見た目の悪いペレットの高次構造に対して、R社担当者から形式知でいろいろと説明してもらったが、へりくつにしか聞こえなかった。ただ、へりくつにしか聞こえない説明でもゴムの混練と樹脂の混練という技術について、その考え方が大きく異なることが見えてきた。
経験知によれば、ゴムの混練では、「高分子を練り上げる」である。しかし、へりくつから見えてきた樹脂の混練では、「高分子をうまく混ぜる」作業だ。すなわち、樹脂では高分子が練れている必要はない、ということだ。
同じ高分子というカテゴリーの材料のプロセシングでも樹脂とゴムの混練に対する考え方の違いは、面白かった。しかし、混練の形式知をまとめた教科書には、このあたりについて詳しく書かれていない。
ゴムの経験知から、樹脂の経験知不足を不安に感じ、徹底的に調査した。その結果分かってきたのは、混練について高分子材料の視点から見て当方の知的欲望を満たしてくれる教科書が無い、と言うことだ。高価な混練に関する教科書を3冊ほど買い込んだが、どれも欲求不満となる内容だった。もちろんそれらの教科書には、当方の発明したカオス混合装置のことなど触れていない。
技術開発では、形式知と経験知の整理ができていることは大切である。技術開発の過程で様々な現象に遭遇することになる。それらの現象の中には、科学で解明されていない現象も多く存在する。
科学で解明されていない現象に遭遇したときに、形式知ではなく経験知で処理をすることになる。この時、うまく行くかどうか保証されていない。さらには、目の前で起きている現象が、過去の経験知と異なる経験知を要求してくる場合がある。
形式知は、教科書で簡単に補うことが可能だが、迅速に経験知不足を補うことは難しい。ゆえに技術開発を行うときに、この経験知不足の問題をどのように克服するのか、いつも考えておかなければいけない。経験知でも短時間で補う方法があるのだ。これは技術開発のノウハウだ。
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昨日貴乃花親方の処分が日本相撲協会の全会一致で下された。「理事解任」という厳しい処分で、被害者の親方と加害者の親方が同じ処分という奇妙な処分であるが、処分理由は組織の論理に則ったものだった。
相撲協会が今回の暴力事件を隠蔽化しようとしていたのは、先場所における加害者である横綱が平然と相撲を取っていた事実から自明であり、これは今回の問題を考えるときに重要な事実であり相撲協会全体が猛省しなければいけない。
また品格の低い横綱を許しているのも、あるいは一部週刊誌が報じた新たな八百長問題も貴乃花親方の行動を隠れ蓑にうやむやにしようとしている姿が今回の処分から見えてくる。
原因と結果を見る限り何らかの処分は仕方が無いにしても、貴乃花親方の無言の訴えを取り上げようとしなかった相撲協会は、今後も闇を抱えたままになった。健全な組織ならば、この様な場合に大岡裁きのような結末にしただろう。
組織がその組織で決めたルールに則り、厳格に運用されるのは当然である。しかし、組織を動かしているのが人間である限り、その厳格さが組織の命取りとなる場合がある。すなわち、人間の誠実な行動を保証できる完璧なルールなど決めることができないからである。
逆に不誠実な人間がルールを悪用する場合すら起こりうる。今回の相撲協会の対応でそれがあからさまに出た。すなわち貴乃花親方が理事として組織に協力していないという情景がマスコミに幾度となく登場している。
FAXでも構わない一枚の書類を複数の協会の人間が親方の自宅にわざわざ届けるという滑稽なパフォーマンスまで相撲協会はやっている。大きな元関取が集団で親方の家に行けば、秘密の行動であったとしても衆目の注目を集めるのは避けられない。その目的が丸見えのパフォーマンスであり、それら協会の行動がなされたうえでの今回の処分であることを国民は理解しなければいけない。
危機管理委員会の存在には「?」がつく。国民はこのような判断を通して、それぞれの役割を演じている人たちの人格を学んでゆく。肩書が立派でも、どうしようもない人がいるのだ。
組織というものは哀れである。内部に潜む癌を正そうという動きがあったとしても組織を運営している人物が不誠実であれば、その組織は崩壊への道を歩んでしまう。かつてのオリンパスや今の東芝、そして相撲協会の状況は、ドラッカーがその著書で誠実な人間をリーダーに据える重要性を訴えていたことを改めて想起させる。来年1月4日の評議員会が健全な見解を述べるのか、その存在をお飾りとするような見解を述べるのか、どちらだろうか。委員長は池坊さんである。
(注)貴乃花親方の行動は、誠実ではあるが大人げない。このような人物を指導したり助ける役割の人物がいない組織の問題も考えなければいけない。ドラマ「半沢直樹」には、そのような人物が登場していたが、世の中の組織はそのような組織ばかりではない。また、ゴム会社のような優れた人材を輩出している組織でさえ、身の丈以上の会社を買収した異常事態ではおかしなことが起きてしまう。大人の誠実さが組織で生きてゆくには求められる。
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中間転写ベルトの処方は、PPSと6ナイロン、カーボン2種の単純な構成だった。これを、外部のR社が二軸混練機で混練してペレット形状で写真会社へ納入していた。
形式知に反せず、PPSと6ナイロンは相分離しており、その島相が巨大化しないように6ナイロンの添加量は設計されていた。また、カーボンを2種類使用していたのは、抵抗安定化のため、という説明だった。
業務を引き継ぐときには、この処方がすでに確定した処方であり、製品化に向けて処方変更は不可能なところまで開発ステージは進んでいた。
さらに、パーコレーション転移の制御を行なわなければいけないのに、6ナイロンの島相が活かされていないところが気にいらなかった。また、カーボンを2種類使用しているところは、当方の経験知から意味不明だった。
コンパウンド設計の視点で、当時のペレットの高次構造は、「適当な処方をただ混ぜてできた構造」であり、そこに工夫の痕跡は無かった。しかし、外部のコンパウンダーは、いろいろ工夫した結果だという。
形式知の観点からいろいろと説明してくれたが、ペレットの高次構造の見た目が悪ければ、設計されていないのと同じである。今、お見合いはあまり歓迎されていないが、いくら肩書きがよくても見てくれが悪ければ、その段階で躊躇するはずだ。
技術開発も同様で、形式知の観点からいくら妥当性があったとしても、高次構造の見た目が悪ければ、まず疑問を持たなければいけない。これは樹脂補強ゴムを開発したときの経験知である。
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科学的方法による技術開発は日本中で行われている。ここでは科学誕生以前から行われてきた”かもしれない”技術開発のやり方をPPS中間転写べルトの開発を事例に説明したい。
まず、開発目標(ゴール)を明確に具体化する。業務を引き継いだ時に言われたゴールは、「押出成形で問題になっているウェルド部の表面比抵抗の偏差を小さくすること」だった。
タグチメソッドをここで使用するならば、基本機能をベルトの抵抗にして、電圧と電流の動特性を用い開発を進めることになるのだが、残念なことに、業務を引き継いだ時のシステムに対して、タグチメソッドを使っても、せいぜい歩留まりを数%改善できる成果しか得られない状況だった。
一人前の技術者ならば、何が何でもすぐにタグチメソッドを使う、というような愚を行ってはいけない。
タグチメソッドは良い方法だが、使用するタイミングが悪いと、十分な成果を出せない場合がある。例えばシステムが悪い時である。システムに問題がある場合には、いくら最適化を行っても満足な結果は得られない。
ところが故田口先生は、システム選択は技術者の責任、と言い残されて他界している。目の前のシステムがよいシステムか悪いシステムかを判断する方法を遺言で残しておいてほしかった。3年ほど田口先生に直接ご指導いただいたが、システム選択は技術者の責任という姿勢を変えられなかった。
それでは、良いシステムをどのように選んだらよいのか、あるいはどのように組み上げたらよいのだろうか。当方が行っている方法は、自分の経験知で不足している部分をまず整理し、その不足部分を補う作業から始める。すなわち、自分の知識不足を補う情報調査が大切である。
前任者がすでに情報収集を行っていた場合でも、自分の経験知を基準に、情報調査をやり直すべきである。情報収集を専門に行っている会社があるのでそこに依頼する方法もあるのだが、これはお勧めしない。
すでに開発が進行している段階のテーマを引き継いだ時などでは、前任者の説明を鵜呑みにしてはいけない。その開発が、本当に成功するのかどうかの正しい判断を再度「自分で」下さなければいけない。
だから総花的な情報はあまり役立たない。自分の弱点を補強できる情報こそ必要である。仮に多くの情報が集められている状態でも、それらの情報を自分の知識の弱点を中心に再度整理しなおす努力を惜しんではいけない。特に形式知の視点よりも経験知の視点が優先される。
1年以上ある学術分野の業務を担当した経験があれば、その分野の形式知など身に着けているはずだが、経験知は、実際に経験しなければ身につかない。情報の大半は形式知であるが、経験知の視点でそれらを眺めると、仮に科学的に書かれた論文でさえも不思議な論文というものがある。
PPS中間転写ベルトの開発では、PPSに関する情報やそのコンパウンディングに関する情報(注)を収集整理した。また、不思議に感じた論文の著者である大学の先生2名にヒアリングも行っている。ただし、これらは、単身赴任前に実施している。(サラリーマン技術者の心得として、異動が決まったら移動先の仕事について、知識を整理しておくことは常識である。赴任してから勉強している人が多いが、「働く」という視点でみるとそれは間違っている。)
この時、樹脂の配合設計の考え方とゴムの配合設計の考え方に違いのあることが分かった。ゴムの配合設計では、必ずプロセス因子も取り込むが、樹脂で配合設計と言えば単に組成の設計のような考え方である。また、賦形プロセスに関する考え方もゴムと樹脂で微妙に異なっていた。
(注)樹脂のコンパウンディング技術は、この時が初体験であり、外部業者から「素人は黙っとれ」とまで言われたぐらいである。だから単身赴任してからも徹底して情報収集した。その道の専門家にもヒアリングしたり、自費でセミナーに参加したりしている。そして、コンパウンド工場を設計できるまで形式知や経験知の吸収とその整理に努めた。こうした活動ができたのも、単身赴任前に窓際族だったからである。50過ぎて、豊富な自由時間と給与をもらえる窓際は、ある意味で特権である。これを無駄にしてはいけない。給与を自分に投資するのである。成果は奪われたりするが、身につけた知識を誰も奪うことはできない。
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構造化プログラミングのパラダイムまでは、いくら教科書にプログラム設計が重要と説明されていたとしても、日曜プログラマーとして作成するA4で50枚程度の数値計算やシミュレーションのプログラムならば、わざわざ設計しているよりもプログラムを書いてしまった方が早い。
Cでコーディングされたパーコレーション転移のシミュレーションプログラムは、ヘッダーも含めてすべてをプリントアウトするとA4で40ページほどになるが、それを作るために、わざわざプログラミング設計などしていない。
頭の中で描かれたコンピューターへ送る命令を構造化して考えることは、それほど難しい作業ではなく、小説家が小説を書くよりも易しい作業である。不特定多数の読者に感動を与えるような表現にする必要はなく、自分で後から読みやすくする工夫だけでよい。
しかし、オブジェクト指向のパラダイムになってくると、コンピューターへの命令という視点ではなく、自分が解きたい問題(これが一つのオブジェクト)に着目し、その問題を解くための道具=部品のようなもの(これは他のオブジェクト)を考えて行く、というステップをとる。
オブジェクト指向とは、コンピューターへの命令など忘れて問題解決するのに容易な手順を考えてプログラミングするためのパラダイムなのだ。
換言すれば、問題解決に必要な各要素的課題をオブジェクトとして設計してゆき、その課題がどうふるまったら問題解決できるのか試行錯誤しながら、プログラムを組んで行くような手順となる。ゆえに問題解決を思索する部分、すなわちプログラム設計が重要になってくる。
残念ながら現在販売されているプログラミング関係の書籍で、オブジェクト指向というものをここまで明解に説明している教科書を見たことがない。
その教科書は、オブジェクト指向のパラダイムで必要とされる用語説明のオンパレードでプログラム設計が語られて行く。その結果、専門外にはちんぷんかんぷんとなる。
そのうえ、情報工学の立場からオブジェクト指向の考え出された背景が描かれる。すなわち、プログラム開発が多数の人間でプロジェクトを組んだ時に開発しやすくするために考え出された、と説明されている。
このパラダイムを考え出した人はそうだったかもしれないが、オブジェクト指向の言語の仕様を考察する過程で、その後に先に書いたような擬人化の思想や問題解決手法なども関係することに気がついたであろうと思われる。
このメリットに着眼した方がイノベーションの視点でわかりやすい。すなわち、オブジェクト指向とは、コンピューターの本来の使い方である問題解決の視点で考え出されたプログラミングパラダイムである。
前向きに行う科学的推論とは逆にオブジェクト(問題のゴールでもある)を追求するというパラダイムは効率的な問題解決の手法を提供している。そして、このパラダイムの発明により逆向きの推論を行うエージェント指向が考え出され、人工知能の飛躍的発展を生み出した、と当方はプログラミングパラダイムの変革を捉えている。
蛇足だが、難解な情報工学の教科書のおかげでオブジェクト指向と格闘しなければならなかった30数年前に新しい問題解決法を生み出した。この問題解決法のおかげで、有機合成化学が専門だった当方が高純度SiCの発明をおこなったり、その後セラミックスの専門家になってから転職先で高分子技術開発を担当しても多くの発明を行うことが可能となった。
会社の業務として研究開発を行うときには専門能力など不要であり、オブジェクト指向的な思考力こそ重要(注)である。何故なら、企業で行うべき研究開発とは市場でイノベーションという振る舞いをするオブジェクトの最適設計だからである。
(注)だからといって、USITが優れた問題解決法とは思わない。USITの手法説明は、まさに難解な情報工学の教科書そのものだ。おそらくUSITを考案した人もオブジェクト指向に感化された可能性がある。
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CPUに仕事をさせるためには、CPUが理解できる機械語(2進数の符号の組み合わせ)で書かれたプログラムが必要である。LEDを点灯させる簡単なプログラムならば、機械語のプログラムを直接入力することも可能だが、機械語は人間には理解しにくい。
2進数の塊を少しは人間に分かりやすい記号に置き換えたのが、アセンブラーと呼ばれるプログラム言語である。ただ、アセンブラーは機械語に近いのでやはり人間には扱いにくい。
もう少し人間に分かりやすい(これを高級という)言語が必要である。そこで考え出されたのがFORTRUNやBASICなどの高級言語である。
高級言語で書かれたプログラムは、当然CPUには理解できないので、これをCPUに理解可能な機械語に翻訳するソフトウェアーが必要となる。それがコンパイラー(プログラム翻訳ソフトウェアー)だ。
このとき、書かれた長いプログラムを一度にコンパイルする方法と、一行づつ翻訳する方法とがあり、後者をインタープリターと呼ぶ。
30年以上前の情報工学の教科書をひもとくと、高級言語にはコンパイラーとインタープリターの2種類があり、前者はFORTRUNで後者はBASICだという解説が並ぶ。すでにBASICコンパイラーが登場していてもである。
今はこのような分類はされていない。さらに込み入った話をすれば、コンパイルするときにいきなり機械語に翻訳しないで、一度中間言語にコンパイルしてから、中間言語をインタープリターで実行する形態もある。
ゆえにコンピューター言語を分類するときにコンパイラーとインタープリターという分類は、今ではほとんど見なくなった。むしろ昔存在しなかった、様々なプログラム手法で分類される。
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MZ80Kは、極めて単純な仕組みだった。すなわちコンピュータの心臓部分CPU(Z80)とトランジスターでできたメモリー、外部メモリーとしてのテープレコーダー、情報出力装置としてのCRT、情報入力装置であるキーボードが一体となっていた。
Z80は、8086互換の8ビットCPUで、動作周波数は2MHzという現在のCPUと比較したならば、赤ん坊と成人ぐらいの差がある性能だった。このような貧弱な性能だったので、専門外の技術者にも理解しやすかった。CPU内部にもレジスターと呼ばれるメモリーが存在し、このレジスターの操作もプログラムで容易にできた。
MZ80Kの電源をいれると、CRTにハードウェアーの情報が少し表示されて、そのあと動作が止まる。すなわち、本体にはテープレコーダーからプログラムをロードするためのモニタープログラムが入っているだけで、テープレコーダーに必要とされるソフトウェアーの入ったカセットテープをセットしない限り、何もできない。
テープレコーダーにインベーダーゲームのテープをセットすると、ロードが始まり、内部のメモリーにプログラムが入ってゆく。そしてすべてプログラムがロードされるとゲームが始まる。
BASIC言語のプログラミングをしたいならば、BASICのシステムプログラムの入ったカセットテープをセットするとオペレーティングシステムとしてBASICのシステムプログラムが内部メモリーにロードされる。そしてロードが完了するとBASICプログラムを作成できるようになる。
すなわち、コンピューターは、CPUが読み取ることが可能なメモリーにプログラムがロードされない限り、何もできないのだ。また、そのプログラムもCPUが理解できるON-OFFの信号を組み合わせた機械語で書かれていない限り、CPUはそれらを読み取り仕事をすることができない。
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日馬富士問題に結論を出した日本相撲協会だが、貴乃花親方に対する批判が噴出している。好意的だったお昼のワイドショーのコメンテーターまで彼に対して批判を始めた。今回の一連の動きの中で、彼のとった行動と態度は、日本相撲協会から「非難に値する」と言われたように、組織人として確かに不適切だった。
ただし、これは表に現れた行動からの判断である。コメンテーターの中には、「もし、改革を望むなら、最初にその意見を明確に言うべきだ。」という人まで現れた。これは貴乃花親方が組織人として十分な訓練を受けており経験豊富なマネージャーだったなら、批判として妥当かもしれない。
しかし、彼のキャリアを見れば、今回の事件のマネジメントにおいて、とても一般企業の管理職のような判断と行動を期待できない。横綱を勤めたからと言っても組織人として優秀になれるわけではない(逆に、一般企業の管理職経験者で理事を編成したとしても相撲道を次の世代に伝えることができるかどうか疑問である。今回はこのような問題が露見した、と思っている。)。
また、日本相撲協会の役員も、コンプライアンスに順守した判断ができていたなら、今回のような大事件に発展せず、粛々と日馬富士に引退勧告をして、先の場所で何らかの謝罪をしていただろう。さらには、平手打ちやかちあげを平然と行う白鵬の情けない横綱相撲を放置していないだろう。
おそらく貴乃花親方は、信頼できない協会幹部との人間関係の中で、自分の理想とする相撲道と相撲界のあるべき姿で悩み、思考停止になっていたのではないか。今回の事件で、再発防止のため少し見直さなければいけないのは、日本相撲協会の役員をサポートしている危機管理委員会や横綱審議会の役割である。
もし、日本相撲協会役員の面々が、まっとうなマネジメントができないとわかったなら、サポート組織は積極的にアドバイスをしなければいけない。今回の場合、貴乃花親方の信頼が得られるどなたかがいて、彼に誠実なアドバイスをしていたなら、もう少し展開が変わっていたのではないか(すなわちサポート組織のメンバーが妥当かどうか、と疑問を持っている。今批判をされるべきは、評論家のようなサポート組織ではないか。)。
日本相撲協会も例外ではなく、組織の運営は、支配ー被支配関係ではなく信頼関係を前提にしなければいけない。上下関係を示す役割名は責任や権限の所在であって、それは支配のためではない。恐らく、相撲道に反する横綱を放置するだけでなくモンゴル勢も含めて甘やかしている協会役員を貴乃花親方は信頼できなかったのだろう。
暴力追放が厳しく社会から求められているのに、暴力事件の張本人だけでなくそれを見ていた横綱までも素知らぬ顔で本場所で相撲を取っている状況を見た貴乃花親方は、大きなショックを受けて思考停止になったのかもしれない。
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小規模のプログラムならば、コンピューターへの命令文を順に書き連ねた形式でも後から読み返すのに苦痛を感じないかもしれない。しかし、これが大規模になってくると大変な作業になる。これは、「カラマーゾフの兄弟」を読むのに読解力よりも忍耐力が要求されることを経験していると、容易に理解できる。
読み返すのに大変、ということは、プログラムに潜む誤りを見つけることが困難になることを意味する。そこで、構造化プログラミングという手法が考案され、Cが登場している。
Cが登場した時には、BASICよりも難しい、と言われたが、初めてCに触れたときに、BASICよりもルールが少なくてわかりやすい言語と感じた。プログラム仕様を理解すれば、予約後が少なく、使い慣れるまでBASICよりも容易だった。
この、プログラムの構造化という手法は、プログラムを学ぶ側にとって一つの制約となるが、オブジェクト指向という概念の制約よりも遙かに理解しやすく、その制約に慣れれば、後から読みやすいプログラム、バグ取りしやすいプログラムを書ける恩恵が得られるのでありがたかった。
また、BASICやFORTRANでも構造化手法で書くことができ、さらにこの構造化プログラミングのパラダイムでも、教科書に書かれているようなフローチャートなど事前に作成しなくても科学計算プログラム程度ならばそのまま書き上げることができ、それなりに使いやすかった。
ド素人の立場から見ると、情報工学の教科書は特殊に見える。恐らく専門外の教科書は、皆そういうものかもしれない。しかし、理解が進むにつれて、自分で書いた方がわかりやすいのではないか、と思えてしまうのは、情報工学だけである。例えば量子力学の教科書など、とてもそのような気分にはなれない。
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昨日日馬富士問題に関して日本相撲協会の結論が発表された。そこには危機管理委員会の報告書と貴乃花親方の報告書が出されていたが、後者には触れずじまいだった。ニュースでは、理事会が貴乃花親方の意見を封じ込めるためと報道されていたので、そこに書かれていた内容が気にかかる。
相撲協会の様子は、昨日の午後以降のニュース番組で毎回取り上げられていたのでここでは概要を特に書かないが、貴乃花親方の報告書について触れたニュースは、何故か少なかった。
ニュース番組で一つの事件が同じように取り扱われているならば、ニュース内容を疑問に感じないが、しばしば各局各新聞の報道姿勢がニュース内容に現れたりする。
ゆえに貴乃花親方の報告書について今回の扱いは、いろいろの憶測を呼ぶのではないか。
組織人として見たときに、貴乃花親方の一連の行動は許されるものではない。どこか稚拙である。しかし、彼の意固地ともとれる今回の行動で、本来の下されるべき判断が出たのではないか。
あたかも裸の王様のような展開ともとれる行動であるが、組織問題については、しばしば彼のような「迷惑な行動や判断」が、組織を正しい方向に導くことがある。おそらく貴乃花親方の組織人としての処分は軽くなるのかもしれない。
この騒動の間に白鵬を頂点としたモンゴル人力士の八百長問題を報じた週刊誌もある。もしこの報道内容が真実ならば、白鵬の優勝回数に傷がつく。
一方で今回今場所の白鵬の取り組みについて相撲協会から非難の意見が出されたが、今場所だけではない。当方の記憶には横綱になったときから横綱らしからぬ取り組みはあった。それが最近増えてきただけである。
彼は、昨日のインタビューで「二人の自分がいる」と語っていたが、その二人とも誠実さが欠けている。彼の行動や発言には、強ければよい、自分さえよければよい、というところが時々見え隠れする。
横綱に国民が期待しているのは、強さだけでなくそれに裏打ちされた誠実な優しさである。力のある人が誠実に優しく社会に貢献してくれたならば、社会はきっとよくなるというのは庶民の願望である。
八百長相撲に横綱の品格など貴の岩の暴行事件で隠れていた問題が浮かび上がってきたが、貴乃花親方の報告書にはもっと凄いことが書かれているのかもしれない。何が書かれていたのか、読んでみたい。
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