、どのような問題であっても、そこで審判が止めるのが正しい、と、これをマニュアル化までしてしまう時代なのだ。
人生には葛藤がつきものである。力いっぱい生きていこう、あるいは力いっぱい生きているときに、その力いっぱいが問題になる、この駅伝のシーンはそんな出来事である。
おそらくとうの本人は今頃悩まれているのかもしれない。当方は彼女に言いたい。君は正しかった、よくがんばった。しかし、今後の人生は一人で責任をしょい込むような生き方をしないように気をつけなさい、と。
また、居合わせた審判には、あなたは職務として責任を果たさなかったが、若者の必死で頑張る努力を妨害せず懸命に見守った、そこに当方は感動した、と伝えたい。
ところで、もし、ここで審判員が必死に彼女を抱きかかえ静止していたならどのような意見が出ていたのだろうか。今であれば、セクハラの批判が出てきそうな時代だ。
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マークオーディオ製スピーカーユニットが付録としてついてくるといった触れ込みでSTEREO8月号が販売されたので購入した。
雑誌の価格は5000円を超えており、スピーカーが付録としてついてくると言っても本体は数ページの本で、どちらが付録かわからない。
しかし、秋葉でペアで購入すれば1万円をはるかに超えるマークオーディオ製のユニットが5000円弱で買えるのならと、購入してみたが、箱が無ければ使えない。
3種類ほどこのスピーカー専用に箱が売り出されていたが、箱の材質の悪さに購入を控えていたら、音工房Zからバーチベニア製のキットが販売された。
若干高めの価格だが、スピーカーと合わせても25000円なので、我慢して購入し、昨日組み立ててて一日音楽を聴いていた。アンプはROTEL。
聴き始めはバランスの悪い音だったが、30分ほど大音量でエージングしたところダンパーが緩んできてすこぶる良い音で鳴り出した。
B&Wの1台30万円前後のスピーカーに匹敵する音である。というよりもよく似た音の傾向だ。フルレンジ1発で聴いているので音像もカチッと決まり、ボーカルの口の大きさもおばキュウのようになっていない。
これまで事務所ではオルトフォンの小型スピーカーを使っていたのだが、このスピーカーの半額以下の価格で、このスピーカーよりも情報量の多く出るスピーカーを購入できたと考えるとコストパフォーマンスは良い。
しかし、聴きなれてくると不満も出てくる。ロン・カーターのベース音やバスドラムの音に締まりがないのだ。オルトフォンスピーカーとは異なるWバスレフ形式でスリット型にも関わらず、締まりが無い。
周波数の入ったCDをかけて聴くと50Hzくらいまで十分にフラットで出ているようなイメージだが、低域はボーンという鳴り方をする。バスドラムは我慢できるが、ロン・カーターのベース音には少し興ざめする。
音工房Zのキットでは吸音材を入れなくてもよい、とされていたが、100円ショップで洗濯スポンジ6ケ、ポリエステル綿を購入し、1台当たりスポンジ2ケとポリエステル綿を拳骨2個分入れてチューニングしたところ、低音がやや引き締まり、また音の粒立ちが明瞭になった。
バスレフの欠点丸出しのスピーカーだったが、吸音材によるチューニングで仕事しながら聞くスピーカーとしては、十分な性能のスピーカーになった。長時間聴いていても聴き疲れしないところは、オルトフォン並みでよい。
昨今は高級オーディオブームだが、キットを使えば手軽に高級オーディオ並みの音が手に入るようになった。良い時代である。
10月23日京都リサーチパークKRIワークショップ基調講演で拝聴したパナソニック執行役員小川理子氏の「テクニクスブランド 感性価値創造への挑戦」では1千万円をこす富裕層のシステムの話題があったが、工夫すれば数万円で心豊かになるシステムが手に入る。
40年以上前のオーディオブームの時にはお金に頼る以外に手段は無かったが、今はネットを探せば格安で凡人の感性ぐらいならば豊かにできるキットが存在する。
現代のオーディオブームは、金にモノを言わせる時代ではなくなった。音工房Zの様な趣味のオーディオをサポートするメーカーも出てきた。DVDオーディオに限定すれば、音の入り口であるパソコンから、アンプ、スピーカーまで手作りで完成することもできる。
それにしてもマグネシウム合金の振動板は、金属でありながら金属音がしないところが不思議だ。オルトフォンのスピーカーのウーファーはいかにもPP振動板という音でかつての名器SX3のようなプレミア感がその音色に漂っていたが。
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「オプジーボに関する特許は本庶先生と小野薬品の共同所有。小野薬品から本庶先生に幾ばくかのロイヤリティは支払われているようですが、それとは別に、本庶先生は売り上げの一部を大学に寄付するよう要請している。それで基金を設立し、若手の研究者育成に充てたいという一心でのこと。ところが小野薬品は渋っている様子で、本庶先生はそれに立腹しているのです」(製薬業界専門紙記者)
さらに「本庶氏は受賞会見で「この研究に関して、小野薬品は全く貢献していません」と断言していた。」と記事にはある。これはノーベル賞受賞時、すなわち1ケ月ほど前の記事だが、これについて本欄で取り上げるには少し躊躇した。
本庶先生の気持ちを理解でき、小野薬品の企業文化や経営者の資質がこの記事に極めて明確に表れているからだ。記事には一時期弁護士も交えて話し合われ、小野薬品は何らかの寄付をこの研究分野にすることになった、と書かれているから、小野薬品の姿勢があまりにも企業の利益を優先した行為である。
一方本庶先生は受賞記者会見で記者が引くほどこの件を語ったのが正しい発言とはいえ、記者たちには、事情が分からず運よく転がり込んだ利益を社会へ還元しようとしない小野薬品への同情も働いたのかもしれない。
また、本庶先生が発言しなければ考え方を改めない小野薬品のような、少し「恥ずかしい企業」が多いのではないか。個人の血のにじむような努力の成果に対し、それを理解できても報いようとせず、楽に椅子に座って、その成果を笑いながらむさぼる経営者が増えてきた。
このような問題は、社会全体がそのような経営者の存在を認めている限り、本当に努力した人が報われるあるべき姿に社会が向かうようにはならない。ところが本庶先生の記者会見で、記者がドン引きしたと言われるように、仮に本当のことを述べても、その事実を認めたくなくてそれを語る人物の価値を下げるような見方をする社会である。個人の努力が評価される時代は遠い。
この本庶先生の記事についてすぐに書き始めていたならば、記者会見同様にこの活動報告の読者がドン引きする様な事実を書き連ねていたかもしれない。世の中には、ノーベル賞受賞に至らなくても、その人がいなかったならば、絶対に完成しなかった技術や製品、さらには事業というものがたくさんあると思っている。多くの価値を社会に生み出しながらも十分に報われず、それでも前向きに努力している人達に感謝!
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高分子加工の大半は加熱し溶融状態から固化するまでの形を自由に変えられる状態で加工されることが多い。加硫ゴムも一度溶融させて加硫反応を行いながらモールドの中で賦形化する。
ゆえに高分子の熱分析は、成形体に品質問題などの異常が出たときにまず行われる方法である。ゆえに高分子加工に携わるメーカーは、熱分析装置の一つや二つは持っていて欲しい。できれば3種類以上持っていると鬼に金棒である。
弊社は分析機器メーカーから特別にPR料を頂いていないので、どこのメーカーの装置がよいかは特に書かないが、それでも3種類は必要だと思っている。しかし、予算の関係もあるので一種類であれば何がよいか、と言われる方もいると思うので、熱分析装置の序列も意識して説明を書いてみる。
もし、分析機器メーカーの方がこの欄を読まれPR料を弊社に支払われたとしても、この序列は当方の経験から変わらないことを付け加えておきたい。そしてそれぞれの装置について、どこのメーカーがよいかは、特にここで今回は触れない。
もちろん分析機器メーカーからPR料を頂ければ、その装置をお客様にご紹介させていただく仕事は請け負うが、ここで書く必要な序列はそれでも変更しない。
さて、その購入順序だが、熱容量の変化を知るためのDSCは、まず持っていたい装置だ。これ1台あるだけで、おおよその問題の検討がつく。次に成形体の寸法変化や精度が問題となるメーカーではTMAが欲しい。しかし、少しお金を出せば粘弾性装置が買えるのでそれが2番目に必要な装置になる場合もある。
このあたりは、予算との兼ね合いとメーカーの都合で序列は変わる。DSCとTMAもしくは粘弾性装置の次に買い揃えたいのは、TGAである。DTAのついた複合型もあるのでDSCを購入する代わりに、TGA・DTA複合装置を一番に押される先生もおられるが、当方は経験上DSCが一番だと言いたい。DSCとDTAでは測定機構が異なる。
熱分析装置については分析機器メーカーの個性があり、一長一短である。40年前にこれらの熱分析装置を全て扱うメーカは、国内外に多くあったが、現在は淘汰されて撤退したメーカーや倒産したメーカーも多い。また、これらの分析装置メーカーとして知られなくなったところもある。
例えば今はある企業の傘下に入ったS社は、カタログにこれらの分析装置を載せていないが、注文すれば製造してくれる、ある意味マニアックなメーカーで当方が分析装置を購入するときに必ず候補に入れるメーカーだ。
その昔、超高温熱天秤を共同開発したときには痛い目にあったが、痛い目にあいつつも喧々諤々の議論をしても、某コンパウンドメーカーの技術サポートのような、「素人は黙っとれ」と言った無礼な発言を決してしなかった。
それ以来、熱分析装置を当方が購入しなければいけないときには、このS社にお願いしている信頼度の高いメーカーだが、もうカタログにこれらの機器を載せていない。ちなみにこのメーカーにこれらの装置を発注すると、手作りのマニュアルと武骨なデザインの、いかにも手作りの装置が納入されるが、頑丈で信頼性がある。
2006年に購入した熱分析装置は今でもトラブルなしで稼働していると噂に聞いた。使い勝手の悪い装置だったが、市販品では計測できない精度が出る優れもので、超低温から高分子材料用では高温度まで測定可能な唯一無二の装置である。
熱分析装置の場合には既製品では対応できない場合もあるので購入には注意したい。大抵の高分子には対応しています、と言われても扱っている高分子に対応していなかったら無用の長物となる。
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きれいなボケと汚いボケを言い始めたのは、おそらく元雑誌編集者の馬場氏だろう。この方の書かれる記事ではボケの話が必ず出てくる。旧ミノルタレンズの愛好者らしく、やたらとソニーの85mmレンズを誉めるのもこの人の記事の特徴である。
確かに、ボケを見るとレンズの個性がそこに現れるが、単純な「きれい、汚い、」という評価指標では測れないと思う。最近はこのボケの美しさを競って各社から高価なレンズの新製品が登場しているが、古いレンズでこの人が「汚い」と言われているボケでも、うまく処理してやると「味」に変わる。
しかし、レンズの中には、高級レンズであってもそのボケがとんでもない表現で現れるレンズがある。ペンタックスのスターレンズ24mmF2は、何も考えず使用すると、きれいとか汚いとかと言った尺度では表現できない、ざわざわしたうるさいボケで映るのが特徴のレンズである。何も考えず絞り開放で背景をぼかすと、本当にとんでもない写真が撮れる。
しかしこのレンズも背景を選び、被写体に接近して、このざわざわ感を少なくするように工夫してシャッターを押すと、滲みが独特の特徴を持ったボケとなる。また、フィルターを使わなくても綺麗な光芒が現れたりする。すなわち、使い手の力量が試されるレンズだ。
ただ背景をぼかすように撮っていては、ざわざわ感のある落ち着きのない写真しか撮れないこのレンズでうまく撮れたときのポートレートは、広角レンズであるにもかかわらず、立体感のある、それでいて柔らかい何とも言えない写真が撮れる。
背景のボケに見られる滲み方をレンズの味と表現されるようだが、このような使い方に少し工夫がいるレンズの描き出すボケには深い味わいがある。携帯電話に付属しているカメラでは味わえない世界がそこにある。
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