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2015.09/08 イノベーション(1)

社会人になってコミュニケーション能力の重要性を研修で学んでもそれが身について本当に役立った、と実感したのはカオス混合技術を実用化した時である。カオス混合技術については、それが混錬技術のイノベーションになると指導社員から教えられても、ゴム会社で研究する機会は無かった。写真会社に転職後もフィルム技術を担当していたので研究テーマとして提案するチャンスは無かった。
 
定年前の単身赴任先でそのチャンスが突然めぐってきた。すでにこの活動報告で書いたが、複写機の中間転写ベルトの生産プロセス開発のテーマでコンパウンド工場を立ち上げた話である。コンパウンド技術など無縁の写真会社でコンパウンド工場を立ち上げたのだから大きなイノベーションのはずだが、写真会社では大した評価を得ていない。
 
大した評価を得ていない理由は、大した技術ではないから簡単にできる、と周囲を説得したからである。中古機を買ってプロセスを組むので投資も少ない、という話を作り、子会社でコンパウンド工場を立ち上げる承認をえて、8000万円ほどの投資でコンパウンド工場を立ち上げた。
 
コンパウンド事業を担当している人ならば、ちょっとしたコンパウンド工場でも大変な仕事であることは理解されていると思う。工場の試運転で実験室データが再現しないのは日常茶飯事である。それよりもゼネコンに0から工場建設を依頼すれば2-3億円かかる。見積書を取り寄せてソフトウェア―の部分が高いことにびっくりした。
 
また工場を発注してから立ち上がるまで通常は一年以上かかるが、それを0から始めて半年で実現したのである。これは、周囲が高分子技術というものを知らない人ばかりだったから、簡単にイノベーションができたと思っている。ただ押出技術の開発に数年かかっているのに、0からはじめて半年でコンパウンド工場が立ち上がる話を信じるのか、という疑問を持たれるかもしれないが、その部分は当方の技術に対する信頼が大きかったからではないかと思っている。
 
しかし信頼できる一人の技術者がいたとしても、昨日まで技術が無かった会社で突然カオス混合と言う先端技術が生まれるようなイノベーションは、従業員数人の中小企業でない限り難しい。大会社であれば必ずプロジェクトにかかわる他の組織から反対があるからだ。おまけにステージゲート法あるいは類似の研究管理を行っていたなら、ゲートで必ず引っ掛かるのである。
 
このコンパウンド工場の建設では、上司であったセンター長を担ぎ上げ他部門の調整を行うとともに、ゲートは外部のコンパウンダーの技術よりも優れた技術が存在することを押出機で作ったコンパウンド及びそのベルトを示しながら通過した。すなわち、企業内で何かイノベーションを行うためには、社内の組織の調整能力と成功することを共有するための仕掛けが必要である。
 
いくら優れた技術があったとしても、あるいは科学的に優れた研究成果を出せたとしても、大企業ではそれがすぐにイノベーションに結び付かない現実を若い人は理解しなければいけない。直属の上司でさえもイノベーションをつぶす方向に動く場合すらあるのだ。30年間の研究開発経験から企業におけるイノベーションでは上司も含めた社内の調整能力が研究成果よりも重要だという結論に至った。これにより、カオス混合技術の実現では、基盤技術も何もない会社において、いきなり量産工場が立ち上がるようなイノベーションを起こしている。

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2015.09/07 碧志摩メグ

東京オリンピックのロゴの模倣の騒動に隠れてしまったが、碧志摩メグの問題は志摩市にとって深刻な問題となるかもしれない。昨今の萌えキャラブームで注意しなければいけないのは、キャラクターを売り込むためにエロティシズムを持ち込んだ刺激的なデザインに陥る傾向になることだ。
 
周知のように、「萌え」にはエロティシズムと明確な差を持たせた性表現手法が存在する。それゆえ「萌え文化」なる言葉まで生まれているのだ。萌えキャラとエロ漫画のキャラとは一線を画する。
 
地方都市の売り込みのためにエロティシズムを持ち込んだキャラをインターネットでばらまく是非を議論するつもりは無いが、来年その都市でサミットが開催されるとなると少し話が変わってくる。
 
地方都市の問題が日本の問題になるからだ。AV大国日本などというゆゆしき評判が海外であるが、サミット開催都市で公然といかがわしく見えるキャラが販売されていたらどうなるか。
 
リスクマネジメントの観点から、日本政府も真剣に取り組むべき問題かもしれないと懸念している。たかが一キャラクターという問題かどうかは、駅にエロティシズムがあふれたキャラクターがばらまかれ、そこで外国のVIPが買い物をしている風景を想像して欲しい。日本人として少し恥ずかしい。
 
ネットではすでにこのキャラクターの話題で盛り上がっており、賛否両論の議論がなされているが、一番心を痛めているのは、このようなキャラで表現された海女さんではないだろうか。志摩市は海女さんを見捨てたのだろうか?
 
フナッシーやネバールくん、バリーさんなど特異なキャラクターで地方都市を売り込むのがブームであるが、一つ間違えるとそのキャラクターで職業を傷つけることになる。これは模倣よりも抽象的な感性の問題になるので議論がより難しくなるが、セクハラが「指摘されたらアウト」と言われているのに準じ,公的機関の場合には厳しく対応すべきだろう。
 
弊社では「未来技術研究所(www.miragiken.com)」を運営しながら、「萌え」についてのデザインを研究している。もし「萌え文化」でお悩みの地方都市の担当者は是非ご相談ください。
   

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2015.09/06 模倣の勧め

先日使用中止になった東京オリンピックのロゴについて本人が認めないので模倣かどうかは不明だが、問題となったロゴとよく似ている点については誰もがわかる。しかしデザインでも技術でもよく似ているものを作ることは簡単ではなく、それなりのスキルが要求される。スキルが無ければ模倣で優れた複製を作り出すことは難しい。セシリアでは痛んだフレスコ画の複製を独創のタッチで修復したおばあさんが有名になった。
 
東京オリンピックのロゴの作者とセシリアのフラスコ画の作者と描いている絵のカテゴリーが異なることや、作業として前者は似ていないことが、後者は似ていることがゴールとして要求されたことなどから同じまな板の上で議論してはおかしいかもしれない。しかし、皮肉なことに前者は模倣と疑われ、後者は似ていなかったことが話題になって、両者は異なる問題にもかかわらず、「模倣」という同じまな板の上に載っているように見える。
 
そこで、ロゴとフレスコ画の問題を料理すると、スキルとは何かと言う疑問が出てくる。おばあさんは自称画家だそうだが、模倣という視点で見ると東京オリンピックのロゴの作者とのスキル差は大きいとみてよいだろう。残念ながらおばあさんの絵ではトレースがうまくいっていないが、ロゴではそれが完璧にできているように見える。
 
おばあさんは絵を書きあげた時のインタビューで、似せて書こうとしたが、あのようになってしまった、本当はもっと上手にかけたのよ、と嘆いていた。しかしどこを見て書いたら猿のようなキリストの顔になるのか理解できないばかりか、顔の大きささえも一致していないので画家としての模倣スキルは低いと言わざるを得ない。
 
ただ、模倣スキルが低かったおかげで世界的に有名になり、その町に観光客が押し寄せるようになって、おばあさんは町の人に感謝されることになった。おかしな顔のキリストの絵をシンボルにしたワインなども作られ、模写として失格という当初の問題は吹き飛んでしまった。
 
模倣しようとしたが、そのスキルが低いために似せるための試行錯誤が繰り返され、その結果模倣が創造になる、というのは、模倣から創造を生み出す一手法のプロセスである。
 
例えば、フェノール樹脂とエチルシリケートのリアクティブブレンドについては、ゴム会社のホームページに書かれているような高純度セラミックスを有機物前駆体から製造する、試行錯誤から生まれた独創技術である。ポリウレタンRIMの模倣技術だが、似ても似つかぬプロセスと材料が生み出された。
 
なぜ、セラミックス会社の技術をうまく真似るように粉体プロセスの基礎研究を行わなかったのか。それは1983年に無機材質研究所へ留学し、偶然のめぐりあわせからプリカーサー法を1週間もかからない短期間で完成でき、その半年後にゴム会社で先行投資が決まり、いきなりパイロットプラントが立ち上がったためである。「まずモノを持ってこい」精神の賜物だが、パイロットプラントができあがった時にその名言を言われた役員は「いきなりでかい装置をいれたのか」と驚いていた。
 

科学の無い時代の技術の発展がどのようであったかは、「マッハ力学史」にあるようにそれをたどることは難しいが、お金儲けを目的に技術を盗んでやってみたら、スキルがなかったために独創的なよい技術が生まれた、ということもあったかもしれない。
 
偶然も大切で、高純度SiCのSiC化の条件探索作業では、無機材質研究所で新品の電気炉が暴走してマニュアル運転したためにベストな製造条件が一発(実験を開始して3日めのこと)で見つかっている。その時は、コントローラーの操作方法を知らなかったので、非常ボタンとスイッチ操作を繰り返すしかなく、フレスコ画のごとくプログラムパターンとは似ても似つかぬ温度パターンになってしまった。本当は文献に書かれていたように1600℃30分保持を行いたかったがそれとは似ても似つかぬ条件が最良条件として得られた。
 

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2015.09/05 昨日気づいたこと

佐野氏がデザインした京都の老舗扇子店「京扇堂」のポスターをよく見ると、秋田県横手市が開催した交流イベント団扇展のポスターよりもデザインとして改良されている点がいくつかある。
 
ベースになった「涼」の字体について比較すると、佐野氏のデザインに軍配があがりそうだ。また扇子にしたセンスも良さそうだ。さらにあえて「涼」の字を見せないように工夫している点も秀逸である。
 
他の模倣と言われている佐野氏の作品も改めてオリジナルと比較してゆくと、オリジナルをぱくるというよりもオリジナルよりも良いものを作ってやろうという意欲が垣間見えてくる。
 
今回の騒動では佐野氏のパクリ作業ばかり騒ぎ立てられているが、どうもこの人はオリジナルを超えた自分の作品を世の中に広め、オリジナルのアイデアを自分のアイデアのごとく認めさせようとしていたのかもしれない。
 
サントリーの景品では、明らかに模倣と分かるものを取り下げた、と書かれていたが、これはオリジナルの方が優れていたことを認め取り下げたように当方は感じた。佐野氏はプレゼン能力と人脈で著名になっただけと誤解していたが、それなりの形式知が長けた人なのかもしれない。
 
デザイン業界に詳しくはないので佐野氏の力量を正しく評価できないが、模倣という手段で、オリジナルを超える作品を生み出すにも若干のスキルは必要である。もし良識のある先輩がいて彼を指導していたなら、本当に有能なデザイナーになっていたのかもしれない。
 
あるいは彼が受賞した多くの賞について、審査員の中に誠実で真摯な人がいたならば、彼は受賞で成長できたのかもしれない。キャリアを見る限り、佐野氏は業界のスーパースターであり、そのように育てられてきたのだろう。自分より力量が劣ると見下した作品について、そこに潜む優れたアイデアに嫉妬し、それを自分のモノにしたかったのかもしれない。単なるパクリ屋ではない。
 
20年以上前になるが、湾岸戦争が始まる直前にFDを壊される事件が起きた。その事件が起きる前、犯人は、「なぜおまえなんかにあの品質問題を解決できたんだ。持っている情報を出せ」と言ってきた。創造力が必要な社会で、創造という作業とその価値、そしてそれを生みだす苦労を理解できていない傲慢な人だった。
 
模倣から創造を生み出す手法以外に日々の研鑽など凡人が創造を行うためには手法の駆使以外に不断の努力が必要なことをご存じなかった。努力により実践知と暗黙知の蓄積ができ、そこに手法が駆使されて形式知では導かれない独創が生まれる。凡人による独創の陰には血のにじむような努力があるはずで、それを安直に取りあげようとする傲慢さは許されない。

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2015.09/04 扇子と団扇、そのセンス

佐野氏がデザインした京都の老舗扇子店「京扇堂」のポスターが、秋田県横手市が開催した交流イベント団扇展のポスターと酷似していることがWEBで話題になっている。京都の老舗は依頼した覚えがなく、ただ名前を貸しただけだ、と語っている。産経新聞朝刊(9/4版)でも取り上げていた。
 
その他の佐野氏に関するWEB情報をしらべると、模倣の指摘が毎日何か一つ増えている状況である。今朝は母校であるT美大のポスターが盗作の疑いとして提案されていた。佐野氏は有名デザイナーだそうだが、これだけ模倣が出てくるとデザイナー業界の体質を疑いたくなる。なぜ、佐野氏が著名になりえたのか。
 
まじめに独創を追求しているデザイナーが評価されず、模倣で瞬間瞬間を評価され名声を得ることが可能な体質なのだろう。類似のことはサラリーマン社会でも起こりえる。プレゼンテーション能力の高さで出世できたケースも見てきたので、デザイン業界の体質をそれなりに想像できる。
 
組織で行う仕事を大義として、個人の業績など軽視しても許される、という意見もあるが、一番努力し成果をあげた人間がまったく評価されず、長期休んでいた人が突然出勤してきて組織リーダーという理由でプレゼンを行い評価され出世、という極端な例や高純度SiCの業績を審査した立場から、東京オリンピックのエンブレムで始まった昨今の状況を見ていると、複雑な気持ちになる。
 
社会的な地位と名誉を勝ち取ったデザイナーの知られたくない過去の仕事の裏側が次々と暴露され模倣のオンパレードという状況をこれから社会に出て行くデザイナーも見ているのである。これが今の社会だ、という考え方もあるかもしれないが、若い人の夢を壊すようなことになりはしないか。若い人材を激励するための顕彰の権威も地に落ちてしまった。
 
佐野氏の作品に模倣が多くそれでありながら業界の第一人者となった問題はすでに衆知の事実となったので、もうネットでの暴露合戦はやめるべきではないか。美しくないことが分かっていても、それゆえ美しくありたい、と努力するのも人間の本性である。問題提起は重要だが、それも度をこすと’グロ’になる。
 
よほどの天才ではない限り、全く何も無いところから人類に貢献できるすばらしい価値を生み出すことなどできない。模倣が創造のための一段階であり一手段として存在する限り、それを勘違いしたり悪用する人は出てくるのである。
 
創造は難解で高度な活動と思われているが、実は現代においてぱくりと創造は紙一重となる場合があり、それに対し忠告をするのはその道の先輩諸氏の重要な役割になっている。今回それが機能していなかったのである。機能していないばかりか、もっとひどい状態であったことは、説明インタビューも含め国民が皆知ることになった。
 
日本の現代社会には様々な問題がある。その一つとして受験の問題が毎年取り上げられるように、社会の人材評価システムは大きな問題である。今回はそれに様々な利権が絡んで醜くなっていた。
 
T美大は業界の実績もあり評価の高い大学だが、その評価がどのように作られたのかを垣間見る機会ともなった。ぱくりでもわからなければ評価される、OBがスクラムを組みそれを支えるーー張りぼて状態が丸見えになった。TVのワイドショーはさらにそれをわかりやすく説明する、醜さがお茶の間にもあふれる騒動である。
 
結局はドラッカーがいうように誠実真摯な人を選ぶのが経営者の役割、という考え方が大切で、社会のリーダーあるいはその業界のリーダーが誠実かつ真摯であるかどうかでその組織あるいは社会の風土が決まる。健全な社会や伸びる会社のリーダーには誠実真摯なリーダーが多い。インタビューを見ていてもそれがわかる。
 
オリジナルのポスターを当方も見たが、団扇を使ったデザインを美しいと思いぱくりたいという衝動に駆られたセンスをそれなりに能力が高いと思った。それゆえそれを真似たデザインを作るのは、それを自分のデザインとして発表しなければ、デザイナーとして練習のために許されることだ。
 
そこで団扇を扇子に置き換えただけのデザインを作成してみた(団扇よりも扇子にしたほうがセンスよく感じる)。それを自分のデザインとして発表したから悪いのである。そして、そのような人材を能力ある人として評価しているのが現在のデザイン業界である、というわかりやすい事件だ。
 
余談だが、ネットに掲載されたデザインを「お題」にして、当方ならば団扇を扇風機(ダイソンの扇風機ような革新型がよいかもしれない)に換え「COOL」と言う文字を爽やかな風のごとく揺らいでいる様子に「創造」し、同じ色調で描く(注)。模倣から創造するとはこのようなことだ。(しかし、創造とは笑点の大喜利のよな ーーー。)。
 
このようなデザインならばパクリと言われないだろう。しかしオリジナルのコンセプトの一部を模倣している点は佐野氏と同じである。但し模倣から創造した結果、「和」のイメージから「洋」で無機的な涼しさの表現という新しいコンセプトのデザインになっている。お見せできないのが残念!!
 
(注)羽の無いダイソンの扇風機の特徴である円形の空間部分から「COOL」という水色の文字がゆらぎ描かれているデザインを想像して欲しい。涼しくないですか?

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2015.09/03 瞬間芸の技術(中国での成果)

今日メールで良い知らせが届いた。7月に開発した材料がお客さんに採用されたという。成果の詳細は機密なのでいえないが、この成果を出した状況を簡単にご紹介したい。
 
7月に10日間中国出張して、新材料の開発をスタートした。本来基礎検討からスタートするのが一般の進め方だが、いきなり本命と思われる材料の検討をクラチメソッド(まず、モノ持って来い手法)で行った。タグチメソッドを9月に行う予定で、その前段階としてまず、完成品を作ってみる方法をとった。
 
日本のクライアントにはなかなかクラチメソッドを採用していただけないが、新たに指導を始めた中国企業ではすんなりと受け入れてもらえた。しかし、受け入れていただいたことは良いのだが、お客さんに試作品として出したい、と言い出した。
 
良いモノができたら当方から提案しよう、と思っていたが、その良いモノが初日にできてしまった。だから、すぐにお客さんに出したい、とクライアントが言い出したわけだが、初回で最高の材料ができたのは、初めての実験開始後3日で最適プロセスが決まった高純度SiC以来である。一瞬うれしかったが--。
 
まだ1週間以上検討時間を残してこれで終わりになると、コンサルティング料も一部しか頂いていないので心配になってきた。その心配に対して、クライアントはやりたいことは、まだたくさんあるから大丈夫だという。
 
当方にとってはとんでもない話である。契約金を下げるため、テーマごとの契約にしていたので、新たに契約を結ばなければ商売にならない。初めて当方の研究開発必勝法をそのまま採用していただけたのはよいが、とんでもない誤算があった。自分で自分の首を絞める商売のやりかたを知らずにやっていたのだ。研究開発必勝法は販売中止にした方が良いかもしれない。
   

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2015.09/02 ぱくりデザイン

東京オリンピックのエンブレムが、使用中止になったという。本件については、早い段階からそのオリジナリティーが疑われていただけでなく、審査員が佐野氏に近い人物で固められていたことなどが、ネットで指摘されていた。また、審査過程にも疑惑が指摘されるなど国をあげての行事のエンブレム審査としていくつか問題があった。しかし、どこに不正があったかは明確にされず、「このままでは国民が納得しない」という理由で佐野氏が辞退したことで関係者は幕引きをしようとしている。
 
今回の問題ではサントリーの景品で佐野氏デザインの一部にぱくりデザインがあったことから佐野氏デザインのエンブレムに対する疑いについて国民の80%以上が疑惑を持つ事態になった。他人の著作物を勝手に使用する佐野氏の仕事ぶりはこれに留まらず、エンブレムの応募に使用されたエンブレム展開案の写真がやはり盗用であったことを佐野氏が認めるに至った。
 
模倣から創造を行う手法は、技術でも芸術でも新しいものを生み出す一手法である。例えば第三者のAという技術を応用してABという技術を発明した時に、新規性と進歩性があればABは発明として認められ、特許を出願すると成立する。これはぱくりではなく技術開発の一手法として認められており、その結果新しい技術が容易に生み出される土壌ができて技術が発展してきた。ゆえにABではAを「ぱくって」はいるが、新規のBが評価され、ぱくり技術とは言われない。
 
技術の場合には線引きは明確であるが、これが芸術分野の著作物になると難しい。サントリーの景品では本人もぱくりデザインであることを認めたのでパクリであったことが確定した。しかしエンブレムについては、本人はパクリであったことを認めていないだけでなく、その創作過程を明らかにして無実を証明しようとした。ただしこれは審査過程の別の問題を露呈している。
 
結局エンブレムがぱくりデザインであったかどうかは、本人が認めていないのでグレーになっているが、先に公開されているデザインに似ている事実だけは残った。そしてこの事実については著作権の侵害として提訴された。これらの状況からでてくる、デザイナーではない素人が見てもオリジナリティーが感じられないものを東京オリンピックのエンブレムになぜ審査員は選んだのか、という疑問は、残った。
 
芸術分野の著作物について、オリジナリティーを素人が見極めるのは難しいという理由で専門家の審査員が選ばれているわけであるが、その審査員が佐野氏に近い人ばかりであっただけでなく、明らかに似ているものを似ていないという能力の審査員を選んだ責任は少なくともとるべきだろう。ぱくりデザインであったかどうか、というよりも審査員も含め今回の審査が公明正大であったかどうかというのが一番大きな問題のように思われる。
 
余談だが、弊社では著作権フリーが保証された素材から新たなデザインを創出する技術を開発し、特許出願を行った。すなわち著作権の問題が発生しないデザイン手法を技術としてまとめたわけだが、ご興味のある方はお問い合わせください。
 
ぱくりデザインではなく安心できるオリジナルデザインを弊社は提供します。また、創造をどのように効率的に行うかの指導も行っていますのでご相談ください。

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2015.09/01 IoT

IoTを初めて見たときに新たな顔文字と勘違いした。モノのインターネットのことだが、ドイツ政府が提唱した「Industry4.0」とともに現実化してきた。特許検索を行うと、主だったアイデアは続々と特許として公開されつつある。
 
IoTは、まさに「今でしょ」の技術であり、またソフトが勝負を決める技術なので実用化も早い。すでに実績を上げている例もあり、この5年間急速に普及すると思われる。
 
Industry4.0という概念は、1.0が水力・蒸気力、2.0が電力、3.0が計算力であり、産業革命の基盤概念である。そして4.0は、モノのインターネットが新たな産業革命を起こす、となるのだが、アルビントフラー「第4の波」を想起させられる(この概念は、新しいコトではない)。
 
新しい概念が登場するたびに話題に取り上げられたりするが、40年近くその繰り返しを体験してくると、概念が登場した時の姿勢に学習効果が表れる。音楽が趣味でレコードやCDの置き場に困っていたところでインターネットの普及があり、20年近く前からCDやレコードをファイルサーバーに落とし、ネット環境で音楽を聴いてきた。自宅のCDやレコードはすべてファイルサーバーにおとしてある。
 
TVも単身赴任前にインターネット接続可能な大画面液晶TVを導入し、ネットにつながった生活を意識的に進めてきた。家庭にあるものをつないできた経験からいえるのは、つなぎたくないものが出てくるのだ。また、つないだ結果の反省も出てくる。
 
もうネット配信の音楽を聴くことをやめ、音楽用PCはイントラネット環境からも取り外した。そしてローテルのCDプレイヤーを買い、音楽はそのプレイヤーで聞いている。昔に戻ってしまった。なぜかは後日述べる。
 
この経験から、IoTについていろいろつなぐことが騒がれているが、「つながない」あるいは「つなげない」ことにより創出される新事業を今考えると、IoTの先端につけるような気がする。
 
「つながない」から今と変わらない、と思うと大きな間違いである。例えばIoTではクラウド環境を想定しているが、「つながない」ならば、その閉じた系に大容量のストレージデバイスが必要になってくる。
 
今必要となっていないのに、なぜIoTになったら必要になるのか、と疑問を持った人の頭は老化が始まっている。新しい概念が普及すると、仮にその概念を取り入れなくても旧来の環境も影響を受けるので、新しい概念を局所化した技術が要求されるようになる。特許を見る限り、この視点の発明はまだ公開されていない。このあたりの理解を短時間にしたいなら、「ドラえもん」で学習すると良いかもしれない。
 

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2015.08/31 ぱくり技術

某新聞に中国のパクリ技術の実態が書かれていた。新聞記事によるとどこからともなく日本の技術の設計図面が流れてきて、それでモノを生産している、というのである。もちろん記事を書いている人は、それがどこから流れてきたのか知っているのであろう。
 
当方も中国でコンサルティングをやっていて同様のびっくりした体験がある。某社の設計仕様書がそのまま当方に示されて、次回これを生産したいので指導してほしい、というのである。見せられたものをそのまま指導しお金がもらえるならば、それは気楽な稼業である。おそらく同様のことが中国各地で行われているので新聞記事に書かれているようなことが起きているのだろうと思った。
 
当方は、示されたものよりもっといいものを作りませんか、と提案してみた。そしたら、もっといいものができるなら、それをやりたい、と応えてきた。そして設計仕様書と異なる技術をタグチメソッドで開発し特許明細書まで作成したら感謝された。
 
当方の体験からいえるのは、パクリの情報をもとにしてそれより良いものを作るように指導すれば、新聞記事に書かれているような問題は無くなるのである。ところが、冷静に考えると、これはこれで日本企業の技術が中国に負けるという新たな問題を引き起こす。
 
ただ、この問題は日本企業にも新たな技術開発を促進するので技術の進歩を考えれば、パクリ技術が蔓延するよりは良いかもしれない、と考えた。また、よりよい技術開発のために当方への日本企業の依頼も増えるだろう、ととらぬ狸の皮算用をした。
 
中国の第一次産業から第二次産業への転換は急速に進んだ。新幹線から眺める光景には、荒れた田畑や昔村だったところに廃屋がある。農業を捨てた彼らとて、事業の永続性を保証しないパクリ技術がよいと思っているわけではないようだ。ただ、自前で開発するその手法あるいは経験が無いだけなので、そのあたりを弊社はコンサルティングの中心においている。
 
今や技術はグローバル化ボーダレス化しており、技術者は日々の研鑽を怠ればあっという間に使い物にならなくなる時代である。中国がパクリ技術を、と言っている間はまだ幸せなのかもしれない。中国が日本よりも優れた技術開発を行うようになった、という時に日本はどうする?
    

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2015.08/30 新国立競技場の整備費用

安倍晋三首相による旧整備計画の「白紙撤回」から1カ月余り過ぎた。28日に決まった新計画で政権が重視したのは、批判を浴びた建設費について1千億円を超える削減幅だった。安倍首相は、建設費を1550億円に絞り込んだ新計画に胸を張ったが、当方はその時の安倍首相の発言に心を動かされた。
 
「暑さ対策なら、『かち割り氷』だってある」、安倍首相は夏の甲子園名物を挙げ、冷房施設の断念を指示、そこに「首相主導の政治決着」を演出し、1500億円台の「大台」を達成した。
 
スポーツを観戦するのに冷暖房設備は不要である。スポーツ観戦に限らず「生」を楽しもうとする目的はその場の空気も共有したいからで、冷暖房設備の整った観客席でスナック菓子を食べながら観戦するぐらいなら、茶の間でTV観戦していた方が楽しい。「かち割り氷」の表現は「生」の重要性をうまく示している。
 
しかし、新計画ではかなり削減されたが、それでもまだ他の国の3倍強の価格である。いくら日本の人件費が高いと言ってもだまされているような気になる。特に中古の二軸混練機を購入し8000万円でコンパウンド工場を立ち上げた経験から、ゼネコン(General Contractor)の見積もりに対して疑念を持っている。
 
当方が担当したコンパウンド工場の見積もりでは、スケール以外何も指示しなければ、両手に近い価格が提示され、具体的にインフラ状況を示し、交渉を重ね、ようやく片手になる。しかし、根津の中小企業に依頼したなら、一発で1億円以下の価格を提示してきた。指一本もいらなかったのである。要するに担当者がコストダウンにどこまで情熱を傾けるかにかかっている。昔高純度SiCのパイロットプラントを建設した時でも、品質評価設備や研究設備も含め、2億4千万円にきっちり収めた経験を持っている。
 
国立競技場も大手ではなく中堅に依頼してみてはどうだろうか。1/3は無理でも半額になるかもしれない。そのうえ大手よりも柔軟な対応のおかげで納期もゼネコンの半分になった。品質については10年近くトラブルが無いことから、大手同等の品質だと思っている。ちなみに昨年は中国で工場建設のアドバイスを依頼され、今年も一件抱えている。ゼネコンのような仕事はできないが、日本でも工場建設のアドバイスは受け付けます。
   

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