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2016.07/10 セミナーのご案内

この3年間、弊社が中国で活動してきました成果を踏まえ、5月までに3件ほど混練技術に関する講演会を開催致しました。
 

いずれも異なるセミナー会社の主催で行われましたが、リクエストがございましたので下記予定で7月と8月も開催します。一部内容は重複致しますが、過去の講演と同様に新規内容を盛り込み企画しています。また、弊社で現在展開しております二軸混練装置の販売につきましても状況をご報告させていただきます。
 
7月の講演会では、樹脂用の新添加剤のご紹介をさせていただきます。また、カオス混合技術につきましても過去の講演会同様に解説致します。
 

8月の講演会におきましては、シランカップリング剤の添加では問題解決できなかった熱電導樹脂を事例に、フィラーの分散制御技術の盲点を独自の視点で解説致します。
 
お申し込みは、弊社インフォメーションルームへお問い合わせください。詳細のご案内を電子メールにてさせていただきます。弊社で申し込まれましたお客様につきましては特典がございますので是非お問い合わせください。
   

1.機能性高分子におけるフィラーの分散制御技術と処方設計

(1)日時 8月25日  13時-16時30分まで

(2)場所:高橋ビルヂング(東宝土地(株)) 会議室 (東京都千代田区神田神保町3-2)

(3)参加費:43,200円
 

2.9月以降に機能性高分子の難燃化技術の講演会を2回ほど行います。お問い合わせください。

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2016.07/09 研究開発のテーマ

研究開発のテーマとして何に取り組むのか、という問いはどこの組織においても重要である。企業では事業分野に直結し2-3年で貢献できるテーマが選択される傾向になってきた。これが30年以上前の研究所ブームの時には、今実現できないことに挑戦するようなテーマも選択されていた。
 
例えば、ゴム会社では熱可塑性エラストマーでタイヤを製造する研究やカルスによるゴム栽培の研究も当時テーマとして推進されていた。そのような雰囲気の研究所だったから、セラミックスブームの時に容易に高純度SiCの企画が採用されるかと思ったらあてがはずれた。
 
セラミックスブームの時に研究所は現業の支援を中心に活動する方針となっていた。一方で社長はCIを導入し、新規事業の3本の柱としてファインセラミックスと電池、メカトロニクスを方針として出してきたので研究所はちょっとした騒ぎになった。
 
もっとも電池については、ポリアニリンを正極に使うポリマー電池の企画がすでに研究所で動いており、メカトロニクスについては電気粘性流体の企画が進行していた。しかし、ファインセラミックスの企画だけ研究所に存在しなかった。
 
そのときセラミックス溶射技術がテーマとして認められた。しかし当方は今ひとつ魅力に乏しいと感じて、高純度SiCの企画を提案したのだが、結局研究所で袋だたきのような扱いをされ、挙げ句の果ては追い出される結果になった。FDをイタズラした人は電気粘性流体のメンバーだが、あれはゴム会社に似つかわしくない事件だと思った。
 
しかし、誠実真摯に成果をあげることにだけ集中した結果、TEOSとフェノール樹脂から合成された前駆体を中心にした技術は、日本化学会技術賞を受賞し、現在まで30年以上事業として生き残っている。
 
研究開発のテーマはいくら良い内容であっても、推進メンバーに成果に対する誠実さや真摯さが欠けると結局失敗し、事業も続かない。ポリアニリン電池事業も電気粘性流体も事業を中断している。ポリアニリン電池事業に至っては日本化学会技術賞受賞後に事業を終了という残念な結果である。高純度SiCの事業が今でも続いているのは奇跡に近いが、その陰にはいろいろたくさんの人間ドラマがある。
 

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2016.06/19 麻生氏の高齢者発言

麻生氏の「90過ぎて、老後が心配と、お前いつまで生きるつもりだ」という発言が問題になっているそうだ。老人の蓄財をいさめたのが真意らしいが、父親の寿命だった100歳まで生きようと考えている身には、少し考えさせられた。
 
この発言が問題だと言う意味ではない。100歳までと言う目標を90歳までに変更する必要があるのかもしれない、という心配である。これまで会う人に事業を始めた行動について聞かれると、100歳まで生きるつもりで、と答えてきたが、不愉快に思っている人もいるのかもしれないと考えさせられた。
 
寿命を意識するようになってから日本人の平均寿命は10歳以上伸びた。金さん銀さんの双子がTV番組で取り上げられたときは、100歳がまだ珍しい時代だったが、今はその辺に100歳の人を見かけるぐらい一般的になった。
 
それで100歳まで生きるつもりで、と思うようになったのだが、まだ90歳までという感覚の方が良いかもしれない、と麻生氏の発言から感じた。
 
サラリーマンの定年については会社で決まっているので、自分でその目標を決定できるのは早期退職ぐらいである。父親の定年と同じ55歳と目標設定してみても、テーマの都合で当方は2年長く会社に勤めることになった。その結果東日本大震災の日が最後の出勤日となる不幸に見舞われた。
 
この時には55歳で辞めておけばと一瞬思ったが、1年間すごした事務所で帰宅難民として徹夜して、まだ会社に貢献できたので定年まで勤めていた方が良かったかもしれない、と思うようになった。
 
人間の寿命ではこうはいかないだろう。人生最後のお迎えが来たなら、後悔などしておれないないからだ。この意味で、麻生氏の発言は、まっとうな発言なのである。90過ぎて自分の老後を心配しているようではいけないのである。
 
残った人生の心配など忘れ楽しく生きなければいけない。それこそ寿命もお金も使い果たすぐらいに本当に死ぬ気で一生懸命生きないといけないのである。もし90以上の老人が蓄財をやめ、消費に一生懸命になったら日本経済は活性化するかもしれない、その意味で麻生氏は発言したのである。
 
「「老後が心配」といつまで思うのか」は、なかなかいい問いである。90過ぎたら本当に死ぬ気で一生懸命生きる必要がある、麻生氏の言葉はそのように聞こえた。80までは生きるつもりで働き、90までは最後の準備を行い、90過ぎたら死ぬ気で一生懸命生きる、それが長寿となった人生の幸せな姿の一つかもしれない。
 
亡父は当方がゴム会社から転職したころ、80歳から、もう来年はダメかもしれない、と言いつつ100歳まで生きた。今から思えば、高純度SiCの事業を住友金属工業とのJVという形で立ち上げ成功したにもかかわらず、当方のFDへいたずらされた事件に対して、被害者でありながら「転職」という、当方の決断に満足していたのかもしれない。ドラッカーが愛読書だった亡父の口癖は「誠実と真摯」だった。
 

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2016.06/18 科学の方法(5)

技術が科学を追い越したときに困るのは、周囲へ技術を説明する方法である。できあがった技術があるならば、まだ易しいが、これから科学では否定される技術を開発します、と言ったなら誰も相手にしない。
 
ゴム会社で提案した高純度SiCの技術(日本化学会技術賞受賞)もそうだったが、左遷され単身赴任した時に担当した中間転写ベルトの仕事は、科学の方法では失敗することが予見できた技術である。当時所属していたテクノロジーセンターでは一部の技術を担当していたが、誰も成功すると思っていなかった。それでもそれを担当してこい、と単身赴任することになったのである。
 
退職を間近に控えたサラリーマンとしてこれほど悲しい役割は無い、と思ったが、写真会社の14年間に酸化スズゾルの帯電防止層の開発(日本化学工業協会技術特別賞受賞)や変異原性のある材料を排除した接着技術、ゾルをミセルに用いたラテックス合成技術(写真学会ゼラチン賞受賞)、インピーダンスを用いた帯電評価技術、PENの巻き癖解消技術、色ずれしないプルーフの重要な技術(商品開発担当者が印刷学会賞を受賞)など数々の成果を出した意地があった。
 
悲しい役割と捉えるのではなく、転職者として多くの成果を出した当方ならばできるだろうと期待されての仕事として、前向きに捉え仕事に臨んだ。また、その時世の中には左遷という人事は無い、と言う人もいた。しかし給与が下がれば左遷だろうとその人に質問したら、今は皆給与が下がっている、という回答。前向きに仕事を捉えつつも、サラリーマンとしてこのような無駄な議論も当時している。
 
ただ、無駄な議論のおかげで腹が据わり、早期退職を決意して少し博打をする気持ちも生まれた。当方が日頃考えてきた方法を100%そのプロセスで使い、マネジメントしてみようと考えた。しかし、この企みは、新しく部下となったまじめなマネージャーにより一瞬につぶされた。仕方が無いので、それまでやってきたように科学の方法を表面にだし、当方一人で技術の方法による開発を進めることにした。
 
そのため、中間転写ベルトの製品搭載決定まで半年という短期間で効率的に行うために、弊社の販売している研究開発必勝法を用いた。この研究開発必勝法の基本的考え方について、未来技術研究所(http://miragiken.com)活動報告「科学と技術」に紹介している。
 
 

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2016.06/16 桝添都知事辞職

昨日桝添氏の辞職が決まった。いつ辞職するのか連日ワイドショーで報じられていたが、猪瀬氏の裏事情に関するコメントもあり、ご自分で辞職のタイミングを決められない状況もあったようだ。
 
豪華な海外出張はじめ桝添氏の道義的責任に端を発した問題はようやく決着した。桝添氏の場合には、8割以上の都民が早く辞めて欲しい、と思っていたのだから早く辞職すべきだったと思う。
 
それが、「一流都市の知事が二流のホテルに泊まって恥ずかしくありませんか」というとんでもない開き直りで、周囲の事情よりも本人が辞職する必要無しと考えていたところが見られる。まったく不誠実な人である。
 
ドラッカーは誠実で真摯な人をリーダーに選ぶべきと述べている。当たり前の話であるが、これを社会で実践することは結構難しい。誠実真摯に生きることは苦労を当たり前として受け入れる勇気が必要で、そのような人を見極める目は、選ぶ側にもある程度誠実で真摯な生き方を理解できる生活態度が求められる。
 
そもそも63年の今までの人生で誠実で真摯と思われる人物に出会った経験は数えるほどしかない。プチ誠実真摯な人は多いが、その中には口先で装っている似非誠実真摯な人もいた。
 
桝添氏もその著書を読む限りは誠実真摯な人柄に見えるが、実際の行動に現れた人柄は似非誠実真摯であるだけでなく、一連のドタバタからは傲慢な専制君主的な人柄が伺われた。だから日に日に都民から辞職を求める声が高くなり、80%以上にも達したのだ。
 
猪瀬氏は政治家の進退の難しさを語り桝添氏を擁護したが、それでも都民の怒りは収まらなかった。辞職の決意に至るまでの言動を見る限り、本当に不誠実な人物だと誰もが感じたからだろう。スイートホテルの問題を指摘されたところで真摯に反省し、辞職しておれば少しは同情の声もあったかもしれない。しかし、第一声が開き直りともとれる傲慢な言い訳だった。
 
ゴム会社で高純度SiCの事業を住友金属工業とのJVとして立ち上げたときに、FDを壊される嫌がらせをうけた。もしあのとき犯人が素直に非を認めてくれたなら当方が辞めるまでに至らなかったが、問題を公にした当方は誠実について真摯に考え、一途に貢献のみを考え6年間の死の谷を我慢した思い出を大切にするため転職を決意した。
 
転職後はバブルがはじけて、転職先の部署がリストラされ、やがて窓際単身赴任と散々な人生だった。ただ、真摯に自己実現の努力を重ねゴム会社におけるセラミックスのキャリアをしのぐ高分子技術者として成長できたのではと思い、現在の業務に励んでいる。7月と8月には下記セミナーを行います。
 
   

1.樹脂・ゴムの配合・混練技術の基礎とそのノウハウおよびトラブル対策

(1)日時 7月7日  10時30分-17時30分まで

(2)場所:【東京】日本テクノセンター研修室

(3)参加費:48,600円
 

2.機能性高分子におけるフィラーの分散制御技術と処方設計

(1)日時 8月25日  13時-16時30分まで

(2)場所:高橋ビルヂング(東宝土地(株)) 会議室 (東京都千代田区神田神保町3-2)

(3)参加費:43,200円

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2016.06/15 科学の方法(4)

1979年にゴム会社に就職したが、当時の高分子科学は今ほどの進歩は無かった。この40年間に高分子科学にはものすごい進歩があり、東工大中浜先生がリーダーとなり進められた「高分子精密制御プロジェクト」は、その中間点の進歩を産業界に導入するための役割として大きな成果をあげた。
 
また、そのプロジェクトよりも2年前に文科省のプロジェクトとして名古屋大学(当時)土井先生によりOCTA開発プロジェクトがスタートしている。このOCTAとは、高分子の本格的シミュレーターである。
 
アカデミアにおける進歩は、大学の授業の中身を見ても理解できる。当方が大学で学んだ高分子科学といえば重合が中心の科学である。すなわち合成化学の延長線上にある科学である。今は高分子物性論が必ず2単位どこの大学にも存在する。
 
当方も恥ずかしながらその特論として、2つの大学で特別講義を行っている。福井大学では、セラミックスから高分子材料まで含めた講義を客員教授として2単位分させていただいた経験がある。
 
セラミックスから高分子材料まで扱ったのは、1980年代に日本中を熱狂的にしたセラミックスフィーバーを経験し、ゴム会社で高純度SiCの事業を立ち上げた経験があったからだ。セラミックスと有機高分子では水と油のように全く異なった分野に見えるかもしれないが、その材料開発の方法論の視点では同じである。そこを伝えるために講義の内容は当方の開発体験を中心に構成した。
 
仮に科学の視点で見ても当方にはセラミックスも高分子材料も同じに見えるが、それぞれの専門家の先生方は全く異なる分野だという。材料科学として捉えてしまえば、金属だろうがセラミックスだろうが皆同じ土俵で議論できるはずだ。
 
粘弾性論はそのような視点で生まれた学問ではないだろうか。そして、高分子材料に適用してみて材料科学として幾つかの限界が指摘されている。今粘弾性は、高分子1本の粘弾性測定からはじまり、それを積み上げる形で研究が進められている。OCTAもそのような思想で考え出されたシミュレータで桁違いの大きさまでズーミングできる。
 
面白いのは未だに旧来の粘弾性論で高分子の論文を書いておられるアカデミアの先生がおられることだ。1979年にであった当方の指導社員はアカデミアに属していないがすでに粘弾性論が10年後には高分子材料で使われなくなる、と予言していた。当時は科学が技術を先導していた時代だったが、指導社員の言葉は技術が科学を先導し始める兆候と当方は捉えた。

 

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2016.06/12 火遊びにアカハラ

円楽師匠の不倫が騒がれている。記者会見の答弁では最近の不倫答弁とは異なり、ある意味開きなおって堂々としていた。おまけに昔は芸人として当たり前のことだと言わんばかりの言い訳も---。
 
福島原発の騒動の最中にもスポークスマンだったN審議官が怪しい報道で交代になった。その後ワイドショーでは執拗な追っかけが始まり、本人も帽子をかぶりマスクをして通勤をする姿などが映し出されていた。少しかわいそうな気がした。男女の色恋沙汰は燃えるという連想から火遊びという言葉が生まれたらしいが、マスコミの対応も異常な加熱ぶりである。
 
不倫は文化だ、と訳の分からないことを言った役者もいたが、今の社会は円楽が記者会見で述べていたように時代がかわったのである。すなわち社会があらゆる人にモラルを求めるようになったのである。
 
モラルだけではない。優しさも今社会全体で求められている。社会とはドラッカーが指摘しているようにその時代の人間が創り出してゆくもので、具体的に初めから存在するわけではないのだ。社会の無い暗い時代も歴史には存在した。また現代でも社会の存在しない地域がある。
 
パワハラはかなり昔から存在した言葉だが、最近出てきた言葉にアカハラがある。最初この言葉を聞いたときに赤ハラだと思った。火遊びのニュースの次に報じられたニュースで聞いたためだが、「火=赤」という連想で誤解した。ニュースを聞き終わってアカデミックハラスメントと知った次第である。
 
理研所長は大学教授時代に鬼軍曹という異名を取られるぐらいの教育熱心で厳しい先生だった。今ならアカハラと糾弾されてもしかたがない先生は鬼軍曹以外にも多数在職していた。40年前の大学は、大学紛争がおさまり研究に教育に先生方が燃えていた頃で、一方でそのような先生方を民主化の名の下に批判する人たちが少しずつ大学に増えてきた時代でもある。
 
当方は4年生に進学するときにじゃんけんで負けて厳しいという評判のため人気の無い講座へ進級したが、今の人生からこの時代を思い返すと生き方の原点となる選択だった。有機金属化合物の合成研究がテーマだった。また、極めてアカデミックな講座で科学の王道を教育された。
 
教師にでもなるつもりで第二外国語の単位を取らずに4年に進級したが奨学金を準備するから大学院へ進級しなさい、と言われただけでなく、教授によるドイツ語のマンツーマンの授業が毎朝8時から始まった。雑誌会にはドイツ語の論文と、ドイツ語を理解していない生徒に対してほとんどイジメである。おかげでドイツ語は満点に近いなど想定外の成績で大学院に合格したが、ただこの時のアカハラが無ければ今の技術者人生も無かったのだろうと思う。

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2016.06/11 桝添都知事の飛び火

東京都知事の公私混同ぶりが飛び火し、各企業内の公私混同がネットで話題になっている。写真会社に転職してびっくりしたのは、他社から転職された年配の方が目に余る公私混同ぶりを発揮していたことだ。
 
例えば、出張で羽田空港を使うに当たり自宅からタクシーで向い、当方は電車で行ったところを飛行機で出張されていた。飛行機を使った理由は話されなかったが、寄り道をされていたことは、会社への出張旅費請求内容から読み取れた。
 
これは序の口で、会社のノートPCを自宅へ持ち帰り、地方で下宿している息子へそのPCを使用させていた。当時はMS-DOSの時代であり、FDベースでPCを使うことが多く、ノートPCで機密が漏れることはなかったが、棚卸しの時にその実体がわかり問い合わせたら、紛失で処理できないか、と呆れる回答をしてきた。
 
おそらく転職前の会社でも相当の公私混同の常習者だったろうと思われたが、およそゴム会社では想像のできない感覚だった。これはしつけのたぐいだと思う。企業内で文化として公私混同を許さない風土であればこのようなことは起きない。
 
転職した写真会社もゴム会社同様に公私混同に対して厳しい会社だったが、少しゆるいところもあった。それもあり、この年配の方がしつけられず野放し状態だった。
 
公私混同の厳しい会社でしつけられたおかげで、一番良いと今でも感じているのは、専門書を自腹で購入する習慣だった。昔自腹で購入した専門書が資本として今の仕事に活かされている。高価なCMCや某セミナー会社の書籍も多数ある。ちょっとした財産だ。
 
学生時代に某会社から大学教授として赴任された方がおられ、その方の部屋を見てびっくりしたのは本が少なかったことだ。前任者の教授の使っていた書棚は空っぽであり、この先生大丈夫かと真剣に心配した。
 
その先生曰く、専門書は会社の費用で買っていたので全部会社においてきました、と言うことだった。その公私混同をしていない立派な回答に感心するとともに、がらんどうの教授室を寂しく感じた。学生だった小生の方が、その先生よりもたくさんの本を所有しており、それも当時少し話題になった。
 

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2016.06/10 科学の方法(3)

KKDという言葉は、いつの時代から誰によりどのような意図で考え出されたのか知らないが、「形式知と経験知でDo」と教えてくれたのは、新入社員時代の指導社員である。大学の教養部の哲学の時代に、形式知と実践知(経験知)、暗黙知の3つが知の形態と習っていたので、暗黙知が入っていない点を質問したら、新入社員だから暗黙知が無いだろう、という回答があり納得した。
 
しかし、KKDは、一般に「勘と経験と度胸」の略として使われている。ゴム会社に入社したときに現場の職長さんからKKDを教えていただいたときにもこの意味だった。ゴム会社では開発部門でもKKDという言葉がよく聞かれた。
 
おそらく指導社員の意図は、彼の経験知を伝承するから、科学の知識と一緒に用いて仕事をやれ、と言いたかったのだと思った。なぜなら、技術を科学の知識だけで開発するには無理がある、というのが彼の口癖だった。
 
ゴム会社の社内風土にもこの考え方は生きていて、新入社員の半年間の実習の間に営業実習や開発実習も含め、約5ヶ月間の現場実習が行われている。そして、技術職に対して生産現場である工場の実習が2ケ月間義務づけられている。
 
アカデミアの世界からいきなりこのような長期の現場実習で会社がいやになる人もいる。当方もその一人だったが、同期でこの期間に退職したのはたったの3人である。一人は6ケ月間の実習を終え、配属が決まる直前に退職している。
 
その彼は、「この会社には技術という物が無い」といって去って行った。当方の印象と真逆である。当方は工場実習で科学と技術の違いを感じ、開発部門の実習成果を発表するプレゼンテーションにおいてS専務から技術という物を明確に指導された。ゴム会社には科学で説明がつかない技術が現場にいっぱい転がっていた。また、研究所以外の製品開発部門では科学よりも技術の方法が重視されていた。
 

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2016.06/09 科学の方法(2)

KKDをバカにしてはいけない。KD(勘と度胸)だけの場合は当方も疑問を持っているが、経験知(実践知)を重視し、科学の情報を活用し、うまく勘を働かせて技術開発を行うならば、KKDは企業で許される方法だと思っている。
 
すなわち、KKDのKの意味が科学の情報(K)と経験知(K)であり、DがDOの時には、効率的な技術開発ができる。ここに暗黙知(A)が加わり、KKAD(形式知、経験知、暗黙知でDO)となれば、理想的な技術開発方法だ。
 
科学と疑似科学の境界問題について解が得られているかどうか知らないが、20世紀末のビジネス界において歓迎されたロジカルシンキングは、むしろその境界を著しく不明確にしたように思う。ロジックでごまかす輩も現れた。
 
例えば燃費不正問題はその典型であり、いくら科学的に正しく測定されたとしても規格の手順通りでなければアウトとなる愚直な考え方がないがしろにされた。おそらく、規格通りでなくても規格値同様の結果が得られる、と説明がロジックにより正当化されていた、と思われる。
 
現代のビジネスの現場では、大局的にみればおかしな結論になっても、ロジック(屁理屈)をつなげてあたかも正しいような議論を展開し説得するようなシーンが時々見られる。研究開発の現場も同様で、ロジックさえ正しければすべてが正しいような誤解がある。
 
技術開発では、まず機能が正しく動作することが重要であり、そのロバストを高めることが重要課題となる。機能が仮に科学で裏付けられてなくてもロバストが高いならば、それはりっぱな技術のはずであるが、高純度SiCの技術は、当初研究所で受け入れられなかったばかりでなく、日本化学会で最初の発表をしたときに、不完全な研究と非難された。
 
本来学会の場は議論をする場であって、成果を否定する場ではないはずである。しかし、新しい現象の提示とそれから導かれた無機反応の均一性が議論されることなくKKDで見出された前駆体技術を全否定されたのは悔しい思い出である。学会賞を受賞するまで10年以上かかった。そして、その時には審査員になっていた。

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