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2015.11/13 資生堂ショック(2)

故ドラッカーによれば、今は知識が資本と同様の意味を持つようになった知識労働者の時代である。すなわちかつて肉体労働の時代に存在した、資本家と労働者という対立構造は無くなり、労働者は知識を持つことにより、資本家から解放されたのだ。
 
現在は知識の一部もコンピューターの導入で自動化され、形式知の仕事が少なくなっている。今世の中に存在するのは、人間でなければできない仕事だけであり、その仕事も新たに作りださなければ、減少してゆく。かつて、文明の進歩とは労働から人類を開放する方向に進む、といわれたように、昔ながらの仕事で形式知だけで構成された業務は減少し、実践知と暗黙知の仕事だけが残る。
 
換言すれば、実践知と暗黙知を持たない人は、仕事が無くなるのである。これは、仕事からの解放ではなく失業と表現したほうが正しいだろう。すなわち、文明の進歩は、新たな仕事を創りだしてゆかない限り、失業者を増やす方向に進むのである。
 
失業者を増やさないためには、労働者が意識を変えて新たな仕事に取り組むのか、今ある仕事を皆で分担するのか、いずれしかないのである。後者は「資生堂ショック」である。
 
ここでよく考えていただきたいのが、給与はどうなるのか、という点である。前者は急激なダウンには至らない温情的な結果をもたらすが、後者は、単純に考えれば大きく減少する方向となる。但し後者では売り上げが上昇すれば、その減少を抑えることが可能である。
 
例えば資生堂の場合に売り上げが伸びていれば、時短の美容院をシフトせずに済んだのであるが、売り上げが減少したために、すなわち減少し続ければ会社が倒産し仕事そのものが無くなるので、シフトで対応したのである。
 
知識労働の時代になって労働者は、資本の支配から解放され自由を得たが、その結果自らの仕事に責任を持たなければいけない時代になった。自らの仕事に責任を持つ、とは、仕事に合わせ知識を獲得する努力をしたり、仕事に要求されてタイミングよく知識を提供してゆくことである。すなわち、資生堂ショックは、なにも驚くべきことではなく、すでに故ドラッカーが指摘していたことが起きているだけである。その解決は、資本家ではなく知識労働者自らが行わなければ解決がつかない問題であり、その意味で経営者は意識改革と言っているのである。
 
 
 
 
 
 

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2015.11/12 資生堂ショック(1)

9日にNHKで報道された資生堂の美容部員に関する報道が、話題になっている。報道の内容は、資生堂の売り上げが落ちてきたので、短時間勤務の美容部員にもフルタイムの社員と同様に勤務シフトについてもらうという、時代に逆行するものだった。
 
女性の働き方について、 現在、多くの企業が出産後に職場復帰した女性社員を支援する制度を導入している。そして、育児休暇や短時間勤務などをいち早く導入してきたのが、大手化粧品メーカーの資生堂だった。
 
ところが資生堂は去年(2014年)4月、こうした制度について大きな方針転換を打ち出した。子育て中の女性社員にも平等なシフトやノルマを与えるという方針だ。その内容に、世間で驚き、 “資生堂ショック”、と言われるようになった。
 
かつて、某メーカーの社員の意識改革を目指した配置転換が、人員削減施策と誤解され騒動になり、会社はやむなく配置転換を見直すに至ったが、これも同様の社員の意識改革の一環であり、何も驚く内容ではない。幸い、資生堂では社員に会社の方針が正しく理解され、美しく展開されているようだ。
 
本来この騒動ではマスコミがつけた呼称もおかしかったのであり、知識労働者を前提としたマネジメントに対する理解が進んでいない、知識労働者のわがままである。追い出し部屋問題では、専門知識が要求される職場から、専門知識が無いと評価された社員が他の職場で再起してもらうために人事異動した(注)のであり、社員のことを考えた会社のまともな経営手段である。
 
資生堂では、逆に専門知識を持った労働者不足が原因で売り上げが落ちたために、短時間勤務にシフトしていた美容部員の一部を通常シフトに戻したのである。某電子写真会社とは少し状況が異なっていたので、意識改革と言う会社の方針が理解されやすかったのかも知れない(続く)。
 
(注)ゴム会社では高純度SiC(日本化学会化学技術賞受賞)はじめセラミックス材料の開発を主に担当していたが、写真会社へは、高分子部門の管理職が必要と言う理由で、ヘッドハンティングの会社経由で40名程度の高分子材料開発センターへ転職した。写真会社では、バブル崩壊後このセンターをリストラし感材技術研究所へ組織を吸収、その後もリストラが続き気がついたら、自分がリーダーになっていた。そして、酸化スズゾルを用いたフィルムの帯電防止技術(日科協から技術特別賞受賞)やゾルをミセルに用いたラテックス合成技術とそれを応用した高靱性ゼラチン開発(写真学会からゼラチン賞受賞)、変異原性物質を除去したPET表面処理技術、新規アニール技術を用いたPENのまき癖解消その他等成果を出したが、2003年には倉庫として利用していた部屋へ異動(この時さすがに腐りました。この時の思いはいつか書きたい)になった。運よくカメラ会社との統合があったので、その会社の研究部門があった豊川へ単身赴任した。そこでPPS中間転写ベルトの開発やリサイクルPETを用いた難燃性樹脂など開発し、早期退職者制度を用いて2011年3月11日に退職した。知識労働者の時代には、知識で成果を出すことが求められている。労働者にどのような知識があるのか考え、効率的な知識の活用を考える知識がマネジメントであるが、すぐれた経営者がいないと感じたら、労働者側で行動しなければ成果を出せない。その時の行動の基準はいかにして貢献できるか、という点である。そのように行動しても、経営者がだめな会社の場合には報われない場合もある。しかし、成果を出せば、少なくとも社会への貢献はできている。社会への貢献こそが大切なのである。知識労働者は、社会への貢献と言うベクトルでは経営者と対等である。故ドラッカーの考え方で活動し、報われるのかどうかは、いつか答えが出る、と信じ活動している。
 
 
 
 
 

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2015.11/11 ダイエット

今年の5月から水泳を始めた。増えすぎた体重を減らすためだが、木曜日と日曜日に一日1kmほど泳いでも効果が無い。1週間に2日泳いでいたが、まだまだ泳げそうだったので、それを3日にした。
 
一日の距離を2kmまで増やしてみたが、疲れるだけで一向に体重は減らない。水泳1kmと水中ウォーキングを組み合わせたところ、少し体重計に変化が現れた。
 
秋になり、涼しい日が多くなった9月末から、一日30分のウオーキングを始めたところ、600g程度一気に体重が減った。水泳よりもウオーキングの方が効果があると思い、一日一時間歩いてみたところ、変化はなかった。
 
1週間水泳にウォーキング1時間を組み合わせると疲労が激しいにもかかわらず、一向に体重は減らないので、水泳をやめて、ダンベル体操を組み合わせてみた。すると400g程度の振幅で体重が減り始め、5月ごろに比べ2kg体重を減らすことができた。
 
食生活はそのままで、体重を減らす方法を見つけた。実は、昨年食事を減らすダイエットを行ったが、1kg程度減ったところで、お客様とラーメン大盛りを食べて翌日2kg体重が増えた。そのため減食ダイエットは困難と考え断念した経緯がある。
 
今回見つけたウォーキングとダンベル体操による方法では、食生活に制限を加えていない。ラーメン大盛りを食べると、体重が一時的に増えるが、ウオーキング時間を延ばしてやると、2-3日ほどで元に戻る。
 
年末までに80kgを切ることを目標に、今回見出したウオーキングとダンベル体操をしばらく続けることにしたが、水泳があまり効果のなかったことにびっくりしている(注)。運動と減量の関係について個人差があるようだ。
 
(注)長距離を泳ぐため平泳ぎをしていたが、太った体が浮いたまま流れていただけかもしれない。
 

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2015.11/10 発見型創造

寄生虫が原因で発病する熱帯病の特効薬に使われる物質「エバーメクチン」、それを作り出す微生物がいたのは、伊東市川奈のゴルフ場で採取した土の中だったそうだ。大村博士が仲間と訪れた、そのゴルフ場で土を採取したのは、1970年代の半ばで、その後研究を重ねエバーメクチンの発見・開発に至ったのはその5年後だという。採取、培養、分析の繰り返しという地道な科学プロセスによる作業の繰り返しでノーベル賞の受賞につながった。
 
このようなプロセスを発見型創造プロセスと当方は分類している。発見に至るプロセスは科学的であるが、発見そのものは偶然であり、なぜそれを発見できたのかを説明できない非科学的瞬間なので全体は非科学的プロセスとなる。
 
3年前の山中博士のプロセスと異なるのは、自然現象に潜む偶然をそのままプロセスに組入れている点である。これに対し山中博士の場合は、仮説に基づき実験室の中で作り出した自然のモデルへ刺激を与え機能を取り出そうとしたのである。その後は少しかっこ悪いがあみだくじ式に、すなわち非科学的に実験を行いヤマナカファクターを創造している。
 
面白いのは、いずれも研究成果が非科学的プロセスの偶然性に依存している点である。科学者が用いる非科学的プロセスに興味を持ち、当方は30年間の技術開発人生において積極的に取り入れるようにしてその効果を検討してきた(注)。
 
ただし発見型創造プロセスの重要性に気がついたのは、高校生の時であり、名古屋大学平田博士のふぐ毒研究を新聞で読んだ時である。平田博士の発見したテトロドトキシンは、当時中日新聞で何度も取り上げられていた。平田博士以外に野依博士の研究など天然物の生理活性にについて話題になっていた、ちょうど同じ時代に大村博士は土を集めておられたのだ。
 
大村博士は土を集めて新たな真実の発見を目指されたが、平田博士は毒を持つ生物を求めて手当たり次第に研究を進められたのである。両者ともに、新発見できなければ成果が出ない仕事である。この発見を効率よくできないのかいろいろ考えてみた。そして実務的には、使えそうな工夫、ヒューマンプロセスにまとめることができた(ご興味のある方は問い合わせていただきたい)。
 
科学の研究は、科学的にまとめなければ評価されないが、技術では非科学的でも安定に機能すればユーザーの評価が得られる。科学の研究でさえも非科学的プロセスが使われているのである。技術開発でも上手に非科学的プロセスを使い、科学的プロセスで開発している他社との差別化を図るべきだと思っている。
 
(注)周囲から独創性があると、よく言われたが、独創性があったのではなく、創造とは何かを考え続けていたのである。ただこの活動を企業で行うと誤解を受けることも学んだ。転職の原因となった当方のデータ用FDを壊した犯人は、非科学的プロセスを用いて問題解決したことを聞き、小生を叱った人である。非科学的プロセスは、完璧な科学的プロセスを目指す人からは、許しがたい「テキトー」な姿勢に見えるようだ。山中博士もテレビのインタビューで、発見プロセスを秘密にしていたことを語っている。転職後その改良に努めたポイントは少しでも周囲に受け入れもらえるようなプロセスに仕上げることだった。
 
 

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2015.11/09 日本の技術開発の方向

日本は、そのシェアーを落としたといっても太陽電池パネルや液晶TVの最先端技術領域の市場では、いまだに強いといわれている。しかし、その分野に今後も経営資源を投入し技術開発を進めてもよいのだろうか。これまで実用化された製品には科学のような形式知で組み立てられた技術と形式知だけでなく実践知や暗黙知で創りこまれた技術が活用されてきた。
 
液晶テレビのようなデジタル家電は、レゴのようなパーツの組み立て技術である。また、太陽電池パネルは高性能化技術とグローバルニーズがうまくかみ合っていない。液晶テレビは今後技術開発を続けても中国や韓国にすぐに追いつかれるような気がするが、太陽電池は高性能でなければ使えない市場を新たに開発できれば、まだまだ戦えるような気がしている。
 
前者と後者を同じ土俵で扱い、技術のコモディティー化の事例でとらえられたりするが、後者は、まだ工夫と高性能化が必要であり、高性能化でCDの可能性が残されているので、日本の技術が復権する可能性があるような気がしている。すなわち前者と後者ではその将来性評価において問題点が異なる。
 
両者で大切なことは、シェアーが落ち中国や韓国による技術の追い上げが激しい状況で、今何をするかであろう。特に太陽電池については開発戦略を見直し、ロードマップを新たに作成したほうがよいような気がしている。遅々として進まない脱原発の問題ともかかわっているからだ。
 
しかし考え直さなければいけないのは、未だに科学技術立国日本、と唱える人がいることだ。科学はもう形式知として常識の時代である。科学を常識という前提で、実践知や暗黙知の領域に目を向け、技術立国日本という方向が良いのではないか。
 
長い人類の歴史において科学という形式知をもとに技術開発を進めたのはつい最近のことで、長い間人類は実践知や暗黙知で技術開発を続けてきた。この約250年間、科学という便利な哲学で人類は大変な楽をしたのである。
 
ところが、科学で生まれるのは形式知であり、今やその情報はインターネットで世界中で容易に共有化されてしまう。すなわち、科学で解明された情報を基にした技術であれば必ずコモディティー化する、ということだ。だから、そのような技術開発をしていたならば中国や韓国に日本は容易に追いつかれる。
 
もし実践知や暗黙知が形式知に付加されたならば、人材流出があったとしても完全なリベールは難しくなる。ゆえにこれからの日本に必要な技術開発の方向は、科学に基礎を置きながらも科学で未解明の現象を積極的に活用した技術開発の方向になるのではないかと思っている。
 
実践知や暗黙知を活用するといっても、1000年以上前の科学の芽も無いような時代の方法で技術開発を行うわけではない。科学的に洗練された開発プロセスはすでに戦後の技術開発で経験済みである。ここへヒューマンプロセスを付加し、開発効率を維持しつつリベールの難しい技術開発を行うのである。詳細はご相談ください。

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2015.11/08 STAP細胞の研究費

6日にSTAP細胞の研究費用総額(2011-14年度)が1億4500万円と発表された。これが高額だったかどうかは、その後の評価になるが、人件費を見て驚いた。小保方氏に年間800万円以上も支払われていたのだ。
 
今時800万円の年収というのは、企業ならば40歳前後の主任研究員以上の役職者の年収である。この感覚からすると高額な印象にうつる。未熟な研究者という評価が出たからではない。ユニットリーダーという肩書きは恐らく企業ならば主任研究員クラスのはずであり、その立場の給与と判断したからである。
 
客員研究員時代には、総額1630万円支払われていたという。ちなみにゴム会社で高純度SiCの研究開発をスタートしたとき、大卒初任給はすでに18万円まで上がっていたが、30歳独身の研究員の年収は400万円に届いていない。新しく研究所を建てていただき、先行投資2億4000万円を研究費(注)として頂けたので喜んで研究に励んだ。
 
給与が低くても、会社が研究環境を整えてくれた感謝の気持ちと社会への貢献そして未来のパワートランジスタSiC半導体を夢見て高純度という機能を低コストで実現する技術開発にサービス残業を繰り返し没頭したのだ。留学先から戻って一年後に少し給与に上乗せがあったにもかかわらず年収500万円には届いていないが、それでも独身寮と研究所の往復の日々を過ごしていた。
 
約30年前のバブル期の人件費との比較は適切さを欠くかもしれないが、バブル崩壊でこの20年間サラリーマンの年収は実質平均200万円以上下がっており、30年前の給与水準よりも低い企業も存在する。その点を考慮すると、小保方氏の年齢の企業研究員で、そのクラスの世間が納得するであろう年収は、せいぜい450万円から500万円程度と推定できる。
 
特別な役職手当を上乗せしても、600万円を超えることはないだろう。また、単純に35歳前後独身サラリーマンの給与が年収600万円というのは破格であり、十分すぎる特別待遇である。
 
日本の大手企業では、基本賃金に役職手当を上乗せする形式で給与設計を行うので、仮に飛び級で役職を得たとしても小保方氏の年齢であれば、せいぜい年収は500万円前後となる。ちなみにバブル期のピークに東京圏の労働者の平均年収は800万円だったが、今は40歳を越えても係長クラスであれば、研究職の年収が600万円に届かない企業も存在する。
 
今時の国の研究員の破格の待遇が垣間見えた記事である。若い研究者よ、これを目標に頑張れと言いたいところだが民間との乖離が大きいので、複雑な気持ちである(現在民間よりも公務員の平均給与は高いが、その点を考慮しても公開された一連の人件費は高額と感じる。客員手当にしてもバブル期の客員教授の手当てに近い。)。
 
研究者とは本来真実を追究するのがミッションであり、その姿勢を促すためにお金で動機付けを行うのが適切だろうか。お金で動機付けを行ってきた結果、不正多発の土壌ができあがったのかもしれない。人件費を上げるよりも、身分の保障と研究環境を整える考え方が効果的に思う。
 
科学の研究者の給与については、一般の労働者の動機付け因子でとらえるべきではないだろう。身分の保証と研究環境の充実でもやる気の起きない研究者は、科学の研究職に就くべきではない。エジソンのように技術者を目指すべきである。
 
倫理感の高い研究者ならば、人類への貢献を生きがいとして、給与を唯一の目標にしないだろう。研究者は霞を食って生きなければならないのか、という議論は新聞発表されたような高い人件費の今日では時代遅れのテーマと感じている。
 
(注)ゴム会社に高純度SiCの研究開発を行う設備を新品で導入したのでこの金額でも不足した。先行投資から7年後に事業が立ち上がったので良い思い出になっているが、新聞発表では、建屋の値段も入り3億円の投資とされていた。

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2015.11/07 碧志摩メグの公認撤回

碧志摩メグは、民間企業から「地域おこしのため」として志摩市へ提案されたキャラクターである。市が受け入れて昨年11月にデザインを公開したが、今年8月、現役海女を含む309人分の公認撤回を求める署名が市と市議会に提出されていた。
 
本騒動が起きるやいなや、萌えキャラデザインに関する知見と来年行われるサミットへの影響を考慮して、リスク管理の観点からキャラクター運営に関し、弊社は提案を行い、市から丁寧な回答を頂いていた。
 
5日の産経新聞には、提案者側から公認撤回の申し出があった、と書かれていたが、無難な収束の仕方である。一方クールジャパンの方針に沿い、少し異なる展開を提案していた弊社にとりましては、少し残念でした。
 
弊社では、「未来技術研究所(www.miragiken.com)」を運営し、クールジャパン推進の一翼を担おうと活動中ですが、そもそも萌えキャラという形式知では定義づけられていない暗黙知の世界では、今回のような騒動が起きやすく、公共の活動へキャラクターを導入するときには、細心の注意が必要です。
 
各企業におかれましても、安易なデザインを広報活動で採用いたしますと、今回のようなマイナスイメージを生じるリスクがありますので、もし萌えキャラを企画されている方は弊社へ一度ご相談ください。お客様のご希望に添うように、豊富な実践知と暗黙知を活用し、一つの形式知として回答を用意させていただきます。
 
 
 
 
 

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2015.11/06 科学者と技術者の倫理観

科学者はなぜ高い倫理感が求められるのか、それは性善説で科学者の世界が運営されているからだ、という話を読んだことがある。しかし、この見解は抽象的であり必ずしも満足な説明になっていないと思う。それよりも科学者の高度な知識から生み出される成果に対して、その時代の大衆には正しく評価あるいは理解ができず、科学者だけにしかそれができないから、と思っている。
 
それでは、技術者についてはどうか。一般の技術は(注)、まず機能が正しく働くことが求められる。それにより大衆が評価できる価値が生み出されなければ社会に受け入れられないので、そこで技術者の倫理感は大衆のチェックを受けることになる。大衆の倫理感がその時代の技術者の倫理感になる、という特性がある。
 
例えば、VWの不正プログラムの問題について興味深い点は、排ガスの環境規制が最初に登場したときに大きな社会問題にされなかった実車走行のデータと評価時の走行データの乖離が、大きな問題になっている点である。ご存じのように排ガス規制とそれを遵守させるためのテスト方法には歴史的変遷がある。
 
排ガス規制登場時の評価方法は稚拙であり、評価値だけが低くなるような事例が多く、その方法の見直しがこれまでなされてきた。今回不正プログラムが判明したのも、現在の評価方法のデータが実車走行の状況を正しく表しているかどうか調べていて偶然見つかった。
 
誤解を恐れずに言えば、今回の事件はメカニカルな仕組みで不正を行っていた内容をコンピュータの進歩でソフトウェアーによる不正に切り替えただけ、という見方もできる。VWの技術者には「どうして?」と今でも疑問に思っている人がいるかもしれない。
 
これは、大衆がメカニカルな不正を不正として捉えたのではなく、評価技術の問題として捉えたからで、不正としてその当時追求しなかったのである。しかし、ソフトウェアーの不正については、その内容を不正として取り扱っている。
 
類似例として、防火天井材について過去にこの活動報告で紹介したが、餅のように膨らみテスト用の火から逃れるように変形する材料技術が過去に開発された。冷静に考えれば、材料そのものが難燃化されていなければ、テストには合格できても、実火災では何の役にも立たないことは容易に想像できる。当方も配属されたときにそのインチキ技術にはあきれたが、市場で売れていたので開発した技術者はその問題に気がついていなかった。
 
結局実火災が発生したときに国の基準を満たしていた天井材で相次ぐ大火災が発生し、建設省による防火規格の見直しが行われるに至ったが、この時、誰もその結果を予見できなかったという理由で倫理感は問われていない。ただ、当時その分野の業界トップという理由で新規格を作る手伝いをやらされた。ヘルメットと安全靴を持って筑波へ通った思い出があるが、倫理感からポリウレタンをフェノール樹脂に切り替える開発を始めた。
 
(注)兵器産業の技術は、国によりその考え方が異なっているので、一般の技術として扱わない。

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2015.11/05 FMEA

現場で発生する故障モード、エラーについて、後工程や製品への影響評価を行い、製品の品質マネジメントを行う手法をFMEAという。FMEAは、故障モードが発生しないように「カイゼン」するなど、現場の改善活動のツールにもなっている。
 
旭化成の子会社の杭打ち問題では、杭打ち時の故障モードとして、杭が硬い地盤に届いていない、そしてそれを確認する電流計が故障しているや、データプリンターの異常、チャート切れなど重大故障になる。
 
この重大故障が製品に与える影響として、建物が傾く、となるが、当方は建築の専門家ではない。専門家ではないが実施できるのがFMEAであり、現場の作業者とともにワイガヤ会議を行いながら作成すると、作業者の動機付けにもなり効果的なFMEAの一覧表ができあがる。
 
FMEAを行う時には、事前にFTAも行え、とQCの教科書には書かれている。これは故障モードをトゥリー状に表現する手法で、部品やプロセスで発生する故障モードをすべて書き上げることができる、とされている。しかし実際の現場では、FTAを作成しても、作成時には思いもつかなかった故障が発生する。
 
そのような場合には、QCサークルで議論し、FMEAに新たに見つかった故障モードを加え、改訂版を発行し現場に見える化する。これがFMEAを作成しているQC活動の一こまである。QC手法にはFMEA以外にも多数あり、QC7つ道具や新QC7つ道具としてまとめられている。
 
QC活動は、戦後デミングプランとしてアメリカから輸入され、「カイゼン」活動など日本で発展成長した現場マネジメント手法であるが、転職した20年以上前には、企業間で大きな活動ばらつきのある状態になっていた。QC大会も形骸化し、すべての管理職が出席する仕組みになっている会社もあれば、くじ引きや暇な管理職を指名して参加させる会社などがあった。
 
当然のことながら前者の会社ではQC活動は現場で活発に行われているが、後者ではQC大会が近くなるとわざわざテーマ設定してまとめる状態になっていた。
 
日本の現場は、研究所ブームで科学的手法が重視されるに従い、低調になっていったように見えるが、QC手法も科学的手法である。FTAは、集合論そのものである。かつて社会問題になった三菱自動車のリコール隠しの時以来現場の崩壊が進んできたが、今回の旭化成子会社の杭打ち問題では、QC活動の言葉も評論家からでなくなっているのが気になっている。QCサークルによる活発な品質維持のQC活動は、日本の現場のあるべき風景である。
 
 
 
 
 

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2015.11/04 PPSと6ナイロンの相溶

ポリマーアロイを設計するときに重要な理論としてフローリー・ハギンズ理論がある。この形式知では、χパラメーターが定義されているが、その実体は自由エネルギーである。だからこのパラメーターが正の時に高分子は相溶しない、というのは容易に納得できる。
 
しかし、これは平衡状態における話だ。非平衡状態ではこの限りではない。当方の実践知によればしかるべき条件が揃ったときに、コンパチビライザイーが無くても二種の高分子の組で相溶が生じる。
 
この実践知を獲得したのは新入社員の時だ。二種類のゴムをロールに巻き付け混練すると、相溶しないので全体は白っぽくなる。形式知に合致した現象が起きているのだが、ある日、それが透明になる瞬間を発見したのだ。どのようなゴムの組み合わせでも透明になるこの不思議な現象は、カオス混合装置を考えるヒントになった。
 
最初にその現象を発見したときには、目を疑った。その後頭を疑った。そして学生時代には理解しにくかったフローリー・ハギンズ理論をすっきりと整理できたのでびっくりした。形式知と実践知をうまく組み合わせて考えることができるようになったのだ。教科書では曖昧な説明がなされているχパラメーターの問題について、その曖昧の中身が見えた瞬間である。指導社員は当方を熟練者の仲間入り、と褒めてくれた。
 
STAP細胞の騒動では未熟な研究者が話題になった。あの事件では、彼女の年齢と一時期でも学位を授与されたキャリアから彼女自身の責任は大きいが、もっと責任が大きいのはこのような研究者を生み出している大学である。自動車ならばリコールすべき事態である。リコールとは修復して社会に戻す作業を言う。スクラップにするのは損失が大きいので、リコールで修復するのである。リコールして修復しないのは、社会的責任が欠如していると言っても良い状態だ。
 
話が脱線したが、STAP問題の原因の一つに形式知と実践知、暗黙知という知識の特性をよく理解していない「無知」の問題があった。そして倫理感も含め、科学者として未熟という言葉が使われた。「PPSと6ナイロンを相溶させる技術」では、もし当方が無知な状態であれば、実用化できなかった。この技術開発では、周囲の理解と期限内にプラント建設の資金を得る必要があった。そのため形式知と実践知を迅速に周囲と共有化する必要があり、未熟な状態ではゴールにたどり着けなかった。
 
すなわち形式知と実践知を周囲に理解させる手段や方法は大きく異なり、前者は科学的論理で正しく行えば良いので容易だが、後者はそれだけではダメで納得を得るための細心の配慮が必要なのである。前者は、仮に理論だけであってもそれが真理の積み重ねであれば周囲の支持が得られやすい。そして、新たな仮説を確認するための実験を行うチャンスもできる。ところが、後者では、実体が経済性も含め再現よくできることが厳しく求められ、繰り返し再現性が否定された時点で、議論は終わりとなる。
 

カテゴリー : 一般 高分子

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