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2015.05/09 問題解決(8)

問題解決において気をつけなくてはいけないのは、時間の扱いである。システムに時間の要素は入ってくるが、「時間」は情報ではない、あるいは時間を制御することはできないのは当たり前のことである。

 

具体的には、何かプロジェクトで問題が発生したときに、「時間が無いからできない」、という回答は、この仕事はやりたくない、と言っているのと同じである。「時間」というものに理由を求めてはいけないのである。やらなければいけないことであれば、納期を遅らせてでもやらねばいけない。

 

納期をその日あるいはそのときであることが妥当であるのか議論することは可能だが、「時間」というファクターを議論しても何も生まれない。「時間」に答えを求めることは、「やらない」とか「解決しない」という答えと同じなのだ。換言すれば、どうしようも無い状況ならば、時間が過ぎる前に、「解決しないという意志決定」をすれば良いのである。

 

PPS中間転写ベルトの開発で、コンパウンドの内製化を部下のマネージャーへ伝えたときに、今からコンパウンドの技術開発をしていたら間に合わない(時間が無い)、という答えが返ってきた。確かに数年外部のコンパウンドメーカーと開発してきて解決できなかった問題をコンパウンドの内製化で短期間に解決できる、と考えるのはおかしい。しかし、これは、時間を情報として扱っている見方である。

 

もし新たな技術で問題解決できることがわかったならば、どうするか。そもそもPPS中間転写ベルト開発テーマを継続するのかどうか、という問題で考えなければいけない。何も解決の手段が無いならば、半年前の今、技術開発は不可能という結論を出さなければいけない。

 

新たな技術で問題解決すると意志決定したならば、納期を動かしたり、仕事量を削ったりする調整を行えば良いのである。そもそも意志決定は成功を予測してチャレンジする行動なのである。

 

ところが、コンパウンドの内製化を行おうと関係部署の調整を始めたときに、ISO9001(品質マネジメント)の壁にぶつかった。幸い分社化されていたので、ケミカル関係の子会社が別会社となっていた。この会社にコンパウンドの生産を任せれば、外部のコンパウンドメーカーと同等の扱いができて、ISO9001の問題を解決できる。

 

オブジェクト指向的に表現すれば、カプセル化で問題を解決したことになる。時間を制御することはできないが、このように時間のファクターをカプセル化してシステムに影響しない工夫はできる。このシステムでは、発注という入力で、コンパウンドが簡単に出力される。

 

参考までに、社内でコンパウンドの生産工場を立ち上げるというシステム選択をした場合について説明すると、ISOに基づく手続きが発生し大変になる。これは開発を成功させるコンパウンドという出力を得るために、多くの入力をしなければいけないシステムを選択したケースである。

 

このように時間は制御もできなければ(無制御性)、失われた時間を取り戻すこともできない(不可逆性)、また情報のように伝達することもできない。しかし問題解決の時のシステムの選択で、時間をカプセル化できる。

 

すなわち、ビジネスプロセスにおける問題解決法では、時間をうまく処理する工夫が重要である。ビジネスの問題解決で、いきなりスケジュール表から入る人がいるが、それは下手な仕事のやり方だ(注)。まず問題解決されたときの姿から入り、そのときにシステムがどのようになっているのか考えてゆくのが上手な仕事のやり方である。

 

(注)マネージャーは時間管理を行うのが仕事、と勘違いしている人がいる。32年間のサラリーマン生活で細かいスケジュール表を作成したのは、QCの研修でアローダイアグラムを学んだときぐらいである。マネージャーはテーマの成功確率を左右するイベントの管理をしっかり行うことこそ重要である。ビジネスプロセスでは、研究開発部隊といえども予期せぬ飛び込みの仕事が入り、スケジュールの作り直しなどは日常茶飯事だった。

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2015.05/08 問題解決(7)

ビジネスプロセスは、完璧な科学のシステムで動いているわけではないので、そこで発生する問題を科学的に解決しようという試みには最初から無理がある。企業における研究開発の問題ですら同様である。40年近く前に研究所ブームがあり、アカデミア同様の研究所が大手企業で作られたが、これがビジネスプロセスに不適合であったことを思い出して欲しい。

 

すなわち、今ビジネスプロセスで発生する数々の問題は、研究開発の現場の問題も含め、すべてヒューマンプロセス思考を併用して問題解決に当たるのが時代の流れに適合した方法である。ノーベル賞ですらヒューマンプロセスによる手法で受賞しているのである。ビジネスプロセスにおける科学的問題解決法というのが、いかに時代遅れの手法であるのか気がついて欲しい。

 

また、これは会社経営をやってみて気がついたことだが、収益というものの曖昧さである。弊社は設立以来赤字を垂れ流しているが、何とか倒産せずに経営が続いている。そして見方によっては収益が増えている状態になっている。これは、収益というものが会計基準により変化するからである。すなわち、収益が、経営のシステムのとらえ方で変わるということだ。

 

累積赤字で一時目の前が真っ暗になったが、会計を勉強し、希望が見えてきた(しかし赤字が減ったわけではない)。設立時に電子出版や特許出願を行い、多数の出費をしたが、それらが少しずつ芽をだしつつある。高純度SiCの事業化では6年間死の谷を歩いた経験があり、6年間は黒字にならなくても精神的に耐えられる訓練を厳しいゴム会社でさせていただいたが、これは貴重な体験だった。

 

少し話がずれたが、収益の定義が会計基準により変わるというのは、ビジネスシステムで発生する問題の本質をわかりやすく示している。すなわち現金という実体を使わなければ、収益を具体的に定めることができないように、システムの中に「実体の無い事象」が潜んでいると問題の理解そのものが難しくなる。このあたりは、コンピュータプログラミングのオブジェクト指向をかじったことのある人にはわかりやすいかもしれない。

 

当方も30年ほど前Cに取り組みその後C++でプログラミングをするようになり、ボーランド社が無くなってからは、C#を使うようになった。この経験から、このような説明をしている。平たく言えば、単に収益と表現しただけでは、現金がどうなっているかはわからないが、現金の流れを定義づけてやると、収益がその定義づけられたシステムにおいて実体として見えてくる、ということだ。

 

これはオブジェクト指向プログラミングでクラスを記述しただけでは実体が生成していないこと、そして実体が生成していないクラスを間違えて使用してバグを発生させる過程とよく似ている。

 

問題解決を行うときに、理解した、あるいはメンバーとその内容が共有化された、と勘違いし、実体が明確になっていない状態が原因で隘路にはいることがあるが、それはビジネスプロセスにおけるバグのようなものだ。まずそれを取り除く、あるいは是正する作業が必要になる。問題解決において、実体が機能しているシステムを解析するのは容易であるが、実体が不明確のまま問題解決に当たろうとするとうまくゆかない。

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2015.05/07 問題解決(6)

タグチメソッドではシステムの基本機能が重要と言われる。そして最初にここで躓くことになる。そもそもシステムとは何か、基本機能とは何か、という禅問答のようなループに入ってしまう。基本機能はともかく、システムという概念も機械のシステムしか考えられない人もいて、このあたりの理解を正しくすることがタグチメソッド含め問題解決の重要な入り口であるにもかかわらず、難しい問題となってしまう。

 

まず、システムとはその人の「もののみかた」という概念である。目の前の問題も含めたオブジェクトをどのようにとらえるか、そしてそのとらえた姿がシステムそのものである。ゆえにシステムを考えるときに、正解がある、と思ってはいけない。目の前のものをどのようにとらえるかは、自由なのである(注1)。すなわちオブジェクトのシステムとは自由にとらえ、自分で決めてしまって良いのである。これはあたかもキャンバスに絵を描くようなものだ。

 

絵を描く代わりに写真を撮っても良い、と表現したいが、写真の問題は、そこへ撮影者の思考を表現できるかどうかという問題が発生するので、とりあえずここでは写真は除外したい。なぜなら、絵画ならば上手下手がすぐに見てわかる。残念ながら写真はデジカメの性能が良くなりすぎたので、撮影者の意図が見えにくくなっているからだ。

 

システムを自由に決めることが可能であることから、人の数だけシステムの種類が存在することに気がつかれたと思う。すなわちシステムを考える、と言うときに一番注意しなければいけないのは、それが多種多様に存在する、あるいは提案されるということだ。同じようなシステムに見えてもどこか異なる場合も含め、人数分のシステムが考えだされる。問題というものを考えるときに、これは忘れてはいけないことである(注2)。

 

何が問題かを考えるときに、あるシステムにあてはめて、あるいはあるシステムを用いて解決を進めることになる。タグチメソッドでは、その時のシステムの基本機能を考えることがまず最初のステップとなるが、この時システムは情報の流れを見ていることに気がつけば、それは容易となる。すなわちいきなり基本機能を考えるのではなく、まずシステムの要素を考え、それらについて入力と出力の関係を整理するのが、基本機能を考える前にやるべきことである。

 

タグチメソッドに限らず多くの問題解決の説明書に、このあたりの作業が省かれている。ドラッカーが「何が問題か」をまず最初に問うことにしている、と述べていたのは、「何が問題か」と考えることの要求であるが、その要求の中には、システムを考えること、そしてシステムの構造を整理することなども含まれている。

 

(注1)但しコツがあります。弊社にご相談ください。

(注2)わかりやすく言えば、たとえ言葉で明確に問題が表現されたとしても個人によりビミョーにとらえ方が違っている、ということだ。科学におけるシステムでは、これが明確に決まってくるが、ヒューマンプロセスでは、これが不明確になっていることを前提にしている。実はビジネスプロセスは、完璧な科学のシステムで動いているわけではない。企業における研究開発も同様である。だから完璧な科学のシステムで仕事をやっている人が、企業では宇宙人に見えたりする。STAP細胞の騒動は、未熟な研究者によるヒューマンプロセスが理研のシステムを狂わせた、という見方もできる。

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2015.05/06 問題解決(5)

マクドナルドハンバーガーの売り上げ減少が下げ止まらないようである。FC化が加速されるとの記事もでている。しかし、ニュース記事などで聞こえてくる対策から、経営陣は正しい問題を見つけていないように思われる。当方も10年ほど前の単身赴任以来マクドナルドハンバーガーを食べた記憶が無い。中国へ仕事で出かけても、マクドナルドへは入らない。理由を考えたことは無かったが、ハンバーガーを食べなくなった、という理由ではない。

 

忙しいときなどは、ロッテリアかモスバーガー、あるいはコンビニのハンバーガーを買って食べている。しかし、マクドナルドが近くにあっても、なぜか入らなくなった。おそらく店が汚くなったことが一番大きい原因かもしれない。一度不衛生な現場を見ると食品関係の店舗の場合には何故か足が遠のく。見かけはりっぱなホテルでも、かわいいお姉さんがニイハオと言いながら、ゴキブリのひげをつまんでゴミ箱へ捨てた光景を見てからは、お姉さんがかわいくてもそこへ二度と行かなくなった。

 

一度足が遠のくとかなりの変化が無い限り、その店には行かないものだ。昨日近所のマクドナルドをのぞいてみたが、相変わらず店内は雑然としていた。何も買わずに店を出た。経営陣は現場を見ているのだろうか。少なくとも食品を扱う店舗では清潔感が最も優先される。汚い店には不衛生でも我慢できるお客しか入店しなくなるだろう。

 

昔、マクドナルドの店内は清潔感と活気があふれていた記憶がある。モスバーガーは、そのおいしいにおいが店内にあふれていたが、マクドナルドは、匂いさえも店内に出さないように配慮しているかのような雰囲気があった。なんと言っても薄っぺらなハンバーグの厚みを感じさせない巧みな梱包がすばらしかった。それらの配慮が、食べたときにおいしいと感じさせてくれた。それがいつの頃からか店内が汚くなり、ハンバーガーはその肉の薄さがわかるような梱包になっていた。食べておいしいと思わなくなった。においがしてもおいしいと感じるモスバーガーを食べるようになっていた。

 

ゴム会社で高純度SiCの開発を一人で担当していたときに、年に2度程度経営陣がのぞきに来られた。それが励みになった。ゴム会社は経営陣がよく職場見学をしていた。社長さえ最低1回職場に顔を出されていた。写真会社では、社長の顔は昇進をしたり幹部研修ぐらいの機会に見るだけで、職場で拝見したことはなかった。他の管理職にその話をしたら、社長の顔など誰もみたいと思っている人はいない、と言われた。だから社長も来ない、と納得できそうな説明だったが、これは間違っている。

 

従業員が顔を見たいかどうかではなく、社長は正しい問題を見つけるために最低でも年に一度は会社の隅々まで見学すべきである。マクドナルドの社長は、日本の店舗の状況を実際に見れば何故客が減っているのかがすぐにわかるはずだ。正しい問題を見いだすために現物現場主義は重要なコンセプトである。転職して社長の仕事の流儀が会社により異なっていることを学んだが、社長は職場訪問を年に1回はすべきだろう。従業員は社長の顔よりもアイドルの顔を見たいかもしれないが、大会社で社長が職場訪問をするのは、少なくともその職場が会社の一機能として認められていることを従業員に知らせるためと社長が正しい問題を見つけるために必要なことだと思う。大変かもしれないが、マクドナルドの社長はすべての店舗を一度見学してみてはどうか。

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2015.05/05 問題解決(4)

企業の研究開発において問題を日々チェックできない管理職は失格である。科学では真理を追究するのが唯一の目的なのでおいそれとゴールは変化しない。しかし、企業の研究開発は技術を完成させて商品に搭載するまでがミッションである。例えば、研究開発を推進している途中で商品開発そのものが見送りになれば、それも終了するのが常である。そして途中まで投入した開発資源をどう処理するかを考えるのは、研究開発管理者の重要な仕事となる。

 

中間転写ベルトの開発では、当方の処遇は退職まで数年の身であったので、コンパウンドメーカーから協力が得られなくなった時点で責任をとり、開発失敗として処理した方がサラリーマンという立場では手軽な問題解決法であった。ここで開発に成功しても役員になれるわけではないので給料のみならず退職金も変わらないのである。人事部に早期退職者優遇制度を使った場合のシミュレーションをお願いしたところ、2年我慢して勤務すれば満期で退職したときと変わらない退職金になるとの情報を頂いていた。

 

さらに外部のコンパウンダーも一流だったので、PPSという材料は高級機種の中間転写ベルトに使えない、という結論を出しても皆が納得しただろう。しかし、前任者により設備投資がなされ充実した豊川のパイロットプラントや現場で働く人数を見て、必ず成功させなくてはいけないテーマであることを理解できた。給料も退職金も増えるわけではないが、ドラッカーの「働く」意味を思いだし、自己実現の目標を新たに設定しなおした。すなわち問題を会社の問題としてとらえただけでなく、責任ある技術者として生きる自分の問題に設定しなおして、必ず成功させるための意思決定をしたのである。

 

これは公私混同では無い。退職前でサラリーマンとして報われないことを承知しての無欲の企業への貢献である。負けには必然性があるが、勝ちはせいぜい予測できるだけというのは兵法に書かれた名言だが、このテーマが成功しても「不思議な勝ち」となるだけである。「不思議な勝ち」とは野村克也氏のマネだが、そもそも意思決定は、100%の保証が無い勝ちを予測し行うものである。その勝ちを予測することで目標が明確になり、戦略立案が可能となる。

 

意思決定されると見えてくる問題があるという話は先日書いた。それは、目標が明確になるからである。企業の研究開発では、限られた資源の中で成果を出さなければならない。すなわち企業の研究開発では、真理の追究をする前に、研究開発における制約を明確にしなければならない。それは経営者の仕事ではなく現場にいる技術者の責任である。研究開発の制約は技術者の意志決定により取り除かれる(注)。そしてその意志決定により真の問題が見えてくる。問題が明確になれば、あとはそれを解決するだけである。

 

(注)技術者にマネージメント能力を期待していない企業もあるが、少なくとも管理職群に処遇された技術者は、マネージメント能力を発揮しなければいけない。日本の企業において技術者の処遇はライン管理者よりも低く位置づけられたりするがこれは間違っている。給与をライン管理者よりも多く与えることでマネジメント能力は発揮される。管理職群以上では給与の意味は理解されているはずである。給与を上げずにフェローなどの特別な名称の処遇で対応している企業もあるが、スキルの高い技術者について、若手社員に技術を大切にしていることを経営方針として示すために本来は給与を高くするべきだろう。逆に担当部長とか担当課長というありきたりで中途半端な肩書きは技術者のモチベーションにマイナスとなる。権限も何も無い、と誤解してやる気がなくなる技術者もいるかもしれない。しかし、担当部長や担当課長でも現場における戦術展開の権限は「与えられなくても」存在するのである。ここで意志決定が重要になってくる。

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2015.05/04 問題解決(3)

PPS中間転写ベルトの開発を担当したのは、2005年8月だった。八王子から豊川へ単身赴任する途中で撮影した家族写真では、単身赴任という状況にかかわらず幸せいっぱいの笑顔で写っていた。すぐに問題解決できる自信があったからだが、単身赴任してみると本当の問題は、コンパウンドの混練技術をどうするか、であった。

 

当初外部のコンパウンドメーカーが一流で、当方が指導すれば簡単に問題解決できる、と考えていた。しかし赴任そうそうコンパウンドメーカーからは、素人は黙っとれ、と言われてしまった。おそらく中部圏の出身者だろうと思われるが、せっかくすばらしいアイデアを話そうと思ったが、簡単に発言そのものを封じられてしまった。そして押出成形のほうを真剣に考えろ、とまで言われた。ここまで言われては、お客の立場丸つぶれである。

 

外部のコンパウンドメーカーは確かに一流メーカーであったけれど、ヒューマンプロセスによる考え方ができない人たちで、教科書通りの開発を進めている。教科書通りだから間違いではないのだけれど、長い間開発を進めてきても問題解決できていなければ、少しはやり方を変えようという人が出てきてもいいと思うが、科学的に技術開発を進めている、という自負がそうさせないのだろう。さすが○○○という昨年新聞を賑わせた研究所から生まれた会社である。「科学」命の会社かもしれない。

 

単身赴任前に考えていた問題は、一気に意味が無くなった。「コンパウンドの混練技術をどうするか」が最大の問題になった。外部のコンパウンドメーカーはお客に協力しようとしないばかりか、お客の技術力を疑っているのである。年内にベルトの内製化をどうするのか提案しなければいけない立場として、年末を待たず意思決定する必要が生じた。

 

年末にPPSのベルトが完成している状態を思い描けば、コンパウンドの混練技術を1ケ月以内に完成しなければいけない。コンパウンドの内製化を早期に意思決定しなければ問題解決できないことは明らかだった。この意思決定以外であれば、開発失敗を前提に社内調整を始める、という道である。

 

まだ半年ある、という楽観的考えから、コンパウンドの内製化を決意し、外部のコンパウンダーの対応はマネージャーに任せ、コンパウンド技術の開発を始め、1ケ月後にカオス混合技術を用いて「できる」という感触を得た。正しい問題を見いだすためには、意思決定ができているかが重要である。迅速な意思決定は自ら行動することにより可能となる。

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2015.05/03 ブリヂストン美術館

ブリヂストン館美術館がビル建て直しのため5月18日より閉館になるので、現在開催中の「BEST of the BEST」を見に行ってきた。やはり本物はすごい迫力である。写真や印刷物ではわかりにくい陰影や、絵の具の輝きがよくわかる。

 

パステルの絵ではそのタッチが200年過ぎても残っている。作者の気持ちが伝わってくるようだ。本物の絵画を見ていると、明らかに写真との違いが見えてくる。写真では写しきれない世界がそこには描かれているからだ。写実性が高いと言っても科学的に光の位置を探してみると、レンブラント以外は光源が複数存在したりする。そしてそれが絵画の一つの表現だったりもしている。

 

写真が芸術として劣っているのか、というとそうではない。絵画は古くから存在したが、写真は銀塩を乾板にぬり、画像を残す技術が開発されてからの芸術である。まだ芸術としての歴史は科学同様に浅い。

 

写真は真実を写すとか写さないとか言う議論があったりするが、その原理は三次元の世界を二次元平面へレンズを通過した光で表現するので、この議論の答えは自明である。すなわちオブジェクトはレンズにより必ず歪むことになるので真実をそのまま写す、という説明は間違っている。わかりやすく言えば、美しくなくても美しくとることが可能なのだ。そして、それが写真家の腕でもある。

 

ただ写真は事件の証拠として、筆記された絵よりも重視される。あたかも科学と技術の関係のような世界がそこには存在する。どんなに写実性の優れた絵画でも正確さでは写真に及ばない。逆に写真では描ききれない作者の心が絵画では容易に表現できる。同じオブジェクトを前にしても、写真と絵画では描いているものが異なるのだ。

 

これは、新しい自然現象を前にしたときに、科学では素直にその真実を追究するのだが、技術では、そこに潜む機能を人類に役立てようと心眼で眺め、無地のキャンパスに機能を実現した装置を書き上げる。あたかも写真は科学のようで、絵画は技術と同様に人間の自然な営みの中で生まれてきた作業の結果のようだ。

 

このように見ると、写真表現は今日の科学のような厳しい議論に、まださらされていないのでその技法に開発の余地が残っており、デジタル技術が新たな写真表現を生み出すかもしれない。すでにそのような取り組みをしている写真家もいるが、残念ながら今ひとつ盛り上がりを見せていない。

 

真実を写すのが写真だから、それを加工したらもはや写真ではない、という意見がある。しかしこのような無限の可能性に制限を加えるような批判は、どのような分野でもその進歩を阻害する。弊社では、写真の可能性についても研究しているので機会があったら展示会を行いたいと考えている。ご期待ください。

 

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2015.05/02 問題解決(2)

ドラッカーは、「何が問題か」をまず問うことの重要性を指摘しましたが、問題解決をどのように行えば良いか、とか問題の構造とか、そもそも問題とは何かについて明確な答えを残してくれませんでした。著書を読めば、ドラッカーが意味する「問題とは何か」の答えが見えなくもないですが、彼の著書を数冊読んだだけでは理解できません。

 

高校生の時に父親から勧められてドラッカーを読み始めたが、難解な本でした。眠れないときに読むにはもってこいの本でした。彼は、目の前の問題が、すぐに解くべき問題とは限らない、と述べています。すなわち、問題には、目の前に見えている問題と、目の前に見えていない問題があり、目の前の問題を解いてみたところで問題解決したことにならない、さらには間違った問題を正しく解いても得られる答えは正しくない、とまで言っています。

 

目の前に見える問題は理解できますが、目の前に見えていない問題を見つけるにはどうしたらよいのか。これが問題になる。彼は、問題とは、あるべき姿と現状との差異と定義づけています。すなわち現状分析と意思決定により導かれたあるべき姿との乖離から、目の前に見えていない問題が見えてくる、と言っている。

 

これをプロセス的に表現すれば、1.現状分析を行う、2.どうあるべきかを問う。3.1と2の差分を考える、4.そしてその差分を解決する、となります。少し表現をかっこよくすれば、戦略を考え、戦略に基づく戦術を遂行するとなるが、これはあまりにも抽象的でわかりにくい。あるいは、意思決定を行い、その結果見えてくる問題を解決するのがビジネスプロセス、という表現もできるが、これも少し抽象的だ。

 

一般に言われている科学的問題解決プロセスの一番大きな問題は、すでに問題が与えられていることが前提になっている。しかし、問題解決のプロセスの前段では、ドラッカーが指摘したように、まず何が問題かを考えなくてはいけない。これは科学の問題を考えるときでも同じである。この作業は仮説設定とは異なる作業であり、ヒューマンプロセスの特徴にもなってくる。

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2015.05/01 問題解決(1)

企業の研究開発は事業の一シーンでもあることを考慮すると科学的プロセス以外の問題解決プロセスの重要性が見えてくる。仮説を立ててそれに基づく実験を行え、という指示だけでは、仕事は進まない。また、研究成果は企業の重要な将来への投資と考え、大学と同様の研究を行ってみても、事業への貢献はさほど大きくない。

 

さらに、人類に役立つまったく新しい機能の発見は、頻繁に起きているわけではない。例えば、高純度SiCの合成に用いた高分子前駆体の技術は、当時普及し始めていたポリウレタンのリアクティブブレンド技術と同様である。電気粘性流体の増粘防止技術も科学的に書かれた報告書では界面活性剤では不可能と結論が出されていたが、技術ができれば従来の界面活性剤の知識の範囲で説明できる内容であった。報告書はあまりにも科学的に仕事が進められた結果の産物である。

 

ゾルをミセルに用いたラテックス重合技術は、コンセプトが新しかっただけで、技術の根幹にある超微粒子への高分子吸着の研究は、同じ頃に行われていた。PPSと6ナイロンの相容や、ポリオレフィンへポリスチレンを相容させた実験の二つが、現代の科学では説明できない現象を含んでいた。

 

32年間の研究開発を思い返してみても科学的にまったく発想が難しいと思われる事例は2点だけである。高純度SiCの開発で体験した不思議な現象を見つけて以来ヒューマンプロセスによる研究開発を心がけてきたが、科学的に説明できない技術はたった二つで、後の事例は技術ができあがってから科学的研究を行ってみると、科学でうまく説明できた。

 

科学で発想できない技術を心がけてきてもそれを実現できたのは32年間に二つ、ということは、科学的プロセスで問題解決していても日常困らない、という常識を支持していることになる。しかし、ヒューマンプロセスには、科学的プロセスには無い問題解決のスピードがある。もし科学的プロセスにこだわるならば、ヒューマンプロセスで問題解決してから、それを科学的プロセスでトレースしてみれば良い。それでも最初からすべてのプロセスを科学的に進めるよりはスピードのある問題解決が可能となる。

 

当方の事例ではうさんくさいかもしれないが、ヤマナカファクター発見プロセスがその事例、と言えばヒューマンプロセスの重要性をご理解いただけるのではないか。そしてあの研究成果はTRIZやUSITを使用していたなら、山中先生が生きている間に成果が出なかった可能性が高い。TRIZやUSITを用いてiPS細胞の発見ができたかもしれないが、そのためには山中先生が申されているように天文学的な膨大な時間が必要だった。

 

注)ヒューマンプロセスについては、www.miragiken.com 

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2015.04/30 科学の重要性(15)

企業のリーダーでTRIZやUSITを普及しようと考えている人がいるなら,今の時代はやめた方が良いとアドバイスしたい。以前にも書いたが、この手法は、旧ソビエト時代に科学的にすべての問題を解く手法として研究された方法である。コンピューターが登場したときに、ロジックで問題解決できるならコンピューターであらゆる問題を解決することが可能、と短絡的に発想して企画された。

 

冷静に考えていただきたい。現代の科学で自然現象がどこまで解明されているのか、ということを。科学ですべてが解明されているならば、TRIZやUSITで、身の回りのすべての問題を解くことが可能になるだろうが、いまだ科学で解明されていない領域が多いので、多くの科学者が失業しないで済んでいる。

 

科学で多くの自然現象が整理され、小さい頃からそれらを学んできた。その目的の一つは、科学的に未解明の現象へチャレンジできる次の世代を育てるためである。すなわち、人類の大半が未解明の科学現象が多く存在することを前提に現代の科学教育を受けている。

 

そのうえ、その未解明な科学現象が、単なる科学的知識だけでは解明できない、と考え、情操教育も含めた芸術分野の教育も義務教育で行っている。さらに知識の習得を確認するテストでは、ヤナマナカファクター発見の原動力になったあみだくじの引き方まで学べる形式が採用されたりしている。

 

自然現象を解明するのに、科学は一つの良い方法であるが、それだけでは不十分らしいことに一部の人は気がつき始めた。そしてイムレラカトシュのように科学の欠陥を指摘する人まで現れている。科学的ロジックの一つの問題として、科学的に説明できない現象が起きた場合に、それがロジックで否定されるという困ったことになる。そこに、新たな科学現象が現れていたとしても、その現象に至る科学的知識が欠落していた場合には、否定証明で否定する人が現れる。

 

現代の科学で解明されている知識だけを使い、導き出される答えとは何か。そこから生まれるのは、科学的で当たり前の結果だけである。そうでない場合には、現代の科学にどこか欠陥があることになる。だからTRIZやUSITで導かれるのは当たり前の結果であり、そのため、この方法を重視しているリーダーは、科学をよく理解した若手から軽蔑される(その逆に、理解していない若手からはうっとうしがられる)。

 

現場でこの方法を強制されてやらされている光景を見てきたが、若い人がかわいそうであった。その手法を使っている途中で答えが見えてきても、最後までまとめろと強制される(パワハラだ!)。科学のプロセスを身につける訓練ならばそれでよいかもしれない。しかし、そのような訓練は小学校時代から十分に受けてきた。若い人が目の前の問題を解くときに、科学的方法以外で行おうとしていたならば、まず、その理由を尋ねるべきである。

 

なぜなら、当人たちは目の前のテーマで解決策が無くて困っている状態だからだ。TRIZやUSITで見つかる答えならば、すでに検討済みの可能性が高い。このような理由で、TRIZやUSITを普及しようという動きがあっても、中間転写ベルトの開発では、それらを使わなかった。使っても解決策は科学的に当たり前の答えしか出ないことが見えていたのと、担当者のモラールダウンを恐れたからだ。

 

さらに前任者のこれまでの努力の結果では、科学的な方策がやり尽くされていた。換言すればにっちもさっちもゆかない状態だった。皮肉になるが、科学の良いところは、方策が無くなると袋小路に入ることだ。そしてその袋小路には、科学で未解明な現象がいっぱい隠されている。

 

イムレラカトシュは、科学で完璧にできる証明法は、否定証明だけだ、と述べている。すなわち「できない」という結論を出すには、科学は大変便利な道具である。科学的なロジックで誰もが納得できる結論を導き出すことができる。袋小路に入ったら科学的方法は重宝する。

 

電気粘性流体の増粘の問題では、界面活性剤で問題解決できないという完璧な報告書ができていた。中間転写ベルト開発において前任者に優れたところがあるとしたならば、自分でこれはできない、と言わなかったことだ。周囲のだれもが科学的にできないと見ていても、きっと誰かができるという希望を持っていたことだ。

 

中間転写ベルトのテーマを引き継いだときの状況はこうだった。だから躊躇無くヒューマンプロセスで取り組むことにした。そして、ヒューマンプロセスの成果で得られた周方向の抵抗が安定したベルトが完成したときに、それを作る方法ではなく、できあがった製品について科学的証明を行った。作る方法である「あやしい」プロセスについては、科学的品質管理方法で説明した。

 

短期間に「あやしい」新技術(これは決して怪しくない。昨年6月に高分子学会から招待講演者として呼ばれて講演している)を開発したが、これらの科学的説明で周囲は納得し、コンパウンドの内製化のため8000万円を予算外で投資した。ここに科学の重要性がある。ヒューマンプロセスについてはwww.miragiken.com をご覧ください。

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