知識労働者の働く意味を「貢献と自己実現」と言ったのは、故ドラッカーである。そしてモチベーションを向上するために、日本の各組織が目標管理と成果主義の人事制度を取り入れてきた。
しかし、これがうまく機能しているのかどうかといえば自己の体験からは「NO」である。それを昨日わかりやすく書いた。わかりやすくするために、やや、昨日は下品な内容となった。
サラリーマン生活でも嬉しかった思い出もある。退職日は東日本大震災で講演会も送別会もすべて吹っ飛んだが、退職後改めて送別会を開いていただけたことや、最後の一年間担当した仕事が社長賞をとった、というので記念品が贈られてきたことだ。
これらは、写真会社の風土が分かる思い出である。ゴム会社にも楽しい思い出は多い。例えば同期入社の会に誘われ参加したり、たまに酒席の誘いを受けるのは、ゴム会社の知人友人からだ。これもゴム会社の風土を理解できる出来事である。
サラリーマン生活でやはり一番嬉しかった出来事は、左遷され単身赴任したときに、旧無機材質研究所副所長から頂いた手紙である。この手紙の内容には涙が出て、そして退職を控えた最後の仕事ではどんな苦労があってもやり遂げる勇気が出た。
故ドラッカーは貢献の重要性を説いているが、俗人にとって貢献の結果が分かる出来事が無ければ、働く意欲も失せる。散々働かされて、必要なくなったから倉庫として使われていた部屋をあてがわれたのではたまったものではない。
サラリーマン人生ではいろいろな出来事があるが、いやな思い出と良かった思い出は忘れないものである。働く意味は「貢献と自己実現」かもしれないが、働いた結果、それが良い思い出となるのは、ささやかな貢献が報われたときだ。言葉だけでも良いのである。
自己実現は自分でそのゴールを理解することができるが、貢献はなかなか理解や納得が難しいので組織に関わる人が褒めてあげないといけないのである。忘れた頃に届いた副所長からの手紙には、高純度SiCの経済的なプロセス開発の業績を称えるとともに、それに対し成された20年以上も前のお約束の内容とその実行が書かれていた。
世の中には本当に聖人と呼べる人がいるのだ。また、この手紙のおかげで、早期退職前に過重労働となってもカオス混合技術を開発できるだけのパワーが生まれた。
 
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サラリーマン生活で学んだことは、成果を出してもそれが評価として必ずしも報われないという事実だ。それ故、故ドラッカーは、働く意味を「貢献と自己実現」として説明している。サラリーマン生活ではまさに貢献と自己実現の32年間だった。
20年ほど前から人事評価について成果主義が声高に言われている。ゴム会社は新入社員の研修でも説明があったので30年以上前から成果主義の人事評価である。写真会社では10数年前から成果主義が人事制度に取り入れられた。しかし、いずれの会社においても、明らかに大きな成果を出したにも関わらず、それが評価に結びついていない。
もっとも働く意味は貢献と理解していたのでそれが理由で転職を考えたことは無かったが、なぜ評価されなかったか、という反省は常にしていた。新入社員時代の樹脂補強ゴムの成果は、防振ゴムとして実用化され、後工程の担当者は部長まで昇進している。これは、新入社員の2年間は査定が無い、という人事評価制度から納得している。
しかし、その後担当した天井材の開発では、市場の急激な変化で開発期間が短かかったにもかかわらず納期どおり実用化に成功しても査定はBだった(注)。ちょうど天井材の開発と半導体用高純度SiCの企画提案を行っていたときと重なっており、主担当業務は前者で後者は留学を控えての自主提案業務だった。当時の研究所の方針では、ファインセラミックスをどのように進めるのか決まっていない段階で、外部のコンサルタントに大金を使って調査している最中だった。
半導体用高純度SiCの企画は、昇進試験問題の解答に書いても0点が付いてくるような状態だったので全く評価されていないというよりも提案そのものが一部の反感を買っていたと思っている。
結局研究所の高価なファインセラミックス調査資料はその後ゴミとなり、その調査資料には盛り込まれていなかった、当方が社長の前でプレゼンテーションした半導体用高純度SiCの企画が現在でも事業として続いているのだが、この企画についても2億4千万円の先行投資を頂いたので、それが評価といえる程度である。
企画から推進、事業化まで行っても何も評価されていない。但し、この時の先行投資のおかげで超高速高温熱天秤を開発することができ、高純度SiCの品質管理技術を考案するとともに学位を取得できているので満足している(自己満足)。
先行投資後は6年間いわゆる開発の死の谷を歩くことになり、本部長から指示されて新しい研究企画を半期ごとに提案する業務とセットで高純度SiCの事業化を進めることになった。
FDを壊されるきっかけとなった電気粘性流体のテーマでは、「耐久性向上技術」「3種の高性能粉体技術」「高絶縁ホスファゼンオイル」などの企画とその実現に成果を出したが、結局評価されることなく被害者でありながら事態を収束するために転職している。
自分の32年間の成果と評価について考えるときに、「貢献」の二文字は説得力がある。「貢献」を正しく理解するならば「評価」を求めてはいけないのである。32年間完璧にそれを実践できたかどうかと問われると?である。働く意味の理解はなかなか難しい。
(注)研究所で担当した二人ともABC3段階のBであった。ところがこのキモとなる材料の企画については研究所から出たのであり、明らかにこの評価は成果主義と捉えるとおかしい。おまけに過重労働の毎日で残業時間もつけられないサービス残業の毎日だったので、今から思えば残酷な評価ともいえる。しかしその後も明るく元気に高純度SiCの事業化を進めたのである。企業の中でなぜ職務評価とは別に報償制度が必要なのかと言えば、この一点になる。貢献し明らかに成果を出した組織に何も報われず、悶々と人生を過ごす知識労働者のやりきれなさを日本の経営者はどこまで理解しているのか?このような知識労働者の思いの結果が現在の日本の状態にしているとしたら残念なことである。グローバル化の時代では、なおのことそれぞれの組織が人材の問題を真剣に考えなくてはいけない。写真会社では、退職前にささやかな賞を頂き、退職後には部下から社長賞の記念品を贈られた。褒められてうれしくない人間というのは少ないと思う。当方は褒められれば単純に過重労働でもいとわない性格だが、組織はもう少し褒めたたえる効果の大きさを重視したほうが良い。組織風土を変えるだけの効果があると思っている。
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電通の自殺事件の影響によるのか過重労働の話題が多い。それを読んでいて気になるのは、働き過ぎが良くない、という一つの視点である。過重労働で肉体的な病気になるおそれはあるが、サービス残業やヤミ残業などいわゆる過重労働とみなされるたぐいについてやり尽くした当方から見れば、職場環境や組織が知識労働者に与える影響こそが問題として大きいと思っている。
もっとも毎日定時退社でき、一日8時間の労働で十分な成果があがるような仕事が理想だが、今時そのような仕事は少ないと思う。研究開発職であれば勉強時間を労働に含めるのかどうかと言う問題が発生する。もし、研究開発職の勉強時間を労働時間に組み入れたときに、一日8時間の労働で済んでいるとしたら、よほど優秀な社員の多い会社だろうと思う。
多くの日本のメーカーでは、原材料価格の3倍が商品の値段になっているが、原材料価格の10倍の商品を販売している企業ならば、一日8時間の労働のところもあるだろう。このあたりの考え方については説明を省略するが、付加価値の極めて高い商品を販売できるならば、労働時間が短くなる可能性がある。
適切な労働時間が良いことは当たり前である。また、短時間の労働で価値を生み出せることが理想である。そのためには、社員のスキル向上が求められ、多くの会社では、このスキル向上のための時間も人材育成として労働時間に入れている。
労働が生み出す価値とそのために必要なスキルなどを考えていった場合に、単純に労働時間の長さだけで善悪を論じることが難しくなる。自己実現のために長時間を費やしているならば、マイナスの精神的負担ではなく、スポーツマンの練習で味わう楽しい苦痛だろう。
ところで、電通は付加価値の高い商品を販売しているように見えるが、実際の労働時間を商品の中に組み込んだら、おそらく付加価値など無くなり、原価ぎりぎりで事業を運営している実体が見えてくるのではないか。会社の生み出した価値と社員の労働時間との関係を正しく把握することは経営者の責任である。
工場の原価管理については数値化しやすく、その結果大企業の工場の現場で過重労働の噂をあまり聞かないが、スタッフ職の労働時間管理は難しい。それゆえ、研究開発費を売り上げの何%と決めて、その中に労務費なども組み込み管理しているのが実体ではないか。その結果労務費の上限が押さえられサービス残業などの過重労働となってゆく。極めて単純な理屈である。
勉強時間まで労働時間に含めると、日本全国の大企業の研究開発職の大半は過重労働となるはずで、過重労働=自殺の原因と単純に捉えると問題解決を誤る。
過重労働についていろいろ思いを巡らすと、そもそも働くということについて様々な考え方があるのではないか、という疑問にぶちあたる。働く意味は、貢献と自己実現と定義したのは、故ドラッカーであり、この定義に沿って働いた場合の過重労働の問題は、働く時に自殺まで知識労働者に考えさせるマネジメントとは、となる。
労働生産性を上げ、労働時間を短縮し、皆が明るくにこにこと働けるような職場は理想である。しかし、企業の現実は経済性を追求=人件費削減しなければいけない。能力のある人は知恵を出して労働時間を短縮できるが、知恵の無い人は汗で成果を出さざるを得ない現実がある。気持ちの良い汗を流せるようなマネジメントであれば、理想とすべきではない過重労働であってもそれは働く楽しい思い出となる場合もある。
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かつてバブルがはじけた時に、ドラッカーはもう古い、ということが言われた。今あまりドラッカーは読まれていないようだ。2005年、ちょうど当方が単身赴任をしたころ、ドラッカーのちょっとしたブームがあった。すなわちドラッカー本が書店にたくさん並んだのだ。
2005年11月にドラッカーが亡くなったためだが、その時並んでいた書籍は自然に書店からフェードアウトしていった。今町の書店には、おいていないところもある。先日近所の本屋にいったところ、ドラッカーの本ではないがブルーオーシャン戦略の最新版が並んでいた。
店主に聞いたら売れ残り品だという。過去に出版された続編だったが、たまたま茨城まで出かけるところだったので、暇つぶしに買ってみた。しかしがっかりした。これに対して、ドラッカーの著書は、今読んでもその内容が色あせてなく、むしろ今の時代を書いている様な本もある。
例えば、高校生の頃読んだ「断絶の時代」など過重労働の問題を考える時の参考になる。ドラッカー本は決して古くなく、むしろ今の日本では旬な本かもしれない。彼が考察して書いた内容は、知識労働者の時代の到来やグローバル化、高齢化社会を扱ったテーマが多い。グローバル化や高齢化社会が直接表現されていなくてもそこで考察されている内容は、まさに今の時代に起きている問題解決に役立つ提言が多い。
ドラッカーをマネジメントの発明者という人がいるが、それは間違っている。彼の著書にもマネジメントと言うものが、彼が活躍した時代以前に存在したことを述べている。彼はマネジメントについて「あるべき姿」を明確にしたのである。そしてマネジメントの問題を設定し、それらを解こうと努力していた。
ドラッカーの著作が難解と言われる理由は、問題解決の思索になっているからだ。
しかし、彼の遺作を読むと解るが、彼は正解を出していないのである。これからの時代について彼は「歴史が見たことの無い時代が始まる」と述べている。早い話が、これからの時代について、自分にもようわからん、と言っているのである。しかしわからない、すなわち不確実な中にも確実なことがあり、それらにより引き起こされる問題をまずかたずけていかなければいけないと指摘している。
ドラッカーは決して古くはなく、まさに読むなら今でしょ、と思う。これは少し古い表現。
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外山滋比古著「思考の整理学」ではグライダーと飛行機の例えが最初に出てくる。独力で知識の得られる人を飛行機に、そうでない人をグライダーに例えている。そして学校はグライダー人間の養成所で飛行機人間を作らない、と酷評している。
この本では、グライダー兼飛行機のような人間になるにはどういうことを心がければよいのか書きたい、と出だしで述べておられる。1986年に書かれた本であるが、今でも読まれ200万部突破したという。
この本に書かれている内容は、11月の講演で述べた内容とよく似ている。講演準備のために読んでみたのだが、大変わかりやすく書いてあって面白い。この本によると、テーマ立案は難しい作業となっている。しかし、それができるようにならなくては、コンピューターに仕事を奪われると。
これは大変良い表現で、講演会で使わせてもらった。独力で知識の得られることが現代において重要なのは、人工知能との競争があるからだ。この意味では、知識の獲得競争をやっていては絶対に人間は負ける。人工知能に勝つためには、そこそこの知識で人間特有の創造ができる必要になる。
このあたりになると、最初に紹介した著書には書かれていないので、当方の今後の講演に期待してほしいが、もしアカデミアの研究者でテーマ設定がうまくできない若い研究者も当方の講演を聞きに来てほしい。
先の著者も書いているような、学校では教えない、実務から獲得した知恵も含めて当方の考える創造とは何かについて語るとともに、創造をするにはどうしたらよいのかというノウハウを説明する。当方の講演を聞けばテーマ設定ができる研究者になれるはずだ。
評論家になるには、そこそこの知識ではだめであるが、独創は、そこそこの知識故である。ただし、生兵法では「独りよがり」となる。切れ味の鋭い独創力は問題解決のために必須である。今後の当方の講演予定あるいは講演の出前、マンツーマンによる指導など行っているので弊社へ問い合わせていただきたい。
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問題解決に関してドラッカーは著書の中で様々な表現でそのポイントを述べているが、残念ながら問題が設定された後の具体的な解決メソッドについては、まず「問題の理解」に全力をあげるようにとのアドバイスを述べているだけである。
ただし、問題設定までについては、「何が問題か」と問うことの重要性を様々な表現で述べている。すなわち問題解決法の前に、問題設定が極めて重要であり、「間違った問題の正しい答えほど役に立たないものはない」と大変わかりやすい表現をしている。
これは、いくら正しい問題解決法を適用し正しい答えを導いたとしても、問題そのものが間違っていたとしたら、そこから得られた正しい答えに対しどのような評価をしたらよいのか、と言っているのである。
例えば福島原発の状況は、果たして正しい問題設定がなされているのか疑問を持ちたくなる展開である。凍土壁などはその最たる例で、科学者の夢物語をそのまま実行してしまった。実務に長けた人ならばすぐにダメだとわかっていた。多少お金がかかっても周囲に止水板を作ったほうが確実だった。
増加していく水タンクを今後どのように処理してゆくのだろうか。5年経過して早くも老朽化が起きているタンクもあり、水漏れしているという。頭の良い人がしばしば成果をあげられない、とドラッカーは述べている。頭の良い人は正しく問題を解くが、正しい問題設定ができないことを言っている。
ドラッカーは問題を解く前段階について様々な名言を残しており、そもそも問題設定の前の仕事選択のルールとして、問題よりも機会を選択するように指摘している。すなわちあれこれ問題を考える前に機会についてまずよく考えることが大切である。そして問題解決に当たらなければいけない時に、その作業に入る、すなわち、機会や状況により何もしない、という意思決定もあるのだ。
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イノベーションを引き起こす手法として、模倣と破壊が有効であることを技術開発の経験から見出した。問題解決法セミナーでも模倣によるイノベーション事例を扱っている。
無機粒子を焼き固めた材料をセラミックスというが、これを有機高分子から製造する技術を開発し、その技術は今でもゴム会社の事業として30年近く継続されている。製造プロセスが従来と全く異なるので、これは誰もが認める破壊的イノベーションで、日本化学会賞を受賞している。
破壊的イノベーションは、見てくれも良くイノベーションの効果も高い。しかし、効率はというと、ゴム会社における成果は、事業が立ち上がるまで6年、いわゆる開発のdeath valleyを歩くことになった。日本化学会技術賞を受賞したのは、研究開始から15年後だった。この時当方は写真会社にいた。
写真会社における最初の成果は、酸化スズゾルをもちいた帯電防止層の開発で、これは搭載された商品が印刷学会から、技術については日本化学工業協会の二カ所から賞を頂いている、イノベーションを起こした技術だ。
しかし、これはゴム会社の経験を活かし、破壊的イノベーションのスキルを封印して模倣によるイノベーションでどこまでできるのか試してみた成果である。すなわち特公昭35-6616という今は存在しない小西六工業という会社の技術をそっくり真似たのである。
ただ、当時は、「模倣してます」と大きな声で叫べないので「温故知新」戦略と言いながら技術開発を進めた。それも1950年代に数学者が議論していたパーコレーション転移を看板に掲げて温故知新と叫んでいた。古いモノを寄せ集めまとめただけの技術だった。ただし、それらは新商品に搭載されイノベーションを引き起こした。
昭和35年の特許を真似た技術は、開発を始めて3年で商品になり、5年後に印刷学会から、8年後に日本化学工業協会技術特別賞を受賞した。模倣は効率が良いのである。そして模倣でもイノベーションを引き起こせるのである。
温故知新という言葉は、まさに模倣によるイノベーションを推奨していると思っている。そして模倣されて優れた技術が生まれ、次の時代に語り継がれると、不易流行となる。その時、物事の本質が解ってくるのである。
酸化スズゾルの技術では、確率過程のパーコレーション転移がプロセスの中でどのようにばらつくのか明らかにされた。化学工業協会からの受賞はこの一点が評価されたからだ。模倣により技術を作り、科学で本質を探る技術開発は、弊社問題解決法が提案している一つの方法で、TRIZやUSITよりも問題解決力は高い。
模倣なら誰でもできる。さらに下手な人が模倣すればオリジナルと区別がつかなくなり、独創になるかもしれない。
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先日問題解決法のセミナーの講師を1日務めたが、それなりの反響があった。弊社創業当時研究開発必勝法として販売していた内容を作り直し、システムシンキング、非科学的方法、逆向きの推論、戦略図、戦術図などの特徴を明確にした。
問題解決についてはロジカルシンキングなどが流行したが、これは小学校から学んできた内容である。しかし、問題解決をシステムとしてとらえ、解いてゆく方法は学校で教えていない。ましてや非科学的方法など義務教育では禁じ手である。
しかし、それらが実務の現場ではもっとも重要である。TRIZもシステム指向的なところがあるが、あれは科学的で硬い頭の方がもちいる方法である。コンピューターに任せておけば良い。小生が推進するのは、ヒューマンプロセスである。
これからAIがどんどんビジネスの現場に入ってくる。コンピューターにもできる、というよりもコンピューターが得意なロジカルシンキングを学んでいてもコンピューターにはかなわない。しかし、コンピューターには不可能な柔軟なシステムシンキングで問題解決に当たれば、従来の科学的成果とは異なる新たな成果を生み出すことは間違いない。
当方は32年間のサラリーマン生活でこの問題解決法に取り組み、非科学的なPPSと6ナイロンが相容した中間転写ベルトの開発やなぜうまくできたのか不明なリサイクルPETボトルをもちいた環境樹脂の開発に成功(注)している。
後者の環境樹脂については、問題解決法で作成した戦術図に基づき、試行錯誤法で開発している。しかし、難燃剤が無添加でもUL94-V2を通過する樹脂という不思議な技術である。できているのは不思議ではあるが、それを作ろうとした意思決定は会社への貢献という一途な思いからである。
このようなモノを作りたい、このようなモノとは、PETが80wt%でマトリックスを形成していても難燃剤不要で難燃性能を持った樹脂、と具体化し、そこから逆向きに推論を展開して設計している。できあがった樹脂の科学的解析を行っていないので、どのようなモノができているのか不明である。しかし、繰り返し再現性は存在する。技術の成果だからである。科学の成果ではない。
試行錯誤で本当にできるのか、と聞かれると、何も考えない試行錯誤では無理だが、システム思考により制御された試行錯誤なら可能である、という答えになる。これが弊社の問題解決法である。
(注)この新しい樹脂には二つのバージョンが存在する。一つはPETが80wt%含まれるが、他の一つは30wt%含まれた樹脂で、後者はPPAP式の成果である。
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「サッカー女子・岡山湯郷ベルの“顔”として長年活躍した宮間あや選手(31)の退団を受け、岡山県内関係者からは14日、湯郷を愛し地域活性化に貢献したことへ感謝の声が聞かれた一方、主力選手が相次ぎ退団した騒動についてチームに説明を求める意見も上がった。」と、ヤフーニュースで報じられていた。
このニュースをこの欄で取り上げるつもりは無かったが、WEBには岡山湯郷ベルについていろいろ悪いうわさが書かれていた。ニュースには、「湯郷温泉女将(おかみ)の会の峯平滋子会長(73)は「これだけ貢献してくれた人。後ろめたい気持ちで去ってほしくない。最後は退団セレモニーで送り出してあげたい」と声を詰まらせる。」とまである。
表に出ている情報によれば、二部降格となるこのチームの監督に問題がありそうだが、監督の更迭の話は出ていない。ただ半年ほど前に宮間選手との確執があり、契約が切れる先日まで引き止め、円満退団としたニュースがでていた。サラリーマンの早期退職も大抵は円満退職となる。当方がゴム会社を退職する時もそうだった。
当方は、上司からキャリアを汚さないために、との説明を受けたが、大抵は組織の都合だ。組織の都合で問題があってもそれを隠すために円満退社とする。6年間過重労働の死の谷を歩き、住友金属工業との契約もまとまり、たった一人で努力してきた高純度SiCの事業がこれから順調に立ち上がってゆく状況を前に円満退職するサラリーマンなどいない。
岡山湯郷ベルは二部降格であり、状況は当方の場合と異なるので、この欄で取り上げるつもりが無かったが、WEB情報では組織の問題が指摘されている。
ヤフーニュースにも「チームは今年、監督代行の確執が原因とされる宮間ら主力選手の退団騒動で揺れ、日本代表でともに活躍したGK福元美穂選手(33)は移籍の道を選んだ。8年前からチームを応援しているサポーターの松本信幸さん(44)は「何がごたごたの原因だったのか。何の説明もなく、フラストレーションばかりがたまった。サポーターをないがしろにしないでほしい」と訴えた。」とある。
チームの責任は監督にあるので、おそらく問題は監督にあるのだろう。今の時代、組織の問題を隠そうと考えるリーダーは、根本の考え方を変えなければならない。情報は必ず漏れるのである。悪い情報は必ず洩れることを前提としなければいけない。すなわち組織の問題を積極的に開示できるリーダシップこそ重要である。サポーターに支えられているスポーツではなおさらである。悪い情報を隠そうとするとさらに悪い事件へと発展するものである。過去の企業事件を見ればほとんどが過去に問題を隠すという行為を行っていた。
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浅田真央選手が「自信を失った」と涙をこぼした。ショートプログラム(SP)で8位と出遅れていた浅田真央選手は、フリーでもジャンプにことごとく精彩を欠き、100・10点(技術点39・64+演技構成点60・46点)、合計161・39点で9位に終わった。
この話題について取り上げるかどうか迷ったが、彼女の試合後のインタビュー記事を読み、感動したことを書くことにした。今季彼女が膝を痛めたらしいことは以前ニュースで報じられた。しかし浅田選手の方から詳しい情報が出されていないという。だから今季の試合を見るまで不確実情報だった。
しかし、今季の試合結果を見る限り、スポーツ選手としてやや厳しい状況であることは誰の目にも明らかだった。かつて金妍児選手とトップを争った姿がそこに無かったからだ。にもかかわらず、彼女はインタビューで世界選手権に向けてチャレンジするという。先日ヒラリークリントンの敗者の弁に感動した話を書いたが、負けるかもしれないけれど自分の大切にする価値のためにチャレンジする姿勢は人生で大切である。
「自分が何によって覚えられたいのか、それを考えて努力せよ」とは故ドラッカーの言葉である。才能あふれる選手生活のまま、そのスポーツ人生を終われる選手もおれば、才能があっても運悪く怪我でそれを活かすことができず終わる選手もいる。選手には悪いが、スポーツの楽しみ方の一つに「運命」という命題がある。
スポーツは勝敗のはっきり出るショーであり、勝つために選手が努力する姿は美しい。どれだけ壮絶で過酷な練習をしていようとも、そこには過重労働という言葉は無い。自己実現努力であるからだ。
労働者もこのスポーツ選手のような働き方はできないのだろうか。仕事を人生と切り離す考え方では無理だろう。仕事を自己実現の努力の一環とした時にそれはできるのではないか。知識労働者はその能力として身に着けている知識を仕事に適用して成果を出す働き方が原則にあり、自己実現目標として、知識をどのように仕事へ適用するのか、というノウハウを磨き上げる働き方が理想である。
32年間のサラリーマン生活では、故ドラッカーのいうところの知識労働者と言う言葉の意味を考えてきた。その結果、専門領域では無くても共通に存在する知識の働かせ方(注1)、すなわち知識を成果に結び付ける方法について書かれた教科書が無いことに気がついた。知識労働者は、仕事を目の前にした時に専門知識が無いことを成果が出せない理由にしてはいけないのである。そして成果を出したからと言って、あるいは会社に十分貢献しても報われないのは、そのような会社(注2)を選んでしまった運命とあきらめなければいけない。
専門外で初めての仕事を担当するのは知識労働者にとって無謀なチャレンジとなるが、知識労働者の本質がその知識を仕事に適用する能力であれば、仕事で成果を出すためにトレーニングし仕事に必要な専門外の知識を獲得すればよいだけである。知識が乏しいことを成果が出せない理由にしてはいけない。浅田選手を見習え!
(注1)当方は、大学時代有機合成化学を専門知識として学んだが、工学博士の学位論文の中身は半分以上がセラミックスの知識である。そしてサラリーマン最後に担当した仕事は、初めての押出成形や射出成型であり、それぞれで不足する知識をいわゆる「過重労働」と「休日業務」で補い、知識を補強し成果を出すことができた。豊川への単身赴任は知識労働者としての卒業試験のようなものだった。単身赴任先では部下の課長を定年退職で送別する機会があり、その課長からは知識の補強で助けられたのでお礼のため二人で食事をする機会を設けたが、この席での会話は機会があれば紹介したい。彼は専門家として自己実現されてこられた方だった。そして科学に忠実に仕事をされていた。その結果、成果を十分に出せなかった。科学は哲学の一つであり、技術のコミュニケーションでは唯一の共通言語となるが、必ずしも技術開発に不可欠ではない。科学の無い時代でも技術開発が行われていた事実を示す遺構はたくさんある。
(注2)就職氷河期と言われた時代に、それでも求人が来ないと嘆いておられた中小企業主がおられた。優良中小企業である。求人企業率が1以下でも人材集めに苦労している会社があった。就職氷河期は求職者側にも責任があるのではないかと当時感じていた。起業という選択もあった。
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