「断絶の時代」(1968)P.F.ドラッカー(上田惇生訳)より
「組織社会を自由な社会にするには、一人ひとりが自らの責任及び組織の責任として、社会への貢献の責任を認めなければいけない。」
「人生から何を得るかを問い、得られるものは自らが投じたものによることを知ったとき、人は人として成熟する。組織から何を得るかを問い、得られるものは自らが投じたものによることを知ったとき、人は人として自由となる。」
これは、社会と組織への責任を述べた内容からの抜粋であるが、組織社会で働く意味でもある。現代の働く意味は、「貢献」と「自己実現」にあると「プロフェッショナルの条件」でドラッカーは述べている。そして組織で働くときに自己責任の原則を知ったときに自由になるという。
今から10年前に豊川へ単身赴任したが、引っ越しを手伝ってくれた家族は、楽しそうにしているのが不思議だといった。自分以外に誰も解決できない仕事をする楽しさだ、と説明したが、できるかどうか不安ではないのか、という質問になった。
外部の業者に技術が無ければ失敗するだろう、そして自分が責任をとることになるが、外部の業者は一流だから、恐らく当方のアイデアを採用してくれて、仕事は成功するだろうと、見通しを語った。しかし、赴任してすぐにその答えは出た。外部の業者は一流と言われていたのでその判断に期待したが、当方の提案したアイデアを採用してくれなかったのだ(注)。
外部の業者が当方のアイデアを否定したので、一年後の結果はすぐに見えた。責任をとり早期退職するつもりで、上司に「申し訳ない」と頭を下げた。「ほかに方法は無いのか」と言われたので、「納期も迫っており、外部の業者に依存している限り、無い」と答えたら、半年以内に子会社でコンパウンドのラインを建設することになった。フローリーハギンズの理論など上司に説明しても不安を煽るだけなので、「中古の二軸混練機が一台あれば結果にコミットできる」と答えた。
上司は組織長として当方の提案内容を受け入れてくださった。赴任して間もないリーダーの提案を受け入れてくれるほど度量の大きな組織長であったことが幸いした。この信頼に応え成功することは組織への貢献である。
カオス混合の実用化は初めての体験であったが、高分子技術者を目標とした自己実現の機会として最適なテーマだった。ゴム会社で高純度SiCの事業化を目指したときにはセラミックス技術者を目標としていた。そしてその生産ラインを半年で完成させた。ただしその事業化は6年かかった。今回は事業が目前でつぶれるかどうか、という状況で、最大の問題はフローリーハギンズの理論だった。
しかし、単身赴任する前にポリオレフィンとポリスチレンを相容させることに成功していたので、フローリーハギンズの理論など怖くはなく、PPSと6ナイロンをプロセシングで相容できる自信があった。このとき、新しい組織へは管理者として赴任したが頭の中は技術者モードになっていた。グループのマネジメントはすべて部下のマネージャーに任せた。
休みはほとんど自費で東京へ帰る日常となった。センター長の決裁範囲の価格で購入できた中古の二軸混練機を根津にある某業者にあずけ、カオス混合の生産機を組み立てていたからだ。ここで業者とともにその機能を勉強することになった。センター長の信頼に応えるため新たな分野を短期に学ぶ必要が生じたが、それは貢献の手段でもあった。
(注)一流だから採用しなかった、という解釈もできる。しかし、一流だから科学と技術の世界観が異なることを理解している、と期待していた。科学は単なる哲学である。一方、技術は人間の営みである。科学では論理の厳密性が重要であり、科学で完璧にできる証明方法は否定証明だけだ、と言ったのはイムレラカトシュである。換言すれば科学的な否定証明がなされていない現象では実現できる可能性が残っている。ポリオレフィンとポリスチレンが相容し透明になった(15年以上経過しても透明である)ことで、フローリーハギンズの理論が完璧な理論でないことを証明できた。すなわちフローリーハギンズの理論を基に「否定証明」を構築し、カオス混合の結果を否定することはできないので、そこに属する現象の機能については、フローリーハギンズ理論で、できるともできないとも考察できない。機能を実現できるようにするのは技術である。ただし、技術でも科学で完璧に否定された現象に即した機能をそのまま利用することはできないので、そのときはほかの代替できる現象から機能を持ってくることになる。これは技術開発の方法論。科学と技術は世界観が異なり、技術の世界では科学は一手段あるいは方法の一つである。また、科学の世界ではモデル化された現象を実現するために技術を使う。技術で科学を手段として使うときに問題は発生しないが、科学の世界で技術を使うときには、その技術が科学で証明されていないときに問題が発生する。科学と技術は論理学の必要条件と十分条件の関係に似ている。ここを正しく理解していないとうまく問題解決できないばかりか大騒動を引き起こすこともある。最近の有名な事例は、STAP細胞の騒動である。科学で完璧な否定証明ができていないこの現象について、未熟な科学者が偶然成功した。未熟な科学者は技術として完成させる道を選べば良かったが、人生経験が不足していた。科学の世界に巻き込まれたので、とんでもない混乱となったのだ。マウス作成にES細胞を使用していたことを窃盗罪という人間の営みとして訴える科学者も現れた。熟練した人生経験豊富な科学者は、研究の世界に時々人間の営みをそのまま持ち込んだりするが、それはあくまで成果を生み出すためだ。ここで窃盗罪を持ち出してどのような成果を期待しているのだろうか。ちなみに科学の世界に技術の世界観を持ち込みノーベル賞まで受賞したiPS細胞の成果は、今の時代にヒューマンプロセスの見直しが重要であることを示している。
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「断絶の時代」(1968)P.F.ドラッカー(上田惇生訳)より
「情報は、何かを行うことのために使われて初めて知識となる。--中略--従って知識経済の出現は知識の歴史の中に位置づけられるものではない。それはいかに道具を仕事に適用するかという技術の歴史の中に位置づけられる。
---中略--知識経済の知識は、新しさや古さに関係なく、ニュートン力学の宇宙開発への適用のように、実際に適用できるか否かに意味がある。重要なことは新しさや精緻さではなく、それを使う者の創造力と技能にある。」
この40年以上前のドラッカーの指摘は、体系だった知識の重要性とその使い方の重要性を指摘している。ビジネスシーンにおけるロジカルシンキングやタグチメソッドはじめ問題解決法の流行は、知識の使い方に重点が置かれている。
科学の時代において、科学的知識は体系だった知識の一例である。ゆえに科学的知識を扱う限りにおいて知識の使い方だけ学べば良いかもしれない。しかしビジネスシーンの問題では、科学的知識だけで解決できるとは限らない。
科学的知識の中には、実際に活用できない知識も存在する。あるいは活用方法が分からない知識と表現した方が良いかもしれない。例えばパーコレーション転移については、古くから数学者により議論されていた。そして40年くらい前には一つの体系ができていた。
しかし材料技術の世界においてパーコレーション転移の知識が積極的に活用されたのは、この20年である。30年前にパーコレーション転移の理論は単なる情報に過ぎなかった。材料科学の教科書に書かれた混合則を不満に思い、パーコレーションについて勉強しシミュレーションプログラムを作成した。
知識の使い方だけでなく、情報を知識に変換する技術や独自の知識を体系化する技術も重要である。弊社では、単なる問題解決法ではなく、知識にまつわる技術を身につけるためのプログラムを用意しています。
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セラミックスとは、熱で焼き固めたもの、という意味の言葉が由来であり、材料を高温度で加工する技術に特徴がある。ゴムや樹脂の温度レベルではない。金属やセラミックス、ゴム、樹脂など材料開発をすべて経験してみると、温度の重要性を身にしみて理解できる。
セラミックスを高純度化したいときにどうするのか。高純度の原料を使用すればよい、という解答になる。原料がセラミックスの場合にはどうする?というように、実はセラミックスの高純度化技術というのは難易度の高い技術なのである。また必要とされる純度により、技術手段も変化する。一般的な話をするのも難しくなる。
例えばSiCという地球上に存在しないセラミックスを例に高純度化技術を説明すると、昇華法か、原材料の高純度化法という二つに大別される。昇華法はSiCウェハーにも利用されているが、2000℃以上の高温度で行われるプロセスでエネルギーコストがかかる方法である。
原材料の高純度化では、ケイ素源と炭素源の材料を高純度化することになるが、この時ケイ素源は比較的安価に高純度材料が手に入る。炭素源で高純度原料というと有機物を使うことになる。有機物から炭素がどれだけ得られるのかその割合によりコストは大きく左右される。
SiCの高純度粉体(例えば99.9999%程度の純度)を得ようとしたときに、安価なSiCインゴットから高純度化を行った方が良いのか、原料に有機物を使用した方が良いのかは難しい問題で、使用量が少量ですでに工程が存在するならば、前者が経済的であるが、新たに量産工程を作るのであれば、後者が容易で経済的に有利である。このプロセスで30年近く事業が続いており、実績のある方法だ。
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樹脂を射出成形して目標とする成形体を製造する技術は、混練技術と一体に考えるべきである。射出成形技術だけを取り出して研究できる因子には制限がある。射出成形体には少なからず混練プロセスの影響が残っている。例えば混練プロセスでエラーが発生すると射出成形体にもその影響が出る。
光学用レンズを射出成形で製造する場合にこれが大きな問題となるにもかかわらず、軽く扱われているように思っている。アカデミアで研究しても面白いテーマが存在するが、多くは工程の品質問題として観察されるので、アカデミアまで情報が届かない。
光学用ポリオレフィン樹脂のTgが混練で変化する話を以前この活動報告で書いた。射出成形工程で材料が平衡状態になるようなことなどあり得ないので、混練工程で観察される現象のいくつかは射出成形工程でも起きる。ただその影響が大きく出るかどうかは確率の問題である。
ただ一種類の光学用ポリオレフィン樹脂を用いたつもりでも射出成形体の内部構造としてTgの異なる成分が少なからずできる。それが多くなると射出成形体でエラーとなって現れる。だから確率に依存する問題、と推定している。
射出成形体により複屈折が変化したり、耐熱性が変化したり、光学的歪みが変わったり、様々なエラーは、以前書いた混練プロセスで観察された現象と発生機構は同じであるが、射出成形を担当している人は機械屋が多いのでそれに気がつかない。ご相談頂ければ対応方法をご教示いたします。
カテゴリー : 高分子
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落合GMに戦力外と通告された二人の選手が原監督の下で大活躍している。これは同じシステムでリーダーの違いによりメンバーの成果が変わることを示しているビジネスにおいてもよくある事例だ。但し野球のシステムは、ビジネスのシステムよりも単純で成果の尺度も明確なので原因もわかりやすい。
堂上選手や吉川選手にとって成果を出すためには、野球のチームという組織が必要だ。すなわち中日ドラゴンズは成果を出すための彼らの手段だったのが、落合GMにそれを取り上げられ、新たに原監督から類似システムを手段として提供され、成果を出している。
落合GMも原監督もリーダーシップで実績のある一流の野球人である。それぞれのキャラクターの違いもあるが、今シーズンの堂上選手や吉川選手を見ていると、個人が意識を変え「ひたむきに組織に貢献すること」の重要性が見えてくる。彼らの活躍について原監督に育てられている、と表現している新聞もあるが、一年も経たず活躍できるのは「個人の意識変革の効果」が大きいのだろう。
原監督に育てられた、と言うよりも、落合GMの非情な資本の論理による組織追いだし効果が大きいと思っている。そして彼らは落合GMを恨むのではなく、一度生活の手段を失った恐怖をひたむきな貢献という形に変えてプレーしていると思われる(注)。
スーパープレーを見せた吉川選手にしても堂上選手にしてもスキルに問題が多かった選手である。これはリーダーとして言ってはいけない発言と思ったので記憶に残っているが、落合GMは、かつて対談で「野球の下手な選手はいらない」というような発言をしていた。
しかし、プロ野球の選手は一応一定レベル以上の選手であり、どのようなチームでも成果を出せる能力があるはずだ。それが同一システムの組織の違いで大きく影響を受けるのは、一人ひとりが成果の必要性をよく理解していないことが一因としてある。すなわち成果に対する考え方や意識が重要である。彼らを見ていると、組織の意味が見えてくる。
「断絶の時代」(1968)P.F.ドラッカー(上田惇生訳)より
[一人ひとりの人間が成果を上げることは組織にとって必要なだけではない。働く人間一人ひとりにとって必要である。なぜなら組織は、社会が必要とするものを生み出す手段であると同時に、組織に働く人たちにとっての手段だからである。]
「企業といえども従業員のために存在するのではない。成果は組織の外にあり、従業員の同意、納得、態度に影響されるだけである。」
(注)これはインタビューをみた当方の思い入れかもしれないが、彼らの笑顔は野球ができることの喜びであって、追い出された恨みを感じさせない。人間だからつらい原因を作った人に対する恨みは残るかもしれないが、恨みだけで毎日を過ごしていると、不思議なことに、ますます悪い方に転がってゆくものである。組織で働くコツは、「笑顔で成果」である。
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ゴム会社の創業者のご子息は、経営を使用人のリーダーに任せた。新入社員の研修で会社の歴史とともに、企業が公器であること、そして創業家もそのような意志決定をしたことを学んだ。すばらしい会社を選択し入社できた、と誇りに思った。そのとき、会社に選んでいただいたことを忘れていた。
これは自分のサラリーマン生活で大きな間違いだった、と気がついたが、遅かった。高純度SiCの事業を立ち上げ、慢心していたことは周囲からみて明らかだったのだろう。被害者ではあったが、仕事を妨害した加害者の気持ちを考えた。
いろいろな思いが去来したが、誠実に自己責任の原則に則り、転職する道を選んだ。バブルがはじけた後、就職氷河期が長く続いたので、今、会社でばりばり仕事をしている30歳前後のサラリーマンは、「会社に選んでいただいた感」を忘れていないと思うが、その気持ちは大切だと思うので持ち続けてもらいたい。
当方の時も二回のオイルショックがあり、一応就職難だったが、それでも就職率は100%に近かった。日本の経済状態が良かったという過去の経緯もあり、当時の学生には「就職してやる」的傲慢な考え方があったように思う。知識労働者は組織が無ければ成果を出せないことが分かっていても、社会的風潮は今と異なっていた。
就職難は学生にとって不幸な状態かもしれないけれど、知識労働者というものを理解するには良い時代だと思う。自分の希望した職種に就職できなければ自分で起業してもよいと思っている。むしろ今の日本はそうすべき時代かもしれない。既存の組織はそこに必要な人材以外は不要なのである。しかし、一方で今の社会は新しい組織を求めている。そして若い知識労働者が新たな組織を立ち上げ日本を活性化してゆく体制が、政府の補助金などで整いつつある。
組織からはじき出されたときに否定的な考えになる必要はなく(注)、起業も含め新しい組織へチャレンジできる時代であるし、組織というものをそのようにとらえるのが健全な考え方である。騒動が起きたときに、転職を引き留めてくださった方が多く感謝しているが、住友金属工業とのJVが立ち上がって顧客も明確になり、後はマネジメントさえ誤らなければ成果がでる状態になっていた。
高純度SiCのニーズが市場に無ければ、テーマはつぶれていて、騒動の加害者の感情を損ねること無く転職するような事態にはならなかった。しかし、高純度SiCの市場が立ち上がり細々と続けてきた開発を重点的に進めた結果、仕事の妨害は起きてしまったのである。
ここで6年間の苦労を成果として結実できるかどうかは、問題を素早く収集してせっかく出口が見えたチャンスをつぶさないことである。皮肉にも問題解決の答えに転職以外見いだすことができなかった。しかし、この時の意志決定は間違っていなかったのだろう。高純度SiCの事業は30年後の今もゴム会社で続いている。
「断絶の時代」(1968)P.F.ドラッカー(上田惇生訳)より
「企業といえども従業員のために存在するのではない。成果は組織の外にあり、従業員の同意、納得、態度に影響されるだけである。」
(注)勝ち組、負け組などと言う言葉があったが、健全な組織に勝ちも負けも無い。騒動の被害者になったときに、つくずくそう思った。健全な組織では、所属メンバーに必ず役割があるはずで、それは勝ち負けから来るものではない。勝ち負けが組織の価値になったとき、問題が起きる。さらに数年後世間を騒がす騒動が起きたが、残念なことである。今は入社時の風土に戻った、と聞いた。12年間貢献できたことを誇りに思える会社である。
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パーコレーション転移という現象が顕著に品質へ影響するケースでは、混練工程でパーコレーション転移が安定になるまで混練されていないと、成形工程で痛い目に遭うだけでなく、成形工程だけで品質問題の解決を行うことは難しい。コンパウンド段階でパーコレーション転移の問題を解決しておくのが技術的に正しい方法と思っている。そのためのプロセシング技術を心がけてきた。
特に押出成形は、ゴム押出工程の現場で「行ってこいの世界」と表現されているように、混練された材料の性質がそのまま成形体に現れる。押出成形で材料の性質を変える、あるいは成形体に発生した材料起因の問題を解決することは不可能である。
樹脂に導電性のカーボンを分散し、半導体ベルトを製造するときに熱可塑性樹脂を用いたい場合には、押出成形が使用されるが、ベルトの周方向における抵抗の安定化という問題が必ず起きる。金型で解決できる場合もあるがその対策にも限度がある。キャスト成膜で製造されるベルト以上に精度を上げることができない。キャスト成膜でも乾燥工程で均一に保つことが難しく、どうしても周方向の抵抗偏差が現れる。
実はコンパウンドさえうまく製造できれば、押出成形のほうがキャスト成膜よりも精度の高いベルトを容易に製造可能である。コンパウンドに配合された導電性微粒子の分散状態が成形温度まで安定になっているように、すなわちパーコレーション転移が完結した状態になっているように混練を進めておけばそれを達成できる。
導電性微粒子の分散が樹脂の溶融温度を過ぎても変化しないコンパウンドを製造するためには、混練で材料が平衡状態に達するまで時間を掛ける必要があるが、経済的な制約のため不可能である。混練効率を上げる以外に方法はない。ご興味のあるかたは問い合わせていただきたい。
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「断絶の時代」(1968)P.F.ドラッカー(上田惇生訳)より
「今日の組織は、部族、村落、町という狭い環境から抜け出す自由を与えた。近代組織は教育のある人たちをして知識を働かせ、収入しかも高額の収入を得る機会をもたらした。しかしそこには、意志決定の責任が伴う。自らが何でありたいか、何になりたいかについて責任を負わされる。組織があるべきもの、なるべきものについても責任を負わされる。
そのためには、組織に何を求めるべきか。組織を自らの役に立つものにするためには、自らは何を行うべきか。
したがってわれわれは、組織が一人ひとりの人間に対して位置と役割を与えることを当然のこととしなければならない。同時に、組織をもって自己実現と成長の機会とすることを当然のこととしなければならない。」
ここでドラッカーは、今日の組織社会における、機会としての組織について説明している。ドラッカーのマネジメント論は有名であるが、ドラッカーの書には、個人のあり方がうまく説明されており、マネジメントの教科書として読む以外に、組織人としてどのように振る舞ったら良いかの答えを求めることができる。
ドラッカーの答えが正しいとか正しくないとかの議論は意味が無く、個人が現代の社会でどのように「活」きたらよいのかという問いを持って読むべきものだろう。このとき個人を社会で活用できるよう自分で自分をマネジメントする指南書となる。
昨年「追い出し部屋」と新聞で騒がれたが、何か組織で不満が生じたときに組織を責めてみても仕方がないのである。仕事の成果は、組織を通してしか得られないばかりか、社会への貢献でも組織を通さない場合には、ボランティア活動しか道がなくなってしまうのである。どのような組織でも自己実現と成長の機会とすることを当然のこととして実践しなければいけない。
この意味で組織リーダーである上司の責任は重い。一人ひとりの人間に対して位置と役割を与える責任があり、部下の自己実現の支援をしなければならない。残念ながらサラリーマン生活において、この視点で上司に恵まれなかったが、自らを組織の中で位置づける努力をしてきた。転職や単身赴任、早期退職などのサラリーマンの苦労は自ら選択した結果で、それゆえ前向きにがんばることができる。
転職では、セラミックスの専門家から高分子の専門家へ転身し、単身赴任ではカオス混合技術を生み出した。そして早期退職して、セラミックスから高分子材料まで開発して得た経験や知恵を社会に生かそうと活動している。
このようにドラッカーの書は、個人が組織をどのように活用したら良いのか、と読むことができる。実はドラッカーの書を高校時代に初めて読んでわかりにくかったのは、彼の組織に対する考え方であったが、30数年サラリーマンを体験した後、これを再度読んでみると非常にわかりやすく書かれていることに気がつく。ドラッカーは組織活動の経験者には難解な書ではないのだ。
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混練技術は科学的解明が難しい現象が多く、またナノレベルで複雑な現象が同時に絡み合いながら起きているので解析が難しい技術である。一種類の高分子だけを混練してもシミュレーション通りにならない場合がある。なぜなら混練プロセスでは、ただ高分子を混ぜているだけではない。同時に物理的な変性もおきている。
光学用ポリオレフィン樹脂だけを混練すると面白い現象を観察することができる。現象の変化の様子は、ポリオレフィン樹脂の種類で少し異なっているが、これらの樹脂は、側鎖を嵩高くし見かけのTgを高くする分子設計が採用されている。
すなわち側鎖を嵩高くすることにより、オレフィン樹脂の一次構造の運動性を抑え、耐熱性を改善している。これは嵩高い側鎖の立体障害を活用し分子運動をしにくくする分子設計である。ゆえにコンフォメーションが変化して立体障害の効果が少し変わると、分子運動性に影響が出て耐熱性が変化すると言うことが起きる。
混練では混練条件をうまく選ぶことで、このコンフォメーションの変化を優先して起こすことが可能である。これは教科書に書かれていない「技」だが、経験でこのような技が存在することを発見した。この技を使い、光学用ポリオレフィン樹脂だけを混練すると、ポリオレフィン樹脂のTgを変化させることができる。
例えばポリスチレンを水添して製造されたポリオレフィン樹脂の場合には、ポリスチレンのTgと同じTgを持った材料に変性することが可能である。しかしこれは困った現象である。なぜならわざわざTgをあげるために水添したわけで、それが混練でTgが低下した材料に変性されてしまうからである。
このTgが低く変性されたポリオレフィンを再度混練すると、またTgが高い状態のポリオレフィンに戻すことが可能である。ただTgを変化させて遊んでいるだけなら面白い現象で済むが、これが困った問題を引き起こす。詳細に興味のある方は問い合わせていただきたい。
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高分子の混合プロセスでは混練技術が用いられる。混練の科学についてはこの10年の進歩が著しい。高分子学会でも活発な議論が行われることもある。但し、混練そのものではなく、高分子のレオロジーの側面からである。
カオス混合では、偏芯二重円筒を用いたシミュレーションが有名だが、このシミュレーションどおりの生産装置を一度見てみたいと思っている。カオス混合については、ゴム会社の新入社員時代の指導社員から頂いた宿題として30年近く考えてきた。
毎日考えていたわけではない。カオス的なことを見つけては思い出していた。結婚はカオスのようなものだ、と言っていた人がいたが、新婚時代はカオス混合をほとんど忘れていた。転職先の写真会社でもしばらく忘れていた。
誠実真摯に職務に励み外部から表彰されるような成果も二種類の業務で出したのにラインからはずされ研究所長付スタッフに突然された時には、頭の中はカオス状態になった。そしてそのとき実現可能な技術を思いついたのは偶然だった。その偶然を捕まえるための仕込み実験もこのスタッフ時代にできた。カオス混合に成功する前に、ポリオレフィンとポリスチレンの相容に成功したのだ。
これはカオス混合を実現できたときに何が起きるかを知るための重要な実験だった。換言すれば、SP値の離れた相容しないと言われている高分子の組み合わせでも相容することを確認するための実験である。左遷という不幸な機会に、STAP細胞と同様の、このきわもの的実験に成功する幸運に恵まれた。
この成功でますますカオス混合をやってみたくなった。突然写真会社とカメラ会社が合体する。そしてカメラ会社の開発部隊の中にPPSと6ナイロンの組み合わせで苦しんでいる人が偶然いた。
さらに運良く外部のコンパウンドメーカーから嫌われて、混練プラントを短期間に建設しなければいけない幸運が舞い込んだ。ラインから外されてからは人生設計の誤算続きではあったが、30年近く考えてきたことを自分で実験できるチャンスが訪れた。
混練技術の専門家ではなかったけれど、また、組織では自分で実験ができる立場ではなかったけれど、カオス混合は自分でやってみたかった実験である。恋い焦がれて、というと大げさだが、新入社員時代の宿題をやり遂げたい、と思い続けてきた実験でもある。
カオス混合に初めて成功し、PPSと6ナイロンが相容した透明な樹脂が混練機から吐出されたのは、電気炉が暴走して生まれた高純度SiCの時と同様に不思議な技術の体験である。不思議な体験ではあるが、それまでの努力を思い返すと幸運と不幸のバランスがうまくとれた結果に思えてくる。不幸だからと嘆く前に不断の努力を続け、不幸を努力の過程に混ぜ合わせることが大切である。
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