東京都知事の公私混同ぶりが飛び火し、各企業内の公私混同がネットで話題になっている。写真会社に転職してびっくりしたのは、他社から転職された年配の方が目に余る公私混同ぶりを発揮していたことだ。
例えば、出張で羽田空港を使うに当たり自宅からタクシーで向い、当方は電車で行ったところを飛行機で出張されていた。飛行機を使った理由は話されなかったが、寄り道をされていたことは、会社への出張旅費請求内容から読み取れた。
これは序の口で、会社のノートPCを自宅へ持ち帰り、地方で下宿している息子へそのPCを使用させていた。当時はMS-DOSの時代であり、FDベースでPCを使うことが多く、ノートPCで機密が漏れることはなかったが、棚卸しの時にその実体がわかり問い合わせたら、紛失で処理できないか、と呆れる回答をしてきた。
おそらく転職前の会社でも相当の公私混同の常習者だったろうと思われたが、およそゴム会社では想像のできない感覚だった。これはしつけのたぐいだと思う。企業内で文化として公私混同を許さない風土であればこのようなことは起きない。
転職した写真会社もゴム会社同様に公私混同に対して厳しい会社だったが、少しゆるいところもあった。それもあり、この年配の方がしつけられず野放し状態だった。
公私混同の厳しい会社でしつけられたおかげで、一番良いと今でも感じているのは、専門書を自腹で購入する習慣だった。昔自腹で購入した専門書が資本として今の仕事に活かされている。高価なCMCや某セミナー会社の書籍も多数ある。ちょっとした財産だ。
学生時代に某会社から大学教授として赴任された方がおられ、その方の部屋を見てびっくりしたのは本が少なかったことだ。前任者の教授の使っていた書棚は空っぽであり、この先生大丈夫かと真剣に心配した。
その先生曰く、専門書は会社の費用で買っていたので全部会社においてきました、と言うことだった。その公私混同をしていない立派な回答に感心するとともに、がらんどうの教授室を寂しく感じた。学生だった小生の方が、その先生よりもたくさんの本を所有しており、それも当時少し話題になった。
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KKDという言葉は、いつの時代から誰によりどのような意図で考え出されたのか知らないが、「形式知と経験知でDo」と教えてくれたのは、新入社員時代の指導社員である。大学の教養部の哲学の時代に、形式知と実践知(経験知)、暗黙知の3つが知の形態と習っていたので、暗黙知が入っていない点を質問したら、新入社員だから暗黙知が無いだろう、という回答があり納得した。
しかし、KKDは、一般に「勘と経験と度胸」の略として使われている。ゴム会社に入社したときに現場の職長さんからKKDを教えていただいたときにもこの意味だった。ゴム会社では開発部門でもKKDという言葉がよく聞かれた。
おそらく指導社員の意図は、彼の経験知を伝承するから、科学の知識と一緒に用いて仕事をやれ、と言いたかったのだと思った。なぜなら、技術を科学の知識だけで開発するには無理がある、というのが彼の口癖だった。
ゴム会社の社内風土にもこの考え方は生きていて、新入社員の半年間の実習の間に営業実習や開発実習も含め、約5ヶ月間の現場実習が行われている。そして、技術職に対して生産現場である工場の実習が2ケ月間義務づけられている。
アカデミアの世界からいきなりこのような長期の現場実習で会社がいやになる人もいる。当方もその一人だったが、同期でこの期間に退職したのはたったの3人である。一人は6ケ月間の実習を終え、配属が決まる直前に退職している。
その彼は、「この会社には技術という物が無い」といって去って行った。当方の印象と真逆である。当方は工場実習で科学と技術の違いを感じ、開発部門の実習成果を発表するプレゼンテーションにおいてS専務から技術という物を明確に指導された。ゴム会社には科学で説明がつかない技術が現場にいっぱい転がっていた。また、研究所以外の製品開発部門では科学よりも技術の方法が重視されていた。
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KKDをバカにしてはいけない。KD(勘と度胸)だけの場合は当方も疑問を持っているが、経験知(実践知)を重視し、科学の情報を活用し、うまく勘を働かせて技術開発を行うならば、KKDは企業で許される方法だと思っている。
すなわち、KKDのKの意味が科学の情報(K)と経験知(K)であり、DがDOの時には、効率的な技術開発ができる。ここに暗黙知(A)が加わり、KKAD(形式知、経験知、暗黙知でDO)となれば、理想的な技術開発方法だ。
科学と疑似科学の境界問題について解が得られているかどうか知らないが、20世紀末のビジネス界において歓迎されたロジカルシンキングは、むしろその境界を著しく不明確にしたように思う。ロジックでごまかす輩も現れた。
例えば燃費不正問題はその典型であり、いくら科学的に正しく測定されたとしても規格の手順通りでなければアウトとなる愚直な考え方がないがしろにされた。おそらく、規格通りでなくても規格値同様の結果が得られる、と説明がロジックにより正当化されていた、と思われる。
現代のビジネスの現場では、大局的にみればおかしな結論になっても、ロジック(屁理屈)をつなげてあたかも正しいような議論を展開し説得するようなシーンが時々見られる。研究開発の現場も同様で、ロジックさえ正しければすべてが正しいような誤解がある。
技術開発では、まず機能が正しく動作することが重要であり、そのロバストを高めることが重要課題となる。機能が仮に科学で裏付けられてなくてもロバストが高いならば、それはりっぱな技術のはずであるが、高純度SiCの技術は、当初研究所で受け入れられなかったばかりでなく、日本化学会で最初の発表をしたときに、不完全な研究と非難された。
本来学会の場は議論をする場であって、成果を否定する場ではないはずである。しかし、新しい現象の提示とそれから導かれた無機反応の均一性が議論されることなくKKDで見出された前駆体技術を全否定されたのは悔しい思い出である。学会賞を受賞するまで10年以上かかった。そして、その時には審査員になっていた。
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イムレ・ラカトシュ「方法の擁護」ほど当方を力づけた本はない。この書は科学の方法論について論じた歴史的名著となる一冊に違いないと思う。また、同時にこれから蒸し暑く眠れない夜のお伴としてついて行くのに良い本である。数ページで深い眠りにつける。
日本では、1970年代に研究所ブームだった、と言われている。1970年末に就職したゴム会社には、その名残があった。ゴム会社の研究所には、ゴム合成会社を設立するような成功体験があり、科学的方法が、業務を進める上で強く求められた。
そのような環境で、レオロジストの指導社員に出会ったのは救いであった。科学的方法論に対して斜に構えていただけでなく、ご自分の専門領域に関しても自虐的に10年後にはゴム材料分野で使われなくなる、とつぶやくのが習慣だった。
写真会社に転職後、ビックリしたのは、仮説を立てて業務を遂行するように、と科学的に業務を進めることが強く求められていた。ゴム会社では研究所がそのような環境だったが、研究所以外の部署ではKKDが否定されることなく許されていた。しかし、写真会社は全社一色科学色に染まっていた。
郷に入ったら郷に従え、とばかりに、科学色をギンギラリンに塗り、学会発表も並行して行いながら業務を行った。若手部下が日本化学会から講演賞を受賞したり自らも二つほど賞を頂いた。しかし、左遷され、豊川へ単身赴任してからは、思い通りに仕事を進めた6年間だった。
そこでは、科学のパロディーの仕事と、KKDの仕事を並行で進め、KKDで成果を出している。ただし、周囲へのプレゼンテーションは科学で行うというサービスは忘れなかった。この6年間で確認できたのは、科学的方法の非効率性である。
科学は確かに現代技術の発展を加速させた。しかし、科学の情報があふれている現代においては、KKDは異常なスピードを提供してくれる。ちなみに、それは、基盤技術0の環境において提案から稼働まで半年でコンパウンド工場を建てられたほどのスピードである。この工場は退職まで不良率0で稼働している。
21世紀になり科学に問題を提起している事件が相次いでいる。STAP細胞の騒動はその代表であり、そのほか、15歳の少年がマヤ遺跡の発見をした事例も考古学者の科学的姿勢の問題を浮き彫りにした。あまり騒がれなかったが、iPS細胞のヤマナカファクター発見の手法は、優れた非科学的方法だった。
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AIの普及により労働者が職を奪われる現象をテクノ失業と呼ぶらしい。技術革新が進み、その結果労働市場が激変する体験を人類はこれまで何度も経験している。
当方はテクノ失業の問題を暗い側面としてとらえるのではなく、人間の特性を本当に活かすべき時代になってきた、と捉えている。
例えばいくら人間型ロボットが普及したとしても、レジ係のすべてがロボットに変わるとは思えない。人間でなければ勤まらないレジ係も存在する、と思っている。
近所の大手スーパーでは、かなり以前から無人レジと有人レジの両者で運用しているところがある。その様子を見ていて、すべてが無人レジに変わることはないと確信した。
レジ係だけではない。一見ロボットに任せても良さそうな仕事でも「任せてはいけない」仕事や、ロボットでは「効率が落ちる」仕事が存在する。このような仕事は、AIが普及しても残ってゆく。
面白いのは、多くのテクノ失業を扱った記事ではこのような見方をせず、十把一絡げに単純労働や論理プロセスの仕事がAIに置き換わるとしている。
歴史的に技術革新により労働は機械に置き換わっていったが、機械でもできそうなのにあえて人間が行っている仕事が今でも残っている。そしてそれらの仕事で生み出される製品はそれが付加価値として差別化されている。
このことからAIが普及することにより職を失う人が出てくるが、職を失わないための努力というものも存在するはずだ。AIが普及する前にその努力をすれば、一時期に大量失業というブルーな時代を回避できると思う。
また、その昔手塚治虫の漫画の一コマにロボットではとんでもないことになる状況が描かれていた。すなわちアンドロイドでも良さそうなシーンが展開され、その分野も高度な知能を持ったロボットに置き換わるような錯覚を読者に持たせ、最後に電池が切れとんでもないことが起きる、というオチである。どうして急に電池が切れたのか。手塚漫画特有のギャグで、面白いのは、それがありうることだからだ。どのようなシーンかはここに書けない。
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悪徳の就活塾が話題になっている。また、就活塾にのめり込み、留年した学生がいるという。驚くような話がネットニュースで話題になっている。
実は3年ほど前電子ブックサイトを運営していたときに、就活生を対象としたセミナーを1000円で公開していた。悪徳の就活塾が30万円や40万円、高いところになると100万円という入塾料を取っていることを考えると格安セミナーである。
しかし、売れたのは2冊。さっぱりだった。販売促進のために都内の大学の教務課の門戸をたたいたが、就活セミナーには学生が集まらないという。大学側が外部講師を呼んで無料セミナーを開催しても、学生が集まらず、講師に悪いから3年生や2年生に声をかけて集まってもらっているような状態だと言われた。
ところが、今、うん十万も費用を払って、学業も放り出して参加するような時代になったとでもいうのか?びっくりしている。もしこの欄を若い学生が読んでいたなら、弊社に相談して欲しい。3年前のセミナーを10,000円で販売します。
3年前1000円だったのをなぜ10000円に?という疑問がわいた方のために一言。世の中値段が安いために価値が低いと判断される方が多いからである。また、3年前はクラウド上で運営していたので1000円だったが、今回はダウンロード版でコピー可能である。
また、無料で個別相談にも応じるサービスも考えている。これはメールになるが、受験したい企業の相談や学生の強みを聞いて本人にとってためになるアドバイスをしたいと思っている。とにかく訳の分からない高額な就活塾に入塾するぐらいなら、弊社のインフォメーションセンターに問い合わせていただきたい。就活のご指導を致します。このサービスは、弊社の社会貢献の一環としての出血サービスです。
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粘弾性論は、科学の知識がどのようなものか、その姿を学ぶのに良い事例だと指導社員は語る。すなわち、ゴム物性を理解するために粘弾性論を適用して多くの現象を説明できるが、説明のできない現象も存在する。おそらく10年後には粘弾性論で高分子を議論する人はいなくなるかもしれない、と予言されていた。
90年代にも粘弾性論で学会発表をされる先生もおられたので、この予言ははずれたが、高分子と粘弾性論という学問との関係を理解するのに指導社員の説明は役だった。
しかし、大学で学んだ高分子の知識は合成が中心で、レオロジーに関しては、言葉が一行出てきた程度だった当方にとって、指導社員の朝の座学は新鮮で貴重な体験だった。また、実際に樹脂補強ゴムの開発を進めながら、そこに粘弾性論が展開され、一方で指導社員特有の科学の知識に対する自嘲気味のコメントが、知的欲求を刺激した。
おそらくこの時のご指導が無ければ、リアクティブブレンドで高純度SiCの前駆体を合成しようというチャレンジもしなかった可能性が高い。科学の知識から否定されるようなチャレンジは、科学の知識が重視された当時の研究所で、とてもできる雰囲気ではなかった。
新事業について、起業1年後の生存率が40%。5年後は15%。10年後は6%。20年後になるとわずか0.3%に過ぎないと言われているが、起業する前に科学の知識による洗礼が研究所には存在した。
指導社員が、科学の知識は、それが大系としてまとまると、新しい発見を排除するようになる、と語っていたが、高純度SiCの事業は、そのスタート時に研究所で排除されたにもかかわらず、30年以上続いている希有な事業である。
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指導社員が見本となるサンプルを作ることができたのは、偶然ではない、と思った。少なくとも毎朝行われる粘弾性に関する座学を聞いていて、その物性を狙って作った、と感じた。ただし狙って作ってはみたが、再現性が無いので当方に自由に作業をやらせて条件を探しているのではないか,と想像した。
また、この想像を指示する出来事があった。マッチを使いはじめ、加硫ゴムの物性が安定し始めた頃に、分析室の女性が小生の作成したサンプルを受け取りに来たのだ。しかし、当方が初めて混練したサンプルから物性が安定し始めたサンプルまで分析しても何も分からなかった。
ただし、分析して何も分からなかったことよりも、分析室の女性がサンプルを取りに来たことを不思議に思った。指導社員に尋ねたところ、指導社員は、当方が朝の座学で居眠りをしている時に説明した、と言われた。これにはまいった。
さらに寝ているときにいろいろ大切なことを話したかもしれないが、とも言われた。この翌朝から座学の時の居眠りは無くなった。ただ指導社員は優しかった。ゴム材料を開発するために座学で話した粘弾性論は忘れてしまってもいい学問だと言われた。ただし全体の大系を把握して欲しいので同じような話を繰り返して話している。だから眠くなっても仕方がないと思っている、と言われた。
おそらく粘弾性論は、高分子の世界では、新しいレオロジーの学問に置き換わるだろう。その時にクリープ関数などがどのように見直されるのか、それは何故かを考えて欲しい、とも言われた。
科学の知識は、それが大系としてまとまると、新しい発見を排除するようになる、と難しい哲学の話を指導社員は昼休みにしだした。粘弾性論でゴムのクリープを説明できないのは、粘弾性論が間違っているのではなく、そこには粘弾性論にかわる新しい知識の大系が求められている、と含蓄のある話を聞かされた。
その日の昼休みは偶然将棋の相手がいなかったので、当方に難しい話をしてくださったのだ。形式知について大学の教養部哲学の時間に学んだが、それよりも分かりやすい話だった。しかし、この手の話は、わかりやすい話でも難解である。
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指導社員は、良い結果がでたら、何度もその同じことを繰り返してやりなさい、とも言われた。良い結果は繰り返し再現されることを確認しなければいけない。そして繰り返しの中に良い結果と異なる「悪い」現象が見つかったらそれは失敗ではない、良い結果とその悪い結果を報告するように、と指導された。
担当した樹脂補強ゴムの開発では、良い結果が出ることは希であった。指導社員から渡された処方をそのまま実行しても、指導社員の作成したゴムと同様の物性にならなかった。どこが間違っているのか尋ねても、同じ物性が得られるまで練習して良い、と言われた。
毎日ロール混練との格闘で不安になってきた。実験室にいた諸先輩は近くに来ては激励ともいえない冷ややかな言葉をかけてくださったが、親切な人もいた。その人はマッチを3箱持ってきて、ロールで行っている幾つかの繰り返しの伴う作業をカウントするように言われた。
何気なくやっていたロール作業であるが、マッチ棒でカウントすることにより、各作業を注意深く行うようになった。そしてナイフを使った返し作業が、同じ時間内でありながら最高で3回誤差が生じることも分かった。
驚くべきことに、マッチを使い始めてから、力学物性のばらつきが小さくなった。そして各作業を注意深く見直し、ロール作業における微妙なタイミングが力学物性に影響していることも分かってきた。理由は不明だが、それらの変化を参考にしながら作業を改善していったところ、一人で始めて6日めにようやく指導社員から渡されたサンプルと同じ物性が得られるようになった。
実験室にいたある先輩Oさんは、一種のいじめだと言っていた。当方の指導社員は周囲にあまり評判が良くなかったようだ。定時になるとすぐに仕事をやめて、囲碁や将棋を打っていた。他部署の人が業務中に質問に来ても難解な英語の論文を渡すだけである。その様子を見ていて当方は幸せだと思った。自分にだけ親切にいろいろ教えてくださっているのである。
Oさんは、指導社員がサンプルを作ったときにプロセシングのデータを取っていなかったことを教えてくださった。また偶然できたらしいことも。ただ、小生は毎朝の座学でそれが偶然の産物でないことを知っていた。また、指導社員は、外面は理論派でその実力も周囲が認めるところであったが、実態は現場を重視する職人肌の人だった。
研究所の大半の人が嫌がる小型のバンバリー作業も難なくこなしていた。Oさんもそのバンバリーは面倒で普段の実験に使えない、と言っていた。しかし、その面倒な作業を指導社員は慣れた手つきで当方に指導くださったのである。
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1980年頃ゴムの粘弾性論は、ケモロジーという言葉が生まれるくらいに、知識がカオスになりつつある状態だった。これは指導社員からの受け売りの表現だが、そのとき同時にカオス混合という幻の混練技術を教えていただいた。(当時は実現はされていないから幻である。)
しかし、彼はロール混練でカオス混合がおきている可能性がある、と教えてくれた。そして、ロール混練の実践知と暗黙知を身につけ、連続プロセスでカオス混合を実現するのが当方の宿題、と冗談で言われた。
この指導社員はその行動にいくつか矛盾を抱えていた。例えば、月報はじめ会社で作成する書類は科学的に丁寧に作成していたが、作成しながら、これはゴミだよ、と自虐的によく言われていた。
一方で当方の思いつき発言をよく褒めてくださった。また、それを大切にするようにとも言われた。そして、結果となる現象を想像することこそ仮説よりも重要だ、とやや哲学めいたこともよく言われた。
結果となる現象を想像し、その結果を実現する方法を考えること、これが「考える」ということだ、と教えてくださったのもこの指導社員である。仮説を設定しロジックで展開することは誰でもできるが、本当に考えることは、訓練されていないから難しい、とも言われていた。
当方の思いつきは結果をうまく想像している、ともコーチングしてくださった。この時の指導社員の教えが弊社の研究開発必勝法に一部使われている。
科学でよくやる間違いは、ロジックで展開しようとして目の前の現象を否定的にみることだ、とも言っていた。すなわち科学の知識に頼りすぎると否定証明をしたくなる、という問題だ。これはイムレラカトシュもその著書「方法の擁護」の中で指摘している。
(注)結果となる現象を想像するために、形式知をロジックでつなげる必要はない。詳細は弊社に問い合わせていただきたいが、形式知を使いロジックでつなぎ合わせると、それは仮説になるが、ここでは仮説立案とは異なる方法論を意図している。
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