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2014.03/24 STAP細胞騒動における非科学的視点の重要性

ネイチャーに投稿されたSTAP細胞の論文をハーバード大バカンティ教授は取り下げない、と言っている。彼はSTAP細胞を15年以上追いかけてきた、とも。彼の発言はSTAP細胞のアイデアは自分にある、と主張しているのだが、植物では存在する現象が動物では存在しない、というのが学説であった。

 

彼の主張が正しければ、小保方氏の果たした役割は大きい。すなわち、15年以上の研究において、関係した科学者および科学者の卵が彼女の手順と同様のことを行いながら、現象を見落としていたことになる。これは科学の発見が行われるときの条件を示していると思われる。

 

過去に白川先生がノーベル賞を受賞されたときに、ポリアセチレンは学生が触媒量を間違えた結果合成できた、と発言し、失敗学が注目された。しかし、この白川先生の発言は、「非科学的な手順で新しい発見が成された」と捉えるべきだろう。

 

かつてiPS細胞の生まれた背景についても非科学的プロセスの重要性をのべた。山中先生の場合には学生が行った非科学的で典型的なヒューマンプロセスである。それでは小保方さんの場合には何が非科学的か?

 

新聞や週刊誌情報で彼女の人柄や力量を伺われる情報が多数出てきた。さらに野依理事長は科学倫理の欠如と未熟な科学者の問題を指摘した。彼女は科学というものをよく理解しないまま、科学の作法を身につけないまま、先端科学の現象が起きる現場に居合わせたのだ。そしてSTAP細胞の発見を行った。

 

これは、裸の王様の物語と同じで、科学を知らないその純粋さで自然現象の真実の姿を捉えることができたのだ。もし彼女が科学に誠実で真摯な研究であったならば15年以上その研究に携わってきた研究者同様に見落としていたのかもしれない。STAP細胞の騒動で学ばなければいけないのは、いつも科学的な視点で自然現象を見ていると自然の真の姿を見落とす場合がある、ということだ。それではどうするか?(  www.miragiken.com )のサイトで一つの方法を示しています。

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2014.03/23 人生の歯車

STAP細胞の騒動で人生の歯車が一度狂ったときの怖さを改めて学んだ。ノーベル賞候補から一気に未熟な研究者へ、そして今、学位の再審査と自主退所に追い込まれているという。あまりにも大きな変化である。このようなときにはドラッカーの誠実で真摯な姿勢が重要となる。

 

例えばもし学位論文だけでも誠実に作成していたなら学位の再審査は免れただろう。もし科学論文には真実が厳しく求められると言うことを軽く考えなかったら今回の騒ぎにはならなかったろう。さらに今回のヒーロー的取り扱いを辞退していたなら展開は変わっていただろう。

 

このような人生の歯車を狂わせるような出来事は、誰でも一つや二つある。当方もあの事件が無ければ、今はゴム会社で半導体用高純度SiCの事業化成功者あるいは発明者として評価され、人生は現在と変わっていただろう。

 

それでは今の人生が不満足かと言えば、20年写真会社で専門外の高分子技術開発をマネージャーとして担当し、ゴム会社で考案した問題解決法で外部の賞を頂ける成果をいくつも出すことができた。不満足なのはその成果が写真会社で評価されなかったことだ。

 

デジタル化の流れの中で悔しい思いで豊川へ単身赴任し、PPSに6ナイロンを相溶させた中間転写ベルトの開発やポストコンシューマー材を用いた環境樹脂の開発など成果をあげることができ、成果を出しても早期退職を促され勇退を決心したところ最終出社日に東日本大震災が発生し、退職のその日は、送別会その他のイベントが中止になっただけでなく会社に宿泊することになった。

 

人生の歯車は狂ってばかりであった。しかし、何とかリセットし人生をそれなりの軌道に乗せることができるのは、いつまでも腐ってばかりいないで、とにかく誠実たらんと努力した結果だろう。ドラッカーはまことに良いことを教えてくれた(注)。

 

STAP細胞の騒動は彼女一人の責任ではない。学位論文の問題でも指導の段階における責任が大きい、と思われる。しかし彼女にとって厳しい状況である。ここは誠実真摯に振る舞うことで狂った人生の歯車を正常に戻す判断をした方が良い。

 

(注)ドラッカーの遺作「ネクストソサエティー」では、誰も見たことの無い世界が未来のキーワードとして出てくる。(  www.miragiken.com)では、だれも見たことが無い世界を考えるために運営を開始しました。

 

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2014.03/22 未来技術研究部

この活動報告では、弊社のPRも兼ねて、30数年間のサラリーマン生活における研究開発体験を元に世間に役立ちそうな過去の技術情報を書いている。すべて特許に公開されているかあるいは公知情報であるが、多くの読者が集まってきた。

 

今後もこのサイトでは当方の身につけている技術を中心に書いてゆくが、もし当方が20代であればこのような技術開発をやってみたいといった夢の話を書くサイト( www.miragiken.com )を立ち上げました。

 

このサイトは、運営を始めて約1ケ月ですが、弊社のHPが5ケ月後に達成した人数をすでに超えた。まだ夢の技術の話まで進んでいないがそれでも読者は増えている。当分は未来技術を考えるために欠かせない問題解決手法の話を進める予定でいます。

 

未来技術を語る前になぜ問題解決法か。それは今回のSTAP細胞の騒動やiPS細胞の発見経緯を見て頂けばご理解頂けるのではないかと思っています。すなわち従来研究開発で重視されてきた科学的方法でこれらの発見が成されたわけではなく、「技術」の芽があって発見が行われている。

 

また、30数年間研究開発を行ってきて、科学の研究と技術の開発における思考プロセスの違いも気になっていた。すなわち本来思考プロセスが異なって良いはずなのに科学的プロセス偏向の状態が20世紀の技術開発ではなかったのか、という疑問がある。企業の中にはTRIZやUSITを導入しようとして頓挫した企業もあるかと思いますが、TRIZやUSITは科学的に当たり前の結果しか与えない思考プロセスです。

 

イノベーションが要求される時代にはそれに適した思考プロセスを行うほうが賢明です。このような視点で未来技術研究部では、未来技術を語る前に問題解決プロセスを取り上げています。

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2014.03/21 科学者に求められる誠実さと真摯さ

STAP細胞の騒動で科学者の倫理が問題にされたが、ニュースや週刊紙で報じられている内容を読むと、倫理という問題の前にドラッカーがリーダーに求めている誠実さとか真摯さという資質が研究者に欠如していると思われる事実が伝えられている。

 

すなわち誠実さや真摯さがあれば取られていただろうと思われる行動が、いくつか取られていないのだ。科学者という職業は知識社会のリーダー的存在であり、少なくとも公的研究機関で働く研究者には誠実さと真摯さが求められる。科学者というのはそのような職業である。

 

例えば週刊紙に報じられている研究ノートの問題について、いくらデジタル社会といえどもエビデンスとしてメモ程度でも肉筆で書かれた書類を残す教育が必要である。デジタル署名など認証技術が進歩してもデジタルデータは信頼性が低い。まだ肉筆のデータを残すのは面倒でも要求される時代であり、アカデミアでは、学生に徹底して実験ノートの重要性を指導すべきである。

 

企業でも会社指定の実験ノートを管理方法も合わせて仕組みとして備えている企業がある。知財対策のためである。例えばこんな事件を聞いたことがある。退職者Aが在職中に発明をした特許について部長だから発明者として名前を入れてもらえなかった、というおかしな訴訟が起きた。具体的な特許を訴訟の場で検証したときに、その特許の真の発明者はだれか、という議論になった。

 

Aは転職者で、自分の知識が無ければ発明できなかった特許だと主張した。しかし、Aが転職してくる1年前に書かれた某氏の研究ノートにその特許の発明のアイデアと簡単な実験結果が書かれており、某氏の上司の日付印がきちんと押されていた。結局裁判では、その実験ノートが証拠となりAの主張は退けられた。

 

科学者にとって実験ノートとは、単なる実験記録帳では無く、真実を確かめた人類の記録の証拠である。特に公的研究機関で研究に携わる人の実験ノートは税金が使われた記録でもある。実験ノートをそのように認識したならば、誠実な科学者であれば、デジタルデータとして実験ノートを残すだけではなく、真摯な姿勢として肉筆の実験ノートをつける重要性を感じるはずだ。

 

不誠実なAが目論んだ不当な対価の要求は、真摯に実験ノートをつけていた某氏のおかげで退けられ、企業は不要なお金を支払わなくても済んだ。ドラッカーが説く働く意味に「貢献」があり、公的研究機関で働く研究者にとって実験ノートとは社会に貢献している証拠となっていることを理解すべきだ。公的研究機関の研究者の実験ノートは単なるメモではない。社会に貢献している証である。

 

 

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2014.03/20 公的機関の研究発表

今回のSTAP細胞について最初の段階における理研の発表には、ややまずい点があった。そのため新聞や週刊紙が今でも騒いでいるのではないか。某週刊紙や*スポの見出しには目を覆った。本人はともかくご家族がご覧になったらどのように感じるだろう。

 

なぜ論文発表の段階において、理研の名前だけで発表しなかったのだろう。研究の内容や社会へ与えるインパクトを考えると、個人を前面に出した発表には意図があると疑われても仕方がないことだろう。

 

30年以上前に有機無機ハイブリッドの発明をゴム会社で行った。まだゾルゲル法さえ一般的に知られていなかったときに、有機高分子と無機高分子のリアクティブブレンドを成功させたのである。ゴム会社から特許が出ているが、これを前駆体にして高純度セラミックスを製造する技術についてゴム会社では意見が二分した。

 

しかし、世間でセラミックスフィーバーが起き、無機材質研究所(現在の物質材料研究機構)へ留学する機会を得た。無機材質研究所へ留学後ゴム会社では、セラミックスの研究をやめた、というような電話が研究所にあり、当時の研究所のI総合研究官が当方のモラールダウンを防ぐために、1週間だけの限定付きで自由な研究時間をくださった。

 

その一週間で有機無機ハイブリッドを用いた高純度SiC新合成法を無事開発した(注1)のだが、その新聞発表は無機材質研究所名で行われた。基本特許も当方が書いたが、無機材質研究所名で出願している。これは、研究の大半を無機材質研究所の設備を使い行ったからである。すなわち国民の税金で行った研究だからである。

 

セラミックスフィーバーのさなか、半導体ウェハーにそのまま用いることができる高純度SiCが簡単に合成できる、という新聞発表は、工業新聞の第Ⅰ面に載り、社会に与えたインパクトはそれなりにあった。しかし、ゴム会社の海外留学を蹴って無機材質研究所に入所したセラミックスの研究未経験者がたった1週間で発明した、などという点は、それなりに面白い話ではあるが世間に出なかった。

 

ただ、それでも当方は大変であった。ヘッドハンティングの会社から転職の勧誘が多数来たのである。企画から実験まですべて当方が行ったことなど表に出ていなかったが、そうしたニュースをリークする人がいるものだ。また、この発明がすぐに国研としてプロジェクトが組まれる話まで進んだら、ゴム会社が騒ぎ出した。

 

昨日までハシゴをはずされたような状況だったのに、すぐに会社に戻ってこい、ということになった。特別昇進のおまけまでついた。STAP細胞ほどではないが、個人名など公になっていないにもかかわらず、それなりの騒ぎであった。

 

やがて日本化学会賞まで受賞するのだが、その受賞まで本件の研究について当方の名前が研究成果とともに載ったのは学位論文だけである。さらにその学位論文の主要部分となる論文については、何も関与していなかった国立T大助教授が当方のデータを用いて勝手に提出した論文(注2)である。さらにその助教授は学位の指導をほとんどしてくださらなかった。自分の研究として発表することを指導と思っていたのだろう。

 

このような経緯も含め、セラミックスフィーバーのさなかに発明された高純度SiCの技術で公的機関や無関係の人の名前で研究が発表されていても、中心人物の周辺では大騒ぎになったのである。今回のSTAP細胞の発表では、発表の初期段階から尋常ではない予感がしていた。最近スタートしたホームページ( www.miragiken.com)は、リケジョを主人公にしているが、この騒ぎに便乗したわけではなく、1年前から準備していた企画である。出だしのストーリーには話題を使わせて頂いたが、便乗商法に誤解されるのではないかと心配している。

 

(注1)現在でもゴム会社は当時実験で見いだした方法とほぼ同様のプロセスで生産を行っている。相違点は触媒に用いた酸が変更になっているぐらいである。

(注2)他人の研究をさも自分の研究のように、論文筆頭者として論文を提出することは研究者の倫理に反しないか。40歳過ぎても”未熟な研究者”がいる。学位審査の過程の一コマである。

 

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2014.03/19 iPS細胞とSTAP細胞の類似点

昨日理研は、iPS細胞とSTAP細胞の比較記事について謝罪した。この謝罪で改めてiPS細胞のできる確率が最近は20%程度まで上がっている点をコメントしていた。すでにこの発明の類似点については、非科学的な手段による発明や発見であった点を指摘したが、昨日の謝罪で少し気になった万能細胞ができる確率をコメントした意味について考えてみたい。

 

技術では、開発した技術がうまく機能する場合と、それが機能しない場合の確率についてロバストネス(ロバスト)という言葉が使われている。ロバストを高める設計をロバスト設計と言い、高いロバストの技術を誰でも設計段階からできるようになったのは、タグチメソッドのおかげである。そしてそのタグチメソッドは故田口先生のおことばによれば統計ではない、と言われている。すなわちタグチメソッドは科学的な統計ではなく技術である、と故田口先生はおっしゃていた。

 

科学では真理の追究が重要なので、万能細胞が存在しないか、あるいは存在するのかという命題について真か偽かという議論になり、そのロバストは問題にならない。第三者により再現性が確認されれば良い。仮説から導かれた実験でできなければ、「存在しない」ことになり、少しでもできれば「存在する」ことになる。ゆえにイムレラカトシュが「方法の擁護」で述べたように、科学で容易にできるのは否定証明だ、ということになる。

 

ところで科学で肯定証明を行うためには、「できる」ことを示さなければならないので、「できる」方法、すなわち技術を開発する必要がでてくる。技術開発の哲学については、科学成立以前から存在し、人類の欲望を満たす機能を如何に実現するのか、ということであり、それが科学的でもよいし非科学的手段であっても構わない。さらに忍術や魔法でも再現よくできれば、許される手段である。但しロバストが高くなければ技術として広く普及するまでに至らない。

 

しかし、科学の世界ではロバストが低くても「できる」ことを示せればよい。魔法や忍術は科学倫理で許されないが、その他の方法であれば偶然の発見でも、実験の失敗でも、あるいは山中博士がやられたような仮説から導かれていない、科学の常識からはずれた「めちゃくちゃな実験」でも、「できる」ことを示すことができれば許される。

 

すなわち科学で「できる」ことを証明するためには、非科学的ルートを通るケースがあり、それをどのような覚悟で科学者は通過するのか、という問題が出てくる。科学倫理からすれば、科学以外の方法を持ち込むのはタブーである、とまず考える。ところが、科学倫理に忠実にすべて科学的に説明できるルートとは「当たり前」の結果を導くルートである、ということを忘れてはいけない。

 

理研の中間報告で、小保方さんは「未熟な研究者」として断罪された。一方出身大学の某教授は「理研という組織にいてはいけない人材」とまで言い切った。もしSTAP細胞の存在が科学的に示されたときに、彼らはどのような経緯でSTAP細胞が生まれた、と説明してくれるのだろう。

 

少なくとも「未熟な研究者」が裸の王様の物語のごとく、成熟した研究者の集団において動物細胞ではできない、といわれていたSTAP細胞を偶然ではあるが創り出した可能性があるのである。科学倫理に長けた科学者ではできない技術を用いてSTAP細胞の存在を人類に示した功労者をどのように「大人の」研究者たちが処遇するのか興味深い。

 

当たり前でない新しい成果を生み出すためには科学に頼れないことを今回の騒動は示しているように感じる。あるいは科学という哲学では科学的論理に厳密に導かれる真実のみ評価する、という世界で未熟な研究者が重用された結果、起こるべくして起きた騒動かもしれない。そしてこの騒動でSTAP細胞という新しい科学の芽が出始めているのである。もしこの芽が育ったならば、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、未熟な研究者を重用した理研の研究マネジメント能力は凄い、という評価にならないか?

 

20世紀は科学万能の時代であったが、21世紀は、科学の無い時代にも進歩していた技術哲学を見直し、技術で科学を牽引しなければいけない、と考え花冠大学(www.miragiken.com)のホームページを立ち上げました。

 

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2014.03/18 iPS細胞とSTAP細胞の研究発表の差異

山中博士がノーベル賞を受賞されたときのNHKの特番で、ヤマナカファクター発見の裏側が詳細に紹介された。そしてヤマナカファクター発見の方法が、今回のSTAP細胞と同様に非科学的方法であったことも示されて世界中が驚いた。山中博士は、特許出願をしていたのでこれまで秘密にしていた、と語られていたが、本当か?

 

一方STAP細胞はその発見から論文発表まで、まるでドラマを見るがごとくすべて公開された。マウスのリンパから幹細胞を取り出す実験で、幹細胞を取り出しているのではなく創り出している事に気がついた小保方さんはSTAP細胞という概念に気がついた、とされている。しかし、最初は勘違い、として片付けられて誰も信じてくれなかった、泣いた日もあると。

 

今回は弱酸性の溶液に細胞をつけるだけで幹細胞ができる、ということを発見し、論文発表したが、論文のずさんさから論文取り下げ騒ぎになりその発見は「外部刺激により」リセットされた。さらに学位論文まで飛び火し、泣きたい状況を越えるところまで社会は彼女を追い込んでしまっている。学位論文の問題は査読を十分に行わなかった学位審査委員会の責任であるにも関わらず、である。

 

論文は2報発表されており、ハーバード大学の教授が書かれた論文がどのようになるのか注目したい。彼は現在でも取り下げを反対しており、一方ネイチャーは執筆者が反対していても雑誌側で取り下げ可能とも語っている。

 

この一連の流れから、STAP細胞は力学的刺激から幹細胞ができることが小保方さんにより最初に発見され、外部刺激で幹細胞ができる、という仮説を実証するためにいろいろな外部刺激が小保方さんにより試されて弱酸性という条件でできる事が見つかり、論文発表に至った、ということがわかる。

 

おそらく特許には幅広い条件が書かれていると思われるが、今回の騒動で特許の扱いも微妙に影響する。技術的には力学的刺激で幹細胞ができていたので特許は範囲にこだわらなければ成立するかもしれないが、クレームの範囲に関しては異義申し立てが世界中から来ることになるだろう。理研は特許戦略上まずい発表の仕方をした。

 

ところでiPS細胞は、いきなりヤマナカファクターありき、で発表され、細胞を初期化する技術の存在が科学的に証明された形で報告された。そのためどのようにヤマナカファクターを決めたのか議論となったが、特許が公開されるまで秘密にされた。正確には特許が公開されても秘密のままで、ノーベル賞を受賞してから公開された。

 

テレビの特番では大学院生の行った非科学的で大胆な実験がきっかけとなり、さらに実験を進める戦略も極めて技術的発想で非科学的に行われた。当方の邪推かもしれないが、科学者である山中博士には極めてインチキ臭い実験(注)に思えたので秘密にしていたが、ノーベル賞を受賞したので、その仕事に関わった人に報いるために恥ずかしさを承知で公開したのではないかと思っている。特番で紹介されたヤマナカファクター発見の裏側は山中先生の「先生」としての人柄が伝わる話に思える。

 

(注)科学が無い時代に人類が技術開発において行っていた方法でインチキではない。新しい技術を生み出す事が可能な強力なヒューマンプロセスによる問題解決法である。この議論は(www.miragiken.com)で現在展開中です。

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2014.03/17 小保方さん、ガンバレ(2)

今回の理研の中間報告で小保方さんには逆風が吹いている。また、以前彼女を賞賛した人々の中には彼女を賞賛したブログを削除したり、出身大学では写真まで削除している。今回の事件、いろいろな見方があるが、もしSTAP細胞が科学的に完全に証明されたなら、それは第一発見者小保方さんの成果であり、彼女に様々な問題があったにせよその評価を正しくしなければいけない。

 

彼女は学位を再提出する打診をしているという。当然のことと思うと同時に誰が読んでも恥ずかしくない学位論文に仕上げて欲しい。コツは当方も指導されたが、全部日本語で書くことである。少なくとも日本語で書けば、無意識のコピペを防ぐことが可能である。また中部大学のように隅から隅まで審査委員会が査読をすれば今回の問題は起きないはずで、大学がどこまで学位審査に真剣に取り組んでいるか、という問題である。学位論文の「ホ」と「フォ」の間違いから「、」の位置まで細かく指摘し、書き直しを命じる真摯な大学も存在するのである。

 

その年齢から今回の出来事における彼女の責任は大きい。しかし、科学倫理の問題は、厳しく躾けられない限り身につかない。当方は過去に自分の研究について国立T大の先生に勝手に論文を投稿された経験がある。その大学で学位審査を受けなかったので、結果として「勝手に論文を書かれた事実」が残っている。しかし、その先生は倫理観の欠如した論文の行為において彼女のように厳しい状況になっていない。

 

今回は彼女を厳しく指導してこなかった諸先生方にも少し責任があるように思う。躾けられなければわからない問題も含んでいる。ただし、意識の高い学生であれば、科学に関する哲学書を高校時代から読んでいるはずで、それらを読めば躾けられなくても今回の問題を起こさない科学者になっているはずだ、ということにも触れておく。

 

今回の騒動で日本のアカデミアの問題が幾つか公になった。科学倫理の問題は小さな事を放置していると今回のような大きな出来事となって再発する。企業が大きな事故を防ぐために行っているヒヤリハット活動に類似した活動をアカデミアもしなければいけない時代だと思う。おそらく彼女の最も大きな成果は、一連の騒動でいい加減な博士論文でも審査を通過している実情や、科学というものを正しく理解していない研究者の存在、アカデミアの実態はどのようなものなのか明らかにしたことだろう。

 

弊社は科学と技術の違いに視点をあて、企業で行う研究開発をどのように進めれば良いのか提案している。その活動の一つとして「花冠大学理工学部みらい技術研究部(www.miragiken.com)」の運営を始めました。

 

 

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2014.03/17 古くて新しいセルロース(7)

20年ほど前に、バクテリアが生産するセルロースを取り出す技術が実用化され、まずスピーカーなどに活用されたが、これらのセルロースは、植物から得られるセルロースよりも2ケタ程度繊維構造が細く、水分散性がよく、細長い繊維状物質として得られる。

 

ゆえに水分散性の高分子用フィラーとして活用しやすい。植物由来のセルロースとこれらバクテリアの生産するセルロースとの最も大きな違いは、その純度で、医療材料のような純度の高い工業材料が要求される分野で期待されている。このようなセルロースからゲルを作ると、そのまま濾過膜として活用できる。

 

例えば酢酸菌などのバクテリアがつくるセルロースは、その繊維幅は植物セルロースに比べて100分の1~1000分の1という細さで、その極細の繊維が複雑に絡み合うことで、アルミニウムシート並の強さの濾過膜を作ることが可能である。また、ココナッツミルクの中で幾多の酢酸菌が縦横無尽に動き回るとセルロースゲルができあがるが、これをシロップ漬けにしたものがナタデココである。糖分を酢酸菌がセルロースに加工している様子を肉眼で見ることはできないが、ナタデココを食べるとその食感からセルロースが多糖類の一種であり繊維素と呼ばれるのもなんとなく理解できる。

 

バクテリアセルロース以外に、ホヤセルロースの研究もおこなわれている。ホヤは、俗に海のパイナップルと呼ばれる海産動物で、古くから食用とされ、養殖も盛んに行われている。現在のところ、ホヤは、体内でセルロースを合成することが確認された唯一の動物である。本来バクテリアが持っているセルロース合成遺伝子が、進化の過程で取り込まれ、セルロース合成のプロセシング機能を獲得できたと言われている。 ゆえにホヤ以外の動物からセルロースが発見される可能性が残っている。

 

バクテリアを含め、生物が生成するセルロースの、夢の活用の仕方として、運動可能な生物の特徴を利用したナノビルダーというアイデアがある。すなわち培地の上に生体高分子でつくったレールを配置し、酢酸菌がそのレール上を行き来すると、そこに排出されたナノ繊維が吸着され繊維が一方向に整列したフィルムができる可能性がある。

 

植物からセルロースを取り出す方法では製造できなかったナノ構造体をバクテリアの運動能力を用いて製造することができる。セルロース結晶の強靭なナノ構造体と他の機能素材とを複合し、ナノ機能材料を開発する分野は、バクテリアの運動制御のアイデアと材料設計技術が必要で、環境技術だけでなく生物材料科学としても期待される分野である。

 

セルロースについて以前「科学と教育」に掲載された内容を連載してきたが、最近はセルロースと同じ多糖類であるパラミロンの研究も行っている。パラミロンはミドリムシから容易に採取できる物質で、セルロースを変性したTACの製造プロセスをそのまま使用可能で、優れた環境樹脂を製造できる。ミドリムシの培養からパラミロンの抽出、アセチル化までは少し努力すれば一般家庭の台所でも実験できる。すでに光学用樹脂として特許を出願したのでご興味のある方は弊社へお問い合わせください。

カテゴリー : 一般 連載 高分子

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2014.03/16 現物の重要性

理化学研究所の中間報告で明らかになった画像編集の事実はショックであった。科学の世界でも技術の世界でも現物が重要なはずである。多少写りが悪くともその写真が実験結果であれば、そのまま使うのが常識である。

 

科学でも技術でもくり返し再現性が大切であるが、技術ではさらにそのロバストも問題になる。くり返し再現性については、現物の突き合わせが必ず行われる。デザインレビューにおける品質チェックは厳しく、規定にあるエビデンスのすべてが揃っていなければ現物という評価を頂けない。逆に現物を示すデータが全て揃えさえすれば同じ物という評価を頂ける易しい仕組みとも言えるが。

 

かつて、A(高分子),B(高分子),C(導電性微粒子)の3成分からなら電子写真のキーパーツの開発を製品化の最終段階で業務を引き継ぎ担当したときには大変であった。3成分の量比まで決まっており、最終段階の開発フェーズのためそれらを変更することができなかったのだ。幸いなことにその材料の特性は品質特性で記述されており、材料の科学的な特性を示すデータは、組成とその比率、力学物性だけであった。このような状況で歩留まりを30%から80%以上へ、そして物性も一部改良するという難問を弊社の問題解決法で解いたのだ。

 

技術の改良手段として科学的にナンセンスなAとBの高分子を相溶させる方法を選びゴールを達成した。科学的なフローリーハギンズの理論に反する実験結果が得られたが、技術的にはAとBが相溶することによりずば抜けた品質特性の商品が完成した。新しい平面剪断装置によるプロセス再現性も良かったが、その時困ったのは品質特性の一つ靱性を示す物性が著しく改善されたことだ。

 

すなわちこれまでのデザインレビューで議論してきた商品と同じ物かどうかが、その良すぎる物性から疑われたのである。改良前の材料ではAとBの高分子が相溶していないが、改良後ではそれらが相溶したので科学的には同じ物質ではない。ゆえに疑われることは覚悟していた。しかし、デザインレビューの議論で必要となる「同じ物」を示すエビデンスをそのまま揃えた。

 

その結果、品質特性が当初予想された設計品質として最高の商品ができていることが明確になり、それで議論になった。「品質を落とすために、もう半年開発を続けます」と発言したら、特例として商品化にゴーサインが出た。技術開発における現物の議論は第三者が見ると奇異に感じるぐらいに厳格に行われるのである。ただしその議論は科学的ロジックを用いているにもかかわらず、議論している人間は専門家ではないので、この例のように科学的には少し奇妙な結論が出たりする。しかし技術では機能をロバストよく再現できることが重要で科学的な厳密性は問われない。

 

この事例では、AとBの高分子が相溶した場合と相溶していない場合では、科学的に同じ物質では無い。また現代の科学ではAとBの高分子が相溶した状態で安定に存在することは否定される(注1)。ゆえに商品として新技術で創られた物質は科学的に大いに怪しいが、技術的にはタグチメソッドでそのロバストが証明されており、会社の品質基準も靱性以外全て満たしている。靱性も上限を決めていた品質基準がおかしいわけで、靱性というパラメーターは高ければ高いほど壊れにくくなるので良い方にはずれる分には問題ない項目である(注2)。

 

ただし、品質特性が良すぎるから、といって悪い品質データに改竄しデザインレビューにかけることは、たとえ副作用が生じないと分かっていても行わない。あくまでも現物のデータをそのまま議論の場に提出するのがデザインレビューのルールである。

 

(注1)科学の世界では科学で明確にされた真実がひっくり返ることが稀にある。また自然現象で科学的に解明されているのはほんのわずかである。STAP細胞の騒動の問題も、植物では起こりうる現象だが動物では絶対に起きない現象である、と科学的に結論づけられた真実があるために騒動になったのだ。またそのような問題であったために日本の学会はつぶす方向へ早くから動いたのである。STAP細胞の騒動で科学の正体を垣間見たことになるのだが、哲学者イムレラカトシュはすでにその点、科学の方法論の問題を指摘している。但しだからといって科学的方法が否定されるものではない。科学に代わる方法が無いのである。だからイノベーションという事象に対して科学と技術をどのようにマネジメントすべきか、という問題である。弊社の問題解決法では一つの答を提案している。

 

(注2)商品によっては壊れなければ機能しない場合がある。その時は逆になるか、あるいは靱性の許容範囲を厳密に守る必要が出てくる。例えば電気のヒューズはそれに近い商品である。

 

 

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