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2016.03/22 竹とんぼ

昨日竹とんぼの話を書いたが、20年近く前タグチメソッドが日本で普及し始めたときに、品質工学フォーラムという雑誌が刊行された。その数号めかに竹とんぼの飛距離安定化をタグチメソッドで行う、という記事があった。
 
故田口先生に直接ご指導していただいていたので創刊号から数年とっていたが、起業した時に処分したため読み返すことができない。国会図書館でも行きたいと思ったが月曜日は休日だった。世間も休み。本日、朝起きて今週忙しくて行けないことに気が付き、こうして思い出しながら書くことにした。
 
品質工学フォーラムに書かれた座談会風の記事の内容は、こうだった。すなわちタグチメソッドの定番となる基本機能を何にするかの議論があって、そしてその基本機能の制御因子を議論し、誤差因子として多数あるので調合誤差因子として使用してSN比を求め、ラテン方格を用いた実験で各制御因子の水準とSN比の関係をグラフ化した。
 
得られたグラフから最適条件を求め、確認実験を行ったところ、飛距離が伸びなかった、という内容だった。そして結論が基本機能は難しい、という感想が書かれていた。その記事として基本機能の選択の重要性を言いたかったのだろうか、タグチメソッドが難しい、ということを言いたかったのか、主旨のよくわからない記事だったように記憶している。
 
ただ、NHK放送の番組のように、竹とんぼを回転して飛ばす機械や、風の影響を配慮して体育館の中で行ったりしはしていない。誤差因子がいっぱいの状態で雑誌の実験は行われていた。
 
「凄技」における科学対決の時にそのあたりの解説もしていたが、それによれば品質工学フォーラムの記事において誤差因子が十分に選ばれていなかった影響が大きく、これが原因で確認実験においてよい結果とならなかったと推定される。タグチメソッドでは、因子の選択は極めて重要な作業で、この作業において実践知がものをいいう。
 
故田口先生は科学に拘り、タグチメソッドを科学の世界で語ろうとされていたように感じたが、弊社で指導するタグチメソッドは形式知だけでなく実践知や暗黙知も総動員する。すなわちタグチメソッドをあくまでも技術開発のツールとして指導している。
 
少し話がずれたが、竹とんぼおじさんの試行錯誤で手作りによる竹とんぼが、科学の英知を集めた竹とんぼや、科学の世界で実施されたタグチメソッドで最適化された竹とんぼよりも遠くへ長時間飛んだという話を世の技術者は注目したほうが良い。
 
科学は真理を追究するのが使命であるが、技術は自然界から機能を取り出しそれを製品に組み入れる行為である。それぞれのミッションは異なり、メーカーの技術者は技術開発を行っているのだ。科学の研究も大切だが、技術開発しなければ飯の食いあげである。
 
だからと言って、ヤマカンを頼りに技術開発を行っていては駄目である。ファーガソンの「技術屋の心眼」に書かれていたように、カンにも働かせ方(注)があり、経験にも伝承の仕方がある。形式知はやがてAIでどこでも同じ成果を出せるようになるばかりか、形式知で組み立てられた部品は簡単にリベールされてしまう。しかし、暗黙知と実践知により創りだされた部品は容易に他社がまねできない技術の成果となる。もちろんそこには形式知である科学の成果も造り込まれている。
 
この意見にご興味のある方は弊社へお問い合わせください。
 
(注)E.S.ファーガソンは、その著書の中で「心眼」の働かせ方を書いている。科学では説明がつかないが、日々の営みの蓄積から暗黙知は形成され、科学的に見れば不思議ではないが、何となく奇妙だと思う現象でその知は機能する。20世紀にはロジカルシンキングがもてはやされた。確かにロジックは重要であるが、すべてをロジックで語り満足していないだろうか。ロジックが、他の可能性を排除している、というパラドックスに気がつくとこの暗黙知の働かせ方の理解が進む。科学の世界で起きたSTAP細胞の事件は、暗黙知と形式知の闘争と捉えることもでき、その闘争の中で形式知の権威が自殺に追い込まれた。その自殺の原因が責任感だけで無いことは、理研の幹部もご存じのことである。「あの日」にも書かれているが、小説家の方がもう少しこのあたりをフィクションでクリアに表現されると21世紀に日本が目指さなければいけない技術開発の方向が見えてくるはずだ。弊社「未来技術研究所」(www.miragiken.com)では、STAP細胞の事件について時計を止めたままにしている。弊社の科学と技術に対する姿勢については、この研究所の活動日誌にある「科学と技術」をご一読ください。「コロンボとホームズの対決」において、コロンボは技術の象徴であり、ホームズは科学の象徴として表現しています。

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2016.03/21 土曜日のNHK「凄技」

19日土曜日NHK「凄技」が凄かったらしい。らしい、と書いたのは自分が見ていなかったからだ。ただ番組を見ていた家族の話から、相当に感動的で凄かったようだ。当方は手紙を書いていたので見落としたが、昨日聞いた家族の話をもとに感想を書いてみる。家族の話だけでも感動的だった。
 
内容は、以前放送された「竹とんぼ対決」の結果に挑戦した職人の話である。こちらは見ていたが、長時間飛ぶ竹とんぼの科学技術による対決だった。この対決では科学的シミュレーションにより導き出された結果を用いて作成された竹とんぼが、14秒台で勝った。
 
この番組の結果に、竹とんぼおじさんが挑戦状をたたきつけた、というのが土曜日の放送だったらしい。竹とんぼおじさんというのは、建築関係の職人で家庭の事情があって竹とんぼを作り始め、ブーメランのように戻ってくる竹とんぼを発明した人である。
 
家族の話す家庭の事情も感動的だったが、試行錯誤で手作業で作った竹とんぼが16秒台も飛び続け、科学技術を集結して創り上げた独創の竹とんぼの記録を2秒も塗り替えたのは、記録を聞いただけでも超感動モノである。
 
そこには、矛盾(ホコタテ)で問題になった「やらせ」の入る余地は無い。竹とんぼを機械で飛ばしているからだ。すなわち科学対決で行われた条件とすべて科学的に同じ条件で対決した結果だそうだ。
 
科学こそ人類を救う、と声高に言われ、科学的方法やロジカルシンキングがもてはやされたのは20世紀の社会風潮だが、当方はその科学的方法論やロジカルシンキングの弊害で現場型技術が軽視される状態を懸念していた。技術は人類が誕生して以来、その営みの中で行為として深化と進化をし続けている。
 
そして、現代の科学を集結しても解き明かせない技術が存在する。20世紀は「やがて解き明かされる」と勢いがあったが、最近はSTAP細胞のように醜態を見せる場面が多い。技術と科学はその究極の目的が異なるので、科学で解き明かせない技術も存在するのである。
 
土曜日の番組はその一例だろうと想像するが、家族が職人と呼んでいたのは、もはや技術者だ。職人と呼ばれる人たちの中には、技術者と分類すべき人たちがいる。それも高学歴を持った技術者よりも凄腕の技術者である。弊社では技術のコンサルティングを行っていますが、科学についてもご指導いたします。

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2016.03/20 文化の融合

オリエンタルラジオのダンスユニットによる「パーフェクトヒューマン」という歌が話題になっている。先週ミュージックステーションでトリとして歌われたこともあって今週この話題がネットに多かった。
 
面白いのはなぜこの歌がヒットしたのかを解説している記事である。そしてそれらの記事によれば、お笑いと歌との垣根を無くした革新的なところだそうだ。どこが革新的なのかはそれぞれの記事を読んでいただきたいが、記事を読んでいて気がついたのは、文化の融合でも材料の相変化と似ていて、例えば界面の存在とかそれが無くなったときなどに新しさが生まれる点である。
 
音楽の世界でクロスオーバーとかフュージョンと言う言葉で「異分野の融合」が話題となったのは1970年代からで、ジャズとロック、あるいはジャズとポップスなど様々な分野の融合が行われ、現在に至っている。
 
かつては音楽状況そのままを番組名にした「クロスオーバーイレブン」というFM放送も存在した。その番組では、グローバーワシントンJr.やジョーサンプルと行った面々の、まさに異分野の融合した新しいヒット曲が演奏されていた。こうした50年近くにわたる異分野の融合が重なりカオス的な音楽が最近のヒットの傾向としてあるような気がしている。
 
材料の世界でもそうだが、単一材料で様々な要求品質に対応できなくて合金とかポリマーアロイとかブレンドされた材料が生まれ技術開発の幅が広がった。ゴムの世界では100年以上前から混ぜることが技術の根幹にあった。
 
このような融合により新しい物を産み出す努力は文化よりも技術の世界が古いのかと思っていたら、友人からそれぞれの民族音楽が融合して現在の音楽のジャンルが形成された話を聞かされ、「混ぜて新しい物を産み出す」技術は、人間が昔から心がけてきた自然の行為のようだ。
 
高分子のスピノーダル分解は二成分のポリマーが相容した状態から濃度のゆらぎが生じ、相分離してゆく過程だが、文化についても一度融合が起こり、それがまた分離してゆく過程において新しい芸能が誕生するのかもしれない。
 
しかし、歌って踊るオリラジが新鮮と思っている若い人は一度三河万歳を見て欲しい。演奏しながら歌って踊る巧みなキレを作らないその芸は、一つの文化として完成されていると思う。三河万歳が家に来るとその一年は幸せになりそうな気がした。しかしその風習は今や消滅し、お正月の風景も様変わりした。今年のお正月は、年末との界面が無くなり、それと気がつかないままに過ぎ去った。梅の香りに刺激され散歩をしてみたら、もう桜の咲く季節である。
 

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2016.03/19 時間のトリック

ヒト、モノ、カネは重要な経営資源であるが、ドラッカーはこの3つに加え、時間を他の経営資源と異なり取り返しのつかない重要な資源と位置づけている。そして時間については他人に奪われる性質の資源であることも書き添えている。
 
これは大切な指摘であり、弊社の問題解決法でも時間の魔術を取り上げている。一例を挙げれば、最初から計画倒れになる計画を立てる人などいないが、なぜか計画はいつでも守られない、あるいは守れない。
 
計画倒れが日常化すると、計画とはそういうモノだと感じて守れないことが常態化する。こうなったときにいくら計画遵守を叫んでみても回復は不可能である。これは悪い習慣が身についてしまったからで、良い習慣に置き換えない限り修復不可能と悟るべきである。
 
それでは良い習慣とはどのような習慣なのか。それは計画前倒しの習慣である。この習慣を身につけると、仕事をスピードアップできるだけでなく、他人に取られる時間を気にしなくても良くなる。もちろん計画倒れも無くなり、必ずゴール達成が可能となる。
 
それではどのように時間前倒しを行うのか、それはルール化であるが詳細は弊社へ問い合わせていただきたい。しかし、今週新たな時間の魔術を発見した。それは、ある会社に依頼されたプレゼンテーションの場で見つけたのだが、ウサギとカメの魔法である。
 
依頼された仕事は新たに資料を作る必要があり、当方の習慣で依頼されてすぐに着手した。他の業務もあったが優先して仕上げた理由は、時間前倒しのルールの一つを実行したからだ。しかし、これが失敗の始まりだった。
 
「事前の練習では40分程度で終わった。自分の体験を語るだけなので当日ゆっくり話せば時間調整可能でたった1時間の講演である。」というウサギとカメの魔法にかかった。簡単にできる時間調整ほど油断してはいけないのである。そこに油断が生まれ、結局予定通り出来ないことに気づき焦ることになる。
 
この時の焦りは、まさにウサギと同じでゴールを敗者として意識することから生まれる。ゴール際のカメを見つけたウサギは、自分の慢心で負けた悔しさを味わうことになる。この場合にウサギと同じ気持ちになるとだめなのだが、今週まさにウサギと同じ状態になったのだ。しかし、ウサギとカメの魔法の発見で新たな時間のルールを見いだした。
 
この場合、カメに負けた悔しさを意識してはダメなのである。魔法を抜け出す唯一の方法は、あっさり負けを認め、カメに頭を下げる、すなわち時間の延長を自らお願いすることなのだ(弊社の問題解決法では自分のゴールを設定する、というルールがあり、このルールでも対応可能だが、ウサギとカメの魔法は特殊なケースとして取り上げた方が良いとこの時学んだ)。このような行動は分かっていても、魔法にかかるとだめである。魔法にかからないようにするためには、この魔法の存在を知ることと、それに備える習慣を身につける以外に無い。
 

カテゴリー : 一般

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2016.03/18 配合設計と混練に関する講演会

この3年間、弊社が中国で活動してきました成果を踏まえ、5月までに3件ほど混練技術に関する講演会を開催致します。いずれも異なるセミナー会社の主催で行われますが、申し込みは弊社にしていただきたくご案内をさせていただきます。
 
特に、4月と5月開催の講演会につきましては、今期の予算で処理できないですが、弊社に申し込みいただければ、「DL版高分子のツボ」を購入していただく領収書を発行するとともに、電子書籍をDL可能なパスワードをお知らせ致します。これは、その付録として参加証を付けさせていただく形態の販売であり、期末の経理処理が可能です。是非ご利用ください。
 
お申し込みは、弊社インフォメーションルームへお問い合わせください。詳細のご案内を電子メールにてさせていただきます。
 
 
1.混練技術のトラブル対策に関する講演会

(1)日時 4月21日  10時30分-16時まで

(2)場所:高砂ビル 2F CMC+AndTech FORUM セミナールーム【東京・千代田区】

(3)参加費:27,000円

(4)http://ec.techzone.jp/products/detail.php?product_id=4152

 
2.混練の経験知を伝承する講演会

(1)日時 5月19日  10時30分-16時まで

(2)場所:江東区産業会館  第1会議室

(3)参加費:49,980円(税込)

(4)https://www.rdsc.co.jp/seminar/160522

カテゴリー : 学会講習会情報

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2016.03/17 備忘録:高分子の相溶(3)

二種の高分子が相溶し単一相を形成するための熱力学的必要条件は、混合のギブス自由エネルギーΔG<0すなわち負となることである。格子モデルでは、各格子に高分子のセグメントをあてはめこの条件でχパラメーターを定義し議論をしている。
 
詳細な議論は教科書を読んでいただきたいが、ここで注意をしなければいけないのは、この議論は平衡における議論である、という点だ。実務のプロセスで熱力学的平衡状態を維持することは難しいし、その状態で物質を創り出すことも困難だ。
 
ただ、この理論から二成分の高分子のそれぞれのセグメントで構成されたコポリマーを相溶化剤として用いてポリマーアロイを製造するアイデアが生まれ、多くのポリマーアロイが実用化されている。ゆえにフローリー・ハギンズ理論は実用的にもその理解が大切な理論の一つだが、二次元格子に二種のポリマーを押し込んで議論している荒っぽい理論であることを忘れてはいけない。
 
例えば、χが負にならない二種のポリマーの組み合わせでも条件が整えば相溶でき、透明にすることも可能である。三井化学のアペルというポリオレフィン樹脂があるがこの樹脂とポリスチレン(PS)を相溶させて透明にした経験がある。
 
なぜこの組み合わせを選んだのか。分子モデルを組み立てて遊んでいるときに閃いたのである。学生時代に有機合成を専攻していたので、当時アルバイトで稼いだお金で高い分子モデルを購入した。野依先生が不斉合成に成功し、名古屋大学の教授になられた時代のことで、合成反応を考えるときに分子モデルをよく使った。
 
当初講座で解放されていたモデル部品を使用していたが、自分専用の分子モデルが欲しくなり購入した。少し贅沢だったが、社会人になり捨てるのももったいないし、4年時に在籍した講座も廃止され寄付する先も無くなったので、時々遊びで使っていた。
 
アペルという樹脂のモデルを作って眺めていたらPSがすっぽり入って安定になりそうな形になった。もしかしたら、と思いアペルとPSを混練したところ白濁したポリマーブレンドが得られたが、DSCや粘弾性測定を行ったところ、一部相溶していそうな挙動が見られた。
 
そこで様々な条件でPSを重合し、16番目に得られたPS(少しPEが入ったコポリマー)をアペルに混合したところ透明なポリマーアロイが得られた。DSCや粘弾性の結果も相溶していることを示す結果が得られていた。
 
このように高分子の相溶は、コンフォメーションの一致でも起きることがあり、単純に一次構造の類似性だけで判断していると実用上は片手落ちである。コンフォメーションの効果はχのエントロピーとして効いている可能性があるので、相溶を考える場合には分子モデルで3次元的に問題をとらえることは有効である。

カテゴリー : 高分子

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2016.03/16 企画を実現するために(続編)

「企画を実現するために」と題して、当方の体験をもとに企画という業務について連続してこの欄で書きましたところ質問がきました。個人を特定できるような情報を書きますとまずいので、質問の要点だけ書きます。質問内容は「事業部門における企画では、人間関係論は不要ではないか」、すなわち「事業目的が明確なので企画内容に人間関係の影響は出ないのではないか」という質問でした。
 
方針管理が徹底し、方針に基づく企画を行う限り、当方が書きましたような問題が起きないかもしれません。特に製品の組み立てを中心に行っているメーカーでは、ロードマップが社内で公開され、そのロードマップからブレイクダウンされて作られる技術企画では、企画内容はすんなり周囲に共有化されるでしょう。
 
しかし、当方が中間転写ベルト用コンパウンドの内製化企画を立案しましたときに、最初に立案していた企画を誰にも見せませんでした。それはコンパウンド内製化企画という内容ではコンパウンドの基盤技術の無い会社で認められないばかりか、反発をされる場合も想定されたからです(注1)。
 
一度周囲にダメだしをされた企画は、ほとぼりが冷めてから再提案しない限り、受け入れてもらえません。そこで最初は、外部のコンパウンドメーカーに企画内容を説明し、新たな混練技術でコンパウンドを製造してもらえるように働きかけを行っております。
 
外部のコンパウンドメーカーが当方の提案を受け入れてくださっていたら、子会社でコンパウンドのプラントを慌てて建設するような仕事のやり方を進めていなかったと思います。しかし、外部のコンパウンドメーカーは、「コンパウンドに技術的な問題は無く、あくまでも押出成形技術に問題がある。」という立場を変えませんでした。
 
かつてゴム会社の現場で学んだ、当方の実践知(経験知)では、「押出成形は行ってこいの世界」すなわちコンパウンドの性質がそのまま成形体に現れてしまうプロセシングです。押出成形技術のあるべき姿として、成形体物性の問題をコンパウンド技術までさかのぼり解決するのは当然のことだったのです。
 
そのコンパウンドメーカーは6年の開発期間で選択されてきたメーカーであり、そのメーカーとの調整が難しかったので、単身赴任してすぐに担当テーマが失敗する、と結論を出しました。そしてその結論を各部門の管理職と共有化し、対策を考えなければいけませんが、最初に上司であるセンター長に準備していたコンパウンド内製化企画を見せて、相談しています。
 
この時、相談相手としてコンパウンドメーカーの役員クラスと調整する道も残っていました(知財の所属を検討しなければ行けない開発契約は締結まで最低1.5ケ月かかる)。しかし過去の経験から、その道は早々とあきらめました。理由は時間がかかるからです。時間は経営資源としてお金と異なり取り返すことができません。当時中間転写ベルトの量産化めどを周囲の納得する形で完成させるために残された時間は6ケ月を切っておりました。
 
当方の役割として早々と白旗をあげセンター長に相談するのは、管理職として社外調整できない無能な管理職というレッテルを貼られる可能性が高かったですが、現状を正しく理解し残された時間が無いという問題を共有化できる人間関係の対象として直属の上司を選んでおります。
 
相談の結果、センター長の意思決定で「他のカンパニーの子会社からコンパウンドを購入し開発を進める」という企画に変更されました。ゆえにコンパウンド内製化企画は日の目を見ることなく、基盤技術も何も無い中で粛々と子会社でコンパウンド製造ラインの建設を当方が進める事態になりました(注2)。
 
事業目的が明確な環境下の企画であっても、人間関係が仕事の成否を左右することはまれにあります。特に時間という要素がかかわるときに最初の相談者の選択は重要で、その相談者への説明に特化した企画資料は大切です。
 
(注1)どこまでの領域を自社で行うのか、という議論はよくおこる。例えば、コンパウンドはコンパウンドメーカーで行うべきで押出成形技術だけやればよい、という杓子定規の意見である。中間転写ベルトの開発では、開発期間の制約とそれまでの経緯から外部に依頼している、あるいは他のメーカーを探すという選択肢は無くなっていたのである。自前で開発する、というのは難しいとかリスクがあるとか考えがちであるが、情報が容易に入手出来る時代では簡単である。だから技術のコモディティー化の進行速度が速くなっているのである。ヒトモノカネの経営資源さえ調達できれば自前開発が有利な時代になった。中間転写ベルトでは子会社に工場建設を行ったが、このあと担当した環境対応樹脂については、外部に生産を委託している。これは生産量が桁違いに多く設備投資が嵩むためである。現在の情報化時代には、自社で行う領域を杓子定規で即断しない方が良い。
(注2)基盤技術も無い状態で工場建設ができるのか、という質問はナンセンスである。ここはゴム会社で実績のある会社に協力をお願いしている。know whoが重要という原則を実行しただけである。成功するための仕事のやり方については弊社へお問い合わせください。

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2016.03/15 備忘録:高分子の相溶(2)

東京農工大名誉教授秋山三郎先生の著書「エッセンシャルポリマーアロイ」(2012)は、ポリマーアロイを手っ取り早く勉強するためには大変良い本である。なんといっても、「---そしてFloryの格子理論の延長上に相溶性の熱力学が確立されてきた。」と現在完了進行形で書かれている。
 
この表現は、読む人により、「今もその深化に努力が続けられている」あるいは「ほぼ完成した」と意見が分かれるに違いない。この本は、曖昧さの残っているところはそのように丁寧に書いている。当方が学生時代に使っていた教科書よりも謙虚で初学者に誤解を与えない良書である。
 
高分子の相溶は、今も研究が続けられているテーマであり、フローリー・ハギンズ理論におけるχについても議論が行われている。すなわち、未だ学術的に完成した領域ではない、と言うことを技術者は知っておくべきである。
 
ゆえに秋山先生の本の出だしも言葉の整理から入っている。すなわち相溶という現象を表現する言葉も厳密に使われていない(とは本に書かれていないが)と考えた方が良い。換言すれば日本語の論文を読むときでさえその言葉の意味をよく考えなければだめだ、ということである。
 
英文では、miscibility(相溶性)とcompatibility(混和性)は分けて使用されているが、これが日本語になると、両者を相溶性と表現している場合もある。前者は、混合系が単一相を形成する能力であり、後者は非相容性ポリマーブレンドまたはポリマーコンポジットにおいて各成分物質が界面結合をする能力があることを意味している。
 
すなわち、セグメント運動を単位とする狭義の相溶性(miscibility)とミクロ分散構造を示す混和性(compatibility)とはっきり区別しなければいけない。後者は「溶」の「さんずいへん」をとり、相容という用語が用いられたりするが、これは避けるべきだと先の著書にはある。
 
このような厳密な視点で高分子材料を眺めると相溶系はごく限られたポリマーアロイだけになる。一方でミクロ分散構造を見分ける方法は実務上難しく、仮にそれを実施してもコストが高いという問題が生じる。20年ほど前、学会発表のために、ラテックスで製造したミクロ分散構造を某社に依頼してきれいな写真を撮っていただいたが、満足した写真が得られるまで1サンプル200万円ほどかかった。
 
あるコポリマーのラテックスが二種以上のコポリマーの混合物であり、技術的に安定性の悪い多元系コポリマーを製造するよりも、製造安定性の良い二種のラテックスを混合した方が経済性が良い、という結論を導き出すまでに人件費も含め2000万円ほどかかった。自分で指揮をとっていた仕事であるが「-----」と感じている。

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2016.03/14 備忘録:高分子の相溶(1)

活動報告では、当方のサラリーマン時代の成果を中心に書いているが、日々の活動で学んだ事柄を中心にした内容を書いてみる。学術的な内容を書いてみてもアカデミアの先生にかなわないから技術者の視点で実践知を中心にまとめてみたい。
 
セラミックスから有機高分子まで32年間材料開発に携わってきた。その中で、「二種類の物質が溶けあう」ほど難解な現象は無い、と感じている。学術的には熱力学で論じると説明がつく話ではあるが、その現象に含まれる機能を活用しなければいけない技術分野では単純な問題ではない。
 
料理でも、例えばカレーのルーを溶かし込むときに無精をして火を弱めずに行うとこがしてしまうことがある。見た目に均一であると油断をしていると突然吹き出したりすることがある。初めてカレーを作ったのは中学時代であるが、母親に叱られながら焦がした(注)カレーを食べた苦い思い出がある。
 
「溶解現象」あるいは物を溶かす作業は、材料技術で必ず遭遇するが奥が深い。大学では物理化学の一コマで熱力学的な現象として習う。物理化学の教科書では低分子あるいはイオンの溶解現象を扱い、高分子の授業では、高分子物性を調べる手段として低分子溶媒に高分子を溶かした現象を学ぶ。
 
当方の学生時代の教科書には、二種類の高分子を混ぜたときの現象について、いわゆるフローリー・ハギンズ理論は、2ページ程度しかその説明に裂かれていなかった。相溶という言葉の説明も格子モデルのようになった状態として説明されているだけだ。教科書の大半はフローリーの書いた高分子を短く焼き直し、そこへ高分子の合成をくっつけた内容だった。
 
ごれがG.R.Strobl”The Physics of Polymers”(1997)という学部学生向けに書かれた教科書では、3割以上がこの議論である。 この本は、ゴム会社で長くセラミックス技術に従事していたために、転職して必要に迫られ改めて高分子科学を勉強するために購入したが、転職後のストレスで眠れないときに大変役だった。
 
(注)熱力学でエネルギーの状態を知るためのパラメーター「温度」が強度因子であることを体験したのはカレーが最初である。粘度の高い物質の入った鍋の中の系を均一な温度に保つのは大変な作業である。ゆえにカレーのルーを添加するときは加熱しないで攪拌した方が安全である。またルーを溶かし込んだ後、粘度の高い物質の混合技術が無いならば、弱火で時間をかけて混合する以外においしいカレーを作る手段はない。カレーを作る作業で,非平衡状態では系の温度が不均一であることを学ぶ。ものづくりの現場でも温度計測を行うが、非平衡状態の温度計測は注意した方が良い。カレーの鍋の中は、実測すると分かることだが、50℃以上の温度差(表面94℃、鍋の底176℃は実測値である)が生じている場合もある。だから油断すると焦がす。平衡状態以外では系の温度を均一にすることは不可能である。そもそも系の温度が不均一なときは非平衡状態である。

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2016.03/13 偏差値29で北大合格騒動

某予備校が、PR目的で偏差値29の生徒が北大を合格したことを公開し、それがネットで話題になっている。詳細は、ネット情報で確認していただきたいが、そもそも偏差値29であることと大学合格を結び付けたCMが話題となることに関し、疑問に思っている。
 
サルが大学受験し合格したならば話題になってもよいかもしれないが、人間がその学力にふさわしくない大学に合格したことは、それが不正でない限り、どうでもよいことである。このケースでは、本人の努力によるものか、第三者のサポートによるものか、明確に分離できないし、そもそも学力が生まれつきの特性として本質的に低い人が偏差値の高い大学に入ったらどうなるか考えていただきたい。
 
そもそも偏差値の高い大学に入ること自体が意味のあることかどうかが不明となった時代(注1)である。さらにいえば、現代は、その人の能力で幸不幸が左右される時代ではないのである。人生の幸不幸は能力とは異なるファクターで決まるので、偏差値が29だろうがなんだろうが、どうでもよいことである。
 
働き成果を上げる場合にも、ドラッカーは頭の良い人ほど成果を上げられない、とはっきり指摘している。働いて成果をあげる作業は全人格的な行為である(注2)。
 
大学受験でも偏差値の高い大学に入ることが良いことかどうかは、そろそろ考え直したほうが良い。偏差値の低い大学でトップになっり、授業料を免除されたほうがはるかに良い。偏差値の低い学校でトップになり、学費を最小限に抑え、社会に出て働き多くの成果をあげるような人生こそ効率の高い生き方だと思っている。
 
人生で挫折は重要といわれるが、勉強につながる挫折のレベルならばよいが、それ以上の挫折は人生の幸福感を減ずるので好ましくないと思っている。バブル崩壊後日本全国不幸な人が増えた。かつてのバブルの様な時代はもう来ないのなら、そろそろ人生観を変えて幸福になる道を探したほうが良い。偏差値で振り回される受験生に考えていただきたい。自分の学びたい大学でトップを目指す生き方もある。明確な目標に対して努力して、その努力が確実に報われるのは学生時代しかないのである。
 
(注1)いまやタレントの特性としての位置づけになったような気がする。企業では東大卒の肩書きが本人にとって重荷となる時代でもある。情報がこれだけ世の中に溢れ、誰でもその情報を活用できる時代になった。今何ができるか、今どのように貢献できるのかが問われる時代である。かつて亀*氏が東大卒でもないのに首相を務める時代になった、と言われたが、田中角栄氏がすでに学歴とは無関係に首相を務めている。
(注2)会社の業績が悪いため社長が辞任する。その時の挨拶で時折使われる言葉に、「不徳のいたすところ」というのがある。業績が悪い理由が、本当にその人物の責任で無くても、問題があれば辞任しなければいけない役割がその組織のトップの仕事である。それを理解しているかどうか、そして誠実に実行できるかどうかは大切なことである。

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