中間転写ベルトのコンパウンドは、その道の一流メーカーで二軸混練機によりコンパウンディングされていた。また、コンパウンディング条件も設計者の希望を満たすように設定して行っている、と語っていた。
そこで、6ナイロン相にカーボンがすべて取り込まれてPPSに分散しているコンパウンドを製造してくれないか依頼した。回答はすぐに来た。「そんな物は二軸混練機でできない」という。考えていることが当たれば面白い材料となるが実用性の無い材料であることが分かっていたので、しぶしぶゴム会社で獲得した実践知を活用して、某社から借りたバンバリー(注)で目標とするコンパウンドを製造した。
そのコンパウンドで押出成形を行いベルトを製造したところ、周方向の抵抗偏差が0.5桁以下という、電気特性についてはスペックを満たしたベルトを製造することができた。但し、6ナイロン相にカーボンが分散しているため、その相の弾性率が高くなった。
一般に、樹脂へ大きな硬い粒を分散すると脆くなることが知られている。もともと脆いPPSへそのような硬い相が分散したので紙のような脆い材料になってしまい、これでは電子写真の中間転写ベルトとして使えない。
電気的品質特性を満たすが力学的品質特性を満たさないベルトができた。これは技術の知の形態から想定内の実体であった。このベルトは商品として使い道が無かったが、中間転写ベルト開発の方針変更のためには大切なベルトだった。
このベルトについて、相談者と同様に電子顕微鏡写真を揃え、解析した。コンパウンド段階でカーボン粒子はすべて6ナイロン相に取り込まれていたので、導電相は6ナイロンの島の数だけ数えれば良かった。解析の結果、周方向のどこをみても6ナイロン相の島の数はすべて等しかった。すなわち、ウェルド部分が他の部分と同一高次構造になれば、ウェルド部分の抵抗も他の部分と等しくなるのである。
(注)ゴムのコンパウンドは、バンバリーとロール混練で製造されているが、樹脂のコンパウンドはその技術が誕生以来一軸あるいは二軸押出機が進化した連続式混練機(多くは二軸混練機)で混練されてきた。最近低コストのゴムは二軸混練機でも製造されるようになってきたが、樹脂をバンバリーやロールで混練することは通常行われない。後日解説するがこれは樹脂の混練技術について考える時に落とし穴のようなものである。バンバリーやロール混練技術はおよそ二世紀の歴史があるが、連続式混練機の歴史はその半分もない。最近トリッキーな二軸混練機の使用方法によるフィラーのナノ分散技術やポリマーアロイの権威故ウトラッキーによるEMFがようやく登場してきた。そして10年近く前に二軸混練機による当方のカオス混合技術(第一世代)が登場したのである。今この技術について第三世代の開発を行っている。
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(昨日からの続き)相談者は、科学的に推論してペレットの材料設計を行い、そのペレットを用いてベルトの押出成形を行ったところ、科学的な材料の分析結果では期待通りの中間転写ベルトができていたが、品質特性は改善されていなかった、と説明した。
成形された中間転写ベルトの周方向の抵抗データを見せていただいたが、ウェルド以外は、抵抗偏差は小さかった。相談者も6ナイロンの効果が出ている、と胸を張っていた。ウェルド部分について詳しく分析したのか尋ねたところ、電子顕微鏡写真や光学顕微鏡写真を多数見せてくれた。
百聞は一見にしかず、という科学的なアプローチだった。しかし、見せていただいた写真からは何も分からなかった。カーボンの個数を数えてみたか尋ねたところ、それは難しい、と言われた。
確かに質問した当方もその場で数える気にはならない数である。しかし、品質データに表れている結果は、カーボンの個数がウェルド部分で多くなっている、と解釈しなければ説明できない現象である(注)。
すなわち、このベルトの周方向における抵抗ばらつきの問題は、ウェルド部分でパーコレーション転移が起きて抵抗が下がっている現象と推定され、顕微鏡写真では分散状態が同じようなので、導電相の個数が変化している、と科学的に推論を進めることができる。
しかし、多数のカーボンの粒子を数えるのは至難の技であった。また、数えられるように拡大したならば、全体の現象を捉えることができなくなる。
このような解析の科学的限界以外に、PPSに6ナイロンとカーボンとを一緒に混練しているにもかかわらず、顕微鏡写真に写っている像では、6ナイロン相内部にカーボンが取り込まれていないことを奇妙に思った。
当方のゴム会社における実践知では、二相に分離した場合、カーボンと親和性の高い相の内部に一部カーボンが取り込まれたりする。技が必要だが、親和性の高い相にすべてのカーボンを分散させることも可能である。
1990年代に読んだ論文でマトリックスが二相分離したときのカーボンの分散状態を議論している研究があった。この研究でも相談者が見せてくれたカーボンの分散状態だった。
その論文の著者に学会でお会いしたときにカーボンの分散が不十分ではないかと尋ねたら、大学の実験用ニーダーで混練した結果だから、と愛想の無い簡単な回答だった。
アカデミアの先生は混練プロセスで高分子の高次構造が変わったり、フィラーの分散状態が変わったりする現象に無頓着なのかもしれない。しかし実務では重要なことなのである。コンパウンドのモルフォロジーを科学的に考察する時には、混練プロセスや混練条件との関係を科学的に考察することが重要になってくる。真理が一つの科学で高分子のモルフォロジーは扱いにくい分野だ。
(注)単身赴任後、部下にカーボンの個数を数えさせたら、ウェルド部では1割ほどカーボンが多い、という結果が得られている。1割の違いで生じる抵抗変化ではないので、カーボン粒子間の接触抵抗も疑うことになり、面白いアイデアがその後生まれた。
すなわち導電性粒子の接触抵抗は粒子間にかかる圧力で二桁以上変化する。これは、粒子間がわずかに離れていても電子はホッピング伝導で流れることができ、距離で電流が大きく変化するからである。高分子に分散した導電性粒子の接触抵抗は、その密度を上げたり、ひっぱたりすると変化させることができる。かつて酸化スズゾルの帯電防止層を研究していたときに、延伸しながら帯電防止層の電気抵抗を測定したことがある。このときパーコレーション転移前後で変化の様子は変わる(日本化学会講演賞受賞)が、やはり2桁以上変化した。この機能を用いると、コンパウンドの段階で1桁程度抵抗がばらついても、押出成形段階で引き取り速度を調整することにより、抵抗をスペックにあわせることが可能になる。
これはノウハウのように思えるが、科学的に考えれば当たり前の方法である。しかし、この方法が使えるためには、カーボンの分散がソフト凝集状態でうまくクラスターを生成している必要がある。そうでない場合には、常時引き取り速度を変化させながら押出成形を行うことになる。この理由は少し考えていただくと分かる。ソフト凝集したカーボン分散状態を作り出す混練技術がノウハウとして重要である。これはゴム会社でセラミックスとゴムのハイブリッドの研究を行っていたときに獲得した技術である。
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昨日はレーザープリンターの仕組みを簡単に説明したが、中間転写ベルトの性能は、周方向の抵抗偏差以外に基材の誘電率や表面の濡れ性など様々な因子に左右される。押出成形ではつきもののベルト表面の凹凸は、画質に致命的な影響を与える。
一つ一つの特性と画質との関係は、科学的推論からおおよそ見当がつくが、一部のパラメーターを除き数値シミュレーションできるところまで解明されていない。おそらくすべてを科学的に完璧に記述するのは不可能だろうと思われる。だからベルト開発で問題が起きたときには職人的発想が科学的なそれよりも大当たりする可能性が高い。ところが、6ナイロンとPPSの組み合わせは前任者が科学的推論を行い考え出したアイデアで問題解決も科学的に行っていた。
6ナイロンを数%添加したPPSの材料設計は科学的ではあるが設計者の願望が強い考え方だ。しかしこの仕事を相談されたときに、6ナイロンを選んでいたことにとりあえず感心した。そしてすぐに、科学的に正しくないが技術のチャレンジテーマとして面白い、6ナイロンをPPSに相溶させるという発想がひらめき、サラリーマン最後の仕事として請け負いたい、と思った(注)。
ところで、設計者の考え方はこうだった。絶縁体であるPPSを半導体にするためにカーボンを添加したペレットを一流のコンパウンドメーカーに作らせて研究していた。しかし、カーボンの分散が安定しないために、押出成形工程でカーボンが暴れ、ウェルド部分における抵抗ばらつきが異常に大きくなり、ベルトの周方向の抵抗偏差が2桁近くになる問題に遭遇した。
そこで、改善策として次の案を考えた。PPSに相溶しない6ナイロンを分散したならば、PPSが海で6ナイロンが島となる海島構造に相分離した高次構造となるだろう。また、カーボン表面には酸化されて生成したカルボン酸があるから、6ナイロンの島に吸着されカーボンの分散安定化を期待できる(これは科学的な願望である)。
ここで、6ナイロンがPPSに相溶しないで島相になるという考え方は、教科書にも書かれているフローリー・ハギンズ理論から科学的に正しいといえる。さらに海島の相分離高次構造で島を小さくしたいので島成分を少量添加としたところもよく勉強していると思った。またカーボン粒子表面にカルボン酸が生成していることは論文などに書かれており、彼が採用しているカーボンでは、表面にカルボン酸の多い素材だったので科学に忠実な仕事をする人だと感じた。
科学的に正しいと思われる推論でコンパウンドの材料設計をしたにもかかわらず、押出成形で製造したベルトでは期待通りの成果が現れなかった。さらに科学に裏切られる悲劇は続き、電子顕微鏡でベルトの高次構造観察を行っても6ナイロンの海島構造はできており、きれいな均一な構造になっている。カーボンの分散も画像として均一に見えるので、ベルト周方向の抵抗ばらつきが発生している原因がわからない、と言うのだ。
形式知だけで成立していない世界において科学一本槍で突き進むと裏切られる現実をご存じない純粋な人だと思った。転職する原因となった電気粘性流体の増粘の問題を相談してきた人もそうだった。形式知だけで成り立つ世界、例えば入試の数学の問題などは、科学的に考えなければ正解は絶対に出ない。しかしそのような世界でもエレガントな解答は実践知で生まれる。
その昔大学入試の模擬試験で複素数で計算すると容易に証明できる図形問題を時間が無かったのでベクトルを使い、たった3行で解答して正解となりとんでもない偏差値がレコードされた時にはびっくりした。ところが開発の現場では、時間が十分あっても暗黙知や実践知をフル動員しなければ問題解決できない場合が多い。また、科学的に解決困難な仕事を科学的に進めると否定証明に陥る話を以前紹介している。
この相談者の尊敬できる点は、科学的に考え科学的に解析して見通しの暗い結論が得られていても否定的な答えを絶対に出したくないともがいている点である。なんとしても6ナイロンとPPSの組み合わせで技術を完成させたいと当方に相談している。初対面にもかかわらず、当方なら絶対できる、とまで言い切る一途さである。さらには当方が仕事をやりやすいように相談者の役割まで交代してくれるといってきた。
後日分かったことだが、開発管理がステージゲート法で行われており、すでにファイナルステージに至り配合処方を変更することができない状態だったのが真相で、これまでのマネジメントも含め、この開発に成功する以外その人の出世の可能性が無くなるという状況だった。二つの会社の合併直後で管理職のリストラが進められている最中だったので、自ら役割を交代してでも、と言いきった点は並の部長ではない、と感じた。
どのような事情があっても、科学に反する技術で問題解決しようと決心した当方にはどうでもよい話だった。それよりもゴム会社の指導社員(新入社員時代)から頂いた宿題を定年間近に解決できるチャンスが偶然訪れたのがうれしかった。問題は、残された時間が半年しかない、という点だけだった。ただ、この時間の少なさはこれまでの開発経験を一人部屋でまとめた「研究開発必勝法」を試すのに好都合であった。
(注)以前倉庫として使用されていた部屋で一人住まいの見るからに不遇な状況だった。このような処遇でも会社に大きな貢献をするために相談者の問題を他社が追従できないぐらい最も高いレベルの技術で完成することである、と真摯に考えていたのだ(某社で昨年追い出し部屋問題が新聞で騒がれたが、定年間近に退職を促すような扱いを受けても騒ぐ話ではないのである。このような場合にサラリーマンならば追い出し部屋と考えるのではなく、まだチャンスを残してくれた、ととらえるべきである。そのように考えられないならさっさと会社を辞めるほうが精神衛生上良い。成果を軽視する会社もあればゴム会社のように人材を大切にする会社もある。それぞれの組織の風土である。また、芸が身を助け、という言葉があるように、成果を出した評判があればここで書いているようなこともおきる。)。これが科学ではなく技術の視点で問題をとらえた本当の理由である。科学のような形式知だけで商品を完成しても、他社が科学的に解析を進めれば簡単にリベールできる。分析や解析は科学で問題解決すると簡単であることは既に述べた。ところが暗黙知や実践知の塊の技術ならば容易にリベールできない。今メーカ-が目指すべきはそのような技術である。 当たり前の科学技術を開発しても特許で守られるのはせいぜい20年である。
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カラーレーザープリンターの仕組みは、YMCKの4色のデジタルデータをレーザーで4つの感光ドラムに書き込み、それぞれのドラムにYMCK各色のトナー画像を形成する。そしてこれらを一度中間転写ベルトと呼ばれるベルト上に転写してトナー画像を完成させ、その後ベルトから紙にその画像を再転写し、定着工程で紙にトナーを溶融固定する。
各プロセスにおいてトナーの受け渡しは静電気の性質を利用しており、画像品質は各プロセスに使用されている半導体の部材品質とトナー品質に大きく影響を受ける。全行程のモデル材料による機能の科学的解明はされているが、実際の系は均質ではないので各プロセスの細部の誘電体の機能は複雑に変化する。
例えばトナーには粒度分布が、各部材には誘電率のばらつきなどが存在するが、それらの細かいばらつきが画像品質にどのような影響を与えるかは、未だ不明であり、新製品開発では、職人的技術が要求されたりする。
ところで、中間転写ベルトの抵抗の均一性は重要な品質項目であるが、ベルト全体で抵抗偏差が0という部材を量産することは不可能で、市販されているカラーレーザープリンターの中間転写ベルトには少なからず抵抗ばらつきやその他誘電率のばらつきが存在する。
高級機の中間転写ベルトは、導電性カーボンを分散したポリイミド(PI)溶液(ドープ)をベルト状の型にキャストするプロセスで製造されている。ドープには有機溶剤が含まれているので、カーボンをPIに均一分散しやすく、ベルトの周方向の抵抗偏差を小さくできる。
PIベルトの周方向の抵抗偏差は、0.8桁未満であり、画像品質は高い。しかし、有機溶媒を使用するので環境負荷が大きいだけでなく、高価となる。もしPIを熱可塑性樹脂に置き換えることができれば、大幅なコストダウンを達成できるだけでなく、LCA的にも優れた技術になる。
そこで、安価なカラーレーザープリンターには、熱可塑性樹脂製の中間転写ベルトが使用されているが、これは高級機に比較して、要求される画像品質がやや低いから可能となった。ベルトの周方向の抵抗偏差は、0.8桁を多少越えても良いので、導電性カーボンを分散した熱可塑性樹脂をベルト状に押出成形して使っている。
しかし、高級機である多機能印刷機に用いられる中間転写ベルトでは、PI並の品質を満たすベルトを熱可塑性樹脂で製造することは難しかった。それを非科学的な新たな技術で可能にした。PIと同等品質を目標にしたPPSベルトの印字品質はPIよりも高かった。
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技術の知の体系、あるいは形態、構造体から具体的に表現される実体は、技術の成果物として現れる。ところが、人間が生み出した実体であるにもかかわらず、科学の知の体系で理解できない場合がある。例えば6ナイロンを相溶させたPPSを用いたカラー複合印刷機(電子写真)の中間転写ベルトがそれである。実際に某学会の技術賞では審査員から嘘だろう、間違っている、などと言われた。しかし、これは10年近くたった今でも安定に生産されている技術の成果物でインチキな代物ではない。
審査会場にはアカデミアの先生方もいらっしゃったが技術内容を理解できなかったようだ。この成果は中間転写ベルトだけでなく他のポリマーアロイにも利用可能な応用範囲の広い技術であり考え方である、と説明したが、科学の知の体系では理解が難しかった。やはり現代は科学という形式知からかけ離れた技術というものは理解されない時代なのだろう。
6ナイロンを相溶させたPPSは、カオス混合で混練後急冷して製造している。アモルファス金属の製造方法と同じ着想である。相溶という現象がアモルファス相だけで生じるという科学の情報と、カオス混合という実践知を結びつけた技術の成果であるが、フローリー・ハギンズの理論という科学の形式知では理解できない現象が起きている。
それでも実践知に自信があったので、豊川へ単身赴任しこれを完成させた。この事例は、科学の知の体系と技術の知の体系の違いを説明するのに適当な実体なので、やや自慢話になるが数日にわたり、裏話を書いてみる。
まず、この技術を創造しなければいけなくなった背景について。この欄で以前にも書いたが、中間転写ベルト用のコンパウンドを外部に頼み、押出成形技術の開発を行っていた担当者が豊川にいた。その後任として業務を引き継いだときに、外部のコンパウンドメーカーから「素人は黙っとれ」と言われたことがきっかけである。
確かに二軸混練機で樹脂を混練した経験など無かったので素人といわれても反論できず、その時黙って引き下がる以外にすべがなかった。しかし、外部のコンパウンドメーカーは科学の知の体系でコンパウンド開発に取り組んでおり、それでは問題解決できない、と懸念して新技術の提案をコンパウンドメーカーへしたのである。提案を理解しようとしないばかりか、頭ごなしに否定されたので、彼らに提案した技術を自分で開発する決心をした。
ところで提案した技術内容の実体は、自分でも科学的に怪しい内容と思っていた。それ以外に世の中に類似技術が存在しないので、外部のコンパウンドメーカーの担当者が怒るのも仕方がないことだと同情していた。しかし、当方の立場では、成功しなければ給料が下がるので、外部の力を早急にあきらめる決断をしなければいけなかった。
しかし、コンパウンド技術を社内で開発するとなると社内の説得が必要になる。特に実用化のためには他の開発部門や品証部門に今すぐ実体を示さなければならない。また実体が無ければ会社から設備投資も引き出せない。外部のコンパウンドメーカーから協力を得られなかったことで、技術の知の体系からどのように短期間で実体を生成するのか、あるいは自然現象から機能をどのように取り出すかということについて真剣に考えなければいけなかった。
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科学と技術については、それぞれ異なる知の形態あるいは体系、構造体であると思っている。しかし、これが科学技術という二つをくっつけた呼び名ができて以来、みそくそ一緒に扱われるようになったのではないかと懸念している。
あるいは科学という哲学が生まれてから、その形式知としての美しさゆえに、実践知あるいはノウハウ知、最近よく言われる暗黙知が多くを占める技術の知の形態が軽んじられるようになった気がする、と表現した方が当方の意図が理解されやすいかもしれない。
その昔ギリシャの哲学者アリストテレスは3つの知の形態を指摘している。これは大学の教養部で昔学び感動した(注)講義「知性の歴史」の受け売りだが、エピステーメー(Episteme)テクネー(Teche)フロネシス(Phrnesis)と呼ばれているのがそれで、それぞれ形式知、暗黙知、実践知に相当する。
アリストテレスの時代に科学は無かったが、形式知である哲学は存在していた。すなわち、エピステーメーは、哲学そのもので、その一分野である科学はこれに相当する普遍的な知の形態である。
テクネーは属人的知識であり、職人などの持っている知識に相当する。これは現代の技術者も必要な知の形態だ。ただテクネーだけでは職人の域をでず、フロネシスとエピステーメーを理解できる能力が必要である。フロネシスとは実践からの知恵のことである。アリストテレスの3つの知の分類に従えば、現代の技術者とはテクネーとフロネシスを身につけ、エピステーメーを理解できる職業人のことだと思う。
テルマエロマエに出てきた風呂技術者は、科学の存在しない時代の技術者だったので、科学を理解する必要は無かった。風呂の設計については国王の指示に従い、現代へタイムスリップして得たフロネシスを基にテクネーを駆使して、風呂を建設していた。彼は国王のエピステーメーを理解できるだけで良かったが、現代の技術者は、自然現象を扱う多くの科学の成果を理解できなければならない。但し、科学の成果を出すのは技術者の主たる使命ではなく、アカデミアの使命であり、技術者はそれを理解し機能を完成させるのが使命である。
すなわちアカデミアの研究者はエピステーメーを徹底して追求することが求められるのに対して、技術者にはフロネシスをエピステーメーで見直したり、テクネーをエピステーメーに近づけ伝承できるようにしたりする能力が求められる。このような能力を鍛えられる場所は、現代ではメーカーの現場と学会であり、大学のカリキュラムには存在しないようだ。そもそも現代の大学で本物の技術者育成コースを備えているところがあるのか?
酸化スズゾルの技術を開発することができたのは、ゴム会社で身につけた知の体系のおかげである。酸化スズゾルだけでなく、写真会社で成果をだせたのは、ゴム会社で扱ったテーマからフロネシスとテクネーを身につけ、アカデミアの先生との議論から一部を形式知として普遍化する作業を通じ取得した学位が大きく寄与している。この学位論文にはゴム会社が日本化学会から技術賞を受賞する基になった研究がまとめられている。
そのプロセスで普遍化された形式知をもとに写真会社の新たなテーマに必要なテクネーとフロネシスを知の体系の中で見なおしながら仕事を進め成果を出した。だから写真会社で初めての技術に接してもそれが難しいと感じたことはない。さらに昔から技術を担当していた写真会社の人たちを指導できたのも、このような知の体系に基づく作業のおかげだ。
ゴム会社ではセラミックスを担当していたが、セラミックス会社とは異なる知の環境だったと思う。ゴム、窯業、その他と分類されたりするが、レオロジーが中心となる高分子材料と結晶構造が中心となるセラミックスでは技術の知の体系が異なると思っている。高分子材料の知の体系を置かれた環境から身につけることができたので、写真会社で成果を上げることができた、と考えている。
(注)卒業した大学の講義には、感動的な内容の講義から時間の無駄に思われる講義まで多種多様だった。福井大学の客員教授時代にアジア圏の留学生から講義内容に感動した、という内容のメールを頂いたときにはうれしかった。その時、時間の無駄に思われた講義については先生を激励すべきだった、と反省した。講義する側の問題と受講する側の問題があり、学生が皆下をむいて授業を聞いているのかいないのかわからない状態なら先生も気力が無くなるだろう。
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科学で解明された情報を技術開発で活用することができる。しかし、解明されていない現象から機能を取り出し活用しようとするときに科学的手法ではうまくゆかない場合がある。分析や解析の問題ですら優秀な担当者は科学的手法でミスを犯した、と書いた。
科学的に解明されている情報と解明されていない情報は明確に区別し、それを整理して知識としていなければ、技術開発で失敗するリスクが高まる。科学で解明されているのかどうか不明な場合には、専門家に尋ねて問題解決する。
酸化スズゾルの知識を獲得するために、15名ほどのアカデミアの専門家にヒアリングした。その時アカデミアの偉い先生にも怪しい研究者が多数いることを知り、怪しいと思われる情報で手持ちのデータベースの整理ができた。
15名の専門家にヒアリングしなければならなかったのは、専門家が玉石混交状態で最初の2名のヒアリングで真理が見えなかったからだ。大抵の問題は2-3人の専門家をヒアリングすると情報が集まるのだが、無機の結晶と非晶の問題は科学的に極めて怪しい問題であり(特に非晶の問題だが)情報の信頼性をあげるため母集団を大きくする必要があった。
科学の世界では、真理は大切に扱われなければならない。ゆえに知識があやふやな場合には、知らないという回答か、その問題について答えられる先生を紹介してくれる専門家が頼りになる。その分野の権威だから何でも知っている、と間違った情報を教えられたのではたまったものではない。だから科学の知識は複数の専門家に聞いてみることが重要である。これを繰り返していると、信頼できる専門家がわかってくる。ちなみにこの欄の情報は当方の経験知である点に注意して読んでいただきたい。
結晶という言葉に関しても、無定義用語に近いと教えてくださった先生は数少ない(注)。結晶と非晶の境界はあいまいで、さらにナノ結晶という言葉が当方の知識の整理を邪魔した。結晶にまつわる教科書を多数調べると、結晶とは鉱物学から出てきた言葉であり、未だ明確な定義がなされていないようだ。
5000層以上の規則正しさを持っているものを結晶という、と明確に断っている教科書もあれば、数層の規則正しさでナノ結晶と呼び、これも結晶の仲間に入れている教科書もある。ガラス以外の非晶性無機材料を注意深く観察すると、その程度のナノ結晶を容易に見つけることができ、ナノ結晶を結晶として認めると世の中に完全な非晶性材料というものは無機のガラスだけになってしまう。
ちなみにガラスとは非晶性材料の中でガラス転移点を持つ材料のことで、このような定義すらすぐに答えられないアカデミアの先生を見つけたときにはビックリした。アカデミアの先生となるためには、専門分野の知識についてはすべて整理して頭に入れていなければならない。頭に入れるのが無理ならば、備忘録のようなものに書きとめ、常に座右におくべきだろう。
自分の専門分野の教科書ぐらい書ける能力が要求されるが、ある怪しい偉い先生が教科書を執筆できる教授が私も含め日本にどれだけいるだろう、と嘆いていた。この言葉をうかがった時にどう対応してよいのか困ったが。酸化スズゾルの帯電防止層の開発では、社会的に偉くなくてもきらりと光る多数のアカデミアの先生に出会えたことが、良い思い出となっている。日本のアカデミアはすそ野が広い。
(注)国際結晶学連合(IUCr)において1992年に、結晶(Crystal)を「本質的に離散的な回折を与える固体」として定義し直している。すなわちかなりその周期性が大きい固体だけを結晶と呼ぶのが学術的に正しいが、つい最近まで結晶についてその定義が混乱していたことがうかがわれる。当方が調査した1991年にはこの情報がまだ確定していない頃である。本欄はその時の体験を書いている点について注意して欲しい。新しい定義によればナノ結晶という言葉は学術的に怪しい言葉のように思われるが、それを重要な現象の如く説明される先生もいたので頭が混乱した。X線回折ピークにすべての反射面が観察されないようなナノオーダーの不完全な格子物質までもナノ結晶とよび結晶に分類する一部の先生の感覚を理解できない。
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数日にわたり、酸化スズゾルを用いた帯電防止技術の開発体験を書いた。伝えたいことは、未だ科学は発展途上にあるが、技術開発では科学で解明されていない現象も使わなければいけない、という現実と、科学で未解明の現象が多い問題を科学的に解こうとすると否定証明に陥る問題である。
まず後者については、酸化スズの事例だけでなく電気粘性流体の事例でも以前紹介したが、仮説を立てて行った実験で仮説どおりにならなかった場合に、否定証明が科学的に簡単なため、せっかくの実験結果を否定証明の道具に使ってしまう人が多い。仮説が外れた場合に、科学で解明されていない現象を扱っていることを忘れている。仮説の正しさを確認できるのは、扱っている現象がすべて科学で解明されているときだけである。
少なくとも仮説に取り込んでいる内容だけでも、すべて科学で真理が確認されていなければ仮説で検証される結論の真理は保障されない。酸化スズゾルの問題について、この材料そのものの科学的に完璧な解明が当時なされていなかった。高純度酸化スズ結晶についてはセラミックスフィーバーのさなかに科学的解明がなされ、アンチモンやインジウムをドープした結晶材料の導電機構などがはじめて明らかにされた。しかし、それ以前から結晶性酸化スズを用いた透明導電体に関するおびただしい数の特許が出願されている。これらの特許は科学が未解明の時代の文献と言う理由で、技術として成立していても科学的に正しいとはいえない。実際に結晶性酸化スズだから導電性である、と誤った事実が書かれている。
転職した会社でT社の酸化スズゾルの検討を行い、レポートを書いた担当者は優秀な研究者だった。ただ酸化スズゾルに含まれる粒子の導電性について、それを抽出して評価する手段をとらず、バインダーに分散し導電性の評価を行い、そこから結論を導いており、科学的ゆえに発生するミスをしている。弊社が提唱するヒューマンプロセスではこの場合には冗長性を重視する。非科学的だろうが技術的に考えられる方法すべてについて計測することを勧めている。
試行錯誤という方法でも計画的に行えば、この冗長性を確保することが可能になる。仮説を立てて実験を行うのは科学の時代の常識であるが、この冗長性を時として非科学的ゆえにバカにする人がいる。ドラッカーの表現を借りれば、優秀な人ほど成果を出す方法を知らない、となる。実務では科学的な正しさよりも成果が最優先になる。いくら科学的に優れた論文を書くことができても成果を出せなければ優秀ではないのである。
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論文調査を行っても酸化スズゾルに含まれる粒子の導電性に関する詳細な研究報告書は無かった。T社に尋ねても測定をしていないという。そのかわりDSCなどの熱分析のデータをくれた。その他の技術データは無いのか、と尋ねたら電子顕微鏡写真ぐらいだとの回答。
T社は中堅企業だったが、科学者としてそれほどレベルの高い研究者が揃っている企業ではない。ゆえに科学的なデータを期待してもだめだとあきらめ、自分で電気特性などを計測した。そしたらびっくりするような結果が出た。ライバル企業の特許に書かれていた技術と異なる世界があることに気がついた。
ライバル企業は科学者としてレベルの高い研究者も揃っている会社なので、特許に書かれている内容は,科学として怪しくても技術として正しい機能に基づく成果だろうと想像した。そして自分が得たデータは、ライバル企業が実現した技術と異なる技術ではないかと想像した。科学では真理が一つであるが、機能を実現する技術ではその方法は、人類の創造という活動が続く限りいくつも出てくる。
特許に書かれていることには嘘が多い、と言う人がいるが、それはいかがなものか。一応は技術レポートの一つである。科学の視点から間違っていても、技術の視点からは正しい、と信じて読むべきである。特許とはそういう読み物であり、科学が発展途上である限り、科学的に怪しい特許が今後も大量に出願されるだろう。実施例など捏造されたデータではないかと思われても科学論文ではないので許されるのである。「技術報告書」として読むと技術開発の現場では科学論文よりも参考になる。
特公昭35-6616は、昭和40年前後に書かれたライバル企業の古い特許には従来技術として引用され、それは欠点のある技術とされた。そしてその特許を出願した企業の30年後の若手社員からは嘘が書かれているんだろう、と簡単に否定された。ところが自分の測定したデータでそれを眺めてみると、すばらしい技術成果の報告書であり、ライバル企業と異なる技術の世界が開けている。
そこで特公昭35-6616に書かれた実施例のトレースを改めて行ってみたのだが、少してこずった。実施例に書かれていない条件で生成物が変化するのである。しかし実施例を特定の条件で追試すれば特許に書かれたグラフに近いデータが得られる。苦労はしたが再現できた。このようなケースではできると思って実施しない限り、上手くいかないものである。そこから技術とは「思いを実現することだ」と言った人がいる。
ところで、ここに至るまでのプロセスは科学的には行っていない。できないと一度は否定された技術なので、すべて試行錯誤か厳密な同定を行っていない適当な実験を行っている。しかしテキトーではあったが、酸化スズゾルを用いた帯電防止層の技術を生み出すことができ、ライバル企業の特許網に穴を開けることに成功した。
まじめに行った科学に基づく実験では、実施例を再現できず否定証明を生み出す結果となったが、テキトーな実験で昔の埋没していた自社の技術を発掘することができた。分析や解析評価はまじめな科学的推論に基づく実験が必須であるが、ものつくりでは、テキトーな実験でも技術を生み出すことができる。これが許せない人もいるようで20年以上まえに電気粘性流体の技術を創り上げた時にはゴム会社でひどい目にあった。ただ、この事件で技術と科学の違いを明確に意識した仕事をする必要性を開眼し、転職した写真会社では創造した技術に科学の香りをつけるような仕事のやり方をした。
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転職してすぐに実験室の隅に放置してあったT社製の酸化スズゾルを見つけた。実験に使用したらしく、2lほどの容器に半分位が残っており、管理が悪かったようで水飴状になっていた。
担当者に処分して良いか尋ねたところ、もう腐っているかもしれないから捨てて良い、との回答。とりあえず容器の蓋を外し、紙製の簡易蓋をして、ドラフトに放置した。特にその時実験のあてがあったわけではない。
濃度不明のゾルのサンプルを活用するためには、溶媒をすべて乾燥して溶質を取り出す方法しかない、と考えたからだ。取り出してどうするかは、その後考えるつもりだった。捨てる以外に用途が無いサンプルでも、学生時代から新素材であればとりあえず保管する習慣だった。捨てるのはいつでもできるのである。
貴重と思われるサンプルは1年間保存してみると便利なことがあった。電気粘性流体の問題を解決したときにも、保存していた特注品の界面活性剤が役だった。また、酸化スズゾルは当時高価なサンプルだった。ゾルに含まれる高純度酸化スズを保管しておこうと思いついてその処理をした。処理と言ってもドラフトに放置するだけなので手間はかからない。
転職し1ケ月以上過ぎてから帯電防止技術の特許問題を調査することになった。ドラフトを覗いたら、酸化スズゾルの溶媒は無くなり、溶質のみ容器の底にこびりついていた。それを取り出し細かく砕いて錠剤を作り、電気特性を評価したところ、酸化スズゾルに含まれていた非晶質の酸化スズは導電体であることがわかった。報告書と異なる意外な実験結果だったので、さらに実験を進めた。解析評価なので科学的に進め、活性化エネルギーの測定やコールコールプロットの結果から電子伝導であることを明らかにした。
さっそく新たな酸化スズゾルをT社から購入し、スプレードライ法やホットプレート法で溶質を取り出し、同様の実験を行うとともに、X線散乱データから結晶化度を調べた。驚くべきことに、ホットプレート法で取り出した酸化スズは結晶化度と電気抵抗は高かったが、その他の方法の酸化スズは非晶質で、電子伝導性を示した。
科学論文を調査しても酸化スズゾルの研究報告書は少なかった。特にその導電性について研究した論文はなかった。科学では結晶化した材料は同定が可能で研究が容易だが、非晶質材料は同定が難しいので論文が出ていないのであろうと考えた。非晶質材料の研究ではガラスの研究が有名だが、酸化スズはガラス状態にならない。
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