レオロジーとは流れに関する学問であり、高分子においては粘弾性学として発展してきた。面白いのは、1980年前後までダッシュポットとバネのモデルを用いて研究されてきたのが、21世紀になりそれらのモデルを学会ではほとんど見かけなくなったことである。
ゴム会社で優秀なレオロジストの指導社員に出会ったのは幸運だった。この方は電卓でマックスウェルの方程式を解き、粘弾性のシミュレーションをやってのける強者で、表向き理論派の科学者で内側は現物現場主義の技術者だった。
さらに驚いたのは、ご自分の強みであるレオロジーについて10年後にはこのような方法論は無くなるだろうと言われていたことだ。やや斜に構えた人で、カッコづけでダッシュポットとバネのモデルが無くなると言っているのか、と初めて聞いたときに感じたが、自分の強みがやがて科学の世界で無くなる、と真剣に悩まれていた。
ただ、物理学者は自然現象を数値で捉える力に優れており、レオロジーだけでなくパーコレーションやフラクタルなど面白い数学の世界をわかりやすく指導してくれた。未だかつてこの方のように科学と技術のバランスがとれた物理学者に会った経験が無い。
さて高分子のレオロジーはこの方が言われたように、科学の世界では今やダッシュポットとバネのモデルで議論されていないが、技術で高分子材料を扱うときには便利な考え方である。特に粘弾性の温度分散データを眺めるときに現象を直感的に捉えることが可能である。
今、分子一本の粘弾性を研究している科学者もいるが、実用ではバルクの性質が問題になり、そのようなときには昔ながらのバネとダッシュポットのモデルが欠かせない。一種類の高分子でも、結晶部分と自由体積部分、ガラス部分の3つの構造が出来るので、バネとダッシュポットを組み合わせたモデルに無理があることがわかるが、手っ取り早く材料の改良効果を予測するには便利である。
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「あの日」が25万部を突破した、とWEBニュースで報じられている。また著者によるSTAP細胞に関するホームページ(HP)も開設されたという。そしてそのHPに対し、ネイチャーの編集者が立腹された、というニュースまで流れている。
このSTAP細胞の騒動はせっかく理研が迅速な幕引きを図ったのにいつまでも組織の問題を問うような形で再燃している。それとともに未公開であった山梨大に引っ越された先生の機密書類無断持ち出しまで明るみになった。
いずれの情報もニュースで報じられた内容だが、組織にとってあるいは組織内部の人間にとって出されたくない内容だろう。またその幾つかは組織と個人の阿吽の呼吸で、従来であれば表に出されずそのまま隠れてしまった事柄である。
「あの日」の著者には、組織に責任を押しつけられているような被害者意識の発言が目立つ。しかし、公開されている著者の発言を読むと、常識的な組織が当然とるであろう当たり前のアクションに対して被害妄想に陥っているように当方には思われる。
理研所長が「未熟な研究者」と評したように、STAP細胞の騒動は、科学の研究を推進するには不適切な未熟な研究者を特別待遇として処遇した理研の責任と、未熟な研究者の自己責任感の欠如が絡まって起きている。
不幸だったのは理研という組織に教育能力が欠如していたことだ。教育機関ではない理研でも組織を維持するための最低限の教育機能は必要だが、新聞報道を読む限り、大手企業の社員教育よりも貧弱な状況である。
結局未熟な研究者として認識しつつもそのまま組織から追い出してしまった。未熟な研究者は、働く意味も分かっていない知識労働者だったので、そこから生じる当然の行動をとる。これは組織も個人もこれまでの行動を反省し、両者が歩み寄らない限り収まらない騒動かもしれない。
ただ、理研は「STAP細胞は存在しない」と結論を出し、未熟な研究者は「STAP細胞は必ず存在し、それを見つけたのは私だ」と主張しているので、STAP細胞の存在が科学的に肯定されたときにどうなるか心配である。この問題は、組織と個人の関係において、組織が組織の利益のみを追求し問題収拾しようとした時に企業でも発生しうる問題である。
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必要とする機能について、自然現象として起きることが分かれば、科学的に未解明でも自然現象から機能を取り出すことが可能である。例えば試行錯誤で機能を人工的に再現してみて機能を動作させる方法を見つけることが出来る。
あるいは、過去の経験から考えられる方法について全部試してみて機能を動作させることができるか見れば良い。経験から考えられる方法が、科学的に見てすべての方法を取り上げているならば、消去法という手段が有効である。
とにかく不完全でも科学的にはそのメカニズムは不明でも動作する機能が見つかったならば、あとはタグチメソッドでそれを最適化してロバストの高い機能にできる。
すなわち科学的に未解明な機能でも、その手がかりが見いだされれば人類は活用することが可能で、科学誕生以前の人類は皆そのようにして技術開発を進めてきた。
ところが1970年代の研究所ブーム以来企業では科学以外の方法を禁じ手として封印し、科学的に技術開発を進めることに注力してきた。ここで、科学的に技術開発を進めることは間違っていないが、科学的以外の方法を禁じ手にしたのは技術開発の可能性を自ら捨てたようなものだ。
当方は、新入社員の研修でS専務に技術の意味を教えられカルチャーショックを受けた。現場現物主義で時には科学的データさえ信じないような意味を込めた説教は、大学で6年科学を学んできた若者には刺激的な説教だった。
しかし、そのおかげで「マッハ力学史」や「技術者の心眼」などの著書に目を向けることができ、技術について真摯に考えることが出来た。但し、配属された研究所はアカデミアよりも科学一色であり、たまたま巡り会った優秀な指導社員が斜に構えた人でなかったならば、今日まで技術というものを考え続けることが出来なかったろう。
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自然現象を前にして、なぜ、と問いかけることは科学の心の芽生えである、と昔聞かされた。一方自然現象から儲かる機能を見つけようとするのは、技術者の本能である、と誰も教えてくれなかった。
科学では真理を追究するのが使命なので、未知の自然現象に対して「なぜ」と問いかけることは大切だが、技術者は目の前の現象について人類に役立てることができないかを考えなくてはいけない。
このように技術者は、科学で未解明の自然現象でもそこから機能を取り出すことが求められてきた。しかし、1970年代の研究所ブーム以来日本の研究所では、アカデミア同様の運営がなされ、科学の研究が重視されている。
一企業の社内における技術論とは別に、公的な場所において企業で技術開発が重要と言われたのは、故田口先生が最初の様な気がする。しかし、田口先生は基本機能は技術者の責任と言われるだけで、どのように自然現象から機能をとりだしたらよいのか言われなかった。
ところで、市場で要求される機能をマーケティングで見つけることはできるが、それが基本機能である保証はない。これは、ドラッカーが「何が問題か」と問うことの重要性を指摘しているように、田口先生も基本機能が間違っていると、タグチメソッドは正しい解を与えない、と言われていたので重要である。
ゆえに自然現象から機能を取り出すことを考える前に、市場で要求される機能を基本機能までブレークダウンする作業が最初に必要となり、基本機能までブレークダウンできたときに、それが科学的に解明された機能なのかどうかを吟味することが最初となる。
未解明の時には、それが自然現象として起きるかどうかが重要になってくる。自然現象として起きることが確認されると、新たな機能を技術者は見つけたことになる。熟練した技術者であると、この一連の動作を本能のように行う。弊社ではそのトレーニングプログラムを提供しています。
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人工知能Tayのことを考えていて思うのは、科学と技術の境界領域に情報科学は存在し、その存在に常にきわどさを抱えていることだ。すなわち本来科学で十分解明されてから技術として提供されなければいけない機能が、そのまま市場に提供され問題を起こしている。
おそらく今の様な研究を続けていると、人工知能の科学が大衆に誤解されるかもしれない。もしかしたらソフトウェアー科学という分野は存在せず、情報関係は工学分野だけで研究が進められ、技術を科学と誤解しているのかもしれない。
もしそのような状態であれば、現代の科学の時代において、科学的研究を行わず技術開発だけ行うとどのような問題が起きるのか、ということをソフトウェアー工学の技術開発から学ぶことができるのかもしれない。
例えばTayの問題をアジャイル開発の結果、と捉えるとこれは納得がゆくのである。技術として完成度の低い状態であるが、とりあえずおもちゃを提供してみた、というのである。しかし、そのようなおもちゃの提供は、かつてソニーのアイボやおもちゃメーカーのファービーが行っている。Tayがおもちゃならば、それらのおもちゃよりもレベルが低かった。なぜなら過去のおもちゃでは人類に対抗する行動をしなかった。
人工知能で形式知や実践知、暗黙知をどのように実現してゆくのか、そこには知をどのようにとらえるのか、という純粋に科学(哲学)として研究しなければいけない問題が存在する。
エージェント指向がその一つの成果というならば、これは新しい成果ではない。有機合成化学の世界ですでに1970年代に逆合成というコーリーの研究が存在した。コーリーは複雑な有機化合物の合成ルート開発をコンピューターに行わせるために逆合成という手法を開発している。そして実際にそれをコンピュータに載せて実行させ、プロスタグランジンの全合成に成功した。この成果はエージェント指向の特殊ケースである。
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昨日人工知能Tayのニュースについて書いたが、ゴム会社に勤務し日曜プログラマーだった時にエージェント指向について書かれた論文を読んだ。Tayの記事をきっかけに探してみたが見つからない。
見つからないので、今から書くことはやや正確さを欠く内容かもしれないが、プログラミングの専門家がいたらご指摘願いたい。Cの改良型言語C++がオブジェクト指向言語として登場したときに、エージェント指向の論文を読んだように記憶している。
当時まだ16ビットのPC9801を使っていたときで、プログラミングはLattice社のC言語を使用していた。当時Cは難しい、と言われていたが、構造型言語として完成されており、BASICよりもプログラミング及びプログラムのバージョン管理をやりやすかった。
32ビット機が噂されるようになり、Cの処理系をそのまま使用し、一段コンパイルを追加したようなC++処理系が登場した。MIWA C++が登場したときに、そのプログラミング思想にびっくりした。またその思想の枠組み、パラダイムの難解なことに辟易したが、まだ日曜プログラマー向けの書籍が存在しなかった。
W大学の図書室に出向き、オブジェクト指向に関する文献を探していたら、エージェント指向という最新のパラダイムの論文があった。オブジェクト指向も難解だったが、エージェント指向もさらに難解だった。
ただ、エージェント指向で面白いと思ったのは、オブジェクトから後ろ向きに推論を組み立てる考え方である。すなわち、既知の事柄を元に、それが実現するためにはどのような手続きが一つ前のオブジェクトから行われなければいけないのか、と考察し、おおもとのオブジェクト、すなわち基本のオブジェクトに到達する思考方法である。
当時感じたのは、何も新しいパラダイムではなく、大学受験の数学の参考書に書かれていた「結論からお迎え」という標語と思想は同じである。すなわち数学の証明問題で問題文にあわせて前向きに考えてゆくと難しい問題でも、証明すべき結論から考えてゆくと問題が簡単に解ける。弊社の研究開発必勝法でもこの考え方を用いているのでご興味のある方は問い合わせていただきたい。
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ITメディアニュースが、面白い事件を報道していた。米Microsoftが3月23日(現地時間)にTwitterなどでデビューさせた人工知能「Tay」が、デビュー数時間後に停止したというのだ。
Tayは、Microsoftが会話理解(conversational understanding:CU)研究のために立ち上げたプロジェクトで、日本マイクロソフトの人工知能「りんな」と同様に、一般ユーザーとの会話を繰り返すことで学習し、成長していく。
ところが、Tayは公開後数時間で徐々に人種差別的だったり暴力的な発言が多くなっていた。例えば、「ヒットラーは正しい。私はユダヤ人が嫌い」というツイート(現在は削除されている)を繰り返すようになったという。現在、ほとんどの問題発言は削除済みだそうだが、Microsoftがこの問題に対処するためにTayを休止したようだ。
ご存じのように、知には、「形式知」と「実践知」、そして「暗黙知」が存在する。現在の技術で、AIに「暗黙知」を教えることは出来ないはずだ。そもそも人間どおしでも暗黙知の伝承は難しい。
物事の善悪には暗黙知も関わっているような気がする。「形式知」や経験の結果体得する「実践知」をロジックでつなげることは可能だが、「暗黙知」の中にはロジックでつながらないもの、あるいはどのようにつなげるのかはそれぞれの価値感に左右されるものなど存在し、現在の技術ではAIに暗黙知を教えるのは難しいのではないか。
形式知である科学は、将来AIの独壇場になる可能性がある。実践知の一部もAIが人間より優れた成果を出せるようになるかもしれない。しかし、第六感として頭に現れる暗黙知はいくらAIが進化したところで人間に追いつかないのではないか。
技術は、科学と異なり人間の営みの中で発展してゆく「行為」であり、形式知や実践知、暗黙知の総動員が必要である。形式知の伝承は比較的簡単だが、実践知や暗黙知の伝承は難しい。ご興味のある方は弊社へご相談ください。
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昨日竹とんぼの話を書いたが、20年近く前タグチメソッドが日本で普及し始めたときに、品質工学フォーラムという雑誌が刊行された。その数号めかに竹とんぼの飛距離安定化をタグチメソッドで行う、という記事があった。
故田口先生に直接ご指導していただいていたので創刊号から数年とっていたが、起業した時に処分したため読み返すことができない。国会図書館でも行きたいと思ったが月曜日は休日だった。世間も休み。本日、朝起きて今週忙しくて行けないことに気が付き、こうして思い出しながら書くことにした。
品質工学フォーラムに書かれた座談会風の記事の内容は、こうだった。すなわちタグチメソッドの定番となる基本機能を何にするかの議論があって、そしてその基本機能の制御因子を議論し、誤差因子として多数あるので調合誤差因子として使用してSN比を求め、ラテン方格を用いた実験で各制御因子の水準とSN比の関係をグラフ化した。
得られたグラフから最適条件を求め、確認実験を行ったところ、飛距離が伸びなかった、という内容だった。そして結論が基本機能は難しい、という感想が書かれていた。その記事として基本機能の選択の重要性を言いたかったのだろうか、タグチメソッドが難しい、ということを言いたかったのか、主旨のよくわからない記事だったように記憶している。
ただ、NHK放送の番組のように、竹とんぼを回転して飛ばす機械や、風の影響を配慮して体育館の中で行ったりしはしていない。誤差因子がいっぱいの状態で雑誌の実験は行われていた。
「凄技」における科学対決の時にそのあたりの解説もしていたが、それによれば品質工学フォーラムの記事において誤差因子が十分に選ばれていなかった影響が大きく、これが原因で確認実験においてよい結果とならなかったと推定される。タグチメソッドでは、因子の選択は極めて重要な作業で、この作業において実践知がものをいいう。
故田口先生は科学に拘り、タグチメソッドを科学の世界で語ろうとされていたように感じたが、弊社で指導するタグチメソッドは形式知だけでなく実践知や暗黙知も総動員する。すなわちタグチメソッドをあくまでも技術開発のツールとして指導している。
少し話がずれたが、竹とんぼおじさんの試行錯誤で手作りによる竹とんぼが、科学の英知を集めた竹とんぼや、科学の世界で実施されたタグチメソッドで最適化された竹とんぼよりも遠くへ長時間飛んだという話を世の技術者は注目したほうが良い。
科学は真理を追究するのが使命であるが、技術は自然界から機能を取り出しそれを製品に組み入れる行為である。それぞれのミッションは異なり、メーカーの技術者は技術開発を行っているのだ。科学の研究も大切だが、技術開発しなければ飯の食いあげである。
だからと言って、ヤマカンを頼りに技術開発を行っていては駄目である。ファーガソンの「技術屋の心眼」に書かれていたように、カンにも働かせ方(注)があり、経験にも伝承の仕方がある。形式知はやがてAIでどこでも同じ成果を出せるようになるばかりか、形式知で組み立てられた部品は簡単にリベールされてしまう。しかし、暗黙知と実践知により創りだされた部品は容易に他社がまねできない技術の成果となる。もちろんそこには形式知である科学の成果も造り込まれている。
この意見にご興味のある方は弊社へお問い合わせください。
(注)E.S.ファーガソンは、その著書の中で「心眼」の働かせ方を書いている。科学では説明がつかないが、日々の営みの蓄積から暗黙知は形成され、科学的に見れば不思議ではないが、何となく奇妙だと思う現象でその知は機能する。20世紀にはロジカルシンキングがもてはやされた。確かにロジックは重要であるが、すべてをロジックで語り満足していないだろうか。ロジックが、他の可能性を排除している、というパラドックスに気がつくとこの暗黙知の働かせ方の理解が進む。科学の世界で起きたSTAP細胞の事件は、暗黙知と形式知の闘争と捉えることもでき、その闘争の中で形式知の権威が自殺に追い込まれた。その自殺の原因が責任感だけで無いことは、理研の幹部もご存じのことである。「あの日」にも書かれているが、小説家の方がもう少しこのあたりをフィクションでクリアに表現されると21世紀に日本が目指さなければいけない技術開発の方向が見えてくるはずだ。弊社「未来技術研究所」(www.miragiken.com)では、STAP細胞の事件について時計を止めたままにしている。弊社の科学と技術に対する姿勢については、この研究所の活動日誌にある「科学と技術」をご一読ください。「コロンボとホームズの対決」において、コロンボは技術の象徴であり、ホームズは科学の象徴として表現しています。
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19日土曜日NHK「凄技」が凄かったらしい。らしい、と書いたのは自分が見ていなかったからだ。ただ番組を見ていた家族の話から、相当に感動的で凄かったようだ。当方は手紙を書いていたので見落としたが、昨日聞いた家族の話をもとに感想を書いてみる。家族の話だけでも感動的だった。
内容は、以前放送された「竹とんぼ対決」の結果に挑戦した職人の話である。こちらは見ていたが、長時間飛ぶ竹とんぼの科学技術による対決だった。この対決では科学的シミュレーションにより導き出された結果を用いて作成された竹とんぼが、14秒台で勝った。
この番組の結果に、竹とんぼおじさんが挑戦状をたたきつけた、というのが土曜日の放送だったらしい。竹とんぼおじさんというのは、建築関係の職人で家庭の事情があって竹とんぼを作り始め、ブーメランのように戻ってくる竹とんぼを発明した人である。
家族の話す家庭の事情も感動的だったが、試行錯誤で手作業で作った竹とんぼが16秒台も飛び続け、科学技術を集結して創り上げた独創の竹とんぼの記録を2秒も塗り替えたのは、記録を聞いただけでも超感動モノである。
そこには、矛盾(ホコタテ)で問題になった「やらせ」の入る余地は無い。竹とんぼを機械で飛ばしているからだ。すなわち科学対決で行われた条件とすべて科学的に同じ条件で対決した結果だそうだ。
科学こそ人類を救う、と声高に言われ、科学的方法やロジカルシンキングがもてはやされたのは20世紀の社会風潮だが、当方はその科学的方法論やロジカルシンキングの弊害で現場型技術が軽視される状態を懸念していた。技術は人類が誕生して以来、その営みの中で行為として深化と進化をし続けている。
そして、現代の科学を集結しても解き明かせない技術が存在する。20世紀は「やがて解き明かされる」と勢いがあったが、最近はSTAP細胞のように醜態を見せる場面が多い。技術と科学はその究極の目的が異なるので、科学で解き明かせない技術も存在するのである。
土曜日の番組はその一例だろうと想像するが、家族が職人と呼んでいたのは、もはや技術者だ。職人と呼ばれる人たちの中には、技術者と分類すべき人たちがいる。それも高学歴を持った技術者よりも凄腕の技術者である。弊社では技術のコンサルティングを行っていますが、科学についてもご指導いたします。
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オリエンタルラジオのダンスユニットによる「パーフェクトヒューマン」という歌が話題になっている。先週ミュージックステーションでトリとして歌われたこともあって今週この話題がネットに多かった。
面白いのはなぜこの歌がヒットしたのかを解説している記事である。そしてそれらの記事によれば、お笑いと歌との垣根を無くした革新的なところだそうだ。どこが革新的なのかはそれぞれの記事を読んでいただきたいが、記事を読んでいて気がついたのは、文化の融合でも材料の相変化と似ていて、例えば界面の存在とかそれが無くなったときなどに新しさが生まれる点である。
音楽の世界でクロスオーバーとかフュージョンと言う言葉で「異分野の融合」が話題となったのは1970年代からで、ジャズとロック、あるいはジャズとポップスなど様々な分野の融合が行われ、現在に至っている。
かつては音楽状況そのままを番組名にした「クロスオーバーイレブン」というFM放送も存在した。その番組では、グローバーワシントンJr.やジョーサンプルと行った面々の、まさに異分野の融合した新しいヒット曲が演奏されていた。こうした50年近くにわたる異分野の融合が重なりカオス的な音楽が最近のヒットの傾向としてあるような気がしている。
材料の世界でもそうだが、単一材料で様々な要求品質に対応できなくて合金とかポリマーアロイとかブレンドされた材料が生まれ技術開発の幅が広がった。ゴムの世界では100年以上前から混ぜることが技術の根幹にあった。
このような融合により新しい物を産み出す努力は文化よりも技術の世界が古いのかと思っていたら、友人からそれぞれの民族音楽が融合して現在の音楽のジャンルが形成された話を聞かされ、「混ぜて新しい物を産み出す」技術は、人間が昔から心がけてきた自然の行為のようだ。
高分子のスピノーダル分解は二成分のポリマーが相容した状態から濃度のゆらぎが生じ、相分離してゆく過程だが、文化についても一度融合が起こり、それがまた分離してゆく過程において新しい芸能が誕生するのかもしれない。
しかし、歌って踊るオリラジが新鮮と思っている若い人は一度三河万歳を見て欲しい。演奏しながら歌って踊る巧みなキレを作らないその芸は、一つの文化として完成されていると思う。三河万歳が家に来るとその一年は幸せになりそうな気がした。しかしその風習は今や消滅し、お正月の風景も様変わりした。今年のお正月は、年末との界面が無くなり、それと気がつかないままに過ぎ去った。梅の香りに刺激され散歩をしてみたら、もう桜の咲く季節である。
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