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2015.10/08 理論と実験

梶田博士の業績は、理論では質量が無いと予測されたニュートリノについて、実験で質量があることを示し、科学の定説をひっくり返したことだとニュースで伝えられた。ここで違和感を覚えたのは、科学の「定説」という言葉である。
 
まず、科学で定説となるためには、繰り返し再現性のある実験結果(自然現象の実際モデル)でその説が正しいと証明されてから認定されることである。理論だけで示された事象は、仮説にすぎないのである。
 
次に、実験による否定証明は、できないことを示せば良いので易しいが、肯定証明は実際に存在するという現象を示さなければならないので難しいという点である。また、否定証明は帰納的に論を進めることになりやすいが、数学的帰納法ならばいざ知らず、否定証明で展開された定説は、肯定証明でひっくり返る可能性があるということも知っておく必要がある。
 
これはイムレラカトシュの「方法の擁護」に書かれた内容の受け売りだが、質量の存在することを実験データを用いて肯定証明を行った梶田博士の科学における業績が、如何に難しい仕事であったかを知るには、この本を読むと良い。肯定証明の難しさが論じられている。秋の夜長の眠れないときには適した本である。
 
ここで思い出されるのはSTAP細胞である。世界各地の研究所及び多くの研究者により再現できないことが確認され、存在しないとされた。すなわち否定証明である。もし誰かがSTAP細胞を作り出したなら、すなわち肯定証明を行ったら、これもノーベル賞級の研究成果となるに違いない。
 
STAP細胞の騒動で歯がゆく感じたのは、STAP現象について基礎的なアプローチがなされていないことである。すなわち細胞に刺激、ストレスを与えるとは、どのようなことなのか、ストレスが加えられた結果、細胞内のレオロジーがどのように変化するのか、そしてその変化が遺伝子にどのような効果を及ぼすかについて誰か研究しているのだろうか?
 
当方の開発したカオス混合装置の技術にも関係するので、少し興味がある。もしかして、マイクロカオス混合装置を作成し、そこで細胞にストレスを与えたならSTAP現象が起きるのではないかとも思っている。カオス混合装置については、実用化されて10年近く稼働し普及し始めたが、その基礎研究は行われていない。なぜなら弊社の研究開発必勝法の成果で、科学でよく分かっていない機能を抽出し(ここに弊社の必勝法の特徴がある)タグチメソッドで最適化(だからロバストは高い)した技術(注)だからである。
 
専門外なので情報を持っていないが、STAP細胞の騒動のその後を見ていて、30年近く前と科学者の姿勢の違いに驚かされた。アカデミアで科学の研究に携わっている人は、一歩一歩足下を固めながら地道な研究の進め方をやって欲しい。
 
(注)科学で未解明の現象でも技術を生み出すために活用できる。これは「マッハ力学史」を読むと理解できる。科学は技術により先導されて誕生している。20世紀は科学が技術を牽引したかもしれないが、ここに来て科学の進歩が、あたかもCPUの進歩と同じように遅くなってきた。21世紀は技術で科学を牽引しなければいけない時代なのかもしれない。
 

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2015.10/07 今年日本人二人目のノーベル賞

ノーベル物理学賞の発表が昨日あり、今回日本人二人目のノーベル賞を東大梶田博士が受賞された。スーパーカミオカンデを建設された小柴博士のお弟子さんであり、日本の伝統的研究分野でその成果の継承がうまくいっていることを伺わせる。
 
成果については、昨日博士自身がインタビューで語られていたように、すぐに人類に役立つ研究ではない。しかし、そのことを申し訳なさそうに語っていた博士の表情から最近の研究環境の厳しさが感じられた。
 
小柴博士が受賞された時のインタビューでは、堂々とその成果と莫大な研究投資で可能になったスーパーカミオカンデを誇らしげに紹介されていたのを記憶している。そしてその分野で日本人が2-3人ノーベル賞を今後受賞するだろうと語られていたが、昨日その予言どおりになった。
 
1970年代に日本では基礎研究ブームがあり、企業でも基礎研究所を持つことがブームになっていた。また、通産省が積極的に基礎科学部門へ国家予算を投資していた時代でもある。バブルがはじけたころに国家予算についても厳しい見直しがされるようになって、昨今は大学の先生方からも厳しい研究環境の愚痴を聞いたりするようになった。
 
当方はアカデミアでも研究管理は重要だと思っているが、研究内容については企業でできないような研究を行ってほしいと思っている。学会に参加していて残念に思うのは、最近企業と同じような研究テーマを設定するアカデミアの研究者が増えてきたことだ。
 
ここは文科省が中心になり、基礎科学分野の研究者がノーベル賞の受賞を誇らしげに研究成果を語れるような研究環境を作っていただきたい。昨日の梶田博士の顔色から今後の日本の未来が暗くなるような印象を持ったのは当方だけだろうか?
 
 
 
 
 

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2015.10/06 中国人初のノーベル医学生理学賞

ノーベル医学生理学賞を大村智・北里大特別栄誉教授が受賞した。日本人として誇らしくうれしいニュースである。昨晩からTPPの合意とセットでニュースが報じられている。セットとしてはやや違和感があるが、昨日は二つもビッグニュースが重なったので仕方がない。
 
大村博士については、新聞各紙に報じられているので、中国人初のノーベル賞と報じられた女性薬学者に注目した。さすがにインターネットの時代であり、彼女について早くも取り扱っている日本語サイトがあった。彼女、屠氏は1930年、浙江省寧波市に生まれ、北京大医学院で、生物薬学を学んだ。漢方薬などを研究し、中国中医科学院の主席科学者に就任したが、博士号や海外留学経験を持たず、学士院会員でもない「三無教授」として知られていたようだ。
 
中国人ノーベル賞受賞者として彼女が何番目になるのか知らないが、毛沢東以後の中国人科学者としては初めての受賞になるかもしれない。昨日ネットに上がった記事には、中国本土の科学者がノーベル賞を受賞できない状況に触れ、「中国に真の科学者はいない」といった自虐的な声が挙がっていたところ、今回の受賞で「本当の意味での、初めての中国人の受賞だ」などと称賛する書き込みが殺到したことが紹介されていた。
 
この紹介文で注目したいのは、「本当の意味での」という表現である。日本でもノーベル賞受賞者の人数を紹介する時に「アメリカ国籍をとった日本人を含めて」と表現されることが多い。どうもノーベル賞受賞者を眺める時に、国籍ではなく、民族という意識で眺めるのは日本人も中国人も変わらないようだ。
 
20世紀の日本では、民族ではなく、大学の偏差値比較でも論じられ、「なぜ、京大は東大よりもノーベル賞受賞者は多いのか」という議論がなされたりした。大村先生の受賞で、山梨大学や東京理科大学出身者の研究者は喜んだのではないか。
 
科学関係の栄誉にはいろいろあるが、その選考過程や基準に関しある意味ファンタジーもあるノーベル賞は特別な存在である。その栄誉を受賞者だけでなく関係者も大喜びできるのは、他の賞にはない公明正大と思われる点だろう。無条件に誇りにできる栄誉なので、関係者のカテゴリーを狭い大学や民族にかこつけて喜ぶのかもしれないが、この賞の創設者、ノーベルは広く世界の幸福を祈っていた。

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2015.10/05 インドネシア高速鉄道

日本がインドネシア高速鉄道の受注競争で中国に敗れたニュースのコメントとして、日本のコピー技術でありながら中国が受注したという論評を書いている記事を見つけた。
 
誤解を恐れずに書けば、世の中の技術の多くは過去の技術のコピーに改良を加えてできあがっている。もし、不正なコピー技術であれば、正々堂々とその不正を世界に公言すれば良いだけで、記事のコメントは受注戦争に敗れた腹いせの言葉に聞こえる。
 
むしろ、なぜ受注に敗れたのか十分な解析を行い、さらなる技術開発に努力しなければいけない。技術開発とは、もしその事業分野で優位に立とうとするならば、決してやめてはいけない行為である。経済性も含め優れた技術でも、国と国との受注競争では賄賂とか他の要因で採用されないことは起こりうる。今回は技術以外の何か要因が働いた可能性がある。日本の調査資料が中国に筒抜けだった、という話も伝わってきた。
 
ところで、今、中国で樹脂開発の指導をしている。樹脂技術の指導だけではなく弊社の研究開発必勝法に基づく樹脂開発の指導を行っている。生徒である企業の技術者に常に語っている言葉は、特許を書ける技術を目標にせよ、である。そしてそれは難しいことではなく、この方法でやれば良い、と独創を生み出す方法を指導している。
 
以前ここでも書いたが、確かに中国では怪しい情報が飛び回っている。すなわちどこから入手したのか分からないが、某メーカーの樹脂の処方などである。ただ指導の甲斐があって、このような情報ですらそのままコピーするのではなく、比較サンプルとして扱う習慣が身についたようだ。あくまで生産するのは比較サンプルよりも低コストで性能が向上した樹脂である。
 
中国人でも開発のコツを指導すれば、喜んで技術開発するのである。創造の喜びを人類が忘れない限り、コピー技術で世の中があふれる事態にはならないだろうと思っている。
 

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2015.10/04 配役の重要性

フォルクスワーゲン社により引き起こされた不正プログラム事件における自動車会社が、もし現代自動車だったら世界はどのような反応を示しただろうか。TVドラマでも主役や準主役により、その視聴率は大きく影響するだろう。反響の大きさはシナリオだけでは決まらないのである。
 
先日行われた川島なお美さんの葬儀の席で石田純一氏が、TVドラマ「失楽園」の相手役を断ったことを詫びたという。当方はかつて昼メロの帝王と言われた古谷一行氏が相手役だったからあのドラマはヒットしたのだと思っている。トレンディードラマの主役ではあれだけの視聴率や愛の形を伝えられなかったのではないだろうか。
 
「失楽園」のヒットについては、毎週きわどいシーンが出てくる演出でも話題になっており、配役の貢献度が見えにくくなっているが、映画よりもTVドラマの方が、キャスティングはシナリオに合っていたように思う。
 
主役が同郷だからという理由ではなく、あのドラマでは男優古谷一行氏で主役の演技が輝いたのではないか、とさえ思っている。また、当時の週刊誌には古谷一行氏のここでは書きにくい苦労話が掲載されていたので、余計に彼の役者魂にひかれた。
 
もし相手役のイメージが不倫を正当化するような役者だったならば、「失楽園」ではなく「快楽園」になっていたかもしれない。フォルクスワーゲン社の不正プログラムの衝撃が大きいのは、技術と品質の高いブランド「フォルクスワーゲン」だったからで、事件とその主役の意外性が世界の注目を集めることになった。
 
「失楽園」では、古谷一行氏の演技で主役が輝きドラマがヒットしたが、不正プログラムの問題では、主役の影響があまりにも大きく、現在の排ガス評価法の見直しまで飛び火している。その結果堀場製作所の株価まで上がり始めた。
 
  
 

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2015.10/03 技術者魂

ドラッカーの言葉を借りれば、現代は知識労働者の時代である。昔ながらの職人も今や知識無しではその仕事もできない時代になった。その結果、技術者と職人の境界が不明確になってきた、と言う人がいるが、職人に「気質」があるように、技術者には技術者魂がある。MOT(技術マネジメント)をうまくやるには、やはり技術者魂を持った人がリーダーになるべきである。
 
それでは技術者魂とは何か。科学が新しい真理を見いだすのが使命のように、技術にもその使命があり、それは新しい機能を社会に生み出すことである。だから技術者魂とは、常に新しい機能を生み出し社会に貢献しようと努力し続ける気概となる。
 
昨日技術者は全員が企画マン、と表現したのはそのためである。フォルクスワーゲンの不正事件について日々新しい情報が報じられているが、2007年にボッシュ社は不正プログラムを提供するときに、使用すると法に触れるとの通達を明確に文書で行ったという。すなわち不正プログラムはフォルクスワーゲン社内で開発されたのではなく、ボッシュが部品評価のために作成したものだった。
 
ボッシュ社からそのプログラムを受けとったフォルクスワーゲン社の技術者はその時何を考えたのだろう。不正プログラムで機能を追加することも一つの技術である。但し、それは社会貢献できない技術である。技術者魂が無かったのだろう、と想像している。
 
STAP細胞事件でコピペなどの不正が問題になり、科学者の倫理を社会は知ることになった。但し科学の世界でコピペが行われるようになったのは最近のことではない。学生時代に購入した教科書の10ページ近くが学術書に特集が組まれた総説の丸写しの日本語バージョンだったことにびっくりしたことがある。
 
某教授に話したら、君はよく勉強しているね、と褒められただけで、引用文献が書かれていなかったことなど悪びれていなかった。英文であればコピペになるが、その日本語訳は???。科学分野の研究者でもいろいろな方がおられる。技術者にも様々な価値感の技術者がいてもいいが、当方は若い技術者に技術者魂を持って仕事に向き合って欲しいと思っている。
  

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2015.10/02 企画という仕事

技術者や研究者に限らず、企業で商品企画を希望する若い人は多い。技術者や研究者の場合には、商品企画に必要な技術開発を担当した時に、さらに詳細な内容を詰めるために技術企画あるいは研究企画を行う機会が多々ある。
 
仮に他の人の仕事を引き継いだ時でさえも、前任者の業務計画をそのまま行わないほうが良いので、その機会となる。前任者の企画を見直した結果、それをそのまま踏襲する,ということになるかもしれないが、それでも前任者の業務について見直しの作業で企画のような仕事を必ず行う機会ができる。
 
少なくとも当方は32年間の技術者生活で企画という仕事をこのようにとらえてきた。すなわち技術者や研究者は、全員が企画マンであるというのが当方の考え方で、これはゴム会社で出会った指導社員にご指導していただいた重要な考え方の一つである。日々企画マンのマインドであれば、実際に初めて商品企画するときにもそのためのスキル獲得は容易となる。
 
ゆえに技術者や研究者でわざわざ企画をやりたい、という人はいないと思っていたら、写真会社へ転職して研究管理の主任研究員を任されたときに、その部屋へ研究員の若い女性が企画を担当させてくださいと飛び込んできた。
 
転職したばかりで部下がいなかったので、その女性は当方の魅力にひかれて来たのだろう、と誤解もしたが、話を聞いてみると彼女が企画という業務に対してそれよりも大きな誤解をしていることに気がついた。
 
さっそくゴム会社の指導社員が新入社員の当方を指導してくれたようにコーチングをしたら、この会社はそのような会社ではない、と怒り出した。転職したばかりなので訳が分からなかったが、話を聴いているうちに、要は若い研究員は言われたことだけを仕事として行うように決められているというのだ。
 
この時の話はもう少し説明しなければいけないかもしれないが、たとえ彼女がそのように主張しても、当時小生が彼女にアドバイスしたことは、日々企画マンたれ、という一語だけだった。もしフォルクスワーゲンの技術者が、このような心構えだったなら、不正プログラムの技術で上市することが決まった時に、その技術をランニングチェンジするための企画を提案し、実行を試みた人が現れたかもしれない。
 
上司が企画できないならば、担当者レベルで対抗企画を提案できるような技術開発の現場なり土壌を作っておきたい。ゴム会社の研究所はそのような風土であった。セラミックスフィーバーの吹き荒れた1980年代、ここはゴム会社だ、何もしないというマネジメントもある、と迷言を言われ、社長の方針さえ軽く無視した上司がいた。
 
しかし、入社3年目で高純度SiCの企画を提案し、紆余曲折があったが、それが30年近く事業として続いている。フォルクスワーゲン社の技術開発の現場もそうであったなら、長い間不正を放置しておくことにはならなかった、と想像している。

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2015.10/01 カオス混合装置

混錬は伸長流動と剪断流動で進むと新入社員の時に教えて頂いた。さらに究極の混練方式として伸長流動と剪断流動が組み合わされたカオス混合を教えていただいた。
 
ただ当時は誰も見たことがなく幻の技術だと、半分からかわれているような話だった。しかし指導社員からロール混練で起きているらしいとか、当方ならばその技術を創ることができるとかおだてられ、気がついたら30年近く経っていた。
 
カオス混合装置の第一世代は、PPSとナイロンを相溶させる装置として試行錯誤で創りだした。退職後も検討を続け、現在第三世代を検討中である。第二世代までは実用化に成功している。第三世代は開発に少し資金が必要なのである混練メーカーと交渉中である。
 
カオス混合は急速な伸長流動と効率の良い剪断流動が組み合わさって進行する。有名なのは京都大学でシミュレーションされた偏心二重円筒で発生するカオス混合だ。当方の第一世代と第二世代の方式は単純なスリット方式で二軸混練機の吐出口に取り付けて使う。
 
パッシブな装置だが混練効果は高く、PPSと6ナイロンの混合物がこの装置を通過すると科学では説明がつかない現象が生じる。すなわち相溶現象が起きるのだ。フローリーハギンズ理論ではχが正となる二相系は相溶しないことになっているが、単一相になる。スタップ細胞と異なるのは、再現良くその現象が観察されるだけでなく、すでに商品として使われ10年近く経っている現実の世界の話であることだ。
 
昨年高分子学会から招待を受け一時間ほど講演したが、講演の内容は若い技術者に評判が良かった。経験知と暗黙知を中心に講演を行ったからだと思っている。
 
一部最近の研究例で形式知も紹介したが、ほんの3分程度で、この講演はほとんど体験談のようになっていた。
 
講演会場では学会という性格上PRを控えたが、問い合わせは数件あった。しかし昨年は自分で販売するところまで考えていなかったのでせっかくのビジネスチャンスをつぶしたが、製作と販売を協力してくださる会社が現れたので今年からその会社で積極的に売り出すことにした。ご興味のある方は、まず、弊社へお問い合わせください。
 

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2015.09/30 研究開発の罠

フォルクスワーゲンのディーゼル車で起きた問題は、北米市場で売り上げを伸ばしたかったからという説明が一部の記事に書かれていた。しかしそれだけのためにしては、世界中の市場を失う恐れのあるリスクの大きい戦術だった。経営者がまともに判断していたなら、企業としてそのような戦術をとらなかっただろう。また、不正が10年も放置されていた状況も理解できない。
 
この不思議な事件についてはやがて解明され、ノンフィクションの読み物も出版されるかもしれないが、当方の経験から担当者及び組織リーダー、特に研究開発部隊のリーダーの技術者魂を疑う。責任は経営陣が負うことになるのだろうが、フォルクスワーゲンの技術者たちは不正を10年も放置しなければいけなかった無力さの罪をどのように償うのか。
 
許されることではないが、仮に一時不正に手を染める戦術が開発戦略上必要だったとしても、不正の状態を速やかに回復する戦術を打てる様な戦略を立てておくのが研究開発リーダーの使命である。コンプライアンスが重視される現代の経営において不正は絶対に許されないが、例えば新製品の展示会などで張りぼての新製品がおいてあるのを稀に見かけるように、開発が間に合わない時の「インチキ」を、やってはいけないと解っていてもちゃっかりやってしまう技術者はいる。
 
不正の例ではないが、中間転写ベルトの開発を前任者から引き継いだ時にとった戦略で、商品に絶対登載できないと解っている技術をわざわざ開発した。商品にはできないが外部のコンパウンダーでは実現できない機能を容易に達成できることを示す技術を開発することにより、外部からコンパウンドを購入して開発を進めるという方針を変更し、コンパウンド工場建設の投資を引き出すというゴールをめざす戦略で、納期通り開発を成功させるためには必要な戦術の一つだった。
 
ところがこれは、商品化ステージの開発であるにもかかわらず、商品化できないことを技術者だけが知っている、という点で周囲を欺くような戦術である。本来このような戦術をとりたくなかったが、前任者の開発方針と計画を一度リセットするためには、どうしても必要な戦術だった。研究開発を成功に導くために、時として不誠実な業務を遂行しなければならない場面は技術開発競争の激しい業界では少なからず現れる。そこで誠実な道を選び失敗するのか、不誠実ではあるが成功の道を選ぶのかは技術者の究極の選択となる。
 
もし完璧な成功の道が見えているのならば、不誠実とわかっている戦略でもチャレンジしなければ、大企業では研究開発を成功させることができない時がある。大企業ではコミュニケーションによりコンセンサスを得るための手続きが煩雑なため、短期決戦における戦略ではこのようなことが起きやすい。
 
中間転写ベルトの開発では、カオス混合技術という科学では説明できない(それゆえまともに周囲へ説明できない)新技術の成功により、期限内に部品開発を終えることができ、経営陣に迷惑をかけなかったが、トリッキーな混練技術開発に失敗していたら、フォルクスワーゲンの事件ほどではないにしても、大変なことになっていた。しかし、事前に弊社の研究開発必勝法で戦略と戦術を立案していたので、必ず成功できる道が見えており、それゆえ不誠実と思われるような仕事も堂々と遂行し非科学の技術に対する支持を周囲から得ることができた。
   

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2015.09/29 高分子材料技術

高分子やセラミックスの材料技術は、その使われる分野によっては形式知よりも実践知や暗黙知の占める割合が多くなる技術である。困るのはこの現実を理解していない人が多い企業で仕事をしなければいけない時だ。アカデミアで何がどこまで明らかにされている、すなわちどれだけの形式知が明らかにされているのか理解していない人がいる場合に出だしを失敗するととんでもないことになる。
 
このような場合には、技術に関するコミュニケーションで注意が必要である。科学で大抵のことが解明されているだろうと信じている人たちとは、特に気を付けなければいけない。そのような人たちには、まずその認識が間違っていることに気が付いてもらわない限り、コミュニケーションが難しくなる。
 
例えば、中間転写ベルトの開発体験で書いたように、形式知以外の話を議論の場で持ち出したところ素人扱いされ相手にされなくなった。また電気粘性流体の増粘問題では、実践知で解決したとたんにFDを壊した人が現れた。とにかく科学で大半を理解できると信じている人たちは、実践知や暗黙知を軽蔑する傾向があるので注意が必要だ。理解していてもミスをする。
 
一方実践知や暗黙知を重視している人とのコミュニケーションでは、その人の経歴を理解してコミュニケーションを行う必要がある。科学がすべての人たちよりもコミュニケーションはとりやすいが、意見がかみ合わなくなることがあるので、その人のバックグラウンドを理解したうえで議論をする必要がある。
 
例えば樹脂を扱ってきた人とゴムを扱ってきた人では混練に対する考え方が異なる。セラミックスを扱ってきた人とゴムを扱ってきた人では、プロセシングや力学物性の認識は大きく異なる。例えが少し大きく振れすぎたが、このような場合に議論を円滑にするためには聞く力が要求される。議論を始める前にその人の考え方をよく聞くことである。
 
形式知や実践知に対して調子の良い相槌をうつ人がいる。このような人とのコミュニケーションは比較的気持ちよく進むが、実のある議論まで発展しない物足りなさが残る。高分子材料技術分野で何か問題解決に当たりたいときには、形式知を掘り下げた専門家(本物のプロ)か、あるいは職人にまず相談するのがよいと思っている。
 
形式知を掘り下げた専門家であれば、その知の限界を理解したうえでアドバイスをしてくれる。また職人であれば自分の体験を一生懸命話してくれる。某大学の先生は、論文を一応書いてはいるが、PPSはよくわからない材料だ、と教えてくださった。また、押出成形について「行ってこいの世界だ」と教えてくれた職人は、ゴムのコンパウンドの設計と混練プロセスの重要性を熱く語ってくれた。
 
ビジネスコミュニケーションやコーチングなどの研修では、事務業務を扱うシーンが多い。基礎を学ぶには良いが、ここで学んだ内容を技術の現場ですぐに生かせないもどかしさがある。技術者の研修には技術者による技術者のための内容が必要だ。弊社へご相談ください。
  

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